第8話 翠玉の魔術士
ヴェルデの森へと辿り着いた馬車は、エメラルドの光を頼りに森の中へと車輪を回す。
巨大な木々がいくつも生えており、リュミエールの森とは比べ物にならないぐらいの広さだ。
「すごい……。小人どころか、人間も中で住めそうなぐらい大きな木がたくさん」
「実際、ヴェルデの森ではコロボックルなどの魔物が木を住処にして暮らしているそうですよ」
「え、魔物? 」
魔物と聞いて辺りを見回す。
今は何も見当たらないが、魔物が潜んでると思うとなんとなく不安になる。
「突然襲ってきたりしないかな……」
「コロボックルはこちらが何もしなければ基本的には無害だ。安心しろ」
馬車を降りて森の中を散策していると、カサリと草が揺れる。
ソウは音がした方向に振り向くと、葉を傘のように抱え、こちらを覗いている小人のような魔物と目が合う。
「ミッ……」
「こ、これがコロボックル? 」
「そのようですね。本では見たことがありますが、実際に見るのは初めてです」
「ミィ! 」
思っていたよりも可愛い。
撫でようと手を伸ばすと、コロボックルは驚いて草の中に逃げてしまった。
「逃げちゃった……」
「コロボックルはとても臆病な魔物だからな。日没が近付いている、急ぐぞ」
更に奥へと進むと、淡く光る魔宝石やキノコがあちらこちらに生えていた。
森の薄暗さが光の美しさを際立たせ、幻想的な風景を醸し出している。
「……ほんと、ロクワルドって綺麗な世界だよね」
「異界は綺麗ではないのですか? 」
「うーん……。綺麗な所もあるけど、少なくともぼくの住んでいた所はあんまり綺麗じゃないかな」
都会だったし、両親が亡くなってからは視界に映るもの全てが歪んで見えて、とてもあの世界が綺麗だとは思えなかった。
だからこそ、この世界がとても美しく感じるのだ。
――すると突然、何かに反応するようにエメラルドの光が点滅し始める。
「光が強くなっています! かなり近くにいるようですね」
「相手はどんな人物かわかりません。十分に警戒してください」
「もしかして、この中に……? 」
ソウ達の目の前に、森で一番大きいと思われる大木が現れた。
よく見ると窓や扉もあり、樹木で造られた家であることがわかる。
「すみません。どなたかいらっしゃいますか? 」
窓から灯りが見えているが、軽く扉を叩いてみても返答はない。
取っ手を引いてみると、鍵は掛かっていないのか扉は簡単に開いた。
「は、入っていいのかな……。すみません、お邪魔します……! 」
家の中に入ると、辺りにはたくさんの本、本、本……。
本の他には、何かの葉や花などの植物が散乱している。
「この本……。魔術書ですね。それに、この葉は薬草として使われているものです」
「ここに住んでいるのは魔術士かもしれませんね」
「魔術士……? 」
ソウが首を傾げていると、散乱している物を調べているシフォとジェードの背後で本の山がゴソゴソと動き始めた。
……何かがいる。
「っ! 姫様、下がってください」
「魔物が家に入ってきたのでしょうか……!? 」
守護石を構える二人の前で、本の山は大きく揺れ動く。
本はバラバラと崩れていき、現れたのは恐ろしい魔物――
ではなく、一人の女性だった。
「こほっ、こほっ……。すみません、ご挨拶が遅れて! 」
「あ、あなたがこの家の住人でしょうか……? 」
「はい! ユリアと申します。魔術士です! 」
ユリアと名乗る魔術士はマントやロングスカートに付いた埃を払い、身なりを整える。
彼女は樹木のような茶色の髪を肩辺りまで伸ばし、横髪を左右で三つ編みにして毛先を黄色のリボンで結んだ、素朴ながらも可愛らしい女性だった。
瞳は森の若葉のように淡い緑色をしている。
気が付けば彼女に言われるがままに、ソウ達は椅子に座らされていた。
「あの、勝手にお邪魔してしまい申し訳ありません……。それに魔物と勘違いするなんて大変失礼なことを」
「いえ、いいんです! 人間がこんな森の奥の家に訪ねてくるなんて滅多にないですから! さぁお茶でもどうぞ」
シフォ達の目の前にティーカップが置かれ、注がれていく。
湯気を立てるそれは一見普通の紅茶のようだが、水面には不思議な色の花弁が浮かんでいる。
「ありがとうございます」
「姫様、怪しい魔術士からの茶など危険です。まずは私が毒味をしましょう」
不思議な色の花弁が浮かぶ飲み物を、ジェードが一口飲む。
「ふむ、体の疲れが癒されていくような……。味も問題ないようだな」
「失礼ですね。ユリア、お客さんに毒なんて盛らないですよ」
「本当だ。なんだか体が軽くなった気がする」
「ふふ、この花はですね……」
ユリアは得意気に、茶を注いでいたポットをソウ達の目の前に置く。
ガラス製の透明なポットの中には、先程の花弁と同じ色の花が揺れていた。
「“癒し草”という植物の花です。名前の通り、傷や疲労を癒す効果があります」
「綺麗な花だね」
「葉の状態でも十分効果はありますが、苦味が強いので葉に比べて苦味の弱い花を使い、こうして薬花茶にすることで体内に取り入れやすくしているんですよ」
「詳しいのですね。あなたは薬草や薬花などを研究している魔術士なのでしょうか? 」
シフォの言葉を聞いた途端、彼女は目を輝かせこちらに距離を詰める。
「そうなんです! ユリアは薬となる植物や、薬を作る魔術を主に研究している魔術士です! なぜそこまで薬にこだわるか、聞きたいですか? 」
「は、はい……」
圧に押されたシフォは思わず苦笑いを浮かべる。
そんな彼女をよそに、ユリアは恍惚とした表情で語り始める。
「ユリア、実はとある吸血鬼に恋をしていて……。イザーク様という方なんですけど、とても素敵な方で! 八年前彼に出会い、恋をしたんです。ユリアの血はあの方に捧げたいんです! 」
「血を捧げる……!? 」
ソウ達三人は青冷めた顔でユリアを見るが、彼女は全く気にせずに話を続ける。
「……しかし、ユリアは生れつき“退魔の血”という魔物を寄せつけない特殊な血を持っているようで、特に血の味や匂いに敏感な吸血鬼にとってこの血は毒になってしまうようなのです」
「“退魔の血”を持つ人間……かなり希少な存在ですね」
「ですからどんなにユリアが血を捧げたくても、彼は血を飲むことはおろかユリアのそばにさえ長くはいられないんです……」
徐々に落ちてきた声のトーンだが、少し間を置いてそこで!とまた跳ね上がる。
「ユリアは考えたんです。“退魔の血を無効化する薬”を作って飲めば、イザーク様に安全に血を捧げることができ、さらにはずっとユリアのそばにいることが出来ると! 」
「は、はあ……」
「その薬を作る為、材料となる植物や魔法を日々研究しているんです! 」
「自らの血を吸血鬼に捧げる為の薬を作るとは……。とんでもない女だな」
三人は呆れと困惑が入り交じったような表情をユリアへと向ける。
彼女は何かおかしいのか?と言わんばかりに首を傾げた。
「そういえば、まだあなた達のお名前を聞いてませんでしたね! すみません、つい熱くなってしまって」
「は、はい……。私はシフォ。リュミエール王国の王女です」
「私はジェード。姫様……シフォ王女に仕える、リュミエール騎士団の団長だ」
「ぼくはソ……」
「リュ、リュミエール王国の王女様!? 」
ソウの言葉はユリアの叫びに掻き消される。
立ち上がった衝撃で、薬花茶の水面が揺れた。
「申し訳ないです、王女様にこんな散らかった部屋で粗茶を出すなんて……! しかもあんな話まで……。数々の無礼をお許しください」
「いえ、お気になさらず。お茶も美味しかったですし、疲れも癒されました」
「あの……。ぼくまだ名前言ってないんだけど……」
「それにしても、どうしてリュミエールの王女様がこんな所に? 」
「……」
話に入れないソウをよそに、シフォはエメラルドを取り出す。
守護石は今もなお淡い緑色に光り続けていた。
「この守護石に導かれし者を探しに、ヴェルデの森へとやって来ました」
「導かれし者……? 」
「私達は今、ロプスキュリテ帝国から国を守る為にエメラルド、ルビー、トパーズ、アクアマリンに導かれし者を探して旅をしています。その中の一つ、エメラルドに導かれたのがあなたなのです」
共に戦っていただけないでしょうか。
シフォの言葉を聞いてユリアは少し考えるような仕草をした後、瞳を開く。
「いいですよ」
「えっ……よろしいのですか? 」
「ただし、ユリアからのお願いも聞いてください。タダでは少し難しいので」
「はい、私達に出来ることなら」
息を呑むソウ達。
彼女は窓に手を添え、外の景色を眺める。
「“ユグドラシルの花”を採ってきてくれませんか? 」
「ユグドラシル……。大木の姿をした魔物ですよね」
ユグドラシル。
千年以上の時を生きているとされる大木の魔物であり、ヴェルデの森の守護神。
その花からは万能の薬が作れるという言い伝えがあり、花を欲しがる者は後を絶たない。
「はい。喉から手が出るほど欲しいんです。危険な場所に生息しているので、ユリアだけでは採取が難しくて……」
シフォはソウとジェードに視線を送り、こくりと頷く。
「わかりました。ユグドラシルの花を採ってきます」
「ありがとうございます……! ユリアも行きます。退魔の血を持つ者がいれば、魔物の力を抑えられますから」
「はい。よろしくお願いします」
ユリアはもう一度窓の外を見る。
日が沈み、元々薄暗い森の中は更に暗くなっていた。
「日も沈んでしまいましたし、明日に出発しましょう。散らかっていてすみませんが、どうぞゆっくり休んでください」
またもや彼女に言われるがまま、ソウ達は用意された毛布を被り眠りについた。
ユグドラシル……名前からしてとても強そうだ。
気を引き締めていかなくては。
気を……引きしめ、て……。
ソウは夢うつつになりながら、明日への決意を固めていた。