【刺客】
今回すこし残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください。
一行が宿屋に入ったとき、日はとっぷりと暮れていた。
下は食堂で二階から三階が宿になっているらしい。まずは腹ごしらえと、あいているテーブルについた。
夕食をとっていた人々が物珍しげにこちらを眺めている。銀髪の逞しい体つきの初老の男、人形のような美しい容貌の青年と、可憐な美少女、そして性別の判断がつきかねる若者である。一体どういう関係なのだろうと不思議に思うのも無理はなかったろう。
宿屋の女将が料理を運んできたとき、人懐こい笑顔で言った。
「お部屋は三階にどうぞ。こちらが鍵です。湯場(風呂)は外に男湯と女湯がありますから」
「ありがとう」
アイオリア・ガナが応えると、女将は改めて四人をまじまじと見つめた。
「お客さんたちはどちらから?」
好奇心に目を輝かせているのは女将だけではないらしい。食堂にいた客の耳が一気にこちらに注意を払ったのを感じた。
アイオリア・ガナが返答に逡巡したとき、
「水華蓮です。知人を訪ねてきました。……父さん、そのお皿取って」
ハナの視線を受け、アイオリア・ガナは取り分け皿を手渡してやった。
「ありがと。……ここは冬になると雪がすごいと聞いたので、その前に家族で会いに行こうってことになって」
ハナはにこにこ笑いながら女将を見上げた。
「おやまあ……それは大変だねえ……」
年長らしく、てきぱきと料理を取り分けてやるのを眺めながら、女将は彼らが 「親子」 だと知って少しがっかりしたようだった。それは他の客たちも同様だったようで、あっけないほど彼らに無関心になった。壁際に座っていた客が、注文のために女将を呼ぶのが聞こえ、女はそそくさとその場を立ち去っていった。
三階に用意された二部屋は向かい合わせになっており、ハナと藍華、アイオリア・ガナと光麟でそれぞれ分かれた。
「はあ〜やれやれ。潮と汗でべたべたする。藍華、お風呂行かない?」
「はい。ではご用意します。……ふふっ」
「なに?」
「いえ……。よく咄嗟に思いつかれましたね」
少女がおかしそうに笑うのに、ハナは肩をすくめてみせた。
「実は青慧さんにそうしろって言われてたんだよ」
「まあ。青慧様が?」
ハナは頷いた。
水華蓮を出る前、ハナは青慧からこまごまとしたことを教えてもらっていた。
ホウライヌは冬が厳しいこと。結界守の棲む北方は更に雪が深いであろうこと。この国に渡ったらまずは喜平の店に行き、地図を手に入れ、そのあとは馬車を手に入れること。宿屋に泊まるようになったら、同行者は親兄弟とし、旅の目的は知人を訪ねてきたのだとすること――ホウライヌの国王は安定した施政を敷き、水華蓮国との国交もなんら問題はない。だが、国の正式な使者でない以上、水華蓮国女王や神祇長官の名は出さぬほうが身のためであろう、云々……
(とにかく長居はできないよな。どうしたって目立つもんなあ、この人たちは……)
自分のことは棚に上げておいて溜息をつくと、ハナは三人を水華蓮へ戻すタイミングをはかり始めているのだった。
朝食を終え、四人は馬車を手に入れるために喜平と親交のある牧場へと向かった。
「わあ〜」
「すごい」
娘二人はその広大な牧場を目にするや、歓声をあげて柵に駆け寄った。遠く、放し飼いにされた馬がてんでに散らばって草を食んでいる。広い放牧場のそばに小さく囲われた訓練場らしき場所があり、その脇をまっすぐな道が白い建物までのびていた。
彼女達の後をついていきながら、光麟はアイオリア・ガナに声をかけた。
「……親父。気付いているか……?」
アイオリア・ガナは一瞬、足を止めた。この青年は、昨日ハナが親子であると詐称したのをそのまま続けているらしい。確かに、そのほうがいらぬ詮索を受けずにすむだろうが、ちょっと面食らった。だが、彼は振り返らず光麟に応えた。
「うむ。昨日、宿の食堂にいたやつらだな。五人……いや、六人か……」
「八人だ。すぐそこの森の中に二人いる。これは別件だな……できれば、ハナの目のない場所で片付けたい」
アイオリア・ガナは、思わず青年を振り返った。
「……追ってきている六人はただのごろつきだ。どのみち今は手は出してこないだろう。だが、森の中にいるのは、水華蓮からの殺し屋だ。あれだけは始末しておかねば、このさき支障をきたす」
凪いだ湖のように静かな瞳で淡々と告げる青年を見つめ、
「……船に乗っていたのか……一人で大丈夫か」
「おそらく商人の中に混じっていたんだろう。俺のことは心配ない。すぐ戻る。ハナには適当に誤魔化しておいてくれ」
アイオリア・ガナに軽く頷くと、光麟はふわりと風が舞うように駆けて行った。
―――あの青年は、片時もハナの傍から離れない。
昨晩、それぞれが寝室に引き上げたあと、湯も簡単にすませて深夜に部屋を抜け出した。部屋に戻ってきたのは、そろそろ宿の者が仕事にとりかかろうとする明け方だった。
どこへ何をしに、とはアイオリア・ガナは訊かなかった。理由は知れていたからだ。彼は、息子たちのように光麟を警戒してはいない。ハナが警戒していないのとは別の理由で、警戒の必要はないと知っている。
しかし。これまでの青年の一挙手一投足を眺めていると、心の底から思う。
(まったく、空恐ろしいぼうずだな……)
放牧場の道の中ほどから声が聞こえた。顔をあげるとハナと藍華が手招きしている。
「早くー」
その楽しげな姿に苦笑を浮かべながら、アイオリア・ガナはぼそりと呟いた。
「……夬一族か……」
放牧場のすぐ先、北へ延びる道は森の中へ入る。それはほんの少しの距離で、百歩ほども歩けば森を抜けて放牧場に挟まれた道が延々と続いていた。
とはいえ、身を隠したい者にとっては十分すぎるほどだ。
光麟は森に入って歩みをゆるめた。ヒュッと風を切る音がしたと同時、青年の手がひらめいた。くぐもった呻き声と枝を折りながら、大きなものが地に落ちる音がした。次いで、道を挟んだ森の逆方向から空を切って飛んできた矢は地に突き立ったが、青年の姿は既になかった。
「……ちっ!」
木の上から弓をつがえていた男は思わず舌打ちを洩らした。すぐさま弓から剣に持ち替える。
さっきの音からすると、向こうの木の上にいた奴は死んでいるだろう。逸るなと言っておいたのに……これだから新米と組むのは嫌だったのだ。
相手は並の殺し屋ではない。年齢や見てくれに惑わされていれば命を落とす。一瞬の油断が命取りになる相手なのだ。夬一族とは、自分たちとは一線を画す謎の集団なのだ。その恐ろしい相手を斃さねば、最終目的である異邦の女を手に掛けることはあたわない―――そう、何度も念を押したにもかかわらず……。
(……どこにいる……)
男は息をひそめ、気配を探った。
森の中はしんと静まりかえり、遠くで馬のいななきと、のどかな鳥の声が聞こえるのみ。ときおり渡ってくる風が木々の葉を鳴らしていく。
じっとりとした汗が背を伝い落ちた。
凄まじい切り口だった……。
あの夜、山中で異邦人を始末をするよう駆り出されたのは三十数名にものぼる。ばかばかしいかぎりだと思った。たかが四人ほどを消すのにその人数は何事だと。だが、戻って来たのはたったの十人足らず。いずれの顔も青ざめ、恐怖に身を震わせていた。
元締めをはじめ、現場を確認に行った者は、自分を含めて皆が愕然とした面持ちでその惨状を目の当たりにした。
腹を切られて絶命していた者が二、三。ほかはすべて首を一刀のもとに切られて、息のあった者は右手を焼き崩された男ひとり。すべての死体を回収することはできず、その場を後にするしかなかったのだった。
そんな男をたった一人でやらねばならぬという恐怖。同時に、成せば己が名声は否が応にもその世界に知れ渡っていくだろう。
男の喉が、ごくりと鳴った。
突然、ざわりとうなじの毛がそそり立ち、男ははっとして振り返ろうとしたが、首筋にひやりとするものがあてられていた。
「……船で見た顔だな」
背をとった青年が笑い含みに呟いた。そして剣を握った手に力をこめたとき、
「お前、夬一族か……?」
男が訊いた。そして青年の気を反らすように矢継ぎ早に喋りはじめた。
「何故、夬一族ともあろうものがあんな女一人に関わるのだ。我らを雇った王城の貴族どもは、あの女を衡漢王の再誕なぞとほざいておったぞ。そんな馬鹿馬鹿しい噂にほだされたどこぞの阿呆が、金にモノを言わせてお前たちに仕事を振ってきたのだろう……それとも夬一族とは只の噂か? 殺しを請け負うはずの一族が、小娘の護衛などについているのだからな! 夬の仕事は煙のようにつかみどころがなく、仕事をした者のことを誰も覚えていないという噂だが、お前のように人形じみた容貌のものはそんな仕事はできまい。せいぜいが女や物好きな男を誑かす程度のものだろう。え、違うか? あれほどの技倆を持っているにも関わらず、こんなつまらん仕事しかもらえんではやりがいがなかろう? どうだ、俺が元締めに言ってやる。俺たちの仲間になれば、もっと実入りのいい仕事が……」
男はふいに言葉を途切れさせ、赤いものを撒き散らしながら木の下へと落ちていった。
「……よく喋る」
なんの表情も浮かべることなく、光麟は低く呟き、剣の露を払った。そして、まるで梟のようにふわりと地に舞い降りると、牧場のほうへと歩きはじめた。




