第9話 聖樹ユグドラシル
窓辺に差し込む暖かい朝の光。
鳥が囀ずる美しい声。
リュミエール城で迎えた朝と似ているが、木々のざわめく音が自然の美しさを感じさせる。
心地良さを感じながらソウは起き上がり、身仕度を済ませる。
家の外へと出ると、よく晴れた日の夜空のような青い瞳の少女が佇んでいた。
「シフォ、おはよう」
「おはようございます」
「あれ? ジェードとあの女の人は? 」
「それが……」
言葉を濁すシフォ。
なんとなく不安を感じていると、ユリアを連れたジェードが家から出てきた。
「すみません……。お待たせしました! 」
「全く。寝起きが悪すぎる」
「これでもユリア、昨晩は夜更かしをしないよう深夜の研究をやめて早めに寝ましたし、いつもよりは目覚めが良いんですが」
「あれでもか……? 」
「なんか、大変だったんだね……」
呆れるジェードの表情から、彼の苦労が察せられる。
彼女はかなりマイペースな女性のようだ。
「ではユリアさん、これを」
「ユリアでいいですよ。……これが、エメラルドですね」
渡されたエメラルドは、ユリアの掌の上で木漏れ日を浴びて美しく光り輝く。
「はい。草属性の魔力が込められており、治癒や魔晶術にも優れている守護石です」
「近くで見るとより綺麗ですね……。魔宝石を調べたことはありますが、戦闘・護身用の魔宝石である守護石に触れるのは初めてです」
「魔力に優れる魔術士のあなたであれば、大きな力を発揮できるでしょう。さぁ、行きましょう」
ユリアの案内の元、ソウ達はヴェルデの森の最深部へと進んでいく。
「そういえば、まだあなたのお名前を聞いていませんでしたね」
「昨日言おうとしてたけどね……。ぼくはソウ。守護石に導かれて異界から来たんだ」
「い、異界!? 」
森の中に響き渡るような声でユリアは驚く。
その衝撃か木々がざわめく。
「や、やっぱりびっくりするよね」
「王女様に騎士団長、異界の人間……。導かれし者って、なんだかすごいんですね。ユリアなんて……」
呟いた瞬間、木々が再びざわめく。
近付いてくる羽音。
見上げると、虫の姿をした魔物に囲まれていた。
「あ、あれは蜂の魔物ドルビーですね……」
「お前が大きな声を出すから目を覚ましたのだろう」
「ユリアのせいですか!? 」
空には無数のドルビー。
ドルビー達を迎え撃つため、各々守護石を変化させ武器を構える。
ユリアもエメラルドを取り出して変化させる。
彼女の守護石は葉や花弁を纏い、長方形のものへと形を成していき――
「これは……魔術書? 」
エメラルドは魔術書へと変化した。
本の表紙の中心に守護石が埋め込まれている。
「ユリアにとって一番扱いやすい形は魔術書なんですね」
ドルビーがこちらを目掛けて突進してくる。
魔術書を開き手をかざすと、地面から蔓が伸びていき魔物達を鞭のように薙ぎ払った。
「退魔の血の影響で弱体化しているようです。シフォ王女、今のうちに!」
「はい。いきますよ、ソウ! 」
「うん! 」
シフォが杖から冷気を放ち羽を凍らせ、落ちてきたドルビーをソウが叩き斬る。
しかし数はなかなか減らない。
「姫様、後は私にお任せください」
「ジェード、お願いします」
後ろで魔力を高めていたジェードが前に立ち、大剣を振るう。
放たれた風の刃は激しい竜巻となり、ドルビー達を一掃した。
「さぁ、先へ進みましょう」
「さすがはジェードです」
「やっぱり騎士団長ってすごい……」
最深部に近付くにつれて、薄暗かった森の中は徐々に明るくなっていく。
「森の奥に進んでいるはずなのに、どうして逆に明るくなっていくんだろう……? 」
「ヴェルデの森は薄暗く、鬱蒼としていますが実はユグドラシルの周辺はとても明るいんです。木が密集しておらず、空から光が射し込んでいるからでしょうか」
「ということは、ユグドラシルに近付いてきたんだね」
木々や草を掻き分け、淡い光と共に見えてきたのは巨大な大樹。
ユリアの家の木もかなり大きかったが、この大樹には敵わないほどだ。
「これが、ユグドラシル……? ただの大きな木にしか見えないけど」
「木の姿をしていますが、ちゃんと魔物ですよ。よく見れば顔もあります」
じっと見つめると、樹木の瘤や虚だと思っていたものが顔であることに気付く。
その顔はどこか年老いた人間に似ていた。
「うわぁっ! 」
「大きな声を出すなソウ」
「び、びっくりしちゃって……」
「ユグドラシルの枝の間で淡く光るもの……あれが花です。慎重に行きましょう」
ユグドラシルの背後にゆっくりと回り込むと、ユリアは蔓を伸ばし花の採取を試みる。
しかし、あと少しで花に蔓が届くところで伸びてきた枝に遮られてしまった。
「気付かれた……!? 」
「どうやら目を覚ましてしまったようですね……」
ユグドラシルは枝や葉を激しく動かし、樹木全体を揺らす。
そのざわめきに反応するように地面から植物の魔物、木々からは虫の魔物が現れた。
「うわ、なんかたくさん出てきた! 」
「ユグドラシル自体は穏やかな魔物なんですが、危険を感じると森の魔物に知らせて身を守ろうとするんです! 」
「なんでそれ早く言わないの……? 」
魔物達はユグドラシルを守る為それぞれ攻撃を開始する。
四人は魔物から離れ攻撃から逃れようとするが、逃げ遅れたシフォは蛾の魔物の鱗粉を浴びてしまった。
「っ! 」
「姫様、ご無事ですか!? 」
「体が思うように動きません……。これは、麻痺毒……? 」
「蛾の魔物モスガ……。緑色は麻痺毒、紫色は睡眠毒の鱗粉を持っていると聞きます」
シフォの体は小刻みに震え、身動きが取れなくなる。
緑と紫の毒々しい色の羽を持つモスガは、バタバタと忙しなく羽ばたいては鱗粉を撒き散らす。
「先にモスガから倒しましょう! シフォ王女、少し待っていてください! 」
「申し訳ありません……」
麻痺毒で動けないシフォをジェードに任せ、ソウとユリアはモスガを優先的に倒していく。
ユリアが前に立つと、魔物達は動きが鈍ったり彼女を避けるように遠ざかっていた。
「退魔の血っていうのは、本当に魔物を寄せ付けないんだね」
「はい。この血のおかげで森の中でも魔物に襲われることなく暮らせていたんですが……吸血鬼まで寄せ付けないのは悲しいです」
ソウが地面に手をかざすと、透明な結晶が棘のように突き出す。
続けてユリアも手をかざし魔晶術を放つ。
透明と翠の結晶はモスガ達を貫き、きらきらと砕け散った。
「まだ手をかざさないと上手くできないけど……少しは魔晶術も上達したかな? 」
「シフォ王女、お待たせしました! これが麻痺毒の解毒薬です! 」
「ありがとうございます……」
ユリアは淡い青色の液体が入った小瓶を取り出す。
体を動かせないシフォの代わりに、ジェードが薬を飲ませる。
思っていた以上の苦味に、少しだけ噎せながら飲み干した。
「速効性ではないので、完全に動けるようになるまではもう少しかかりますが……」
「わかりました。遠くからですが援護します」
モスガはほとんど倒したが、植物の魔物がまだ残っている。
植物の魔物は棘のついた葉や花弁をブーメランのように飛ばしたり、根を伸ばしてこちらを襲う。
シフォはジェードに体を支えられながら杖を向け、植物の魔物を凍らせて動きを封じた。
「よし、今のうちにユグドラシルを……」
「待ってください! 」
「な、なに? 」
ユグドラシルに透明な刃を向けると、突然ユリアに袖を引かれて振り向くソウ。
「昨日話した通り、ユグドラシルはヴェルデの森の守護神です。むやみに傷つけてはダメです。慎重に花を採らないと……」
「わかった。ぼく達が残りの魔物を倒すから、君は花を頼んだよ」
ユグドラシルがざわめくと、再び虫や植物の魔物が現れる。
魔物達はユグドラシルを守る為集まり、空や地面に壁を築き上げていく。
まだこんなにいたのか。
無数の魔物を見てソウの足がすくむ。
「ソウ、私達も援護します」
「シフォ! もう大丈夫なの? 」
「はい。ご心配をおかけしました。……いきますよ、ジェード」
「はい、姫様」
シフォの杖から放たれた冷気を、淡い翠の大剣に纏わせて振るう。
風と氷が合わさることで吹雪となり、魔物の壁を凍らせた。
「風が吹雪に……! 」
「属性同士の相性が良ければこんな合わせ技も出来るのですよ」
なるほど、勉強になる。守護石は本当に奥が深い。
ソウは感心したように頷いた。
「――採れました! 採れましたよー! 」
ユグドラシルの裏から、大きな花を抱えたユリアが駆けてくる。
隙を見て採取したようだ。
黄色に淡く光る花弁と、中心に橙色の宝石のようなものが輝く美しい花を、四人は囲んで眺める。
「無事に採れたようですね」
「花は一つで十分なので、もう魔物と戦う必要もありません。撤収しましょう! 」
「はい。……その前に」
シフォはユグドラシルから少し離れ、祈るように手を組む。
「ヴェルデの森の守護神ユグドラシルよ。森を荒らしてしまったことをどうかお許しください」
彼女に続きジェード、ユリア、ソウも手を組んで祈り、その場を後にした。
「本当にありがとうございました! ユリア感激です! 」
「この花を例の薬に使うのか? 」
「いえ、これは別の薬に使います。例の薬はもう少しで完成しそうなので」
「え、そうなの……? 」
先程までの苦労はなんだったのか。
三人は呆然として脱力する。
「ああ、花の採取を手伝っていただきましたし約束通り旅には同行しますよ! 旅先で珍しい薬の材料が手に入るかもしれませんし……。ちょっと荷造りしてきますね! 」
半ば呆れ顔でユリアの身仕度を馬車の傍で待つ三人。
数分後、たくさんの荷物を抱えた彼女が戻ってきた。
「なんだそれは」
「薬を作る為に必要な道具や材料、あとは調理道具とかですね。これ全部馬車に乗せられますか? 」
乗せられないこともないが……とジェードは困ったように呟くと、ユリアは花が咲くような笑みを見せる。
「ありがとうございます! それではこれから、ユリアをよろしくお願いします! 」
荷物を積み、馬車はゆっくりと走り出す。
森の木々から覗く空は、透き通るような青色だった。