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虚空の鑑  作者: 直江和葉
73/73

【神威・神業】

 「……そなた、水華蓮へ帰るのか?」

ターガナーダは静かな声音で光麟に問い掛けた。

竜王たちの邂逅の場となった国賓の客間は、いまは静謐に包まれている。


 あれから、竜王はすぐさま竜樹のもとへ向かうと宣言し、身を翻した。それへ随行するのは白竜王。青竜――水華蓮国神祇長官・青慧はローブミンドラのターガナーダの元に残った。

「ではな」 と、近所に出るくらいの気軽さで言葉をかけた竜王だったが、今生の別れを感じ取ったものか、緑の目を涙でいっぱいにしたシュリーマデビイを、しばらく慈しむように抱きしめていた。ふたことみこと、耳元で何事かを囁き、少女のこぼれた笑顔を見て満足そうに微笑むと、待っていた白竜とともに飛び立ったのだった。


 光麟は首を振り、あの国へは戻れないことを告げる。

(かい)一族は水華蓮だけにいるのではありませんからね……。今回は特殊な依頼でしたから、あちらの世界に戻れば、どのみち命を狙われることになるでしょうねえ」

のんびりとした口調で青慧が口をはさむ。ターガナーダの横で、黙って成り行きを眺めていた峰牙が呟いた。

「もったいねえ。夬一族っていや、凄腕ぞろいだってえハナシだ。しかもこんな別嬪殺すなんて気が知れねえや……」

「……峰牙。お前、美しければ男も女も関係ないのか」

「いや。俺は女の方が好きですが?」

げんなりしたようなターガナーダの言葉に、副官は正々堂々きっぱりと言い切った。

もう一度溜息をつくと、ターガナーダは考え込んだ。

これから、自分はこの国の建て直しに力をいれなければならない。腹心の友や、パドマバラ、バーダバグニなど心強い支えもあるとはいえ、それでも人手は足りないのだ。不遇を買う王族・貴族たちの横槍もうんざりするほど入ってくるだろう。王城の中を整理するだけで相当の時間を要してしまうのは目に見えている。

 だが、彼が本当に気になるのはこんな城の中のことではないのだ。

永きにわたる真王不在、それ故におこった天災は民を直撃した。権力という魔物に魅入られ、己自身を貶めた連中など彼の知ったことではない。国を支える幾万の民が、今どうしているのかを知りたいのだ。

だからこそ……。

ターガナーダは青銀の瞳を目の前の青年に向けた。

「光麟。そなた、この国にいてもいいと思うなら、私の元で働かないか?」

「……ここで?」 

光麟は少し首を傾げ、問うように青慧を見る。

青慧はにっこりと笑って、「君の好きなようになさい」 と頷いた。すこしの間考え込んでいた光麟は、ひとつ頷いた。

「……どのみち行く場所はない。俺にできることなら受けよう」

青年の言葉に、ターガナーダは軽く微笑んだ。

「私は当面、城の中でおおわらわだ。民の様子まで見ることはできない。城下の者達はパドマバラたちに聞くこともできようが、都を離れた各州の様子などはまるでわからないのだ。本当は自分の目で確かめたいのだが……まあ、今はそうも言っていられないのでな。そこで、私の代わりに諸州を見聞し、実状を知らせて欲しい。ただ、今は見てのとおり財政も逼迫している。旅費を渡すことはできても、十分な報酬はもう少し待ってもらわねばならないのだが……どうだろう?」

ほんの少し驚いたように目を見開いて、光麟は群青の髪の小王を見つめた。

「……言葉を返すようだが……そんなことを俺にやらせてもいいのか?」

青年の皮肉交じりの懸念を察したのか、ターガナーダはにやりと笑ったものだ。

「そなたがどういう仕事をするのか、だいたいわかった。……でなければ、青慧殿がハナの……竜王の護衛を依頼したりはしないだろう。……ただ、ひとつ気になっているのですが」

光麟から青慧へ視線を移したターガナーダは、白竜がこの青年を 「眷属」 と呼んだことを明かした。無論、旅の経緯を聞いた後、青年本人に問い質してはみたが、彼は何も知らないようだった。

青慧は、ああ、と頷いた。

「……そうですね……光麟は、正真の眷属といえるでしょう。無論、血の流れからいえば、彼は限りなくヒトに近いのですが……」


 隔世遺伝。

青竜王はターガナーダらには馴染みのない言葉でそう言った。

竜王の眷属とは、およそヒトが持ち得ない能力をもった存在……つまり、ヒトの形を模した異形の者たちであったのだ。彼らは竜王とともにこの地に舞い降りた者たちだった。ヒトの世界に交じりながら、ヒトとは違う思考を持つゆえに、竜王は 「守人」 として残したのである。

 永の年月のあいだ、既にその血は薄れヒトと同化してしまっているが、ときおり、こうして先祖がえりしたかのような存在が生まれるのだと――。


 「この子はよく働きますからねえ。本当は私の手元に置いておきたいくらいなんですが……ま、仕方ありません。上様から教育係を仰せつかったことですし、優秀な存在が今の貴方には何より必要でしょう。……というわけで、光麟。ローブミンドラでの活躍を祈ってますよ」

青慧は笑い、ごく簡単な挨拶をすると水華蓮へ帰っていった。




          ※




 かれがその光によって薙ぎ払った世界は、既に収縮を始めていた。

白い光の中、空間に突き立っている長剣――それにしがみつくようにして在る人影が見えた。ただ、それは既に肉体を失い、今にも霧消してしまいそうなほど弱しい光だった。

竜王はハナの姿のまま、白い紗をなびかせて青年の傍に舞い降りた。

『あ……』

竜樹は呟き、しばらく竜王を見つめたまま―――やがて、彼の頬に透明な雫が伝い落ちていった。

「久しいな、真槐(しんかい)

『竜王……来て、下さったのか……』

「我を、待っていただろう? ――はじめから」

竜王の静かな声に、竜樹――真槐は、ゆっくりと、深く頷いた。

『貴方に、お会いしたかった……そして、今度こそ、私の存在を終わらせてほしかった……。こんな、己自身さえ制することのできない、私などは……でも、やっと、私の黒い影は貴方の光で消えていった。ですから、お礼を申し上げたかったのです』

そう言って微笑む青年を、竜王はじっと見つめ、

「真槐」

『……はい』

「あの影は、滅してはおらぬ」

低い竜王の声に、竜樹は驚愕した。

 あのとき……ハナが刺されたとき凄まじい光の爆発があった。勝利を確信していた影が断末魔の絶叫を放ち、ねじれ、砂のように消えていったのを、彼は確かに見たのである。その光は城も怪物たちも、そして、竜樹の肉体をも吹き飛ばし、焼き尽くしたのだ。だから、ここは白い光しかない―――

「……なぜなら、あれもまた、そなた自身であるからだ」

『……そんな……っ! では、私は、幾度生まれ変わっても、人を殺すのですかっ……? そして、私自身、それを知らずに……』

竜樹は叫び、頭を抱えてうずくまった。

 兄・衡漢が泣きながら剣を自分に向け、自分自身さえ知らなかった数々の悪行を述べる。絶望に目の前が真っ暗になった。殺してほしかった……二度と生まれてこれないように……

 不気味な蟲が牽く車は、無数の怪物を従えて小さな集落に襲い掛かる。

耳をつんざくような悲鳴と絶叫――そして、自分の、狂笑……

 自分の胸に向けた刃が震える。死にたくないと告げる心臓。怖いと絶叫する心………

『……私は、たくさんの命を奪っておいて、自分の命を終わらせることができない、弱い人間です……。なのに……』

自分は、いつのときも生まれてきてはいけない人間だったのだとすすり泣く青年に、竜王はふっと笑った。

「弱い……? そなたが今ここにあるは如何に? あの黒い影と共にありながら、喰われもせず、今そこにそうして在るは何ぞ? ――真槐、(たが)えるな。あの存在なくしてそなたは在りえぬ。どれ一つ欠けることなく在って初めて、そなたと成りうるのだ。誰しも。……ただ、冥伏(みょうぶく)しているのみ」

冷然と言い放つ 『神』 を見つめ、青年は何度か言葉を飲み込み、恐る恐る、口にした。

『……どうやって、あれを抑えれば……』

竜王は声をたてて笑い、「自分でやっていただろう」 とだけ言った。

真槐は途方に暮れたように竜王を眺め――そのうち、竜樹のハナに対する思いに気づく。少女の屈託のない笑顔に惹かれ……化け物しかいないこんなところまで飛び込んできて……


 ――たっくんは、よく頑張ったよ


 ああ、そうか……


 気づいたとき、すとん、と胸の真ん中になにかが落ちてきた。それは重く、あたたかく、眩しいもの――。

大丈夫。これをしっかり抱いてさえいれば、もう揺らいだりしない。


 白い世界は徐々に波打ち、激しく伸縮を繰り返している。

ちら、と上空を見上げた竜王は、ごく軽い調子で訊いた。

「で、どうする?」

『……戻りたい……いえ。きっと戻ります。……あの、竜王。……兄上は……衡漢は、今でも……?』

「――無論のこと」

竜王は微笑を浮かべ、頷いた。


 竜樹は、あの日拾ったハナの赤い携帯電話を握りしめた。




          ※




 その日、あらゆる世界の光と輝きを集めたような、煌めく帯が空を駆けた。


 群青の髪の青年が、万感の思いを込めて見つめる。後方にいた数人の部下たちは、楽しそうに大きく両手を振った。


 金髪の少女とともに草原を歩いていた青年が空を見上げる。目を瞠るほどの美貌に微かな笑みが浮かんだとき、傍らの少女は嬉しそうに両手を差し伸べ、小さな碧のドラゴンに変ずると、光の帯をかすめるように飛んだ。


 三人の老人が笑いながら森を歩いている。ゴーグルをつけた一人が空を指差し、三人は子供のように跳び上がり、両手を振った。彼らの傍らを飛んでいた大鷲が高く舞い上がり、くるりと輪を描いた。


 海中から巨大な影が浮上したかと思うと、長大な体が水面から跳ね上がる。大きなしぶきをあげ、それは再び海底へと帰っていった。


 出島に停泊していた帆船の甲板で、少女が目と口を大円に開き、目に涙をいっぱいにためて両手を差し伸べる。後ろに立っていた逞しい体つきの老人が片膝をつき、敬礼で見送った。


 きらびやかな宮殿のテラスで、純白の衣を纏った貴婦人が艶やかに微笑み、挨拶するようにふわりと片手をあげた。


 純白の玉石で建造された神殿の最上階のテラス。蒼い法衣の青年神官は空色の瞳に愛おしげな光を宿し、胸に手をあてて優雅に一礼した―――



 夕焼けに西の空が染まる頃、ひとり、アパートに向かって歩いていた黒ずくめの青年が、ふと足を止めて上空を見上げた。しばらく呆気にとられていたような精悍な相貌が、やがてほころび、彼は小さく呟く。

「おかえり」 と――。




        ※

        ※

        ※




 彼は何気なくテレビのスイッチを入れた。

『――では、次のニュースです。今日未明、東京湾海上で十歳くらいの少年が海上警察に保護されました』

画面が切り替わり、港の風景が映し出され、レポーターが説明をはじめる。

 救出されたとき少年は気を失っており、すぐ病院に運ばれた。つい先ほど目を覚まし、覚えていたのは自分の名前と、ある少女の名前だけだったという。ショックによる一時的な記憶喪失のようだが、ほどなく回復するだろうということだった。警察は、少年が持っていた携帯電話から家族を割り出したという。

 彼は、しばしテレビに見入り、そして喉の奥でくつくつと笑い始めた。

「携帯電話……? ふうん……」

しばらく笑っていたが、ニュースが変わったところでスイッチを切った。ふと、玄関に目を向ける。三秒ほどしてインタホンが鳴った。

ドアを開けると、彼女が立っていた。

「亮兵! たっくんが、帰ってきた……!」

「ああ、今テレビをみた」


 エレベーターで階下に降りる間にも、ハナは興奮しきりで、不安がったり喜んだりと忙しい。とうとう彼も一言物申すことにした。

「……お前な。俺と尭さんがどれだけ心配してたか解ってんのか? 三日も爆睡したあげく、目が覚めて開口一番、何て言ったか覚えてるか? 『たっくんは?』 だぜ。なんだい、そりゃ!」

珍しく不機嫌そうな亮兵に、ハナはしゅんと項垂れる。

「ご、ごめん……」

 ――彼女は戻って来たときのことはおろか、ほとんどの記憶が抜け落ちていた。一連のことを思い出そうとしても、写真のように断片的な情景が浮かんでくるだけで……そのことでひどく気落ちしたハナを、兄の尭は、少しずつ戻ってくるよ、と慰めたのだった。

 しばし、エレベーターの稼動音だけが聞こえていたが、扉が開いたとき、彼女は 「あっ」 と声をあげ、妙齢の娘の行動とも思えないが、胸元からずるずると小さな巾着を引っ張り出した。

「あ、あのさ。いいもの見せてあげるよ! 竜の鱗! 白竜にもらったの。宝物なんだぁ」

マンションの玄関ホールを出ながら、そう言って白銀に輝く大きな鱗を嬉しそうに見せる。外はよく晴れ、燦々とふりそそぐ陽光をうけて、それはきらきらと輝いた。

それまで無表情だった亮兵の形良い眉が、ぴくりと反応した。

「……たからもの(・・・・・)……?」

ごく低い呟きはハナには届かなかったようだ。「キレイでしょ」 と言って屈託なく笑う彼女を見下ろしていた亮兵は、いきなり拳を突きつけた。

「わっ」

驚いて仰け反ったハナの目前で彼の大きな手が開かれる。と――。

掌に白銀の鱗と同じ大きさ、同じ厚みの黒いモノがのっていた。

「――っ!?」

目と口を大円に開いた彼女は声もなく、亮兵の手からそれをつまみあげた。白銀の鱗と黒いそれを並べてみても、驚いたことにまったく見劣りしない。

みごとな漆黒の、鱗。

「……何の手品?」

奇蹟のような 『黒』―――丁寧に磨かれた黒曜石と黒真珠をあわせたような、あらゆる光を含みながら、にもまして存在を主張するような虹色の黒というべきか――否。どんな言葉を連ねてみても、まだその美しさは言いあらわせない。

「綺麗……」

溜息とともに陶然と呟くハナを見て、亮兵の口元に微かな笑みが浮かぶ。

「気に入ったか?」

「うん!」

「じゃあ、やるよ」

「えっ! ホント? ホントにホントにもらっちゃうよ? 後で返せって言っても返さないよっ?」

「ああ。……ただし、他の奴にはやるなよ?」

「うん! ありがとう。大事にするね! 兄さん、見てぇ!」

ハナは大喜びで車の傍で待っている男の方へ駆けて行く。尭は精悍な顔に優しい微笑を浮かべて彼女を迎えた。


 その男は。

 いつも。

 いつもいつも。

 かの人が執着を見せる、唯一の人間―――


「……ま、気のすむまで付きあってやるさ……俺はお前の半身なんだから」

亮兵は低く呟き、ゆったりと彼らのもとへ歩いて行った。




          ∞




 宙に(こご)った気は玉。

 玉の中で渦を巻いたそれは、やがて大きく大きく膨張し、凄まじい爆発をおこす。

 巨大な光はカタチを成し 『竜』 となった。


 光のもとには影がある―――常に。


 バランス――陰と陽。生と死。光と闇。

 それは、鑑に映しだす体と影。

 それは、二律の調和。


 常にかれらは共にあり、片時も離れることはない。


 それを、『始原の竜』 とよぶ。




          ∞

 


                                           ―完―




長らくのお付き合い、本当にありがとうございました。

後半、ほとんど出番待ちの状態でしたので更新が早かったですが(笑)……お楽しみいただけましたでしょうか?


途中、コメントや評価を下さった方には心から御礼申し上げます。ありがとうございました。

(他の方の作品を拝読して感想をさしあげることが、物理的に無理な状態でしたので、評価欄を一時 取り下げさせていただきました)

最後に投稿の場をお貸しくださった管理人様には、重ねて御礼申し上げます。

本当にありがとうございました。





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