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虚空の鑑  作者: 直江和葉
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【深谿〔壱〕】

 水華蓮国神祇庁奥神殿――神祇長官官長・青慧をはじめとする、神祇庁の頭脳中枢ともいうべきここには、水華蓮国の建国以来、自国は当然のこと、各国の国家機密(トップシークレット)に関する書物・書類が保管されている。無論、奥神殿に仕える神官とて、それら重要書類を見ることができるのはごく限られた、青慧の信頼を得た副官数人に限られる。

 ――であるから、今、彼が手にしている書物は(奥神殿に勤めるものならば)ごく当然の、ありふれたものであることはいうまでもない。

だが、彼は目にしたその事実に驚倒し、何度も何度も確認せずにはおられなかった。

雪羅(せつら)、そちらの整理は終わったか?」

書架のむこうから、上官が顔を覗かせる。そして、いまだ半分も片付いていない卓の上を見て渋面をつくった。

「も、申し訳ございませんっ!」

雪羅は赤面し、大慌てで書物をまとめると、書架に戻していった。

「急げ。次にいくぞ」

「はい。申し訳ございません! ……あのう、旺明(おうみん)様、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

雪羅は前を歩く上官を追いながら問い掛ける。なんだ、という応えにほっとしながら、どうしても気になっていたことを口にした。

「あの……我が国の初代の王は、二人いたのですか?」

先ほどの書物には、暗黒神を倒した衡漢の志を継ぎ、国を治めたのは彼の弟だったと記されていたのである。衡漢は暗黒世界からもどってほどなく、病死した。彼が早すぎる死を迎えたのは、竜王から賜った剣に気を喰われたためなのだと――。

 衡漢王に関しては、どうしても過敏にならざるをえない雪羅である。なぜなら、衡漢王の再誕といわれた、かの異邦人が賊の手にかかって殺されたのは、自分の過失によるものだったのだから……。官長には気にせぬよう言われたが、そう簡単に思い切れるものではない。だから彼は毎日、あの異邦人の冥福を祈っていた。

「そんなことか。……お前、書庫に入ったのは初めてか? ……ああ、なるほど」

旺明はちらりと雪羅を振り向き、あっさりと肯定した。

「……それは、世間では知られてはいないことだがな。……真偽が定かでない? さて、それはどうかな。あの原本は青慧様の御蔵書の中に存在するらしいぞ。その写しがあそこに納められている。尤も、何十年かに一度行われる写本の折に、間抜けな神官が写し間違いをして、三度の確認からも見落されていれば、不実だがな」

奥神殿の写本――それに関しては、物欲に目がくらんでいた幾代か前の神祇官長の時でさえ、厳しい体制のもとで行われていたらしい。

ならば――

「……では、衡漢王と名乗ってこの国の礎を築いたのは……」

「そうだ。衡漢王の弟、真槐(しんかい)、ということになる」



          ※



 焼けた野原を月が煌々と照らす。

封印を解くために来た数人の村人――盾を動かすのは二人の青年、うち一人はエヴァンゲロスの護衛であり、他数人は開けられた入り口から出てくる魔物を消滅させるための人員である。

人々が不安げに見守る中、光麟は淡々として着物に仕込んだ武器を確認していく。役に立たないことはわかっているが、あれば時間稼ぎになる。持っておいて損はないだろう。

そして、ふと眉を顰めて左手の篭手(こて)に触れ………長い指に挟まれていたのは、青石が嵌め込まれた美しい小柄だった。

「これは……」


 ――これを持っていなさい。いずれ必要になる時がくるでしょうから


 蒼い法衣の貴人が穏やかな声で告げる。

武器はあると言った自分に、水華蓮の神祇長官はわずかに憐れみを含んだ微笑で首を振り、言った。

「貴方は、人間の世界に行くのではないのですよ」

彼が持っている剣やその他の武器は役に立たないのだと、青慧は暗に告げる。

そうして受け取った小柄を、篭手に仕込んだのだったが……


 「……忘れていた……」

光麟は小さく呟き、再び小柄を篭手に差し込んだ。

こんな小さなものがどれほど役に立つか解らないが、あの妖怪じみた神祇長官の言葉だ。従っておくにこしたことはない。

「光麟さん、これでいいですか」

村の男が一本の松明を差し出した。

「十分だ。感謝する」

光麟は頷き、それを受け取った。

大切なひとの気配を感じ取ったものか、肩に乗っていたシュリーマデビイが嬉しそうに鳴いて炎に鼻を近づける。そして、光麟の腕を伝って降りると、青年に向けて一声鳴いた。彼はシュリーマデビイに松明を近づけてやった。シュリーマデビイは大喜びで口をあけ、炎をぱくりと食べた。

村人たちはぎょっとしたように目を剥き、まじまじと小さなドラゴンを見つめる。シュリーマデビイは満足そうに金色の目を細めると、『けぷっ』と小さな炎を吐き出した。

シュリーマデビイが齧ったところで炎が減じるわけもない。太い松明の先には、銀色が混じる炎――竜王の剣が生み出した炎が燃えていた。

 光麟がここへ走り戻ったとき、真っ先にしたのが火種を見つけることだったのである。それもハナがおこしていった、竜王の剣から放たれた炎でなくてはならない。シュリーマデビイの力も借りて、たった一つだけ燻っていた木を見つけた。今にも消えかかりそうなそれに、光麟はシュリーマデビイに火を吹かせ、炎を立ち上がらせた。あとから駆けて来た人々も手伝い、火を消さないように大急ぎで移し替えたのである。

 いま、その炎は大きな火櫓であかあかと燃えていた。腐毒を一掃した炎である。村にとっては大きな守りとなり、剣を持たぬ光麟にとっては、唯一の武器であった。

「では、頼む」

光麟の言葉に、青年二人は頷き、封印の盾に手を掛けた。

「おおい、待ってくれぇい!」

後方から声が聞こえ、人々が振り向くと三人の老人が旅支度で駆けてくる。ハナが称すところの3G(さんじい)、ムラト、ゲオルゲ、サンダーであった。

「美青年! わしらも一緒に行くぞい!」

ゴーグルの老人、サンダーが勇ましく声をあげた。

「……冗談だろ……」

光麟が低く呟いたのも無理はない。いくら元気がいいといったところで老人である。土壇場でぎっくり腰でもおこされたのではかなわない。

老人たちは狩りに使う短刀や弓を持ち、櫓から松明をふんだくると、揚々として光麟の前に駆けて来た。

「……じいさん。町へ旅に行くんじゃないぞ」

これ以上ない渋面を作った光麟に、

「心配するな、美青年。お前さんに迷惑をかけるようなことはせんさ!」

「わしらのことは、ほっといてもらってかまわんぞい。後ろから着いていくんで、安心してやじさんのとこまで行っておくれ」

サンダーとゲオルゲの言に、眩暈を起こしかけた青年に、ムラトが追い討ちをかける。

「お前さんが契約で暗黒世界に入るなら、わしらは結界守の勤めとして入る。なに、どうせ老い先短いじじいどもだ。惜しむものもない。見るべきは見つ、と言いたいところじゃが、わしらが唯一見ておらんのが、ココだ」

「というわけでの。わしらはわしらの都合で、つ・い・で・に入るんであって、お前さんの仕事を邪魔しようとは思っちゃおらんよ」

「……まあ、もう少し勝手を言わせてもらえば、ゆっくり走ってくれると、わしらも追いやすいんじゃがの」

無敵の老人を前に、さすがの光麟も二の句が継げず、呆れ果てるばかりだった。老人達の後ろにいた村人らは、言っても無駄だと、青年に首を振ってみせた。

「勝手にしろ」

しばしの沈黙のあと、青年は眉間に縦皺を刻んだまま、唸るように言った。

封印の盾がゆっくりとずらされる。

隙間から這い出そうとした蟲が、熱に触れたように慌てて闇の中に戻って行った。それを見た人々は、だれからということもなく松明を持ち、火櫓から火を移すと掲げはじめる。

人ひとりが通れるほどの闇が口をあけた。だが、竜王の炎を恐れてか、闇から飛び出してくるものはなかった。

「シュリーマデビイ、離れるな」

光麟が肩のドラゴンに呟くと、シュリーマデビイは青年の襟元にもぐりこみ、ぴたりと寄り添った。そして、彼は松明を前方に掲げると、慎重に闇の中に足を踏み入れた。サンダーが同じように進み、ゲオルゲ、ムラトが続く。

「盾を戻せ!」

闇の中から届いた声に、村の青年二人は、封印の盾を元の位置に戻した。

人々はしばらく、粛然と四人が消えた盾のむこうを見つめていたのだった。




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