表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
虚空の鑑  作者: 直江和葉
72/73

【邂逅〔弐〕】




 (ちぇ、柄にもねえ……)

峰牙は潤んできた目をしばたいて、鼻をこすった。

ターガナーダの腹心たちがじんわりと感動に浸っている扉の向こうから、慌しい足音が聞こえ、遠慮がちなノックが響いた。

「……なんだ」

パドマバラが舌打ちせんばかりに声を低めて聞けば、裏返った悲鳴が返った。

「も、申し上げます! すっ、水華蓮国、じ、神祇庁長官、青慧様がお見えでございますっ!」

「……は?」

一同が唖然と聞き返す間もなく、その扉は無遠慮に――というよりむしろ、慌てふためいたように勢いよく開けられたのである。

「上様!」

ターガナーダ、峰牙、光麟、そしてバーダバグニにはひどく懐かしい――水華蓮の蒼い法衣を纏った糸目の神祇長官が、珍しくも大声をあげ、わき目もふらず、まっすぐ竜王のもとへ駆け寄った。

「なんだ、来たのか」

青慧は、ハナ――竜王の細い体をひったくるようにして抱きしめた。

「来たのかではありませんっ。戯れが過ぎましょう! ああっ、もう! ケガを負われたと知ったときは、この青竜、本当に心の臓が止まるかと思いましたぞ!」

「……おおげさな」

蒼い衣の中で、ハナの顔をした竜王がげんなりとつぶやく。その脇で面白くなさそうな顔をしているのは白竜だった。

だが、他の人々にとってはそれどころではない。

「せ……」

「青竜うっ?!」

一同の絶叫の中、主の小さな頭に頬擦りしていた神祇長官が、

「はい?」

にっこり笑って応えた。


 「いやもう、私ね、水華蓮で上様(このかた)にお会いしたとき、思わず抱きしめちゃいそうになりましてね。宰相や博士の手前、抑えるのに苦労したのですよ。この私がこの方を感知しないなんて、絶っ対、ありえませんからね! これは黒竜あたりが小賢しい術でもかけたのかと思ったんですけどねえ……」

青慧はここぞとばかりに、がっちりと竜王を抱え込んだまま、いつもと変わりなくにこにこ笑う。

 確かに……このひとに関しては謎が大部分を占めるにせよ、眉唾な噂も多く、千年前の肖像画が残っていたり、四十年前も今と変わらぬ姿であることが判明したりと、光麟が認識しているとおり妖怪じみた男ではあった。

だが、人々も蒼い法衣を纏う神官が、まさか小王青竜であるとは、想像だにしていなかったに違いない。一様に口をあんぐりと開けたまま、言葉もなくただただ彼を見つめているしかできなかったのである。

『黒竜といえば! あやつは何をしておったのだ! おぬしもおぬしだ、青竜! 上様のお傍にいないのでは護りの意味がなかろう!』

人々の驚愕などおかまいなしに、憤然として指を突きつけてくる白竜に、青慧はしれっと返す。

「それをいうなら、貴方こそ一体何をしてたんです? おおかた、上様が行かれるのを見越して昼寝でもしてたんでしょう」

『何を言う。我とて王のご命令どおり、あの子供を護ろうとしたぞ。したが、妙なことになっておったので、王の御意志に従うがよかろうとお待ち申しただけじゃ』

「ああそうですか。ふうん。――ところで、久しぶりですね、光麟」

青慧はおざなりに同胞へ応えてから、人々の片隅にひっそりと佇んでいる美貌の青年に笑いかけた。

「君に護衛を頼んだのは正解でしたね。ありがとう。よくこの方を守ってくれましたね」

青慧の言に、光麟は一礼を返す。そして、彼は腰に吊るしていた青い光を放つ剣をはずすと両手で支え、青慧に返した。

「幾度となく救ってもらった。感謝する、神祇長官……だが、契約を完遂することはできなかった。すまない……」

「何故です?」

小首を傾げる青慧から、その腕の中にいるハナ――竜王に視線を移し、光麟はすっと目を伏せた。

「俺は、タツキの凶刃からハナを護ることはできなかった。……それができたのは、シュリーマデビイだけだ……」

青慧はにこりと笑い、剣を受け取る。と、長剣は彼の手の中で煙のように消えた。そっと腕の中の主を覗き込む。

「こう申しておりますが、上様?」

竜王はふっと笑い、

「……ハナは一度、そなたの手を放したはずだぞ、光麟。そして、シュリーマデビイも、手放した。もとより、ハナは誰の命もタツキの犠牲にするつもりはなかったのだからな」

「だが、それでは契約を完遂したとはいえない」

生真面目に応えた青年をまじまじと見つめた竜王は、楽しげに笑いだした。

「なかなか頑固ものだな! そう四角四面にとらえずともよい。物事はそう思い通りにはゆかぬ。……ハナが護りたかった命を護りきれなかったように………」

朗らかな笑いは消え、その睫毛が影を落とす。

竜王の両手には小さな碧のドラゴンが横たわっていた。

「シュリーマデビイ……!」

ターガナーダと光麟の声が重なる。

その姿は痛々しいほどに小さく、剣の傷はその碧の鱗を朱に染めていた。だが、不思議とドラゴンの顔は安らかな、満足そうな表情で微笑を浮かべているようにも見える。

「……その身を挺して我を守ろうとし、ともに剣に貫かれた、勇敢な小さき姫……ローブミンドラの、宿命(さだめ)の娘よ――」

竜王は、その目に慈愛の光を浮かべ、掌に横たわる小さなドラゴンの身体をゆっくりと撫でた。途端、シュリーマデビイの亡骸が強い光を発し、浮上しながら幾つもの光がはじけ、くるくると回り始める。

竜王が差し伸べた手に、回転していた光は収縮してゆき、ある形を成した。

のせられた小さな白い手は、淡い金色の髪に、新緑の瞳の美しい少女のものだった。

「……シュリーマデビイ。そなたの新しい門出だ」

聞くものの心を熱くするような、慈愛の響きをもった旋律が紡がれる。

少女は宝石のような緑の瞳を煌めかせ、ハナであってハナでない者を見つめ――やがて蕾がほころぶような笑顔をみせた。




 『……それが雛か』

虚空の彼方から届いた声は、びりびりと空気を震わすほどの威力を持っていた。

客間の鏡には、鏡の前に立つものの姿ではなく、異界にいる黒竜王の姿を映し出している。深淵を思わせる漆黒の瞳は、どことなく竜王と似ていた。

「光竜です。見知り置いてやってくださいね、黒竜」

青竜の言葉に促されるように、ターガナーダは一礼する。それへ、黒竜は軽く頷いただけだった。

新王お披露目と称して異界の黒竜王を呼び出したのだが、彼の注意はほかに向けられているようだった。二人の小王に挟まれて立っている、小柄な人物を認めると、

『……あの者を迎えに行きたいと仰るか』

幾分、咎めるような色をまじえ、低く問い掛ける。竜王は鏡の前に進み出ると、こっくりと頷いた。

「うむ。……一分(いちぶ)は、我も関わっておるゆえ。……それに、あれは、おそらく待っておるだろうから……。反対か、皀羅(くりら)?」

懐かしい名を呼ばれ、黒竜はしばし主を見つめていたが、やがて、小さく吐息した。

『…………。好きになされよ』

「黒竜!」

二王の批難がましい声に、彼は一瞥をなげると、

『――ただし。この黒竜とて我が同胞(はらから)と同じく御身(おんみ)が第一。また、御身の生み出した生命(いのち)の上に派生したものどもが勝手につくりだした澱は、ひとえに因果の理法に適うもの。その後始末を御身手ずから取り除いてやる必要もないと考える。……したが、我は御身に随うもの。ご意向に反する理由もないが、万万が一、御身に事あらば須臾(しゅゆ)の程に駆けつける所存。――その際、輪廻に逆らい我が身を解放すれば、この島国は一瞬のうちに海溝に沈みましょうが……よもや、我が英明なる上首(じょうしゅ)・始原の竜王におかれましては、そのこと、お忘れではございますまいな?」

背筋をぞっとさせる、地鳴りのような声が、ことさらゆっくりと、一語一語を区切って確認してくる。

「…………忘れてはおらぬ……」

『ならば結構。心ゆくまで、存分に遊んでまいられよ』

――そして鏡は黒竜王の姿を消し、叱られた子供のように、むっつりと黙り込んだ竜王の顔を写しだしていた。

その後方で、白竜と青竜がぼそりと呟いた。

「……一国の人間を盾にとったか……」

「いつもながら、腹黒い……」







こんにちは。

いつもありがとうございます。


いよいよ。というか、やっと、というか……

はい。次回、最終回です。

どうぞお楽しみに(?)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ