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クロエが目を開けて、まず目に飛び込んできたのは月明かりを背にした王の姿でした。

少し視線を動かすと、自分の喉元に突きつけられた短剣が見えます。

いつもと同じ、とても難しい顔です。王がクロエに会いにくるときはいつもそんな顔でした。

ですが、刃物をつきつけられたのはこれが初めてでした。


「・・・お父様」


ぼんやりとしたままのクロエが声をかけると、王の眉がぴくりと動きました。

クロエの首からベッドにスッと細く血が流れたのを感じましたが、動けば刺さってしまうので彼女は動きませんでした。

お互いに何も言わずじっと見合っていましたが、やがて王が口を開きました。


「・・・殺されるぞ?」


ボソボソとした聞き取りにくい声でしたが、静まり返った室内では十分でした。


「さぁ、本性を見せてみよ。私を殺さなければ、お前の首をかき切ってやる」

「本性・・・」

「どうした?神か悪魔か知らんが、いつまで妃を惑わせるつもりだ」


クロエは、王に微笑まれたことなどありません。いつもいつもじっと睨まれるだけなので、今も怖いとは思いませんでした。

ただ、王は王妃をこの部屋から離したいのだというのはわかりました。


「・・・私、なにもできません」


ですが、クロエには本性などないので、王の望むようにはしてあげられません。死ぬというのはとても怖いことだと知ってはいましたが、実感もありませんでした。

クロエが答えると、王はいっそう険しい顔をしてゆっくり剣をしまいました。

“忌々しい”と呟くのを聞きながら、クロエは身体を起こしました。首は特に痛くありません。血もさっきの一筋だけだったようです。


「・・・お父様」


背中を向ける王に、もう一度呼びかけます。しかし、彼は振り返りませんでした。


「誰がお前の父なものか」


そう言った声はとても冷たくて、クロエの心がざわりと波立ちました。

無意識に、シーツをぎゅっと掴みます。


「でも、でもお母様が・・・私はお父様とお母様の子だとおっしゃいました・・・」


クロエが小さな声で言うと王が振り返りました。声と同じ、とても冷たい目でクロエを見ます。

とても嫌だと思いましたが、クロエは目をそらすことが出来ませんでした。


「私も、妃も、お前のような髪や目ではない」


一言一言、かみ締めるように投げかけられる言葉は、それ一つ一つがクロエの心に突き刺さるようでした。


「我が王国には誰一人として、お前のような者はいない。お前と繋がりを持つ者など、誰もおらんわ」


クロエは、一瞬息の仕方を忘れたようでした。

初めて向けられた明確な悪意は、クロエの息の根を止めるかのように心をえぐります。

優しい目を向けられなくても、親子であるという王妃の言葉にクロエはいつの間にかすがり付いていたのです。

それを王に否定され、拒否されて、気がつけば涙が溢れていました。


自分を見つめたまま静かに涙を流すクロエを見ても、王は険しい顔のままでした。

透明な涙は白いほほを伝い、やがてベッドの上に雫となって落ちました。すると、まるで雫がはじけたようにそこに小さな赤い花が咲いたのです。

クロエが驚いて下を見ると、涙がパタパタとベッドに落ちます。するとその数だけ、宝石のように硬く、美しい赤い花が咲いていきます。

そのうちの1つがベッドから転げ落ち、王の足元まで転がると、彼はそれを拾い上げました。

手のひらで輝く宝石の花。しかしそれを見る王の表情はやはり険しく、そのままの目をクロエに向けます。

怯えるようにぴくりと身体を跳ねさせた彼女に、王は花を突きつけました。


「人の子に、こんなことはできぬ」


その言葉は、何よりも痛いような気がしました。喉がカッと熱くなり、言葉が出ません。


「お、とうさま・・・っ」


王が背中を向けて歩き出しても、クロエに立ち上がる力はありませんでした。

全身から力が抜けたようで、その背中に手を伸ばすことしか出来ません。


「おとうさま・・・っまって・・・」


こんなことができるなんて知らなかった。私は自分が何者であるかなんて知らない。何もわからない。

言いたいことはたくさんありましたが、どれも言葉になりません。


「おとうさま・・・っわたし・・・!」


王は一度も振り返ることなく、扉の外でガチャリ、と重い音がしました。

クロエはそのまま泣き崩れ、それを慰めるように花がいくつも咲きました。

目が覚めるまではあんなにも幸せだったのに、それを忘れ去ってしまうほど悲しくて悲しくて仕方がありません。


その夜から朝まで、国中が酷い雨と雷に晒されました。



「姫!!」


朝、すっかり雨が上がったのと姫の涙が止まったのはほとんど同じ頃でした。

息を切らして部屋にやってきた王妃の手には、王が持ち帰ったあの花が朝日を浴びてキラキラと輝いています。

きっと王が何もかも話したのでしょう。


「おかあさま・・・」


すっかり泣きつかれたクロエの周りにも同じ花がいくつも咲いています。

ぼんやりとした目のクロエに王妃は駆け寄り、花々を両手いっぱいに掬い上げました。


「あぁ・・・あぁ、なんて美しい・・・」


王妃は今にも泣き出しそうな顔でそれを見つめています。しかしクロエは、そんな花など何とも思わなくなっていました。


「お母様・・・私・・・」

「あぁ、神様・・・っ」

「私は・・・お母様の子ですよね・・・?」


王に拒絶されても王妃だけは、自分を認めてくれていると信じていました。

かすれた声で問いかけると、王妃はクロエの両手を包みこんで言いました。


「いいえ、あなたは・・・あなたは紛れもない神様の御子・・・っ」


そしてついに涙を流し、ベッドに座ったままのクロエに跪いたのです。


「私は、この命が尽きるまで・・・あなたを守り、生きましょう・・・」


王妃の涙が、クロエの手に落ちました。けれど花は咲きません。

王に拒絶され、王妃にも否定され、クロエは生まれて初めて絶望というものを知りました。



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