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緋の剣  作者: 抹茶小豆
9/11

9

シャナがコクピットを開き両手を挙げた。

「シャナ……王子」

ルリアの瞳が驚きに見開かれる。

「我が名はシャナ・ハダサ・ギュスターヴ。この国の皇太子である。私がかわって人質となるゆえ、管制塔にとらわれている民間人の解放を求める!」 

強い意思を宿した琥珀色の瞳が、向けられた銃口をきつく見据えた。

その瞳は死をも恐れてはいない、凛とした眼差しだった。

「シャナ王子!」

ルリアがコクピットを開き、シャナの前に降り立つと、シャナがルリアを軽く睨み、そして微笑む。

「お前も、来るか?」

「私は親衛隊長です。命を賭して主を護るのが使命ですので」

耳朶で翡翠のピアスが揺れた。ルリアはそっとパイロットスーツの上から、胸にかけた金のロケットに触れ、その裏に刻まれた、ランクスの誓いの言葉を胸に抱いた。

『ランクス・クリフォード、ここにルリア・ダテ・オリビエに生涯の愛を捧ぐ』

愛しき仇の美しき面影が過る。

漆黒の髪に覗く深緑の眼差し。

ルリアは軽く瞳を閉じて、小さく吐息をついた。

生きては帰れないかもしれない。

ふとそんな気がした。

ルリアは別れ際にランクスと交わした最後の言葉を思い出した。

(ランクス、悪いな。命令は守れないかもしれない)

 サリエリの兵士が、シャナを値踏むように見回し、下卑た笑いを浮かべた。

「砂漠の覇者の王子か……。それもよかろう。ついて来い」


エアリスは唇を噛みしめた。何も関係のない民間人を人質にとるなど、卑劣極まりない行為だと憤慨する。

それはターミナルに飛空艇が到着した刹那の出来事で、あっという間に乗客たちは武装した集団に銃をつきつけられ、最上階にあるこの管制塔に連れてこられたのである。

「こんなことって……もうダメだわ。きっと私たちは助からない」

恐怖のあまり、少女がその場で泣き崩れた。エアリスはそっと少女の手を握って勇気づけた。

「きっと大丈夫ですわ。こんなときこそ希望を失ってはなりません。さあ涙をおふきになって」

そういってエアリスがハンカチを差し出した時だった。

「ああん? ビービーと泣きやがって。なんならお前から殺してやろうか?」

武装集団の一人が、少女の服を掴み、銃口を向けた。

「あっ……あああああ」

少女はただ怯え、言葉を失っている。

「あなたたち、いい加減にしなさいっ!」

全身に怒りをみなぎらせて、エアリスが立ち上がった。

「ほう、じゃあお前がこいつの身代わりになるか?」

エアリスの(おとがい)に、武装兵の無骨な手がかけられ、無理矢理上を向かされる。額に触れる銃口のひんやりとした感覚に、エアリスは唇を噛みしめた。

そのとき、部屋の扉が開き、上官と思しき人物が新たな人質を連れて入ってきた。

「なにを勝手なことをしている。その手を離せ、ゲハジ。命令はあくまで人質の監視だろうが」

新たな二人の人質は白いパイロットスーツを着ていた。その右腕には鳳凰の紋章が縫いとられている。ということは、彼らはシバの王族なのだろうか。

エアリスは目を細めた。

小麦色の肌をした少年の横に控える、金の髪の少年? いや少女だろうか。月の女神ティナの仮面と、右の耳に翡翠のピアスをつけている。その雰囲気と身のこなしから、おそらくは小麦色の肌の少年につけられた護衛か。

「さあ、約束通り人質を解放しろ」

シャナが武装兵を見つめた。

「ああ、俺たちゃ約束は守るぜ。そら行け!」

解放を宣言され、ドアに駆け寄る人々に向けて、武装兵の弾銃が容赦なく発射された。

硝煙と血の匂いが部屋にたちこめた。

「危ない!」

ルリアがエアリスを庇い床に伏した。

「おい、ティナ。お前のピアスの飾りを引っ張れ」

シャナが小声でルリアに囁いた。

「あ、はい」

言われるままにルリアがピアスの飾りを引っ張ると、轟音とともに建物が大きく揺れた。

爆風が、ルリアの仮面を、そしてエアリスの深く被ったフードを吹き飛ばした。

かたく閉じた瞳をゆっくりと開き、視界に明らかになる両者の素顔。

「る…ルリア…さま?」

エアリスの唇が、ぎこちなくその名を紡いだ。

「エアリス……なんで……」

「なんだ? お前ら知り合いなわけ?」

シャナが武装兵を素手で次々と伸していった。

「ま、とりあえず感動のご対面ってのは、この後で頼むわ」

向けられた銃口を交わし、ルリアが跳躍すると、その手元に蹴りを入れて銃を奪う。銃の得で相手の眉間を打つと、兵士は意識を失ってその場に倒れた。

エアリスが意識を集中しはじめると、その掌がぼんやりと青く光り、バリバリと音を立てた。

「雷電!」

エアリスが掌を兵士の身体に解放すると、兵士が白眼を剥いて倒れた。

「エアリス、いつの間にそんな物騒なもん……」

横目でエアリスを見ながらルリアが苦笑した。

「うふふ、私も守ってもらってばかりではいられませんもの。戦わなくてはね」

エアリスが床を蹴って跳躍し、スカートをたくしあげて、相手の顔面にハイヒールを沈めた。

「ごめんあそばせ」

「へぶぅ」

男はその場に崩れ落ちた。

「ひゅう、やるもんだ。親衛隊にスカウトしたいくらいだ」

シャナがにやりと笑い、軽口をきく。

その時床に沈められ、泡を吹いていた男が意識を取り戻し、シャナの心臓に狙いを定めて銃口を向けた。

ルリアの顔が引きつる。

「危ない」

銃口が火を噴いた。甲高い金属音の後で、金の髪が床に散った。

「ルリアさま!」

エアリスの悲痛な叫び声が響き渡り、ルリアを抱き起こすが意識はない。唇に手をかざすと……息はある。

「他に怪我はしていないわね」

エアリスがルリアのパイロットスーツを脱がせると、鎖が切れ変形した金のオーバル型のロケットが床に転がり落ちた。


『ランクス・クリフォード、ここにルリア・ダテ・オリビエに生涯の愛を誓う』


「ランクスの想いが、ルリアさまを守ったのだわ」

刻まれた文字に触れ、エアリスはぎゅっとロケットを握りしめた。同時にルリアの華奢な鎖骨に刻まれた黒揚羽のタトゥが目に入り、エアリスをやるせない思いにさせた。

(この二人は争ってはいけない。今はまだ方法は分からないけれど、絶対になんとかしなくてはいけない。そのために私はここに来たのだ。祭司の末裔である私の血をもって、命を賭してでも、私は必ずルリア様を助けてみせる)

エアリスはルリアをぎゅっと抱きしめた。

「はい、お前、フルボッコ決定!」

シャナがゆらりと敵の前に立ちはだかり、もはや無敵の勢いで敵を伸してゆく。最後の一人をブーツの下に踏みつけ、シャナは浴びた返り血を拳で拭った。

「胸にかけていたロケットのおかげで、大事にはいたっておりません」

「そうか」

安堵の吐息とともにルリアを見つめるシャナの琥珀色の瞳に優しさが滲み、ルリアの髪に触れた。

「初陣にしちゃあ、よくやったんじゃねえの?」

そう言って、意識の戻らぬルリアを抱きあげた。

「エアリス……だっけ? お前も来い」

シャナは足でドアを開けながら、エアリスを振り返った。

「は…はい」

エアリスはおずおずとシャナに従った。

「シャナ王子! ご無事でしたか」

応援に駆け付けたランクスの直属部隊がシャナの前で敬礼している。

「無事か?」

鳳凰の軍服姿のランクスが、シャナを見つめる。

「遅ぇよ、お前ら」

シャナが唇を尖らせた。

「敵はあらかた伸したんだけどなあ、人質は救えなかったんだ……」

シャナの瞳に悲しみの色が走った。そんなシャナの肩にランクスが手を置いた。

「お疲れさん。それ、かわろうか?」

「いや、いい。触らせねえよ。お前にも」

幸せそうにルリアを抱いているシャナを見て、ランクスが寂しそうに笑った。

「ライバル出現といったところかしら? ランクス」

背後でエアリスが意味あり気に呟いた。

「何を言っている。ところでこちらは?」

ランクスが不思議そうな顔でエアリスを見つめている。

「ああ、人質のなかにいた一人だ。ティナの知り合いらしいぜ」

「ティナではありません。この方はルリア・シャル・オリビエ。オリビエ公国の王女様であらせられます。っていうか、わたくしのルリア様に気安く触らないでいただきたいの」

そういってエアリスは思いっきりシャナの腕を抓った。

「オリビエ公国の王女様だあ?」

ルリアを医務室のベッドに寝かせ、シャナは素っ頓狂な声を出した。

「このちんちくりんが、かあ?」

ベッドサイドに腰かけシャナがルリアの寝顔に見入る。

閉じた双眸を長い睫毛が縁取り、頬は咲き染めの薔薇のよう。つんとつきだした愛らしい唇は桜ん坊の果実のように艶やかで。

(ちんちくりんというか……可愛いよな、確かに)

シャナはルリアの頬をつんと突いてみる。

刹那、シャナの全身に電流が走った。

(うおー、なんじゃこりゃ! どんだけ柔らかいんじゃあ)

柔らかいだけじゃない。指に吸いつくような肌目の細かさ。

(も……もう一度……)

息を呑み、シャナがもう一度人差し指でルリアの頬を突く。

(うおー! やっぱりすげぇ)

「う……ん」

ルリアの唇が微かに震え、吐息が漏れた。


エアリスの思考回路が先ほどから停止している。

(おかしい。目の前のこの男の行動が、どうにも不可思議なのだわ。気を失った乙女の頬をつついて、息を荒くして顔を近づける……。

彼はひょっとして、変態なのか? ルリア様が、これはルリアさまの貞操の危機なのだ!)

そう考えついたとき、エアリスは頭より身体が先に動いていた。

「いい加減にしやがれ、この腐れ外道がぁ!」

エアリスがベッドサイドに置かれてあった花瓶をシャナの頭に投げつけた。

みしっと鈍い音がした。

「ですから、わたくしのルリア様に気安く触らないでいただきたいの」

頭から盛大に流血し、シャナは軽く頭を振った。

「落ちつきまして?」

エアリスがふんわりと微笑した。

「オリビエ公国の王女様ってさあ、あんたじゃなかったっけ? エアリス・シャル・オリビェさんよう」

シャナの言葉にエアリスが悲し気に微笑んだ。

「我が国にもいろいろと事情がありまして。ですがオリビエの正当後継者はまぎれもなくこの方なのです」

「まあ、事情はどうあれ、どうせ俺はこいつを正妃に迎えるし」

 シャナがそういって椅子の上で足を組んだ。

「却下!」

 エアリスが即答する。

「却下ってなんだよ。俺だって砂漠の覇者シバの第一王子だぜ? こいつが王女だろうが婚姻になんの障りがある?」

 シャナには驕りがある。若者特有のそれではなくて、それは強さと、自信に裏打ちされた驕りであった。ゆえにこれは少々厄介だ、とエアリスは思った

「ルリア様の気持ちは? ルリア様は決してあなたの気持ちを受け入れることはできません」

エアリスの言葉を聞いて、シャナの唇に冷えた微笑が浮かんだ。

「受け入れさせてみせるさ。俺の異名は『砂漠の蠍』だぜ? それができないなら、こいつは死ぬことになる」

「あなた……」

 エアリスの顔から血の気が引いた。

「おい、こいつは他国のスパイだ。石の聖堂に監禁しろ」

部屋の外に控えていた近衛兵が、エアリスを連れ出した。

「こいつは攻撃魔法を操れる。魔力無効の護符を貼れ。聖堂にも封印の魔方陣を。警戒怠るな」

「はっ」

 近衛兵は護符を取りだし、エアリスの華奢な手首に貼った。

「いやあああああ!」

エアリスが悲鳴を上げた。

「我、汝の魔力を封印せし」

強かな熱とともに、エアリスの手首にくっきりと黒い魔方陣が浮かび上がり、シャナが自身の血をもって、エアリスの魔力を封印した。

「くっ……なにを……」

眩暈とともにエアリスの視界が突如真っ暗になり、意識が遠のいていった。

(甘かった)

悔恨にエアリスは、歯ぎしりしたい気持ちになった。人質を救う為に命を賭して身代わりとなったシバの王子を、自分は信用しすぎたのだ。

自分のことはいい。どうなっても後悔はない。だが、ルリアは……ルリアだけはどうしても助けたかった。

意識が完全に途切れる直前に、エアリスはランクスの心に『想い』を飛ばした。

ランクスは執務室で書類を繰っていた。

サリエリ軍によるターミナル占拠の事後処理の最中で、この事件により罪のない民間人が多数傷つき、命を落とした。

ランクスは物憂い視線を彷徨わせた。

(ランクス)

突如頭のなかに直接に語りかけてくる声があった。

その声にランクスは、書類を床に落としてしまった。

(前方後退型ヘタレ)

ランクスは軽くこめかみを押さえた。

「殺すぞ?」

(冗談よ、冗談。私はエアリス。空気を振動させてあなたの意識に直接語りかけているの。私はあなたの変態な義兄(おにい)(さま)に捕まってしまって、石の聖堂というところに幽閉されるらしいわ。とりあえずルリア様を守って。あの男マジやばい)

「自業自得だろ? 監禁でも幽閉でもされて少しは反省したらどうだ。っていうかお前は誰なんだ? ルリアって誰だ?」

(うーむ。前方後退型に怒っているのだろうか。それにしても器の小さい男だのう、君は)  とそこまで思いめぐらし、エアリスはある可能性に気付いた。

(若年性痴呆?)

「ボケてなどいない。だが俺は記憶を操作されている。お前が俺を知っているというのなら、失われた俺の過去を教えてくれないか?」

(記憶の封印の解除か。私に魔力が戻ればできないことはないのだけれど……。とりあえず助けてくれないかな? ルリア様もわたくしも)

「善処はしょう」

ランクスはため息をついた。


◇  ◇   ◇


「うっ…ここ…は?」

ルリアは周りを見回した。夕闇に染まる室内の中央にシルク地の天蓋付のベッドが据えられ、ルリアはそこに横たえられていた。

(自分は確かシャナを庇って、撃たれたはず……)

ルリアはそっと胸の中央に触れてみるが、特に外傷はない。

(私は……生きている)

ルリアは小さく安堵のため息をついた。

「エアリス! エアリスは?」

戦闘の混乱の中で、敵に捕らわれた人質の中に、確かに彼女がいたのだ。エアリスは無事なのだろうか。

その面影がルリアの胸を切なく締めつけた。

「気がつかれましたか?」

ルリアの脇に控えていたメイドが、ルリアを見てにっこりと微笑みかけた。

「ああ、ここはどこだ? 私の軍服(ふく)は?」

「ここはシャナ・ハダサ・ギュスターヴ様の居城、イーリオス城でございます。ティナ様が目を覚まされましたら、湯を使われますようにとのシャナ様のご命令です」

「いや、私はそんな……結構だ。それより親衛隊の長としてやらねばならぬことが……」

 身を起こそうとするルリアを、メイドがやんわりと留めた。

「外傷はなかったとはいえ、あなた様は丸一日、意識を失われていたのです。本日はこちらでゆっくりと休養するようにとの、シャナ様のお心遣いでございます。さあ、こちらに」

脱衣所でルリアは盛大にため息をついた。

(疲れる……。状況がよく呑みこめない上に、なんなのだ、この状況は。本来なら官邸の医務室あたりで目覚めて、今頃は上司に事件の詳細を報告している頃だろう。直属の上司、そう……ランクス・クリフォードに)

 ルリアは今頃きっと事後処理に追われているであろう、ランクスに思いを馳せた。

それでなぜここに、シャナ・ハダサ・ギュスターブが出てくるのだろうか。

 シャナのことは嫌いではない。彼なりに気を使ってくれたのだろうとは思うが、疲れる。

 ルリアが衣服を脱いで、バスタブに身を沈めると、湯船に散らされた薔薇の花弁から芳香が立ち上った。

こんなわけのわからない現状で薔薇風呂に入るより、官邸で業務こなしているほうがどれだけ楽か。少なくとも官邸だったらエアリスにも会えるはずだ。

 ルリアは湯の中で頼りなく膝を抱えた。


「なぜ、着替えがドレスなんだ?」

眉を顰めたルリアに、メイドが無垢な笑顔を向けた。

「シャナ様が、ディナーをエスコートされますので」

「いや、だから私にはそのような暇はなくて……」

渋々ルリアは用意されたドレスを身に纏った。エンジ色のロングドレス。袖はなく胸元から右の肩にかけて薔薇の飾りが豪華にあしらわれてあった。

不本意に着飾り、ルリアはシャナの訪れを待った。

「へえ、ちったあ、見られるようになったんじゃあないの? 親衛隊長殿」

シャナは慇懃にルリアの身体に視線を這わせ、口元に酷薄な微笑を浮かべた。

ノックもせずにいきなり部屋に入ってきたシャナの、明らかに普段とは異なる様子にルリアは息を呑んだ。

シャナはベッドの横に置かれた長椅子に腰をおろし、タイを外して放った。

「これがオリビエの王女だって? あの女もバカなことを言ったもんだ」

シャナは立ち上がり、威圧するようにルリアの前に立った。

長身のシャナには腕力では敵わない。ルリアはシャナから距離をとろうと後ずさった。しかしシャナはそんなルリアを許さない。ルリアの華奢な手首をとって、強引に腰を引き寄せた。

シャナの手が、ルリアの頬に、項に、そして鎖骨に触れた。

「王族がタトゥーなんか入れるか、っての。しかも趣味の悪い黒揚羽なんぞ」

シャナが忌々し気に呟いた。

「痛っ!」

ルリアが悲鳴を上げた。

「ふん、当たり前だ。噛みついたのだからな」

ルリアの鎖骨にシャナの歯型の内出血ができていた。

「気に入らん。なぜお前の身体に情婦の証があるのだ!」

ルリアは荒々しくベッドに投げ出され、シャナに易々と組み敷かれた。シャナの少し長めの前髪から覗く、琥珀色の瞳は赤く充血して濁っている。

「遊女ならそれらしく、優しく俺を慰めてみろ。金が所望か? なら好きなだけやる。それとも地位か? 権力か?」

ルリアはシャナのなかに、揶揄するようでいて、必死になにかに縋る幼子のようなそんな脆さを垣間見たような気がした。

「だれが、遊女だと?」

ルリアはシャナを睨みつけ、その下腹を蹴り上げた。そして怯んだシャナの頬を思い切り殴りつけると、シャナの唇に鮮血が伝った。 

ルリアはベッドサイドにあった木製の椅子で窓硝子を破った。

「お前に媚を売り、組み敷かれるくらいなら、私は迷わずこの場で死を選ぶ」

硝子の無くなった窓枠に、ルリアが腰かけると、風を孕んでレースのカーテンが揺れていた。

ルリアは瞳を閉じた。

「なんの騒ぎだ? シャナ。それにしても派手に破壊したものだなあ」

どこか間の抜けた声とともに、ランクスが部屋に入ってきた。

「テロ事件の事後処理の最中なんだが、どうしても証人が必要でな。取り込み中すまないが、部下を連れて帰るぞ」

シャナはふいと横を向いた。

「ほら、帰るぞ」

ランクスは窓枠に腰かけたルリアの前に歩み寄り、その手を取った。

その温もりに安堵し、ルリアの緊張の糸が切れると、ランクスが急に仏頂面になった。

「泣くな」

それでも繋いだ掌が、小刻みに震えている。

「泣くなといっている。女の涙は苦手だ」

長く続く回廊の柱の陰で、ランクスが不器用にルリアを抱き寄せた。

「不思議なものだな。私はお前をずっと以前から知っているような気がする。ティナ、お前はなぜ俺の前で仮面をつけた? お前は以前の俺を知っているのだろう?」

ランクスの腕の中でルリア目を見開いた。

「俺は記憶を操作されている。過去の記憶を一切思い出すことができない。お前が俺を知っているというのなら、どんなことでもいい。教えてくれないか?」

ランクスの深緑の瞳が切なく揺れて、ルリアを見つめた。

ルリアはそっとランクスから身を離した。

「仮面をつけたのは、女だからと侮られたくなかったからで、私は以前のあなたを存じません」

ルリアがランクスに背を向け立ち去ろうとすると、ランクスはルリアの手首を掴んだ。

「待て!」

振り向きざまに、ルリアが胸にしまっていた金のロケットが毀れ落ちた。

「これはっ」

ロケットの中で金の髪の乙女が向日葵のように笑っている。

『ランクス・クリフォード、ここにルリア・ダテ・オリビエに生涯の愛を誓う』

「誤解しておられるのです。シャナ様もあなた様も。面影が似ていたとしても、私はティナです。あなた様がそう私を名付けたのではありませんか。忘れたのであれば、ただそれだけの想い。そしてあなた様はその想いをこのロケットごと、お捨てになったのでしょう?」

ルリアの言葉にランクスが、苦し気に表情を歪めた。

「ああ、そうだ。確かに俺は過去を捨てたのだ。今さらお前を愛する資格などあるはずもないのだな」

ルリアはランクスに背を向けた。

「無礼をお許しください。私は官邸にて、せねばならぬ仕事がありますゆえ、ここで失礼いたします」

回廊を抜け中庭に走っていくルリアを、ランクスがじっと窓から見つめていた。

鉛色の重い空が、いまにも泣きだしそうで、音も無く雷光が光っていた。

「なんだ、結局お前もフラれてんじゃん」

いつの間にかシャナがランクスの横に立っていた。

「俺のはそんなんじゃない。が、お前はそれでティナのことを諦めるのか?」

 ランクスがシャナをちらりと見やった。

「いんや。俄然やる気が出てきたね。ぜったいに落としてみせる」

シャナがにやりとランクスに笑って見せた。

「そうか。だったらお前に協力してやるよ。ティナをお前の直属にするから、サリエリとの交戦の指揮をとってくれ、方法は任せる。その代わり、エアリスという女を解放してやってほしい」

「こっちが駄目なら、そっちかよ。お前も好きもんだね」

「勝っ手にいってろ!」

「了~解! じゃああの女はお前にくれてやるよ。煮るなり、焼くなり、ご自由に」

シャナはランクスに背を向けてひらひらと手を振った。


◇  ◇   ◇


すでに身体の感覚が麻痺している。

朦朧とした意識の中で、エアリスはゆっくりと瞳を開いた。

身体が思うように動かない。

石の聖堂に刻まれた魔方陣の中心に身を横たえ、エアリスは顔を引き攣らせた。

黒いローブに身を包んだ魔道士たちが呪文を唱えると、両の掌に青白い炎が浮かび上がり、容赦なくエアリスの華奢な身体を焼いていく。

シャナの命令により、この国の魔道士に拷問を受け続けること三時間。

すでに痛みや恐怖すら感じなくなっている。

痛みよりも寒さを感じて、視界が暗くなってきたあたりから、それとはなしに死を予感している現状だ。

死ぬことは怖くない。もとより自分は影の存在なのだ。ルリアに命を捧げることができるならそれで本望だ。

エアリスはルリアを見つめるランクスの表情を思い出し、微笑を浮かべた。

記憶がなくなっても、ランクスはルリアのことを想っている。自分が死んでも、きっとランクスは、命を掛けてルリアを守るだろう。

(だから私は安心して逝ける)

エアリスの脳裏にハヤトの面影が過った。

儚く笑って逝ってしまった人。

(ハヤト、わたくしも、もうすぐお傍に参りますわ)

瞼がひどく重い。眼を閉じると、もう二度と開くことはないだろう。

(さようなら。わたくしのルリア様)

心の中で別れを告げ、エアリスは目を閉じ


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