第10話 休息
木々が生い茂り、鬱蒼としたヴェルデの森。
剣と剣が重なりあう甲高い音が、静かな森の中に響き渡る。
草を掻き分けて駆け出すソウ。
その透明な刃を、ジェードの大きな翠色の刃が防ぐ。
「これで終わりだ」
「……ッ! 」
振り下ろされた刃をソウは頭を庇うように受け止める。
しかし剣越しでも伝わる斬撃の重量感に、思わず膝を落とした。
なんて重さだ。
「立っていられないか? これでも手合わせなので手加減しているのだが」
「う、嘘でしょ……」
ロクワルドに召喚されて、騎士として過ごして少しは力や体力がついた気がしていた。
いや、確実に元の世界にいた時よりも身体が強化されている。
しかしジェードには敵わない。
大剣は風を巻き起こしソウを吹き飛ばす。
飛ばされた彼は、森の草が生い茂る地面に叩きつけられた。
草が衝撃を和らげているとはいえ、痛いものは痛い。
「すまない、無事か? 」
「いたた……。本当にジェードは強いね。エヴァン達も強かったけど、段違いだよ」
「まぁ、お前やエヴァン達に簡単に越されてしまうようでは騎士団長の名折れだからな。……ひとまず休憩にしよう」
ジェードは草の上に寝転ぶソウに手を差し伸べ、起き上がらせる。
二人は少し歩いて、切株に腰を下ろした。
「はぁ、疲れた……。そういえばシフォ達は? 」
「姫様とユリアは食糧や水を探しに行った。この辺りは魔物が少なく危険性は低いが、あまり遠くに行かないよう伝えておいた」
「そっか。ここは綺麗な森だから水も綺麗だと思うし、食糧になるものもあるといいね」
ソウとジェードがいる場所から、少し離れた場所に流れる小川。
美しく澄んだ水は傍を歩くシフォとユリアの姿を映し出す。
「ここの水はとても綺麗ですね」
「はい。ヴェルデの森の水は澄んでいるので、そのまま飲んでも大丈夫ですよ」
「……本当です。冷たくて美味しいですね」
シフォは小川の水をすくい、一口飲んでほっと息をつく。
安全を確認すると懐から革製の水筒を取り出し、水を汲んだ。
「そういえばこの辺りには……あ! ありました」
小川の周辺に群生しているのは、たくさんの木苺。
艶のある赤い粒は宝石のように美しい。
ユリアは嬉しそうに木に駆け寄っていき、木苺を摘んでいく。
「これはジャムに最適な木苺なんですが、生食しても美味しいんですよ。シフォ王女もいかがですか? 」
「いただきます」
シフォは木苺を一つ口に運ぶと、その甘酸っぱさに思わず口元を緩ませる。
「ふふ、美味しいです」
「良かった……王女様にはこんな、森の木の実なんてお口に合わないと思っていたので」
「そんなことないですよ? こんなに美味しい木苺なら、きっとソウやジェードも喜んでくれます。持って帰りましょう」
青い魔宝石をバスケットの中に入れると、冷気で木苺が凍っていく。
その様子をユリアが不思議そうに眺める。
「氷の魔力が込められた魔宝石を持ってきたので、これをバスケットの中に入れて冷凍すれば傷みやすい木の実も少しは持つと思います」
「なるほど……。便利ですね」
二人は枝の棘に気を付けながら丁寧に木苺を摘んでいく。
「……そういえば、シフォ王女は恋人っているんですか? それか婚約者とか」
「えっ……? い、いませんが」
予想外の問いかけに驚きで目を丸くする。
そんなシフォを見て、ユリアは目を輝かせながら距離を詰めていく。
「では、意中の人は……! 」
「そ、それも今はいないです」
「そうなんですか? ジェードさんはともかく、ソウくんはシフォ王女と同じぐらいの年頃に見えますしお似合いだと思ったんですけど」
そんなこと、今まで考えたこともなかった。
摘んでバスケットに入れた木苺に視線を落とす。
「恋をするって……どんな感じなのでしょうか」
「恋はいいですよ。ユリアも王女と同じぐらいの時に恋をしましたが……四六時中その人のことばかり考えてしまったり、なんだか胸が苦しくて落ち着かなくなるんです」
……それは良いことなのだろうか?
恋は、苦しいものなのだろうか。
「あと、ずっと彼の傍にいたい、彼に相応しい人になれるように頑張ろうって気持ちにさせてくれるんです。……まぁ、そんな乙女心を理解してくれない人もいますが」
恍惚とした表情で語るユリア。
しかしその顔は突如不機嫌そうなものに変わる。
「理解してくれない人……? 」
「無愛想でいい加減なユリアの知り合いのことです。シフォ王女は気にしなくていいですよ」
「は、はい……」
ユリアの知り合いという人物のことが少し気になったが、珍しく不機嫌そうな彼女を見て言葉を飲み込んだ。
その時、木苺の葉がかさりと揺れる。
音の正体に気付いたユリアは、顔面蒼白で木苺の木から離れた。
「キャーーーッ!! 」
「ど、どうしましたか!? 魔物が出ましたか!? 」
「ち、違います! む、むし、虫がっ……! 」
「虫? 」
振り返ると、一匹の芋虫が呑気に木苺の葉を食べていた。
「ユリア、虫は苦手なんですっ……! 」
「そうなのですか? 蛾や蜂の魔物と戦っていた時も平気そうに見えましたが」
「あ、あれはユグドラシルの花の為に我慢していたんです! 芋虫や毛虫の類いはとくに苦手で……! 植物は食い荒らすし見た目は醜悪ですし、ユリアにとって害でしかないです! 」
芋虫に対して浴びせられた冷たい言葉に、ちくりと心が痛む。
シフォは怯えるユリアをよそに芋虫に近付き、そっと掌に乗せると彼女は小さく悲鳴を上げる。
「……そんなこと、言わないでください。この芋虫だって一生懸命生きているのです」
「それは……そうですけど……」
「人間は生きる為に活動し、食事をします。それは動物や虫……生命あるもの全て同じです。生命とは、尊いものです。私はこの芋虫にさえそう感じていますから」
「シフォ王女……」
芋虫に目線を合わせているシフォを、ユリアは少し遠くから見つめる。
王女は慈しむように優しく芋虫を撫でる。
「それに今は醜悪な見た目かもしれませんが、芋虫は成長してやがて美しい蝶になります。植物を食べるのは芋虫なりの、自分を変える為の生き方なのだと思います」
人間にとって害でも、彼等は生きる為に必死なのだ。
そう語ると、ユリアは淡い緑の目を伏せる。
「……シフォ王女はすごいですね。虫にも優しくて……。なんだかユリア、自分が恥ずかしくなってきました」
「思ったことを言っただけですよ」
シフォは少し照れくさそうに笑い、芋虫を少し離れた木に移す。
芋虫は罵倒されたことも全く聞いていないような呑気な顔で、再び葉を食べ始める。
「私達がこうして旅をするのは、リュミエールの国民一人一人の生命を守る為です。ロプスキュリテから国を守る……。その為には、一刻も早く導かれし者を探さなくてはなりません。あなたが私達に力を貸してくれたこと、感謝しています」
「えっ、ユリアはそんな……。皆さんに比べたら大したこと……」
ユリアはどこか申し訳なさそうに俯き、その様子に首を傾げた。
「……さて! 水や食糧も十分調達できたことですし、そろそろソウくん達と合流しましょう! 」
「そうですね。これだけの水や木の実があれば、森を抜けるまでは大丈夫でしょう」
刃と刃が激しくぶつかる音を響かせ、手合わせを続けているソウとジェード。
二人は彼等を見つけると、バスケットや水筒を抱えながら駆け寄った。
「ソウ、ジェード、お疲れ様です」
「二人ともおかえり。何か収穫はあった? 」
「水も木の実もたくさん採れましたよ。お腹が空いたでしょう? お昼にしましょう」
「それならユリアに任せてください! 」
ユリアは立ち上がると、馬車から食材とナイフを持ってきて調理し始める。
「普段は森で過ごしているらしいが、その食材は一体どこから調達してくるのだ? 」
「こ、これは……ユリアだってたまには森の外に出ますよ! 」
言葉を濁すユリアを不思議に思いながら、三人は彼女が調理する様子を眺める。
意外にも手際は良く、ナイフを入れる鮮やかな動作に料理慣れしていない三人は目を奪われる。
パンや野菜を使って出来上がったのは、素朴ながらも美味しそうなサンドイッチだった。
「今あるものではこれしか作れませんが……どうぞ召し上がってください! 」
「お前、料理できたのか……」
「いいところ、あったんだね……」
「なんですかその冷ややかな目は」
「姫様、私が先に毒味を」
「失礼ですよ!! 」
今までの彼女の行動、言動からまともな料理が作れるとは思わなかったので、ソウとジェードは恐る恐るサンドイッチを口に運ぶ。
「……美味しい! 」
「……美味いな」
「サンドイッチは簡単な料理ですが、こんなに美味しいサンドイッチは初めてです」
「ユリア、こう見えて料理は得意なんですよ。イザーク様にいつ嫁いでも良いように練習しましたから! 所謂花嫁修行ですね」
美味しそうにサンドイッチを食べる三人を見て、ユリアは得意気に笑った。
サンドイッチを食べ終えたソウ達は、昼から夕方にかけて休憩を挟みながら馬車を引き、やがて森を抜けた。
日が沈みかけた空にはうっすらと星が浮かぶ。
「やっと森から出られたね……。疲れたよ」
「そうですね……。日が暮れてきましたし、早めにロッソへ行って休みましょう」
「ロッソ……」
シフォの言葉を聞いたユリアは、木苺を摘んでいた時と同じように眉をひそめる。
――その時、宝石箱が赤く光り輝いた。
「これは……。ルビーの光ですね」
「光が示す先はロッソ……。まさかこれほど近くに導かれし者の気配を感じるとは」
「ぼく達運がいい、のかな……? 」
ソウが振り向くと、ユリアは馬車の隅で膝を抱えてぶつぶつとうわ言のように何かを呟いている。
「ユ、ユリア……? 」
「まさか……まさかまさかまさか……。いやそんなはずは……。ありえないです……」
「……」
異様な様子の彼女にソウは言い知れない不安を感じるが、馬車はお構いなしにロッソへと駆けていく。
空は星を包み込みながら深い青へと染まっていき、夜の訪れを告げていた。