3
「……それじゃあ、仕切り直しね」
息を切らしたクリスは、疲れて膝に手を当てている海斗にそう切り出した。
「……そうだな。ようやく、って気がしなくもないけどな」
海斗は顔を上げ、背筋をまっすぐにしクリスに向き合った。
「まずは、改めて自己紹介からだ。俺は、加賀海斗。さっき高校を卒業したばっかで、明日から両親の魚屋を継ぐことになっている。好きな食べ物はご飯で、嫌いな食べ物はない。趣味は読書だ。あとは……」
「それぐらいでいいよ? カイト。どうせ、これからしばらく一緒なんだし、その時々に教えてもらえれば」
入学初日のように自己紹介を始めた海斗を、クリスは途中で止めた。しばらく一緒、という言葉に引っかかったが、海斗はとりあえずクリスにも自己紹介を求めた。
「そんじゃ、次はお前だ。クリス」
「そうだね。んん……クリスです! 悪魔みたいなのです。女の子です。これからしばらくよろしくお願いします!」
「…………え、終わり?」
「ん? 終わりだよ?」
あまりに短かった自己紹介に海斗は、疑問を隠せない。
「いやいや、色々あるだろ? どこから来ましたとか、何歳ですとか。あとは、なんでここにいるとか」
「えー、どうせ後で全部説明するんだし、いいじゃん別にー。それに、カイトもどこから来たとか何才とか言ってないじゃん」
「た、確かに俺は言ってないけど……せめて、お前がどうして俺に話しかけたのかぐらいは言ってくれよ」
「それは自己紹介じゃないと思うよ?」
「…………」
……クリスとしばらく会話をした海斗は、疲れを感じ始めたためクリスにとりあえず全て話させることにした。
「よし、それなら、俺はしばらく聞き役に徹するから、クリスが俺に話したいことを全部話してくれ。そのあとで、俺がお前に質問する」
海斗に発言を任されたクリスは、嬉しそうにこう話し始めた。
「それでは、まず、ここにサインしてください」
そう言って、クリスがどこからともなく取り出したのは一枚の真っ白い紙だった。紙の下の方に線があり名前を書く場所があるが、それ以外には何も書かれていない。
「え、なんで?」
「いいからいいから。何も起こらないから、ね?」
「いやいやいやいや、それ絶対ダメなやつじゃん! それ書いたら、生涯奴隷になってしまうとか、魂抜き取られるとか、絶対ヤバいやつじゃん! 」
「そ、そんなことないよ? ぜ、絶対安心だし、死ぬことはないし、きっと無事で済むよ?」
「余計、怪しいじゃねぇか! それにさっき自分で、悪魔って言ってたじゃねぇか! そんな奴の言葉を信じられるか!!」
「……ひっぐ、そんなこと言わなくても、わたしは、カイトにもいいかなって、思ってて、さっきなんでもするって、言ってたのに、嘘つきカイト」
「あーあー、わかったから泣くな」
「じゃ、書いて!」
忙しい奴だな、と海斗はクリスを見ながら思った。喜んだり怒ったり泣いたり笑ったりと、ころころと表情を変えるその様子は、忙しい奴と表現するのが一番近いのかもしれない
「でも、何がおこるかわからないものにサインするわけにはいかん。書くから何がおこるかは説明してくれ」
「ぜ、絶対書いてくれるんだよね? あとで、やっぱなしとか言わないよね?」
「……そこまで念押しされると書くのを躊躇するが……ああ、わかった泣くな。書くよ」
また泣きそうになるクリスを見て、海斗はひとまずサインすることを決める。
「それで、どんな内容なんだ?」
「えっーと、まず、契約が切れるまでクリスの命令に絶対遵守すること、死ねと言われたら死ぬこと」
「断る」
「ええー、待ってよ! さっき書くって言ったじゃん!! 嘘つき!!」
「これにサインは無茶だろ?! 死ねと言われたら死ぬって、なんだよその契約?!」
「わたしはそんなこと絶対言わないから! 必要な時以外絶対言わないから!」
「必要な時ってどんな時だよ?! ……いや、これ以上言うと話が進まない。とりあえず次に進もうか」
「え、じゃあ契約してくれる?」
「次の契約内容の説明をしろってことだよ!」
「むー、わかったよ……」
頬を膨らませたクリスは、紙に目を向け次の契約を読むようにして言った。
「えー、契約者は常にクリス共にし、目的を達成すること。寝食はもちろん、お風呂やトイレを使用するときも含む」
「……これは、突っ込んじゃいけないやつだ。遮らないから全部言ってくれ」
そう海斗に促されたクリスは、嬉しそうに続きを口にし、契約内容を全て海斗に伝えた。
「つまり、クリスの言ったことをまとめると、クリスの言うことに絶対遵守。常に一緒で1m以上離れられない。契約中、俺はクリスにあらゆる障害から守ってもらえる。クリスが俺のクリスの目的が達成されるまで、この契約は如何なる理由をもってしても破られない。これで合ってるな?」
「うん! おおむね、合ってるよ。あと、契約違反がなされた場合、違反したものに相応のペナルティがあるってことぐらいかな?」
「おおむねって言葉に引っかかるんだが、それは置いといて。クリスの目的ってのはなんなんだ? お前の一族の再建するとか、魔界を救うとか、死後に俺の魂を奪うとかか?」
「そ、それは契約するまで、教えることはできません」
「おい! それが一番重要だろ!」
「だ、だめ! それを教えたら、絶対契約してもらえないもん!」
「んなこと言われたら絶対契約しねぇよ!! 第一ただでさえ、意味のわからない状況になってんだ。これ以上わけがわからないことになってたまるか! じゃあなクリス、またどこかで会おうぜ」
最後まで聞いて損した!
海斗はそう思い、出口の方へと歩き出し、店の外へと足を踏み出そうとした。
が、見えない壁によって阻まれた。
「……え?」
跳ね飛ばされ、尻もちをついた海斗は、後ろで楽しそうに笑うクリス方へ目を向けた。
「いくらわたしでも、この世界すべての時間を止めるのは辛いの。だから、この店を実際の時空間から切り離して、別空間に持ってきてそこで時間を止めてるの! だから、わたしが元に戻さないとカイトは絶対元の世界に帰れないの! えっへん!」
ドヤァという効果音がつきそうなほど、堂々と小さな胸を張るその姿に、海斗は尊敬すら覚えた。
「……つまり、お前は、俺を閉じ込めて、この理不尽な契約にサインしなければ、元の世界にも帰れないようにしている、と。そういうことか?」
「そう!」
あー、終わった。やっぱり、こいつと会った時点でもう終わってたんだ……。海斗は諦め100%の感想を思った後、死んだような目でクリスを見る。
クリスはそんな海斗のことは気にせず、契約するように紙を持ってくる。
「はい! ここに、サインして! そしたら、元の次元に戻してあげるし、わたしがカイトのことを守ってあげるし、いいこと尽くしでしょ?」
「だから! そこにサインしたら、俺の人生はお前の謎な目的のために振り回される下僕になっちまうんだよ! あー、人生終わったー」
そう遠い目で虚空を見つめる海斗にクリスは、首をかしげながら言った。
「え? でも、カイトの人生はとっくに終わってたよね?」
「……は?」
「だって、友人ゼロで地元の中の下の高校を卒業。その後、両親の廃業寸前の魚屋を継ぐことになる。ショッピングモールがあって、素人が盛り返すのは至難の技。無理して続けてきたみたいだし、黒字で廃業できるならともかく、いろいろと手続きをしたら借金まみれになりましたっていうのは、よくある話だよ? マンガみたいに宝くじに当たったり、アニメみたいに実は金持ちの息子でもない所持金78円の高卒男子。将来、お先真っ暗。ね? とっくに終わってるんだよ? だから、早くここにサインしてさ、楽に」
「黙れよ」
「ん? どうしたの? そんなに事実を言われるのが嫌? それともそんな自分を認めたくないの? それとも」
「黙れって言ってんだろ!!」
「ホントの事でしょ?」
わかってんだよ、そんなことは。
海斗は今の自分がどういう状況下一番わかっているつもりだった。
学校で何を頑張るわけでもなくだらだらと過ごしたり、友人を作るのもありのままの自分を受け入れてくれる人だけとか何とか言って無理難題を他人に押し付けたり、両親が苦しんでるってわかっているのに何も手伝わなかったり…………。
どれだけ自分がダメだったか挙げれば、切りがない。
こういう状況になってるのが誰のせいなのか、そんなことは海斗にとってわかりきったことだった。
「ね? ここにサインして、わたしと一緒に頑張っていこう?」
「…………ここにサインしたら、俺はマシになるのか?」
「マシになるかどうかはわからないけど、今よりは良くなると思うよ」
「……わかった、サインする。紙をくれ」
「ほんとに?」
「何回も言わせんな。俺はお前と契約する」
「ありがとう! ここにフルネームで書いてね」
海斗は、立ち上がり右手を差し出し、クリスからペンと紙を受け取る。
そして、何も書かれていない悪魔の契約書にサインをする。
「これで、いいんだな? これで、俺はどうすればい」
「やったあーーーー!!!!! これで、『無』の書が使える! よしよし、どれからやればいいんだろう? ここかな? あ、なんか文字が見えてきた! ふむふむ、あー、そういう魔道書なのかこれは」
海斗がサインした途端に、声を上げて喜ぶクリスは、何も書かれていない『無』の書を一心不乱に読み始めた。
「おい、お前、俺はこれからどうしたらいいんだ?」
「……あ、カイト? とりあえず、その契約書に目を通してといて! それと、三年ほど過去に戻ることになったから、読んだら出発するよー!!」
海斗が手元の契約書に目を落とすと、さっきまでなかった文字が浮かび上がってきた。
「へー、契約内容はさっきお前が言った通りだな……。え、おいクリス。ここに『契約内容はクリスによって変更することが可能である(笑)』って書いてんぞ!お前、そんなことさっき言ってなかったじゃねぇか!! それに今過去に戻るとか言ってたよな? 元の世界に返すんじゃねぇのかよ?! おい、聞いてんのか?」
「よぉーーし、カイトも準備できたみたいだし。それじゃあ行くよー!」
「行くよー、じゃねぇ!!!!!!」
『無』の書を右手に抱えながら、笑顔で左手を握り頭上に挙げたクリスと、クリスに詰め寄り止めようと慌てて駆け寄った海斗は、まばゆい光に包まれ、消えた。
その数秒後、本屋は思い出しかのように動き始めた。
もちろん、クリスと海斗はそこにはいなかった。
次回から本編です。プロットも何もないので、二人がどうなるか作者にもわかりません。