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虚空の鑑  作者: 直江和葉
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【帰還〔壱〕】

 ターガナーダと峰牙は、神殿の奥にあるローブミンドラ王国への扉を開けた。

「青慧殿、あとはよろしくお願いします」

「はい。宰相もどうかお気をつけて。くれぐれも油断なさらぬよう」

ターガナーダは青慧とその後ろに控えている香芯に一礼し、扉をくぐった。それに倣って峰牙も踵をかえす。とたん、素っ頓狂な男の声があがった。うるさいぞ、という宰相の静かな声に、ぶつくさと文句を返していたが、やがてそのやりとりも小さく消えていった。

しばらく、扉を見つめたままの青慧に、香芯はそっと声をかけた。

「……行きましょう」

青慧は頷き、香芯とともに部屋を出て行った。


 耳が痛いほどの静寂に包まれているその通路は、巨大な星の渦と、尾を引きながら飛んでくる星と、宝石をちりばめたように瞬く色彩の祭典を見るようだった。

かつて、さまざまな思いを抱いてここを行き来してきたターガナーダだったが、星が過ぎっていくたびに頓狂な声をあげ、これはなんだ、あれはどうだと声をかけてくる副官に、

「……峰牙。少しは黙っていられないのか」

「黙ってたら頭がおかしくなりますっ!」

上官の袖をしっかり握りしめて、憤然として返ってきた言葉に思わず吹き出した。それでも、しばらく飛んでいるうちに慣れてきたのだろう。峰牙は辺りを珍しそうに眺めはじめた。

やがて、白い光の輪が見え始める。

「峰牙、着いたぞ」

言ったと同時、ターガナーダはあの浮遊感をすり抜け、すとんと地に着地した。

「おっ」

峰牙はつんのめるようにして蹈鞴を踏んだ。

冷たく、硬い石の感触。刺すような冷気に顔をあげると、石柱の立ち並ぶ広間が目に入った。薄暗く、高い天井は黒い空気が淀んで覆い被さってくるようだ。

しんと静まり返ったそこは、どう見ても神殿のようであったが、神官の姿さえない。

「……閣下、ここは……?」

「ローブミンドラの奥神殿だ。急ごう。神官に見つかっては面倒だ」

ターガナーダは低い声で告げると、身を翻した。神殿に出ておいて神官に見つかっては面倒などとは、えらく矛盾していると思ったが、峰牙は何も言わず上官について行った。

 奇妙なところだった。

これほどの巨大な神殿であれば、奥殿であろうとも数十人の神官がいてもおかしくはない。だが、どこもかしこも人っ子ひとり見当たらず、灯火もない。――というよりも、人が出入りした気配がないのである。長いあいだ忘れ去られ、打ち捨てられた建物が持つ、あの寒々しい不気味な気配に押し包まれているようだった。

外に出ると濃い霧が乳を流したように視界を塞ぎ、すぐ背後の神殿さえも白く溶けこんでしまう。

「……こいつぁ、また……」

思わず呟いた峰牙の腕を掴み、はぐれるな、とターガナーダが先を促す。その数歩先さえわからない霧の中を、彼はしっかりとした足取りで歩き、やがて、二人の前に円柱の塔が姿をあらわした。

 気配を探るように塔へ注意を向けるターガナーダと背中合わせに、峰牙は霧の中の気配を探る。鳥の声も虫の音も聞こえず、まるで霧の中で死に絶えたような静寂があるだけだった。

扉がきしむ音がし、はっと息を飲むような気配に、峰牙は振り返った。ターガナーダは、副官の注意にも頓着せず、ぽっかりと黒い口をあけた塔の中へ足を踏み入れた。扉を閉めると真っ暗闇となったが、ほどなくランプが灯り、峰牙は目をしばしばさせた。

中は本が散乱し、テーブルや椅子までもがひっくり返っていた。石造りの壁がぐるりを囲み、書棚が並んでいる。壁際に作られた階段にも、本が放り投げられたようなかっこうで引っ掛かっているところを見ると、上の階も同じような惨状であろうことがうかがえた。

ターガナーダはランプをテーブルに置いたまま、奥の部屋へ移動する。そこもまた真っ暗闇で何があるのかまるで見えなかった。だが、彼はどこにもぶつかることなく、すたすたと闇の中を歩いていく。

「……閣下、ひょっとして見えるんですか?」

怪訝そうに訊いた峰牙に、見える、と短い応えが返ってきた。一体どういう目玉になってるんだと、首を捻りながら着いて行った彼の前に、今度は壁が口をあけていた。どうやら地下へ続く階段のようだった。上官はすでに闇の中に姿を消しており、峰牙は仕方なくランプを持ってきて後を追った。

続いていた階段が途切れ、地下は二階までと思われた。だが、上官の呼ぶ声が下から聞こえ、視線をめぐらすと階段とは反対方向の床に階下へ繋がる階段があった。

 地下三階に降り立った二人の前に現れたのは、文書館官長、前水華蓮国宰相のバーダバグニであった。

「遅くなってすまない、バーダバグニ」

「ご帰国をお待ちしておりました、皇子。さ、どうぞ」

彼は少し憔悴の色を見せてはいたが、にっこりと笑みを浮かべ、二人の青年を部屋へ迎え入れた。


 国王と神官長を軟禁したあと、武官長パドマバラは文書館を訪れ、ターガナーダを呼び戻すための方策を相談に来た。

それがバーダバグニを人質にするというものだった。当然、皇子はこれを茶番だと思うだろう。同時にこちらの意図も伝わるはずだと――。

 当初、バーダバグニは皇子の帰国に難色を示した。追い出すように水華蓮へ送り出しておいて、皇子の預かり知らぬところで荒れた王国に、手前勝手な義務を押し付けて呼び戻すのか。ローブミンドラの執政官らは能無しよと水華蓮の女王にも笑われよう、と。

バーダバグニの言葉に、武官長は苦渋に満ちた表情を浮かべた。

「……わかっておる。だが、あれではいかん。狂った王の代理を文官に委ねても派閥争いが起こる体たらく、穀倉ひとつ開けるにも権限がどうのと言い出す始末だ。このまま手をこまねいていれば、この国は滅ぶ。お前はここに軟禁されておるゆえ、城下に下りてはおらんだろう。今、もっとも命の危険にさらされているのは王や貴族ではない。民なのだ」

皇子の叱責も嘲笑も、すべて我が身が引き受けよう。おぬしの腹立ちもわからぬではない。だが、そこを曲げて皇子の帰還を水華蓮へ伝えて欲しい。伏してお願いする――。

 我が国の現状を知り、親友に頭を下げられたバーダバグニは、それから人の目を盗むようにして神殿におもむき、水華蓮の青慧へ宛て、皇子の帰国を願い出たのである。それから数日後、誰かに姿を見られたのだろう。国王の近衛隊がバーダバグニを捕らえに文書館へ押し入った。だが折りよく、この地下三階でパドマバラと密会をしており、囚われずにすんだのであった。


 「……わたくしは今、逃亡したことになっておりますので、外へ出るのも難しく……今日お戻りくださり、肩の荷がおりました。ああ、そう、わたくしが水華蓮へ願い出たのとちょうど時を同じくして、神官から皇女の身柄を引き渡せというような申請があったそうでございますね……」

バーダバグニは微笑しながらターガナーダを見た。

「ああ。あれは、城を出た」

茶を飲みながら、ターガナーダはさらりと答える。バーダバグニの目が驚愕に見開かれた。

「なんですと?」

そこで初めて、ターガナーダは水華蓮の動きと、異邦人のことを語った。

「暗黒世界へ……?」

「そうだ。その旅にあれも着いていった。何を言ってもハナから離れようとせぬ。王城から一歩も出られぬという決め事があったのは知っていたが、こちらの神官からのふざけた通達もあったことだしな。あれの勝手にさせておいた」

淡々と言ったターガナーダを凝視していたバーダバグニは、ほとんど呆然としたように小さく呟いた。

「では……シュリーマデビイ様にかけられていた 『枷』 は外された、ということなのですね……」

「……なに?」

「……いえ、何でもございません。それより、今日はパドマバラが来るはずです。今まで城と城下の街を駆けずり回っておりましたから、ことのほか喜びましょう」

そう言って文書館館長は笑ったが、夜が更けても、彼の親友は姿を現さなかった。





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