【愚連隊〔壱〕】
※※※愚連隊
「――え?」
呟き、ハナは後ろを振り返った。
「どうかなさいましたか、ハナ様?」
「あ。ううん。なんか、声が聞こえたような気がして……」
怪訝そうに小首を傾げる藍華に、ハナは笑って首を振った。
馬車の車輪の音と、傍らを走る車の音で、たとえ後方から大声で呼びかけられても幌の中にいるハナたちには聞こえるはずもなかったろう。
しかも、その声はひどく懐かしいような気がして……。
宿屋を出て次の街に向かう一行を、宿屋の主人は勿論、ジャンケン大会に参加した人々までもが見送ってくれた。
思いがけない 『お祭り』 は妙な連帯感を生んだらしく、守人たちと固く手を握る町の男たちやら、すっかり保護者のようなアイオリア・ガナの目を盗んで藍華に花を差し出す若者やら……遠巻きにこちらを見ている若い娘たちの姿を目ざとく見つけたハナが、
「あ。あそこにいる娘さんたち、光麟にお別れを言いたいんじゃない?」
そう言って傍らにいる美貌の青年を見上げると、光麟は不機嫌そうな顔をした。
「知り合ったわけでもないのに、わざわざ別れを惜しむ必要はないだろう。どうでもいいが、いい加減に出発しないと日が暮れるぞ。さっさと馬車に乗れ」
「……はあい」
肩をすくめて荷台に手をかけたハナを、光麟はひょいと抱き上げて彼女を中に放り込んだ。途端、遠くで黄色い声があがる。
「……光麟、今の、あの子たちへのあてつけだろ。意地が悪いぞ、君」
渋面を作って青年を睨んでやると、彼はにやりと笑ってみせた。
「あてつけ? 何ならついでに口づけでもしてやろうか?」
「シュリーに噛みつかれてもいいならね」
「……それはご免こうむる」
これ見よがしに小さな牙を剥いて口を開けたドラゴンを一瞥し、光麟は肩をすくめると幌の幕を引き下ろした。
(勝った)
幌の中、ハナはシュリーマデビイと顔を見合わせてガッツポーズをとった。
そしてほどなく、彼らは北の森に向かって出発したのである。
幌を持ち上げて見ると、通ってきた草原が広がっており、町の影は完全に視界から消えていた。
その風景をぼんやりと眺めているハナの横顔を見ていた藍華が、ふいにくすりと笑った。
「ん? なに?」
「とうとう、あの方たち、ハナ様にお別れも言えませんでしたわ」
不思議そうに首を傾げた女に、藍華はくすくす笑った。
ハナはまったく気付かなかったのだが、どうやら藍華や光麟同様、珍しい異国の女に興味を示す連中がいたらしい。
「無理もありませんわね。だって、光麟が番犬みたいにくっついてるんですもの。ちょっと彼に面と向かって 『邪魔だ』 とは、言えないでしょう?」
……確かに、あの美貌を前にして言うにはちょっと勇気が要る、かもしれない。
思えば、自分と光麟には人が群がることはなかった。それはお互いの存在がうまく作用していたということなのだろう。おそらく、光麟が自分の傍らから離れなかったのは、それを見越しての行動であったに違いない。
「……ま、持ちつ持たれつ、ってやつだね」
肩をすくめてあっさり言ったハナに、藍華は苦笑しただけだった。
『俺は傍において置け。役に立つ』
その言葉がどれほど嬉しく、心強く思ったか、彼は知らないだろう。
彼は、ハナが行く暗黒世界の先まで行くよう依頼を受けたという。たとえ水華蓮に戻ったとしても、組織によって殺されるのだと……。
光麟だけでなく、藍華やアイオリア・ガナに対しても、ハナはどれほどありがたく思っているか。依頼であろうとなかろうと、不安と危険しかない暗黒世界へ、一緒に行こうと言ってくれる人々――だが、だからこそ、待つ人がいる藍華やアイオリア・ガナ同様、ハナは光麟も死なせるつもりはなかった。水華蓮に戻れぬというなら、ホウライヌでもどこでも、生きていける場所で生きていけばいいだけだ。
問題は、口でも技倆でもかなわない青年をどうやって納得させるかなのだが……。
(彼が一番手強そうで、けっこう難問なんだな、これが……)
ハナはこっそり溜息を洩らした。
地図上で見れば、最後の街についたのは日もとっぷり暮れた頃だった。
石造りの建物が密集するように建っており、馬車はともかく結界守の巨大な車は街に入れそうもない。仕方なく、車は街の外に置くことにし、馬車に乗って一行は宿を探し始めた。
旅人が珍しいのか、通りを歩く人々はじろじろと眺める。通りの両脇に並ぶ酒場からは女の嬌声や、怒号のような笑い声が響いていた。
呼び込みに立っていた女達は、アイオリア・ガナと光麟を見ると目の色を変える。鼻を鳴らして擦り寄ろうとするそれらをすげなく一蹴し、馬車を進めていたが、その脇を歩いていた男が、御者台のアイオリア・ガナに言った。
「あんたら、旅の人かい? 悪いこた言わねえ。さっさとここは通り抜けたほうがいいぞ」
「この先にマシな宿がある。そこまで行くといい」
隣の男も声を落としてそう告げた。
「そうか。かたじけない」
アイオリア・ガナは礼を言って頭をさげた。
「……さて、どうやらあんまり安心できる街じゃなさそうだな」
小さく独りごちたアイオリア・ガナに、隣に座っていた光麟が頷いた。そうして馬車を急がせようとしたとき、路地からばらばらと数人の男たちが立ちはだかった。
通行人は怯えたように脇によけ、手近な店に逃げ込んでいく。
馬車の前に並んだのは、いかにも悪党といった面構えの男たちである。にやにやと嫌な笑いを口元に浮かべ、こちらを物色するように眺めまわした。
「ようこそ、旅人さん。この先はなーんにもないぜ。俺たちがい〜い宿を紹介してやるよ」
「ひょうっ! 見ろよ! すっげえ別嬪が乗ってるぜ!」
どっと冷やかしの嘲笑が沸きあがる。
ハナは幌から飛び出そうとした三人の結界守たちを押し止め、左手に剣を握った。藍華はいつでも飛び出せるよう静かに身構えている。結界守たちも頷き、そしてそれぞれが耳をすませ行動を起こせるように態勢を整えた。
路地から出てきた男たちは一方だけでなく、馬車の後方にも現れたようだった。
御者台で、すばやく目を見交わしたアイオリア・ガナと光麟は、瞬時に役割を決めたらしい。
「ご厚意は感謝するが、先を急ぐ。そこをどいてもらおう」
落ち着き払ったアイオリア・ガナの低い声が朗々と響いた。
「そんなわけにゃ、いかねえよ。どうしても通るってんなら、通行料を払って行きな!」
「あいにく、そんな金はもちあわせておらんのでな」
そう言ってアイオリア・ガナはゆっくりと御者台を降り立つ。鍛え上げられたその長身は、立ち並ぶ男たちを少なからずぎょっとさせたようだった。
リーダー格らしき男は、後退りかけた足をなんとか踏み止めた。こちらは十人近い人数だ。それに馬車の後方にも複数の仲間がいる。どうしたところで相手に勝ち目はない。
馬車から降りたのを幸い、彼らは銀髪の男を半円に取り囲んだ。
「……この人数相手にやろうってのか?」
「そうだな。仕方あるまい。お手柔らかに頼む」
なおも。相手は動揺するどころか、穏やかな笑みを浮かべている。それが癪に障ったらしい。男は黄色い歯を剥き出した。
「ぶっ殺せ!」
号令に、賊は一斉にアイオリア・ガナに襲いかかった。
その声が合図と、後方に陣取っていた賊も馬車に襲いかかった。だが、第一陣が幌に手を掛ける間もなく、上から降ってきた黒い影に弾き飛ばされた。
「なにっ?!」
蹈鞴を踏んだ賊の前に、御者台に座っていたはずの青年が立ち塞がった。信じられないほどの美貌に生唾を飲むものまでいる。だが、それも一瞬のこと。
黒い突風が駆け抜けたと見えたときには、十人近い賊はすべて地に倒れていた。
「な、何が起こったんじゃ……?」
幌の隙間から覗いていた結界守と藍華は、唖然としたようにその光景を見た。一度、その光景を見たことがあるハナは、彼らの後ろで様子を覗っていたが、青年が気絶させただけに止めたのを確認して、ほっと胸を撫で下ろした。
「……よかった、手加減してくれて」
「え?」
「長のほうも終わったかな」
前方の幕の隙間から覗くと、アイオリア・ガナのほうも一人を除いて全員が突っ伏している有り様だった。
「何と言うか……いやはや」
「すごいのう……」
ムラトが呆れたように呟き、ゲオルゲが感心しきりに頷く。
と、前方から女の怒声が響き渡った。
「あんたら、何やってんだい!」
アイオリア・ガナと対峙していた男は、ちっと舌打ちして路地に逃げ込んでいく。女と供にいた男のうちの一人がそれを追って路地に飛び込んでいった。
駆けてきたのは三十なかばと見られる、赤毛の女だった。
「あんたたち、大丈夫かい……って、なんとまあ……。これ、あんたが一人でやっつけたのかい?」
女はアイオリア・ガナの足元に転がっている賊を眺め回し、苦笑した。そして、後ろに控えていた男たちに合図すると、彼らは二手に分かれ、賊どもを片っ端から縛り上げていく。後方に回った男たちからどよめきが洩れる。
「どうしたんだい!?」
「姐さん、こっちも全部片付いてますよ!」
馬車の向こう側から面白そうな声が返る。女は、「へえ」 と呟き、銀髪の男を上から下まで眺めた。
「ただの旅人ってわけじゃなさそうだねえ……。まあ、いいや。あたしはこの先の自警団にいるマサキっていうんだ。通報を受けて来たんだけど、要らなかったみたいだね」
そう言って笑ったマサキは、そろそろと幕から顔を覗かせたハナと目が合い、にこりと目元をほころばせた。
女は長身で、赤い髪は一つに束ねている。水華蓮の守人の一族、デルフィニアに匹敵するほどの見事なプロポーションである。ふっくらとした厚みのある唇が妖艶だった。
「うっわあ、いい女」
思わず洩らしたハナの呟きに、マサキは、あはは、と笑った。
「お褒めにあずかり恐悦だわね。ま、とりあえず、いつまでもこんなとこにいちゃ危ないよ。後のことは奴らにまかせて、あたしについてきな」
そう言って、女はさっさと踵を返した。




