第9.5話 皇帝の帰還
ヴェルデの森でユグドラシルの花を手に入れ、エメラルドに導かれし者であるユリアを仲間に迎えたソウ達。
その頃、ロプスキュリテ帝国では――
「皇帝陛下のご帰還だ! 」
「アスラ様がご帰還になられたぞ! 」
街の至るところで黒や紫の魔宝石が輝き、重厚な雰囲気を醸し出している。
城下町の先にそびえ立つロプスキュリテ城も、その雰囲気を壊すことはない。
「帰ったぞ」
大勢の騎士と兵士に出迎えられたアスラは、マントを翻して城の廊下を悠然と歩く。
彼の声を聞くなり、一人の少年が現れこちらに駆け寄ってきた。
右耳に付けた黒い魔宝石のピアスが揺れる。
「兄上! おかえりなさい! 」
「アレンか。お前も遠征から帰っていたのだな」
「ああ。あの程度の国、ボクでも簡単に制圧出来たよ」
アレンと呼ばれた少年は、夜闇のような深い紫の髪に緑の瞳と、アスラによく似た容姿をしていた。
しかし彼の瞳はアスラと違い、左右とも緑色である。
「そうか。成長したな」
「ボクはロプスキュリテの皇帝である兄上の弟だよ? 当然さ 」
「これからも期待しているぞ」
「――っ!? 待って、兄上! 」
頭を撫でて去ろうとするアスラの横顔を見たアレンは、彼の肩を軽く叩き呼び止める。
「どうした? 」
「どうしたって……兄上こそ、その傷どうしたのさ! 」
アレンは双眸を見開き、顔面蒼白でアスラの右頬の傷を指差す。
掠り傷ではあるが彼にとっては大事らしく、信じられないものを見るように瞳が揺れる。
「ああ、この傷か? これはリュミエールの者に付けられたものだ」
「馬鹿な! 兄上ともあろう者がリュミエールなどに! 」
「俺が油断しすぎていた。実はリュミエールも制圧出来ていないし、世界の鍵も手に入れていない」
「なっ……まさか、そんなはずは! 」
動揺するアレンをよそに、アスラは淡々と話し続ける。
リュミエールでソウという少年に出会ったこと。
自分に掠り傷一つでも付けたら、国や世界の鍵からひとまず手を引くという条件で決闘したこと。
決闘に負け、リュミエールの制圧を半年後に見送ったこと。
彼が話せば話すほど、アレンは顔を引きつらせる。
「ソウは面白い奴だった。最初は期待外れだと思っていたが、見事に不意を突かれて掠り傷を付けられてしまった。ハハ」
「っ……! おい、サフラン! 」
アレンは睨み付けるように、アスラの背後に立つ彼女の方を向く。
その表情は怒りで歪んでいる。
「は、はい」
「お前は何の為に兄上の傍にいる? 今まで何をしていた? 早く兄上を治療しろ! 」
「……申し訳ございません」
サフランは目を伏せて、アスラの傷を癒す。
彼女の杖は美しい色の守護石へと戻った。
「あの傷はお前達にソウの話をする為に残していたんだ。サフランを責めるな」
「そんなの……恥を晒すだけじゃないか」
「――オイオイなんだァ? さっきからうるせェな」
声のする方へと向くと、柱の影からアスラ達よりも少し大柄な青年が現れる。
青年は茶色の髪をバリバリと乱雑に掻き、月のような銀の瞳を細めて気怠そうにしている。
「バーン。聞いていたのか」
「気持ち良く昼寝してたのによォ……。お前が帰ってきてから城中大騒ぎだぜ。寝れたもんじゃねェよ」
「……ふん。お前の昼寝など知ったことか」
アレンは視界に入れたくない、と言わんばかりに青年から顔を背ける。
「そんでェ? またお前は癇癪起こしてギャーギャー喚いてんのかアレン」
バーンと呼ばれた青年がにやりと笑うと、獣のように鋭い犬歯が口から覗く。
「お前のような単細胞に言われたくない」
「あァ? 喧嘩売ってんのか? 」
「待って。ここは城よ? アナタ達が暴れたら崩れちゃうわ」
いがみ合う二人の間に、サフランと同じくアスラの背後にいたダリアが割り込み仲裁する。
二人は納得のいかない様子だったが、取り出しかけた守護石を収める。
「……さっきの話も聞いてたぜ? リュミエールに面白れェガキがいたんだってな。前に話してたダイヤモンドに導かれし者ってヤツか? 」
「ああ。ソウは確かに導かれし者で異界の人間だった。まだ剣術も精神も未熟だが、次に会える時を楽しみにしている」
「お前がそこまで言うなんて、よっぽど気に入ったんだな。俺も会ってみてェぜ」
「……っ」
楽しげに話すアスラとバーン。
その様子をアレンは不愉快そうに見る。
耐えきれなくなった彼は、二人に背を向けて立ち去ろうとする。
「アレン。何処へ行く」
「シアンの研究室だよ。ここは居心地が悪いからね」
アレンは眉間に皺を寄せ、足早に廊下を歩いていった。
その後ろ姿をバーンとダリア、そしてアスラが見つめる。
「あそこの方が居心地悪ィだろうが……。ホントお前の弟はお前以外に当たりキツいよな」
「難しいお年頃なのよ、きっと」
「……」
魔宝石のランプがぼんやりと光る、薄暗い城の地下。
アレンは鍵を取り出してある一室の扉を開いた。
部屋の中も薄暗く、いくつもの瑠璃色の結晶の中に魔物らしき生物が閉じ込められていた。
不気味、薄気味悪い、という言葉がよく似合う部屋。
「シアン、魔物の研究は進んでいるか? 」
「……アレン様。ええ、とても順調ですよ」
アレンに名前を呼ばれて振り返ったのは、瑠璃色の長髪を左に束ねて右目にモノクルをかけた魔術士のような風貌の青年。
彼は結晶に触れて薄い笑みを浮かべる。
「お前の造り出す魔物は生物兵器として優秀だ。研究が進めば、ロプスキュリテの戦力は更に大きなものになるだろう」
「お褒めに預かり光栄です。……ああ、そういえばアレン様にお伝えしたいことがありました」
「何だ? 」
「――アリシア様が、国を出ていかれました」
その名を聞いた途端、アレンの表情は再び険しくなる。
「何かと思えば、裏切り者の話か……。以前から兄上のやり方に反対していたからな、国を出ていっても不思議じゃない。……あの女はボクにとって、もう姉ですらない」
「帝国の反逆者として、処罰するおつもりですか? 」
モノクルのレンズが光で反射する。
アレンは少しの間を置いて、目を伏せる。
「……いや、処罰する必要はない。皇女一人で国を出て、一体何が出来る? それに、ロプスキュリテを憎んでいる小国の民は多い。奴等に皇女と気付かれれば、こちらが何もせずとも勝手に始末されるだろう」
「……そうですね」
レンズの奥の目を細めるシアンを背に、アレンは魔物を閉じ込めた結晶に強く爪を立てる。
「それよりもまず、小国の制圧が先だ。それと、ソウという異界の少年……」
「異界の、少年……? 」
「奴だけは、ボクがこの手で始末してやる……! 」
結晶に映る少年の瞳は、嫉妬と憎悪に満ちていた。