2 嫌われた
さて今宵も丑三つ時がやってまいりました。
今回はT県在住のR様よりいただいたお便りをお送りします。
マンションの管理人にさえ嫌われた老人の末路とは?
お楽しみに。
マンションの管理人をやっていますRと申します。このたび不思議な経験をしまして、なんでも怖い話を受け付けているというので、投稿させていただきました。
独居老人の孤独死、って話題になってるじゃないですか。あれね、マンションの経営をやろうと思ったら死体を見る覚悟でいなきゃいけないんですよ。面白画像なんかに「腐乱死体の処理」なんて書かれた看板が挙げられてますけど、こちらからしたら笑いごとではすまないんです。
マンションって、意外と人づきあいが希薄でね。ヘンクツな老人なんかは家族からも見放されていますので、いわゆる縁が残った無縁仏になるわけで。こちらからしたら最悪ですよ、まず警察を呼ぶだけならいざ知れず、現場に一緒に踏み込む羽目になるわけでしょ。何体もご遺体を見てきたわけじゃありませんが、ドアを開けただけで、あ、こりゃだめだ、って分かるんですよ。腐臭ですかね。
投稿するので仮名ですが、Yさんって独居老人がいらっしゃったんです。
こちらがマンションを買ってすぐにいらっしゃったので、十年以上いらっしゃったのかな。その人がね、もう最悪だったんですよ。
家族に何をしたのか、聞き出すのも無理でね。よっぽどとんでもない人だったようで、頑固で卑屈で、そのくせ高圧的にふるまうんですよ。でもそれだけじゃないんですよ、あの方は。
なんというのか、色好みでね。もう六十超えてるだろうにベランダに侵入して若い方の下着を盗んだり、ドアにカメラなんぞ仕掛けて覗きをやったり。何回あの人が何をやったと訴えられたか分かりませんよ。盗撮やら下着ドロやらで怒られても反省もせずに、若い女性に痴漢して、逮捕までされたこともあってね。よくそこまで精力と体力があまってるな、とあきれ返りましたよ。
それでもかたくなに出ていかないんです。しかしね、こちらも次の場所を見つけてやってから出て行かせる主義だったのでね、なかなか追い出せなかったんですよね。殺す気か、なんて言われて、あの人ですよ、警察にまで訴えかねなかったんですよ。たたいてほこりが出るものでもないですが、うっとうしいんです。
なまじ知恵が回るし頑固ですし、いくら人づきあいが少なめだからって噂が回るのはかなり早いですから、まあマンション中の嫌われ者ですよ。
で、お決まりの結末です。
扉の前を通りかかったら異臭がするってんで、見に行くことになりました。恨まれているとも言えませんが、女性はけっこう単純な理由で殺人を犯すものですし、異常者が住んでいるとも思いませんが、隠すのがうまい人もいますから、警察を呼びました。
そして、扉の前に立った瞬間、なんとも異様な匂いがしました。
死臭じゃないんです。それだけは断じて違う。コンクリートの匂いを間近でかいだときのような、いや、生肉のような匂いもしました。何かが混じり合っているというのは分かったのですが、どういう、何が混じり合っているのかは全く分かりませんでした。
ドアを開けました。マスターキーが必要でした。
一目見た瞬間に、私は気を失いそうになりました。
いいえ、そこには老人の死体が、身元を判別するのが困難なほどに散らばっていたわけではないのです。どれどころか、血など一滴も落ちていませんでした。あまりの異様さに、駆けつけてきた巡査の一人が気を失いました。
部屋の間取りが無くなって、一つのがらんとした空間になっていました。そして、そのすべてが、とかした絵の具のようなもので池になっていたのです。わずかな盛り上がりを見て、気絶しなかった豪胆な巡査が池をちゃぷりちゃぷりと渡って歩み寄り「この方ですか」と私に尋ねました。
いやいやながら、いいえ、全く拒絶などという強さではなく、私は拷問でもされているように思いながら、池を渡り、それを見ました。
まぎれもないというとは違うのですが、間違えようもなくYさんです。
ただ、しぼみ終わった風船のように、形と言う形を失った、溶けて地面と同じものになりかけている姿でした。池に浮かんでいるのではなく、池と同じものになって、ちょうどスライムにスライムを落として少し経ったような、不思議な有様でした。
どういうことなのか、さっぱりわかりませんでした。
少々そういうことに詳しい友人に聞くと「嫌われたのさ」と言われました。世を呪い人を嫌い、世に呪われ人に嫌われたからこそ、あのような姿になったというのです。
「誰からも嫌われ、果てには自分が邪険に扱ったものすべてに嫌われたんだよ。つまりは世界に拒絶されてしまった―― ということかな。彼はそれを分かっていたはずだ、だがいやな顔をされることが何よりの喜びだったのではないかな。
ほら、あんな歳になっても色好みだったんだろう? ちょうど世間でいうようなSMプレイというのがあるじゃないか。いやな顔をされることが、邪険に扱って他人からも邪険に扱われることが彼の何よりの楽しみだったんだろう。
ああ、早く処理したほうがいいと思うよ。
形がなくなったのだろう? そのまま同じになってしまうかもしれない」
私はその意味をよくつかめなくて、警察が遺体を処理できずにいた現場に、一日経って、ドアを開けて覗きこみました。
そこには、まったく驚くべきことに、事件の前にその部屋だったと思われる形がよみがえっていたのです。そして私は、それを夢だと決めつけて自分の部屋に戻り、そのまま就寝しました。
警察がどなりこんできたのは翌朝早くのことでした。
「どうして現場を勝手に片づけたりしたんですか!」
そう言われて、私は唖然としました。捜査が終わっていなかったことは知っていましたが、部屋を片付けたりなどしていなかったからです。
走って現場にたどり着きますと、昨晩と同じ驚きを味わうことになりました。なんと、老人がいなくなっていること以外は、元の部屋の間取りに戻ってしまっているではありませんか。わずかな血の染みが部屋中を覆い尽くしている以外は元の通りで、私は安心しました。
それからはごたごたして大変でした。
たんすから盗まれたと思しき女性の下着が出てきた、ビデオケースから女性とつながっている有様が映っている、などと、犯罪の匂いがぷんぷんすることばかりではなくて、毎日がさびしい、と書かれた日記などもあって、かの嫌われ者にも人間らしさはあったのだと再認識することにもなりました。
もちろん盗まれてどうなったかもわからない下着を返せという女性もいませんでしたから持ち主を確認するだけでしたし、DVDに録画された男は老人であるようでしたが、女性のほうは確認できませんでした。
捜査は打ち切りになり、事件性があるものの事件性なしとされ、老人の件はなかったことになりました。
え、どうなったって? どうにもなりませんよ。
あの部屋にさえ誰も入らないようにしておけば何も起きませんし、そもそもあの老人の身から出た錆なんですから。
ただまあ、たまに週刊誌の方が訪ねてくるのは困りますね。
帰ってこないんです。
書いているうちにどんどん怖くなりました。アイデア自体はずっと前からあったんですけどね。人間が液体になるってアイデア、私は好きみたいです。
次回は「屋根裏」




