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虚空の鑑  作者: 直江和葉
68/73

【皆念想造成】

 目を閉じては駄目だ!


 竜樹は己に命じ、遠のきそうになる意識を必死で引き戻した。彼の意識が揺れ動くのに反し、体に居座る影は血まみれの体を見下ろして舌打ちを洩らす。

「一体これは……」

駆けてきたハナは、従弟の胸に深々と突き立った短刀を見て蒼白になった。よろめいた体を光麟が支え、その背にかばう。

老人三人も惨状に眉をひそめ、言葉もない。

くっ、と竜樹の喉が鳴り、その唇がきゅっと吊り上る。

「……馬鹿な奴よ! 我を殺さんとして己の身に刃を突き立てたのさ! ……ぐっ……きさま、まだ……よせ……っ! ……ハナ、ちゃん、僕を刺して……竜王の、剣で…………刺せるのか?! お前の哀れな弟を、命を喰らうその剣の(にえ)とできるのか?! ……だまれ……っ、これは、僕の、体だっ! その剣で、(こいつ)を消してっ!」

竜樹の中で何度となく人格が入れ替わり、彼の、血を吐くような叫びがハナの耳を打った。

竜樹は己の中に入った影を押し込め、そうして、彼女の前に両手を広げた。心臓にはまだ短剣が立ったままで、その傷口からは鮮血が溢れている。それでも、彼は床にくずおれることなく立っていた。

ハナは蒼白のまま、剣を鞘から抜いた。白銀の眩い光があたりの闇を薙ぎ払うように走る。

「ハナ……!」

「……シュリー、下がってなさい」

光麟を制し、肩のドラゴンに言う。シュリーマデビイは大人しく光麟の肩へと移った。

剣から放たれる光に、竜樹の中に居る影はおののき、唸り声をあげる。それを必死で押さえ込み、霞んでくる目を懸命に開く。

「今までずっと辛かったね、たっくん。君はよく頑張ったよ」

ぞっとするような刃を向けられながら、ハナからもたらされたのは、優しい、あたたかな言葉だった。

一瞬、呆然としたような竜樹の双眸に、抑えきれない熱いものが溢れ、頬を流れ落ちた。

頑張った……?

僕は、頑張ってこれたのだろうか……?

「……ぼく、は……でも、何もでき、なくて……っ!」

それが、とても、辛くて……。

だが、ハナは笑った。

「私をここへ呼んだじゃない。君は、二度も、私を東京から水華蓮へ連れて来たんだよ? 結界守の婆様は、私がここへこなければ、自分たちは無事ではいられなかったって言ったんだよ? それに、さっきは私を逃がしてくれたでしょう?」

竜樹は涙を流しながら呆然と彼女を見つめた。

「僕を、許してくれるの……?」

「間違えないで。私はたっくんを殺しに来たんじゃない。迎えに来たんだからね!」

あたたかな光が胸の中に灯ったようだった。

「……ハナちゃ………あっ! ……だまれ! だまれだまれだまれえっ! こやつの体はもう死んでおるわ! ひひっ! ずたぼろの亡骸を持って帰るがいい!」

瞬時に入れ替わった影が、竜樹の胸から短刀を引き抜き、腹部めがけて刃を突き立てようとした。だが、甲高い音を立ててそれは阻まれた。

「……ひとの体を勝手に傷つけるな」

ハナの短剣が棍棒へと変わり、短剣を弾いていたのである。間髪いれず、彼女は竜樹の手首を打った。だが、影は剣を手放すことなく、魔術師のように後方へふわりと飛び退る。その間にも、影は竜樹の身に無数の傷を負わせた。それを阻むために、ハナは棍棒を振る。

「はわわ……王が……」

「光麟」

「手を出せば、あいつの気が散じる。返って危険だ……それより爺さんたち、気をつけろ。蟲が集まってきたぞ」

「なにっ?」

三人の老人は光麟に言われ、後方を振り返る。竜樹の流した血の臭いに引き寄せられたのか、ざわざわと黒い蟲が押し寄せ、床といわず壁や天井にまでも、びっしりと埋め尽くされていたのである。

「うげえ……」

サンダーがうめいたが、ふと、自分たちの周りには寄ってこないことに気付いた。

「……ひょっとして、光麟の剣が結界になっとるのかの……?」

「ん? おお、ほんとじゃ……。わしらの周りだけ蟲がおらん」

――それはつまり、彼が剣を持って動けば、三人が蟲に喰われることを意味した。なんとなれば、剣をおき、身一つで飛び出す覚悟を決める。シュリーマデビイの爪が、心なしか、強く彼の肩を掴んだ。

目の前では、己が体に突き立てようとする剣を、ハナの棍棒が阻むという奇妙な攻防が繰り返されていた。

「ふはは……そんなもので我は斃せぬぞ、衡漢王! 剣をとれ! そしてお前の弟の体へ突き刺すがいい! あの時のようにな!!」

影はここに至って初めて短剣をハナに向けた。

「……あのとき……?」

動きをとめ、怪訝そうな顔をしたハナを見やり、竜樹は三日月型の笑みを唇に浮かべた。

「思い出せぬなら話してやろう。そうとも、お前は、あの時も、我を消さんとして弟にその刃を向けたのさ!」


 国を荒らし、出没する悪鬼――それは、衡漢の弟、真槐(しんかい)だった。

常は聡明で穏やかな青年であり、村の人々の信頼も篤かった。だが、新月の夜――闇が支配するその夜、彼は変貌した。近隣の村々に出没しては悪逆の限りを尽くし、あとには血の海が広がるのみ。人々は新月の夜を恐れ、衡漢に悪鬼の退治を依頼したのである。

 その正体が己の弟であることを突き止めた彼は、嘆き哀しみ――その果てに、竜王の剣を手にする。

 そして、まったく悪鬼の記憶を持たぬ弟を連れ、海を渡り、たどり着いたのが、人の住まぬ地ホウライヌであった。訝しむ弟を、最北の、更に森の奥まで連れ、彼は真槐に剣を向けたのである。


 「……だが。衡漢は、弟可愛さに、最後の最後でとどめを刺せなかったのさ! 我は引き裂かれ、この地に封じられたが、所詮は愚かな人間どもよな。自身が封印に傷をつけ、我を自由にせしめたのだがな! 己の片割れを探すことなど、容易いことよ!」

ざらついた嘲笑が響き渡り、人々の耳に刺さる。ハナはもとより、光麟や老人達までもが呆然としたように竜樹の言葉を聞いていた。


 ――その暗黒神なるものを、人間(ヒト)である衡漢王では完全に消すことができなかった――つまり、封じ込める以外に手立てがない存在であった、ということじゃよ


 クロエが言った言葉――衡漢王がそうするしかなかったのは、彼が弟を慈しんでいたからだ。慈しんでいたからこそ、別人格の悪鬼を抱えていてさえ、殺せなかったのだ。

ハナの頬を涙が伝った。

衡漢王の再誕だと言われても、彼女の記憶にはない。だが、それでも、衡漢王が弟を殺さなかったことに、安堵し、嬉しいと思う。

愚かと言われようとも、そう思う。

「……十分だ……」

静かな呟きが彼女の唇から洩れた。

竜樹が己の手で決着をつけようとしたように、ハナもまた、決着をつけようと、決めた。そうして、ゆっくりと剣を構える。白銀の光を増したそれは、長剣へと姿を変え、ひた、と竜樹の胸に差し向けられた。

(剣よ、悪鬼を滅し、竜樹を解放したら、我が身を喰らえ――!)

ハナの足が床を蹴り、真っ直ぐ竜樹に走った。

狂ったような嘲笑をあげながら、血まみれの青年は両手を広げてハナに向かう。

「ひゃははは! 衡漢王よ、さよう、なら、だ!」

竜王の剣撃が青年の心臓を貫く直前、竜樹の体から影が踊り出た。と、横合いから飛び込んできた緑の光を視界に捕えた瞬間、ハナの胸に衝撃が走った。

キャッ

甲高い声が彼女の耳を打つ。

パリン、という陶器の割れる音が聞こえた。





          ※




 「……ぐっ……!」

くぐもった声に、峰牙は振り返った。

執務机の脇に、上官がうずくまっているのを見て仰天する。

「閣下!」

慌てて駆け寄ると、蒼白になった顔に脂汗を浮かべたターガナーダが、心臓を抑えて荒い息を吐いていた。

「……大事、ない……」

「しかし!」

「大丈夫、だ……」

何か言募っている副官の声が遠のいていく。彼の脳裏に浮かんでいたのは、独り旅立った異邦人の姿だった――。


          ※


 ひっそりとした奥神殿の一角で、陶器の割れる音が響き渡った。次いで、人々が慌てふためくような足音と声が行き交う。

「静まれ!」

香芯の声がびんと響き、神官たちはたちまち動きを止めた。

「青慧様……」

「……ああ、心配、いりません。……少し、休めば戻ります……」

いつもの穏やかな声ではあったが、その顔は蒼白となり、額には玉のような汗が浮かんでいる。

「では、しばしあちらでお休みを」

「ええ、そうさせて、いただきましょう……」

だが、私室に戻った青慧は、横にはならず、静かに目を閉じて祈りに没頭していった。


          ※


 雪は深く、空はいつ晴れるともしれぬほどに重くたれこめていた。だが、人々はそんな異常気象にも少しずつ慣れ、街にも雑踏が戻り始めている。

 人ごみの中、突然、長身の青年が胸を抑えて膝を折った。そばを歩いていた女性が 「きゃっ」 といって蹈鞴を踏み、

「あの、大丈夫ですか? 救急車、呼びましょうか?」

と彼を覗き込んだ。

黒いコートに顔をうずめるようにしていた青年が蒼白になった(おもて)をあげ、苦しげに微笑んで断ると、女性は顔を赤らめて振り返りながら立ち去って行った。

彼は荒い息を吐きながら、ゆっくりと立ち上がる。

(……ハナ……ッ!)

今は遠い地にいるひとの名を呟いた。




          ※





 ハナのバッグは床に放り出され、ポケットから携帯電話が転がり落ちた。

竜王の剣に貫かれた竜樹、刺し違えるようにして彼の短剣がハナの心臓に突き立てられていた――碧の小さなドラゴンを突き抜けて。

床に流れ落ちるのは鮮血――なのに、広がってゆくこの芳香はなんなのか?

天上の花園もかくやと思われるほどの、溢れんばかりの花香が辺りにのぼりたち、ひしめいていた蟲どもを追い散らす。

ハナは胸元に目を落とし、刃の前に身を躍らせ、自分の盾になろうとした友を見つめる。

「……シュリー……」

呟いても友は応えない。まだあたたかい小さな骸を、彼女はそっと撫でた。

愕然とする光麟と老人たちを襲ったのは、奇妙なほど長い静寂だった。

だが、それは束の間のこと――。

影が勝利に相貌を歪ませた瞬間、凄まじい光の爆発が起こった。

ギャアアアアアア!

竜樹の身体から出かかっていた影は、その光に直撃されて断末魔の絶叫を放ち、まるで焼かれるようにちぢれ、片鱗さえ残すことなく光の中に消滅させられた。

「うわっ!」

「く……っ!」

「……なにが衡漢王の再誕だ! あの女は……っ!」

光麟の叫びも途中で掻き消える。その音のない爆音の中で、青年は知らぬ声を聞いた。


 ――我が、主よ


 ハナを中心に巨大化していく光の奔流は目を焼くほどに眩しく、竜巻のごとき激しさであたりを飲み込んでいった。城の天井をぶち破ってまっすぐ天に駆けあがったそれは、同時に一切を薙ぎ払うような光の爆風を放射状に放つ。

 黒い城も、暗黒の空を飛んでいた怪物も、巨大な食虫植物も、地を這っていた大小の蟲どもも……すべては、一瞬のうちに光線の炎風に吹き飛ばされ、塵と消えていった―――。








お読みくださってありがとうございます。

完結目前……ここまでくるともうほとんど出来上がっていたので、連日となりましたがUPすることにしてしまいました。

お楽しみいただけましたら幸いです。



※覚書※

サブタイトルは、「菜根譚」の「人生福境禍区 皆念想造成」よりとりました。

(人生の福境禍区は、皆念想より造成す)


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