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虚空の鑑  作者: 直江和葉
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【破〔弐〕】

 

「ハナ様!」

藍華が悲鳴をあげる。その視線を追って、彼女は絶句した。

いまや、盾の結界が崩れそうなほどに 『闇』 が膨れ上がっていたのである。それに気を取られた隙をついて、魔蟲は藍華に向かって飛び掛った。

「藍華!」

それより一瞬早く、光麟が魔蟲を剣で切りつけようとした。だが、傷をつけるどころか、彼の剣は魔蟲に触れたことであっという間に腐敗した。蟲は剣を取り込むために動きを止めたが、瞬時に攻撃に転ずる。

「ちっ!」

光麟は舌打し、少女を抱きかかえて跳躍した。飛びつくように駆け寄ったハナは、魔蟲を切り飛ばし、一片を消滅させた。その衝撃にぶるぶると震えたそれは、だが、捕食の本能のみで生きているのか、ゆるりと迂回をはじめる。その様は、見る者に言い知れない恐怖をおこさせた。背筋を伝う冷たい汗を感じながら、ハナは今一度、大きく息を吸った。

「消えろ!」

彼女は叫び、魔蟲の真上から剣を突き立てる。

声は力となって剣に現れた。白銀の光を発しながら、短剣は長剣へと姿を変え、深々と魔蟲を刺し貫き、一瞬にして白銀の炎に変えた。

荒い息を何度か繰り返し、ハナは少女のほうに駆け寄った。

「藍華!」

少女の顔は蒼白になり、汗が噴きだしていた。

「……さっきのがかすめたらしい」

光麟はそう言って少女の足を示す。破れた(ズボン)の裾も、覗いた素肌も黒ずんでいる。それはじくじくと少女の衣服はおろか、肌を蝕んでいくようだった。

シュリーマデビイが心配そうに鳴く。ハナは血の気の失せた顔で、それを凝視していたが、ふと思いついて剣を抜いた。

「おい……」

「切るんじゃないよ……でも、毒が消せるかもしれない。……藍華、痛いかもしれないけど、頑張って」

少女に囁き、ハナはゆっくりと剣の腹を少女の足にあてた。

そして、剣に命じる――少女の体から腐毒を吸い出し、消滅せよ、と。

白銀の光が飛び散ると同時、藍華は悲鳴をあげた。汗はいまだ吹き出たままだったが、土気色になっていた顔色がみるみるおさまっていき、呼吸もゆるやかなものに変わっていった。

ほっと一息をついたのも束の間、異様な感覚に振り返る。

盾は震え、暗黒世界からなだれ込んできた魔物は地を揺るがさんばかり……。

ハナはすっくと立ち上がった。

「光麟、あの人と藍華を連れて帰って」

「……一人でどうしようというんだ」

光麟の言葉には答えず、ハナは繰り返した。

「連れて帰って。藍華の傷の手当てをして」

「……嫌だと言ったら」

青年の言葉に、ハナはこちらを振り返った。その目に浮かぶ光に、光麟が小さく震えたことにも気付かず、ハナはいっそ、やさしいとさえ言える微笑を浮かべた。

「光麟。さっき見たでしょ。あれには、普通の剣が、効かないってことだよ」

それでも青年は頷こうとしなかった。

「光麟、お願いだから!」

ハナは青年の腕を掴み、訴える。青年の美貌に、一瞬だけ苦渋が満ちた。だが、彼は低い、低い声で呟いた。

「……すぐ戻る。間違っても一人で行くな」

ハナは破顔して頷く。

「あてにしてるよ」

その言葉に、青年は恨めしげな視線を投げつけると、気を失っている少女をかつぎあげ、呆然としたままの村の青年に言った。

「村まで走れ!」

厳しい声に、青年は叩かれたようにまばたき、一瞬、ハナに目を走らせたが怒りに目を爛々とさせている美貌の青年を見るや、飛ぶように駆け出した。

(……あとは、頼むよ、光麟)

心中で呟き、彼らを見送ったハナは、剣を握りしめた。

途端、長剣は光を発し、さらに変化した。その凄まじい光は、結界のあちらに群がる魔蟲をひるませ、盾を突き崩しかねない有り様だったそれらは、みるからに動揺し、おしあいへしあいして危険な光から逃れようとした。

手に吸い付くように馴染む剣は、巨大化しても彼女になんの痛痒も与えなかった。それどころか、己の力を十分に発揮できることに喜んでいるようにさえ見える。

ハナは小さく笑うと、盾に向かって歩きながら長大な剣を一閃した。

「そこをどけ!」


 轟!


 剣から発せられた光が突風のように走り、盾を突き抜けて魔蟲を一瞬のうちに白い炎にかえた。

生き残った蟲どもは大騒ぎをし、方向転換して安全な闇へと退散していく。

盾に手を掛けたとき、その闇の中から若い男の声が聞こえた。

「あーあ。乱暴だなあ、ハナちゃんは。元気がよすぎだよ……昔からね」

ぐしゅり、と逃げ惑う蟲を躊躇もなく踏み潰しながら、一人の青年が現れた。

「やあ。久しぶりだね、ハナちゃん。来てくれて嬉しいよ」

ハナは目を見開いて青年を見つめた。

年のころはハナと同じくらい。はかなく頼りなげで、優しげなその顔は、十年前にいなくなった竜樹そのひとに間違いなかった。

黒い鎧に身を包んだ青年は、やわらかな微笑を浮かべ、ハナに手を差しのべた。

「た……」

口を開きかけたハナを押し止めたのは、長大な剣と胸にかかる白銀の鱗の、痛いほどの熱だった。


 ――その青年の魂は食われておるかもしれぬことを、忘れぬことじゃ


 水華蓮の博士の言葉が脳裏をよぎる。

「どうしたの? こっちへおいでよ……たくさん話したいことがあるんだ。ねえ、お母さんとお父さんは元気?」

竜樹はやわらかな笑みを浮かべてハナを手招きした。そして、ふと彼女の肩にとまっている小さなドラゴンを見止め、笑った。

「それ、なあに? ハナちゃんのペット? 竜の国の皇子様からもらったの?」

ハナは、彼がちろりと唇を舐めた一瞬を見逃さなかった。

「おじさんとおばさんは元気だよ。……この子はペットじゃない。友達」

剣と鱗は、ますます警戒を訴えてくる。ハナは一瞬、目を伏せ、言った。

「……行ってもいいけど、この蟲なんとかして。私、嫌いなの」

「ああ、これ? ごめんね、気付かなくて」

竜樹はシュリーマデビイに視線を据えたまま、唇の端を吊り上げて笑い、無造作に片手を振り払う仕草をした。

――それまで。

おぞましく蠢いていた黒い魔蟲たちは、一瞬のうちに押し潰された。プレスされたように、真っ直ぐに。

ハナは、理解した。

彼はもう、どこにもいないのだと……。

あって欲しくない可能性が、証明されたのだ。

瞑目したのち、彼女ははじめて心でシュリーマデビイに語りかけた。

すぐさまここを離れ、水華蓮に帰れ、と。

『イヤ!』

思いがけなく、少女の声で返答が返ってきた。

ああ、この子はやっぱり女の子なのだ、と妙に微笑ましく思う。

「……ねえ、ハナちゃん。僕もそれ、欲しいな……」

竜樹がねっとりとした声を出した。目はドラゴンに釘付けになったままである。肩にいるシュリーマデビイが、小さく震えて彼女にしがみついた。

「美味しそう?」

「うん」

無意識だったのだろう。不意に問い掛けたハナの問いに、竜樹は頷いた。

「残念だけど、キミにはあげられないよ!」

言うや、ハナはシュリーマデビイを掴むと、空へ高く放り上げた。

黒い手がドラゴンを掴まえようと勢いよく伸ばされる。ハナは剣を一閃し、その不気味な触手を叩き切った。

シュリーマデビイはこちらへ戻ろうと空を旋回していたが、伸びてくる黒い手に阻まれ、近づけなかった。

悔しげな顔の青年を見、ハナは不敵に笑ってみせた。

「さ、行こうか。私がここへ送った白竜はどこ?」

そして、盾を掴むとそのまま歩き始める。

「ハナちゃん、なんでそんなことするの? 入ってくればいいのに……」

「うん。これをもとの位置に戻しとかなきゃ」

竜樹は後退りながら、それでも 【竜樹の表情】 を崩さない。いっそのこと、本性をあらわしてくれれば、やりやすいものを。

ハナはずんずん進み、そして、暗黒世界の一歩手前までたどりついた。

森は押し潰された魔蟲が敷き詰められていたが、プレスを免れた植物は腐りかけのままだった。

ハナは盾を持ったまま、振り返りながら長剣を薙いだ。

勢いよく燃え上がる腐った森――白銀の炎は高く駆け上がり、毒に侵された大地を灰に変えていく。

「……ホントに、元気だね、ハナちゃんは」

竜樹は暗黒の入り口に立って、嗤った。


 再び、盾はもとの位置におさまり、開いていた黒い口は異邦人を飲み込んで閉ざされた。

シュリーマデビイの哀しげな、悲鳴にもにた鳴き声が空に響きわたった。








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