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緋の剣  作者: 抹茶小豆
10/11

10

た。

魔道士たちが酷薄に笑みを浮かべ、再び呪文を唱え始めた。

刹那、一陣の風が聖堂を吹き抜け、祭壇に供えられた盃が甲高い音を立てて割れた。

するとエアリスを取り囲む魔道士が、次々と石畳の上に崩れ落ちた。

聖堂の扉の前に、男が一人佇んでいた。茶色の髪を風に靡かせ、オリビエの騎士の軍服に身を包んでいる。鳶色の瞳に深い慈しみと怒りの色を宿し、ブーツの靴音がゆっくりとエアリスに近づいた。

エアリスは霞んだ視界のなかに、彼の人を見た。

「ハ……ヤト?」

暖かな光がエアリスの身体を包み、ふわりと身体が宙に浮いた。

エアリスの口元に笑みが浮かんだ。

(きっとこれは夢だ)

 とエアリスは思った。

天に召される時には、自分がもっとも望む幸せな夢をみて逝けるのだという。

だからきっとこれは、夢なのだ。

幸せな夢。

エアリスの頬に涙が一筋伝うと、ハヤトのエアリスを抱く腕が微かに震えた。

「ここで何をしている?」

聖堂の扉の前に、ランクスが立ちはだかった。

「ランクス・クリフォード!!!」

空気が怒気に震えた。

「ランクス、エアリスをこんな目に合わせたのは、君なのか?」

ランクスが柳眉を顰め、ゆっくりと剣を抜いた。

「貴様は誰だ?」

窓から差し込む日差しを受け、剣が鈍く輝いた。

エアリスをそっと石畳に下ろし、ハヤトも剣を抜いた。

石畳の上に、エアリスがふらりと立ち上がり、向けられた剣の切っ先をその胸に向けてにっこりと微笑んだ。

「剣をお納めになって……」

そしてそのまま崩れ落ちそうになるのをなんとかハヤトに助けられる。

「エアリス!」

「わたくしは……大丈夫です。どうか……剣をお納めになってください。なにがあってもあなたがたが互いに争うことを、わたくしは許しません」

ハヤトがきつくランクスを睨みつけ、剣を放った。

ハヤトの掌がエアリスの傷口にあてられると、エアリスは瞳を閉じて身を委ねた。

「ハヤト、温かいですわ」

エアリスがそう呟くと、その身体にあった無数の傷跡が跡形もなく消え去った。

その様子にランクスが目を見張る。

「ありがとう、ハヤト。治癒の魔法ですわね。ですがここまで強力なものは、私も初めて見ました」

そう言ってエアリスがまじまじと、自分の手首を見つめた。シャナによって封印されていた魔力が身体に満ちるのを感じる。

意識を集中させると、ぼんやりと青く光を放っている。

「ハヤト、ランクスは記憶を操作されています。ですからわたくしやあなたのこと、そしてルリア様のこともわからないのです」

エアリスが愁傷気にそう言うと、ハヤトは小さく溜息を吐いた。

「だったら、すぐに思い出すべきだ。エアリス、お願いします」

「ハヤト!」

とがめるように叫んだエアリスに、ハヤトが一瞥をくれる。

「なに? エアリス。」

「辛すぎるもの! あなたが死に、そして命を掛けて守ろうとした、たった一人の妹姫まで、最も信頼していた乳兄弟に殺されてしまうなんて! そんな記憶なんていっそなかったほうがいいって。思い出はまた作ればいいって……」

エアリスはそう叫んで、掌で顔を覆った。小さく震えて、嗚咽が止まらない。

そんなエアリスをハヤトが抱きしめた。

「だけどね、逃げちゃだめなんだ。ランクスは」

ランクスの深い碧の瞳が、じっとハヤトを見つめた。

「そういうわけで、君の歩んできた人生は半端なくきついんだけど、それでも記憶を取り戻す勇気、ある?」

ハヤトの鳶色の瞳が、ようやく和らいだような気がした。ランクスはこの瞳の色も、なぜだか知っている気がした。亜麻色の髪の少女を含めたこの場を包む空気でさえも、なぜだかしっくりとくる。

「全てを知ったこの俺を、お前たちは支えてくれるのか?」

それは不思議な感覚だった。人を信頼したことなど、一度もないと思っていた自分なのに。こんなにも素直にその存在を求めていると言えたこと。

「そんなの当たり前じゃん」

ハヤトが微笑んだ。

(ああ、この微笑みも自分は知っている。だったらきっと、大丈夫だ)

ランクスはそう確信した。


◇  ◇   ◇


「くそっ」

 シルビスは、枕もとに置かれていた水差しを床に叩きつけた。砕け散った破片を強張った指が拾い上げ、きつく握りしめると、床に鮮血が滴った。

シルビスの破魔矢に貫かれた肉体が、焼かれるように痛む。

その傷を癒すためには神珠の力が必要だった。しかしアイの身体にあるはずの神珠は、すでにそこにはなかった。

「ケルビムめ」

 シルビスはその端正な顔を醜く歪めた。

あの夜、シルビスが貫いたのは、アイの半身の少女、オリエだったのである。

 アイは自分の身体に埋められた神珠をハヤトの亡骸に埋めた。

 シルビスは爛れ、腐れ落ちていく自身の身体をじっと見つめた。

神珠の力がなければ、この肉体はそう遠くない日に滅ぶ。

 シルビスは傷口に包帯を巻いて、鎧を纏った。

「青き神珠の行方は未だわからず……、しかし赤き神珠エバは西にある」

 シルビスは剣を手に取った。


◇  ◇   ◇


 オリビエの王宮を出て、しばらく西に進むと、海が見える。西海の宝玉と謳われるエメラルドの海を一望できる場所に、ポティファル家の別荘があった。

 城とは異なるこじんまりとした洋館の中庭には、様々な野菜や果物などが植えてあった。  トーマは傷ついたマリアと共に、僅かな使用人のみを伴って、この洋館に入った。

 マリアの名を呼ぼうとしたトーマは、ふとそれを躊躇った。サンルームの揺り椅子に座って、うたた寝をしているマリアの肌が日に透けて、ひどく儚気に見えた。

 マリアは軍服ではなく、綿の簡素なワンピースを着ている。今でこそ、完全無欠の才媛に成長した彼女だが、十代の頃は赤毛を気にして、ひどく引っ込み思案な性格だった。

 飾らない彼女の服装に、トーマの中にふと懐かしさが込み上げて、当時の愛称を呼んでみたくなった。

「マリー」

 トーマはそっとマリアの額に口づけた。

「わっわわわっ」

 刹那、目を覚ましたマリアは、驚いて椅子を倒してしまった。

「痛ったぁ」

 腰を打って涙目のマリアを抱き上げて、トーマは寝台に向かった。

「ちょっと、トーマ、何? 降ろして」

 マリアはトーマの腕の中で暴れるが、トーマはその腕を解く気はない。さらに寝台に寝かせたマリアのワンピースのボタンを一つ一つ外していく。

「ちょっ……ちょっと、トーマ!」

 マリアは赤面し、涙目になっている。

「抱きたい。お前を」

 くぐもったトーマの声が耳に落ちてマリアは、下を向いた。

「私でいいのか?」

 マリアの瞳が不安定に揺れている。

「なんで?」

 トーマがマリアを見つめた。

「魔力が戻らないんだ。どうやら私の魔力は暗黒龍に喰われてしまったらしい」

 マリアが苦しげに目を伏せた。

「だから?」

 トーマが不思議そうに首を傾げた。

「私の夢は、お前とともにあることだった。戦場にいても、どこにいてもお前の助けになりたかった。だからこそそれだけの努力はしてきたし、私にはそれだけの力があると信じてきた。だけど……」

 マリアの瞳から涙が零れた。

「私はただの女に戻ってしまった。お前と出会った頃のぱっとしないマリーに」

 トーマがそっとマリアの涙を指で拭った。

「そんなマリーを、俺はずっと見つめていたんだぜ? 知ってる?」

 トーマは当時を思い出し、懐かしさに笑みを浮かべた。そしてマリアの髪をひと房手に取り口づけた。

 オリビエでは祭司の血を受け継ぎ、強い魔力を持つ子供たちが一二歳になると、全寮制の魔法学校に入学することになっている。トーマとマリアはそこで出会った。

 影を見せず、明朗闊達に振る舞うトーマは、その容姿も美しく、皆に愛される人気者だった。しかしトーマ自身が抱える影は、少年であったトーマにはあまりにも重く、時々押しつぶされそうになる。誰に話せるわけでもなく、そんな時トーマは、講堂の脇に設けられた誰もいない聖女オルフィリアの聖堂で声を殺して泣いた。聖女オルフィリアに亡き母の面影を重ねて、心をさらけ出すことだけが、トーマにとってのただ一つの救いだった。

 あるとき、その聖堂に先客がいた。真夜中に薄いネグリジェの上に上着も纏わず、赤毛の少女はオルフィリアの前で泣いていた。

「お母様、どうして私を置いて行ったの?」

 その日からトーマは、知らず視線が彼女を追うようになった。


「誰もがこの髪の色を下賤だと言った。身分の低い妾の血をひく証なのだと、何度罵られたかしれない」

 マリアも当時を思い出し、自嘲する。

「例によってクラスメイトにこの髪の色をからかわれているときに、お前がそうやって私の髪に口づけたのだったな」

 マリアはトーマの顔をちらりと見て、口を尖らせた。

「私をその気にさせておいて……責任を取れ」

 マリアは少し砕けた様子で、トーマを軽く睨んだ。

トーマは背後からマリアの身体抱きすくめた。

「了~解!」

 トーマの口づけが、頭に、そして項に、降りてくる。マリアは高鳴る動悸に懸命に耐えた。


 行為の後で、腕の中で眠るマリアを、トーマはじっと見つめた。暗黒龍との戦いで負った傷も癒えきらないままに、その身体に負担をかけてしまったことをトーマは悔いた。

マリアの涙に濡れた睫毛にそっと唇を這わせると、マリアは嫌々をするように小さく首を振った。

「マリア、愛してる」

 その言葉とともに、マリアの額にキスを残して、トーマは部屋を出た。

屋敷のエントランスには緊迫した面持ちの部下が控えていた。

「サリエリ軍が我が国に向けて、再び進軍を開始しました」

 トーマの顔に緊張の色が走った。

 軍服を着て、屋敷を出て行こうとするトーマをマリアが呼び止めた。

「行くのか?」

「ああ、性懲りもなくまたサリエリのバカが攻めてくるらしいからな」

 トーマの言葉にマリアの顔が曇った。

「ああもう、そんな顔をするな、サリエリ軍を防いだらすぐに帰ってくるって」

 トーマは努めて明るく言った。

「そんなことより、いつになったらお前は俺のプロポーズを受け入れてくれるんだ?」

トーマは、話題を変えるように自身の軍服のポケットから、前にマリアに突っ返された指輪を取り出した。

「いい加減んに、受け取って欲しいんだけど? 俺の給料三か月分」

「く……くれるものなら、貰っておく」

 そういってマリアは赤面した。

トーマはそんなマリアの薬指に指輪を滑らせ口づけた。

「この戦いが終わったら、結婚しよう。だからマリアは何も心配しないで、式場でも選んどいてよ」

 トーマは微笑んで、手のひらを振った。

屋敷を後にするトーマの背中を、マリアがいつまでも見送っていた。


◇  ◇   ◇


 ルリアは呼び出しを受け、シャナの執務室に通された。

「私の半径三メートル以内には、絶対に近づかないでください。でないと命の保証はありませんよ?」

 ルリアが仮面越しに無機質な声色を出した。

「何? お前、まだ怒ってんの?」

 意外とばかりにシャナが目を瞬かせた。

「当たり前です。仕事でなければ当分顔も見たくありません」

「ごめん。悪かった」

 シャナが愁傷気に頭を下げた。

「お前の身体に彫られたタトゥーが娼婦の証だって、誤解しちまったんだ。本当に悪かったよ」

 ルリアはひとつ溜息を吐いた。

「謝ってくれたのなら、もうそれでいいです。でも、もう二度とあんなことしないって誓ってください」

「さあな、それは保障できない」

 シャナがルリアを抱きしめた。

「いい加減に自覚しろよ。俺はお前に惚れている。惚れた女を抱きたいと思って何が悪い?」

 その腕の中でルリアが身体を強張らせ、身をよじる。

「ちっ、気に入らねえなあ、ちったあ、可愛気を見せたらいいのによ。まあいい、それはさておき、本国に戻るぞ。すぐに支度をしろ」

 ルリアはシャナの腕から逃れて脇に控えた。

「本国に、ですか?」

 ルリアの声に緊張が走った。

「ああ、サリエリが動き出した。俺たちは母国シバと大陸を護らねばならん」

 シャナはルリアをちらりと見やり、そして呟く。

「オリビエに恩を売っとくのも悪くはないからな」

 ルリアが仮面越しに、きっとシャナを見据えた。

「シャナ、聞いてください。私は確かにあなたを上官として尊敬している。しかし、私にはあなたの真摯な気持ちに応えることができない」

 シャナはルリアの言葉に皮肉っぽく嗤った。

「聞かねえよ、そんな言葉。何年かかっても、監禁してでも、俺のことを好きだと言わせてやる」

「そうではない。シャナ、これを見てください」

 ルリアは軍服の上着を脱いでシャツのボタンを外した。

「私の鎖骨に穿たれたこの刻印は、娼婦のそれより、たちが悪い。これは魔と取引をした証だ」

 ルリアの言葉にシャナが目を見開いた。

「なに……」

「これでおわかりでしょう? 私には未来がない。生きる為には人であることすら捨てなくてはならない身だ。だから私にはあなたに愛される資格など、はなからないのです」

 仮面越しにルリアが自嘲した。そんなルリアをシャナが背後から抱きすくめた。

「未来なんていうものは、誰にも平等に与えられたものじゃない。未来っていうのは戦って勝ち取るもんだ。魔との取引がどうした? ビビるな。俺がお前と一緒に戦ってやる。愛される資格だ? 人を愛するっていうのはそんな御大層なもんか? そのままのお前が横にいて俺に笑いかけてくれたらそれだけで、俺は幸せだ」

 ルリアの肩が小さく震え、シャナはルリアの仮面を外すと、その泣き顔をそっと包み込んだ。


◇  ◇   ◇


ふわふわと宙を漂うような感覚の中で、たくさんのシャボン玉が浮いていた。虹色に光を反射させた透き通る球体の中に、思い出の片鱗が、かつて見た景色とともに、浮いていた。

ランクスが目を閉じると、その球体が自分の身体の中に吸い込まれていった。

するとランクスの心の奥底に仕舞い込んだはずの思い出の記憶が溢れだし、喜びと悲しみの複雑なマーブル模様となって、ランクスの胸の中に漂っている。

ふとそんな感情のうねりの中に自分が呑みこまれてしまいそうになった瞬間、ランクスは両の掌に、力を感じた。

誰かがしっかりと自分の手を握っていてくれている。それはひどく暖かくて心地よい、光に抱かれているような感覚だった。

「ランクス! しっかりして」

 意識の覚醒しきらない耳元に、悲痛な声が響いた。薄らと目を開くと 鳶色の瞳の少年が心配そうに自分を覗き込んでいる。

 その存在にほっとしたランクスの目元から、涙が零れ落ちた。

「ハヤト……生きていてくれてありがとう」

 ランクスの右手をハヤトが、左手をエアリスがしっかりと握っていた。

「ランクス~」

 その言葉にハヤトがランクスに抱きついた。

「記憶が戻ったのですね」

 その横でエアリスも目にいっぱい涙を溜めていた。

 刹那、聖堂の門を荒々しく叩く音がした。

「ランクス・クリフォード様、サリエリ軍が動き出しました。至急、官邸にお戻り……、コロセ……コロセ……ランクス……クリフォードヲ 殺セ」

 門をたたく音は激しさを増し、破られた扉から、シバの兵士たちがなだれ込んだ。

「何なのですか? これは」

 エアリスがその場に立ち尽くすと、ハヤトがエアリスをその背に庇った。

「さがってエアリス。様子が変だ」

 兵士たちの目は赤く充血し、正気を失っている。そして一様にその額には666と刻印が刻まれていた。

「死ね……ランクス・クリフォード」

 正気を失った兵士たちが次々と、襲いかかってくる。エアリスが状態回復の魔法で応戦するが、数が多くて埒があかない。

「666は悪魔の数字……すなわちシルビスの手のものですね」

ランクスとハヤトも剣を逆刃にして応戦する。

「一度官邸に戻ろう。蓮が気になる」

 襲いかかってくる兵士たちを振り切り、ランクスは自家用の飛空艇のロックを解除した。飛空艇はエンジン音とともに空に舞い上がった。


◇  ◇   ◇


(ランクスをコロセ? ランクスとは一体誰なのでしょう?)

 参報との会議の前に、着替えようと一度自室に戻った蓮は、ふと鏡台に映る自分の顔をのぞき見た。そして思い出す。

(ランクスとは、他ならぬ私の婚約者ではないか。深緑の瞳の中に悲しみが揺れる、誰よりも美しい男。確かに私は彼を愛していた。ではなぜ、私は彼をコロスのだろう?)

 それは不思議な感覚だった。自分が自分でないような、なにか強力な力に操られているかのような……。 

(ランクスをコロセ)

 次の瞬間、蓮は小さく悲鳴をあげた。鏡の中に映る自分の姿が消えて、白銀の髪の寒気がするほど美しい青年が映っていた。その青ざめた美貌の男の唇が残酷に動くと、蓮の額に666という数字が刻まれた。

 正気を失った蓮が長椅子に座り込むと、中庭のほうから飛空艇のエンジン音が聞こえた。蓮はふらふらと立ち上がり、鏡台の引き出しから、銀のナイフを取り出した。

 足音がこの部屋に近づいてくる。

いつも心待ちにしていた、愛しい人の足音が、今日は少し急いでいるようだった。

 蓮は長椅子の上で力なく微笑んだ。いつもなら立ち上がって、愛しい人を迎えるのだが、どうやら自分にはもうそれができないらしい。それでも、蓮は幸せだった。最後にその面影を抱いて、眠ることができるのだから。

 蓮は微笑んでその目を閉じた。

 部屋に飛び込んできたランクスの顔が、驚愕に引き攣った。

「蓮、蓮! しっかりしなさい」

 長椅子に横たわる蓮の胸には深くナイフが突き刺さり、ドレスには鮮血が滴っていた。ランクスが蓮の身体を抱き起して必死に揺さぶると、蓮が薄く瞼を開いた。

「ランクス……?」

 蓮の乾いた唇が、ようやくその名前を呟いた。その額には666の数字の刻印が刻まれている。

「蓮、何があった?」

「鏡に……白銀の男が映って……それから私の中に……あなたへの強い殺意が芽生えて……自分を止めるためには……これしか、方法がなかった」

 微笑みながら、蓮が涙を零した。淡いロータスの花弁が抱く純潔の滴が、ランクスの罪を露わにした。

「すまない、すまない蓮。あなたをこんな形で失うとは思ってもみなかった。俺があなたに犯した罪は、この生涯をかけて償うつもりだった」

 ランクスが苦しげに目を伏せた。

「あなたの罪ではないのです。私はあなたに想い人がいることを知っていました。謝らなければならないのは私の方。あなたが記憶を無くしたことにつけこんで、無理な結婚を強いたのですもの……でもね、私は本当にあなたのことを愛しておりました。少しだけ抱いていてください。愛する人の腕の中で眠ることができて、私は本当に幸せです」

 蓮は微笑みながら、ランクスの腕の中で目を閉じた。


◇  ◇   ◇


 鏡の前でシルビスが嗤った。

「愛ねえ……」

 シルビスは嗤うのではなく、本当はひどく泣きたかった。シルビスが見た蓮の死はあまりにも悲しかったからだ。シルビスは蓮を殺したいわけではなかった。ランクスのことも殺したいわけではない。

 自分自身と人間の存在そのものに倦んだシルビスは、すべてを終わりにしたかった。すべてを無に帰すために、光の予言を封じる必要があっただけで、そのためにランクスを殺さなければならなかった。

 ランクスのことを思うとき、シルビスの心は震える。込み上げる愛おしさと、最愛の対象を自ら壊してしまうという快感に。

 そんなとき、シルビスは自分が闇の存在であることを深く思い知らされる。光がなければ闇は存在しえない。また闇がなければ、光は際立たない。闇もまた光の為に創られた被造物であることを思うとき、シルビスの心は深く沈む。

 光に焦がれ、愛に飢え、しかし届かないのだ。それを手にして満足することは永遠に許されない。闇という存在として創造され、その役割を担うシルビスには。

 シルビスは泣きたかった。しかしシルビスは泣くことができなかった。だからシルビスは嗤った。それは哀しい嗤い声だった。


 やがてシルビスの乗る飛空艇の視界にオリビエの町の明りが見え始めた。

 闇夜に輝く町の明りをシルビスは美しいと思った。宝石をちりばめたようなこの美しい夜景を、やはりこの手で壊すのだ。そう思って、シルビスは身震いした。腹の奥底から、歓喜の衝動が込み上げるのだ。

 前方には、すでにオリビエの空軍が、シルビスの率いるサリエリ軍を阻止するために、展開されていた。

 迎え撃つ、オリビエの部隊からは『命を懸けて国を護る』そんな意気込みがひしひしと感じられた。

 そしてそれを見たシルビスは残酷に笑みを浮かべた。

「どのオリビエの兵士も、美しい目をしている。死を覚悟したよい目だ。ではその期待に添うとしよう」

 シルビスは頭上に悪魔王の剣を翳した。すると突然雷光がオリビエの夜空に走り、空中に人型の機動兵器が現れた。

闇夜のように真っ黒なボディーの目だけが不吉に赤い。

シルビスは飛空艇からその人型起動兵器に飛び移った。

「さあ、行こうか。我が僕ハデスよ」

 シルビスの身体は、ハデスのコクピットに吸い込まれた。


◇  ◇   ◇


 トーマは神殿の契約の箱の前に佇んでいた。軍服ではなく祭司としての亜麻布のエポデを身に纏っている。

光の書を紐解くための一族の末裔として、トーマは生き残った。

言い伝えられた儀式を一通り済ませたが、契約の箱は開かれなかった。

「俺じゃなかったってのか?」

 トーマはその場で腕を組んで考え込んだ。

しかしトーマは七歳の時に一度、この箱を開いたことがあった。神殿の有事のとき、確かにトーマはエアリスを抱いてこの箱の中に隠れたのだ。

トーマは当時と今の相違点について考え、そして思い当たる。

「エアリス? ひょっとして選ばれたのはエアリスなのか?」

 トーマはすべてを受け入れて微笑んだ。

「悪い、マリア。俺、お前との約束を守れないかもしんねえ」

 トーマは独り言を呟いた。

予言は間もなく成就するだろう。光を紡ぐ者たちは、その役割に応じて間もなくこの地に現れる。そう確信したトーマは軍服を纏い、王宮に戻った。

「トーマ、光の書の封印はどうなった?」

 国王の謁見の間に通されたトーマは小さく首を横に振った。

「申し訳ありません。選ばれたのはどうやら俺ではなかったようです」

「なんじゃと? しかしお前は十七年前……」

「ええ、そうです。しかし、俺はあのとき生まれたばかりのエアリスを抱いていました」

 トーマの言葉に国王がはっと息を呑んだ。

「光を紡ぐ者たちは間もなくこの場に現れるでしょう。それまで俺は、俺のできることをやります。国王様、早速ですがシェルターに国民を非難させてください。あいつらが帰国するまで、俺がなんとか食い止めます」

「トーマ、まさかお前召喚魔法を使う気ではないだろうな」

「召喚魔法で大天使ミカエルを召喚します。闇の力を持つ彼らには、もうそれしか方法がないのです」

「しかし召喚魔法は、術者の命すら削る負担の大きいもの、お前……」

「命を懸けてでも、光を紡がねばなりません」

 トーマは、自分たちを守るために逝った、母や一族の皆の事を思った。彼らもきっと今


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