恋は盲目、焦がれる時間
この世で恋の申し子と言えば、それはナラハのことである。ナラハの一生のうちに惹きつけられた男は数知れず。すれ違って振り向いたら最後、その男は底なしの恋へと引きずり込まれてしまう。
不器用な彼もその一人。彼の名は時間という。名字はない。一代一世の家系である。ついでにいうと性別もないが、語弊を少なくするために、ここでは彼としておく。
いつからか――時間にとって「いつ」という概念は適切ではないので「どこ」のニュアンスに近いが――時間はナラハに恋をしていた。しかし悲しいことに、時間はナラハと出会ってから別れるまでの時間地点を知ってしまっている。何とかしてナラハと共に過ごせる時間空間が広がるようにと腐心するのだが、ナラハを遅く死亡させることはできなかった。
初めは出来心だった。ナラハが大学生活五日目にして入学から累計三百人目の男をフッた夜、サークルの帰りに痴漢に襲われたところを先輩(男)に助けられ、それをきっかけとして先輩(男)と二週間ほど付き合うことになる。この人間はナラハにとって最後の彼氏であり、同時に最後のストーカー十二人(ストーカーの定義にもよるが、ここでは警察が介入するに値するレベルとしておく)のうちの一人でもある。ナラハが轢き逃げされるまで、あと二十日に迫っていた。
時間は動いた。北の街が丘陵地から平地に変わったため、四十年前に工場が乱立し、海水汚染が沿岸部の水産業を襲った。多くの漁師が移住を余儀なくされたため、ある一人の女性が漁師ではなく農家と結婚することになった。結果、先輩(男)は先輩(女)になり、ナラハは痴漢から救ってくれた先輩(女)を慕うことにはなったが、付き合うには至らなかった。
もちろん故意の介入が許されないことは、時間も承知している。だが時間にとっての規則は時間自身しかない。時間は自身の行為を許すことによって、自身の形を自在に変えることができた。
しかしナラハは二十日もすると轢き逃げされた。合コンの帰り道だった。以降しばらくの間、ナラハを見聞きしていた人達の間において、原因はストーカーだの、女の嫉妬だのと主張されることになったが、ナラハが男を惹きつけていたことが遠因であるという点では一致しており、自業自得とは言わないまでも同情するような人間は存在しなかった。むしろ蕾のまま散ったことを愛でる悲劇愛者が少なからずいた。やがて噂は伝説となり、幾百年後にナラハが縁結びの神として祀られたところで、ナラハが男を惹きつけてしまうのが原因ではないかと時間は推理した。これでようやく解決できると喜び勇んだ時間は、早速ナラハが男を惹きつける要因の根絶に取りかかった。
目的は、ナラハの色香を削ぐことだった。簡単な解決法は、色香への嫌悪を植え付けることである。大地震によって交通が混乱した際に、ナラハの父が出張先におらず、女遊びをしていたことが明るみになった。これを受けて、ナラハの母も夜の街へ出かけることを隠さなくなった。それらの噂は、ナラハの思春期を黒く塗り潰すには十分であった。副作用としてストレスが非行として発散されたため、時間は同性の幼馴染をあてがって矯正を施した。こうした時間のたゆまぬ努力により、ファッションその他の流行を嫌い、薄化粧と華美でない服装を好む、オタク然としたナラハの誕生に至った。
だがこれは失敗に終わった。飾りを外したところで、その生物学的な容姿は不変である。異なる計算過程は経たが、同じ答えが導き出されるのは必然であった。すなわち、地味なナラハも、これはこれで男を惹きつけるに十分過ぎており、大学生活五日目の夜に先輩(女)に助けられ、合コンに誘われ、アスファルトの上に転がった。
それでも諦めない時間は、ターゲットを大学生活二十五日目へと絞った。事故当日のことである。
まず季節外れの雹が降った。合コンの開始時間は遅くなったが、終電の時間にはきっかり解散となり、ナラハの白い太ももにタイヤ痕が刻まれた。
次に電車が止まるほどの大雪が降った。男たちはここぞとばかりに家まで送ると申し出たが、ナラハはそれを断って一人で夜道を歩き、ボンネットに頭を打ち付けた。
さらに過去に起きた洪水によって、事故現場周辺の道路が何百本も消えたり増えたりを繰り返した。しかしその度に、バッグから飛び出たナラハのスケジュール帳は大量の血液を吸うのだった。
そのせいなのだろうか。事故翌日から始まる大型連休の赤枠が空欄であることに、時間は未だ気付いていない。
誰か、教えてやってもいいじゃないか。