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ヒミツの寮生活6

「驚くのはそこじゃねえ!」


 再びグーで殴った。透はベソを掻きながら「でも、あの噂は根も葉もなくないってゆうか、なんてゆうか」などとわけのわからんことつぶやいている。


「全寮制ってのがよくないのかなあ。この学園の連中は、色恋沙汰に大騒ぎしすぎなんだよ。白神先輩の噂って、『下級生を誘惑していかがわしい関係を持っていた』ってやつだろ。でも今日オレが話した限りじゃあ、先輩は下級生を誘惑していかがわしいことをするような人には、」


 見えなかったぞ、と言おうとして頭の中を先輩の姿が過ぎり、一瞬言葉に詰まった。


 潤んだ瞳、赤い唇、胸元から覗く白い巨乳。


 そして彼女は言ったっけ、


『保険室のベッドってね、結構寝心地いいんだよ』


 どう考えたってアレは誘惑だ。いかがわしいことをする気満々だ。


 でもそれを目の前のこいつに話したら面倒になると決まっているわけで、慌てて言い直した。


「……いかがわしいことするような人には、全然見えなかったぞ」


「何よ、その間! ひょっとして九郎ちゃん、もう食べられちゃったんじゃないよね」


「食べられてねえよ!」


「じゃ、じゃあ九郎ちゃんが食べちゃったとか」


 透はオレの肩をギュッと掴んだまま離そうとしない。その眼は吊り上り、眉間には深い縦じわが刻まれている。普段滅多に怒ることがない分だけ、その怒り顔には迫力があった。どうやら納得いく答えを引き出すまで解放するつもりはないらしい。


 仕方ない。オレは観念して、ため息をついた。


「透、おまえ学園七不思議って知ってるか?」


「え? うん、図書室の学園新聞で読んだことあるけど」


「先輩に言われたんだ。今夜十二時に学校の保健室で七不思議を一緒に見ようって」


「それって、夜中に校舎に忍び込んでってこと?」


「まあ、そういうことになるかな」


「ダメダメダメダメ! そんなのダメに決まってるよ!」


「そ、そりゃあ、夜の校舎に立ち入るのは校則違反だけどさ」


「そういう意味じゃないって。わかんないかなあ。あのビチ子先輩と夜の校舎で二人きりになって無事に帰ってこれるわけないじゃん。もう、あんなことやこんなことまでさんざん経験させられて、清らかな身体じゃなくなっちゃうんだよ」


「清らかな身体じゃなくなるって、おまえバカ言うなよ」


 口で否定しながらも、内心ではオレも同じ事を考えていた。


(白神先輩は、やっぱり、そういうつもりでオレを誘ったのかな。じゃあ、もし今晩保健室に行ったら、オレは……)


 先輩の前では必死で否定したけど、オレはこれまで女性との経験をしたことがない。でもクラスの連中がよく口にするような、それを焦る気持ちになったことはなかった。いわゆる草食男子ってヤツなんだろうか。そもそもこの透と同じ部屋で寝泊りしているんだからヤろうと思えば機会はいくらでもあるはずだけど、なんとなくそういうコトは自分にはまだ早い気がしてそっち系の雰囲気になるの避けてきたくらいだ。


 なのに、どうしたわけか今日は少し違った。


 白神先輩の微笑を思い出しただけで、触られた額がポーっと熱くなってくる。


「もう、九郎ちゃん、何鼻の下伸ばしてんのよ? ……まさか、行く気じゃないでしょうね」


 透に尋ねられて、思わずドキリとした。


 約束といっても一方的に押し付けられたもので、行くとは一言も言っていない。それに七不思議なんてくだらない噂、わざわざ門限破りをしてまで見たいもんじゃない。白神先輩に『いいこと』をしてもらうのはやぶさかではないが、それだってどうしてもってわけじゃない。


 ないないづくしで夜の学校に行く理由など一つもないんだけど、不思議に「行かない」とも言い切れなかった。


 そんな気持ちを見透かしたように、透はオレの肩を掴んで力説した。


「それだけじゃないんだよ。学園七不思議には命に関わるものだってあるし。七不思議を全部見ちゃったらとっても怖いことがおこるんだから」


「バカ言うな。学園七不思議なんて現実におこるわけないだろ。それに先輩は『七不思議を全部見るといいことがある』って言ってたぞ」


「んなわけないよ。フツー学校の七不思議ってゆうのは全部見たら呪われちゃうの。図書室の本は全部そうなってるモン」


 食い下がる透に、オレは立ち上がって言い返した。


「呪われる? おまえ今何世紀だと思ってるんだ。こんだけ科学が発達した世の中に、七不思議とか呪いとか馬鹿馬鹿しいにも程がある。たとえば七不思議に『夜中に校庭の二ノ宮金次郎像が走り出す』ってあるだろ。でもホントに銅像が走り出すと思うか? 思うなら納得いくように説明してみせてくれよ。どんな原理で銅でできた像が動くようになるんだ?」


「それは付喪神の仕業ですね」


 ――突然、背後から凛とした声が響いた。


(こ、このお声は……)


 びっくりして立ち上がる。


「神とはいっても、魑魅魍魎の類に近い低級霊です」


 聞くだけで心身が清められるようなそのお声。山奥に湧く冷たい清水のような、寒い冬の朝日のような、そんな美声の持ち主は青嵐学園広しといえど一人しかいない。


「せ、生徒会長」


 振り返るとそこには、日本人形のような黒髪と白い肌をもつ長身の美少女が立っていた。男子生徒たちがひしめきあう食堂の中でも、彼女の周りだけが光り輝いてみえる。


 次郎丸真紅。


 彼女は亡くなった青嵐学園理事長の孫で、生徒会長兼剣道部主将を務め、しかも入学から三年連続ミス青嵐に選ばれるというフィクションの世界にしか存在しないような完全無欠のスーパー美少女。間違いなく、学園カースト制度の頂点に位置する存在だ。


 一方でドのつく一般人のオレや透は、入学してこの方、会長と口を利いたことはおろか、間近にご尊顔を拝見させていただいたことすらなかった。


 それが、なんだってあの生徒会長が自らオレに話しかけてきたんだろう。


 ってゆうか、そもそも、なんで彼女は緑水(男子)寮の食堂にいるんだ?


 呆気に取られて言葉を無くしたオレに、美少女生徒会長は続けた。


「学校の怪談と呼ばれるものは、たいがいは付喪神か、騒霊で説明できます。もともと不特定多数の人間が出入りして感情をむき出しにする学校という施設は、負の感情を蓄積させて低級霊を呼びこみやすいのです」


「は、はあ」


「つまり学園七不思議という一見奇妙な現象にも、ちゃんと発生する理由があるんですよ」


 よくよく考えると、じゃあその付喪神がどうやって銅像を走らせてるんだっていう疑問はそのまま残っていた。けれど、一般ピーポーのオレが学園カースト頂点の真紅様に口答えできるはずもない。


「そ、そうですか、そうですよね……で、会長はどうしてこちらへ?」


 そう尋ね返すのがやっとだった。すると会長は微笑みながら、小さく頭を下げた。


「私は生徒会からの伝達事項があって参りました。ごめんなさいね。仲の良いおしゃべりに口をはさむなんて無粋なことをして」


「ぶ、無粋だなんて、とんでもないです」


 それから、さらに近づいてオレの顔を覗き込んでくる。


(か、顔が近い!)


 次郎丸真紅の小さな顔には、大きな黒い瞳が納まっていた。そのアンバランスさのせいで童顔っぽくもあるが、こうして間近に見ると彼女の目からははっきりした意志の強さが感じられる。眼力がある、ってのはきっとこういう目のことをいうんだろう。


 吐く息が、オレの額をくすぐった。


「あなた、お名前は?」


「姫雪です。一年A組の姫雪九郎」


「姫雪九郎くん……どこかで聞いたことがある名前ですね。いったいどこでしたっけ」


 会長は小首をかしげる。だいたい想像はついた。おそらく、例の噂だろう。九郎はやめてくれと言わんばかりに慌てて手を横に振った。


「ええと、思い出していただかなくて結構です。てか、絶対に思い出さないでください」


「そう? ならいいですけど、姫雪くんは言霊って知ってますか? 言葉には力がある。悪い言葉は不吉を呼び、良い言葉は吉祥を生む。だから、こんなに大勢の人が集まる食堂で、怪談話なんて不吉なことをしてはダメ。あなただけじゃなく周りの人にも災いを振りまくことになってしまいますよ」


「あ、あの、……すみません」


「フフフ、わかればいいんです。お友達も、そのつもりでね」


 そう言うと、生徒会長はくるりと踵を返してさらに食堂の中へと進んでいった。彼女が歩くと、それだけで近くにいる生徒からどよめきが聞こえる。むさくるしい男たちに混じったその姿は、まさに掃き溜めに鶴だった。


 オレは、呆然として生徒会長の後姿を見送っていた。


 食堂の中央には、いつのまにかビールケースで作ったお立ち台が設置されている。会長はその上に乗ると、寮監から手渡された拡声器を手にとった。


 ひび割れた拡声器が、会長の澄んだ声を響かせる。


「緑水寮のみなさんに、生徒会から緊急の連絡事項があり参りました。夕餉の一刻を邪魔する無作法と女子禁制の緑水寮に立ち入る無礼をお許しください」


 そういって頭を下げる会長に、「真紅様ならいつでもオーケーですよ!」「なんなら毎日いらしてください!」とヤンヤの喝采が飛び交う。


 けれども生徒会長は真剣な表情を崩さなかった。


「すでにご承知かと思いますが、昨夜、理事長宅に窃盗犯が侵入し、現在まで逮捕されていません。警察によると犯人がまだ学園の敷地内に潜伏している可能性もあるそうです。そこで、皆さんには夜間外出禁止の徹底をお願いしたいのです。もちろんすでに寮則で許される門限を過ぎていますが、くれぐれも禁を破って外出する事のないように。違反者に対して、学園および生徒会は厳罰をもって望みます」


 生徒の誰かが質問した。


「泥棒はどんなヤツですか?」


「人相風体は分かっていませんが、単独犯と思われます」


「何を盗まれたんですか? 犯人を捕まえたら賞金とか出ないんですか?」


 いかにも興味本位という質問に、生徒会長は眉を吊り上げる。会長は美人というだけじゃなく、剣道の達人でもあった。鋭い眼差しを受けて質問した男子生徒は縮み上がったけど、会長はそれでも律儀に返答した。


「犯人逮捕は警察に任せています。くれぐれも、自ら犯人を捕まえようなどという愚行は控えるように。我が高の生徒が犯人を捕まえても、待っているのは校則違反の罰だけです。――それに、盗まれたのは現金などではなく次郎丸家に伝わる古文書ですから」


 盛大に麦茶を噴いた。


「九郎ちゃん、汚いなあ」


「あ、いや、ごめんごめん」


 慌てて手近な布巾でテーブルを拭く。こっそり腹部に手を当ててみた。白神先輩から預かった『封印帳』はたしかにそこにある。


(まさかこれが理事長の家から盗まれた古文書? ってことは白神先輩が窃盗犯なのか? いや待て待て、人を気安く疑っちゃいかんぞ)


 不安な気持ちを、ぐっと抑えた。


(だいたい白神先輩がそんなことをする人間なわけないし……)


 そう思おうとして、弓道場での先輩の姿を頭に浮かべる。胸の開いた服、派手な化粧、小悪魔的な瞳と、そして不自然な大怪我。


 どう頭をひねっても擁護するところが思いつかない。


 考えてみれば、そもそも何ゆえ今夜十二時に返してもらうものをわざわざオレに預けたんだ? 自分が持っていると足が付きそうだから、としか考えられないじゃないか!


「次郎丸家にとっては大切な家宝ですが、一般に販売しても値段のつくものではありません。万が一みかけた生徒は、ただちに警察か生徒会までご連絡ください」


* * *


「びっくりしたよねえ」


 話を終えた生徒会長が食堂を出たのを確認して、透は口を尖らせた。


「でも、なんだかガッカリしたかな。だって、急に話に割り込んできて何かと思えばお説教でしょ。理事長の孫娘だか生徒会長だかしらないけど、ずいぶん偉そうだったよね。七不思議なんてたかがお話じゃない。食堂でどんな話をしようがボクと九郎ちゃんの勝手だっつうの」


 女子の透には、生徒会長の美少女パワーも通じないらしい。でもこのときのオレには、幼馴染の話に耳を傾ける余裕なんてなかった。


 どうやら弓道場で白神先輩から渡された古文書は、次郎丸家で盗まれたものらしい。その古文書を預かっているからには、オレも共犯ってコトになるんだろうか。


 まさか、さっき生徒会長が話しかけてきたのは、オレが『封印帳』を持ってるって気づいたからなのか?


 いや、そんなはずはないだろう。それなら最初からそう言うだろうし。


「九郎ちゃん、生徒会長のことなんて気にすることないからね」


「そ、そうだよな。気にする必要なんてないよな」


「でも、意外だったね。会長が九郎ちゃんに話しかけてくるなんて」


「べ、別に偶然だろ」


「そうかな、偶然にしてはこんな食堂の隅までわざわざ来るなんて不思議じゃない? ひょっとしてぇ九郎ちゃん目をかけられてるのかもよ」


「バカ言うな。オレは断じて生徒会長に目をつけられたりなんかしてない」


「目をつけられてるんじゃなくて、目をかけられてるんだってば。……なんか不思議。いつもの九郎ちゃんなら絶対調子に乗って『オレ、真紅様に目を掛けられてるぜ、イエイ。このまま告られちゃったらどうしよう』くらい言うかと思ったのに」


「バカ言うなよ。おまえが言ったんだぞ。オレが生徒会長に告られたら、それこそ学園七不思議を越える超怪奇現象だって。絶対に、オレは生徒会長のアウトオブ眼中。話しかけられたのは、ホントに偶然たまたまだ」


 テーブルを叩いて力説する。けど心の中は不安で一杯だった。


 もし自分が古文書を持っていることがバレたら、窃盗の共犯として逮捕されるかもしれない。そうなる前に警察に古文書を引き渡して事情を説明したほうがいいだろうか。なんてったってこっちはただ預かっただけで、犯罪に関係のあるものとは知らなかったんだ。


 でもそうしたら、なぜあの時弓道場にいたのかを説明する必要があるだろう。


 それは困る。透の秘密がバレるようなことは絶対に避けなきゃならない。


 そんなオレの心中も知らず、透は妙に楽しげな口調で言った。


「まあ、そうだけど……でも残念だったねぇ、今夜の約束」


「今夜の約束?」


「うん、白神先輩と学園七不思議をみるって話。生徒会長様がわざわざ釘を刺しに来たわけだから、さすがに今晩は抜け出せないでしょ。ビチ子先輩の方だって来られないだろうし。残念でした。せっかくチェリー脱出のチャンスだったのにねえ」


 透の言葉に、オレは弾かれたように立ち上がった。


「そうだ、チャンスだよ!」


 万が一、生徒会長が『封印帳』なる古文書の在り処に気が付いていたとしても、警察に通報するのは今すぐじゃないだろう。今晩中に白神先輩に会ってコイツを返却したら、あとは知らぬ存ぜぬで押し通せる。つまり――


「今晩が最初で最後、正真正銘のラストチャンスだ!」


 ギュッと握りこぶしを固める。すると何を勘違いしたのか、透があたふたと声をかけてきた。


「最後のチャンスって、そんなことないと思うよ。まだまだ九郎ちゃんは高一なんだし、それに……いざとなったらボクが、いつでも」


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