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虚空の鑑  作者: 直江和葉
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【海門〔弐〕】


 「剣をみせてもらってもいいかい?」

長の息子夫婦の部屋で晩餐を馳走され、ハナたちに纏わりついていた二人の子供が寝静まったあと、デルフィニアが神祇長官から渡されたという剣に興味を示した。

「お見せするのはいいのですが……」

昨晩の無残な出来事を思い出し、言い淀んでいると、無造作ともいえる口調で光麟が口を添えた。

「この女に危害を加えようとした賊は、剣に触れたとき手が溶けたぞ」

「……とけた?」

夫婦そろって首を捻る。意味が掴みかねたらしい。

「とけた、とは……?」

「言葉どおりの意味だ。この女が掴んでいた剣で手を払ったときには、そいつの手首から先は、どろどろに、溶けていた」

わざわざ気色悪い言いまわしにすることはないだろうと思いつつも、ハナは小さく首肯する。

淡々とした無表情の下で面白がっているのか、光麟は更に衝撃的なことを告げた。

「ついでに言うと、その剣は姿を変えたりもする。実際、俺の目の前で長物(ながもの)から短剣に変わったからな」

「は?」

白い長袍の夫婦は美貌の青年から、隣に腰掛けている異邦人へと視線を移す。

隠していても仕方ないとあきらめたのか、彼女は溜息をついて昨晩のことを語った。

「ハナ様お一人に数十の刺客を差し向けるなんて……!」

既に聞いていたこととはいえ、怒りが再燃したのか藍華が言葉を震わせる。それへ苦笑して頷いてから、ハナは剣がデルフィニアたちに害を与えるかもしれないのだと語った。

「……ただ……青慧さんが言うには、私の心を受けて変化するらしいので……」

剣を握ったハナは、熱くないしな……と意味不明なことを呟いた。

しばらくその様子を見ていた夫婦だったが……。

「わかった。どんなことが起こっても、これは自己責任ということにする。それではどうだろう?」

豪胆な申し出にハナは苦笑し、同行者に目をやる。

「本人たちがいいなら、いいんじゃないか?」

「……わたくしも光麟に賛成しますわ」

「この女は言いだしたらきかないんだ」

夫であるオリオンまでも肩をすくめてみせた。

一同の賛成を得て、ハナは溜息をつき、嬉しそうに笑ったデルフィニアに短剣を渡す。途端、彼女は 「うっ」 と言って顔をしかめた。ぎょっとして思わず手を差し出したハナだったが、

「そんな細い身体に差しているから軽いものかと思ったんだけどねえ……これはひょっとして……。抜いてみても?」

デルフィニアは苦笑を洩らし、異邦人が頷いたのを確認すると柄を握って剣を抜こうとした。だが、柄は鞘にぴったりと密着してうんともすんともいわない。

 青慧から助言されたことの一つに、万一、守人の一族に建国王の再誕であるという証を出す事を要求されたら、この剣を差し出せとは言われていた。

 しかし。

事ここにいたって驚いたのはハナのほうだ。この大きな女が額に汗を浮かべて剣を引いているのに、ぴくとも動かないのである。後ろで見ていた藍華や光麟も驚きに目を見張り、改めて異邦の女に目を遣った。

短剣はデルフィニアの手からオリオンの手に渡ったが、結果は同じだった。大型夫婦は諦めたように笑うと、恭しい手つきで短剣をハナに返した。

「なるほどね。その……気を悪くしないでほしいんだが。伝説の王の再誕なんて、神祇長官殿も酔狂なと思っていたが……どうやら本当らしいね」

ハナはなんと言うべきか悩み、曖昧に笑って首を振っただけだった。正直、「これは茶番なのだ!」 とぶっちゃけてしまいたい衝動に駆られていたのであるが……今ここでそんなことをしようものなら、今までの苦労が――尽力してくれた女王や青慧、宰相のだ――水泡に帰してしまう。

刀身が見たいという夫婦の所望に苦笑しつつも、それを適えた。

所有者の手に戻った剣は、先ほどの夫婦の苦闘が嘘のようにするりと鞘から抜け、その刀身は、存在を誇示するかのような眩い輝きを放ったのである。




 日の出も待たず、出港準備のために船乗り達は忙しく働き始める。

急遽ホウライヌへの船出が決まり、本当ならあと十日は待たねばならなかった航海に出れると知った幾組かの商人たちが、便乗したいと海門へ申し出た。

海門の長の執務室で最終的な打ち合わせを終えた後、主賓客であるハナに商人たちの同乗の可否を求められた。無論、彼女に否やはなかったが、

「……その中に刺客がまぎれこんでるってことは、ないよねえ……?」

独語したそれへ淡々とした声が返ってきた。

「あの晩の状況から考えれば、仕事を完遂させるつもりだったやつらがその後の手を打っているとは思えないが……まあ、用心するにこしたことはないな」

「そうですわね。アイオリア・ガナ様に、便乗する商人たちの身元をしっかり確認していただくことが大事かと……ああ、でも、玄人ともなればそれも無駄なことですわね。なんとなれば、ぶっとばして海に放り込んでやるしかありませんわねえ」

藍華が頬を抑えて、やれやれといった風情で溜息をつく。たおやかな少女然とした藍華の口から、まさか 「ぶっとばして」 などという言葉が出てくるとは思っておらず、ハナは呆気にとられてまじまじと彼女を見つめた。

「女中の言うとおりだな。今から悩んでも仕方ない。同乗者の人選は長に任せるしかない」

「……光麟。わたくしは藍華というのであって、女中という名ではありませんわ!」

少女は両手を腰にあてて抗議する。美貌の青年のほうはどこ吹く風といった顔で、ついとハナの反対側に移動した。

「もう!」

それまで若者達のやりとりを黙って見つめていた海門の長は、くつくつと笑いながら仲裁に入る。

「まあまあ。商人らの身元についてはあらかじめ確認してございますが、怪しい者が紛れ込んでいないか、再度あらためなおします。それから、矢島殿。一つお願いがございます」

「はい、何でしょう?」

笑いをおさめ、真摯な顔つきになった長に、ハナも背筋を伸ばす。そして、老人の口から放たれた言葉に、三人は「えっ」と声をあげた。

「あの……それは、どういう……」

「言葉どおりに。この老いぼれもホウライヌの先、暗黒世界にお連れ下さいと申し上げた」

「え……、いや、しかし……。それは……」

昨晩、王城にいる宰相の力になってやってくれと頼んだばかりである。この老人やその息子夫婦が宰相の味方になってくれれば、こんなに心強いことはないと思っていたのに……。

その心中を察してか、老人は快活な笑顔を見せて言った。

「宰相閣下には息子夫婦がお味方につきます。ご心配なさるな。息子はああ見えても、剣をとらせれば、そうそう引けをとることはございませんぞ。それに。僭越ながら、かような老人とて、そこいらの剣士にしてやられるほどまだ耄碌はしておりませぬ。ゆえに、異国に赴いた若者に降りかかる災難の露払いくらいにはなりますぞ」

呆気にとられて声もないハナであったが、

「アイオリア・ガナ様が一緒にいてくださるのは、とても心強いですわ。わたくしたちだけだと、宿一つとろうにも足元をみられそうですもの」

「同感だ。目的地につく前に降りかかる災難は、極力避けておきたいからな」

藍華と光麟の重々しい言葉に、ハナは溜息をついた。

多数決で許諾と受け取ったアイオリア・ガナがにっこりと笑ったときだった。

「親っさん、たいへんだ! 沖に……」

挨拶もそこそこに、執務室の扉が開かれて水夫が駆け込んできたが、客人に気付いて慌てて口を閉じる。アイオリア・ガナは落ち着いた声でなんだ、と問いかけた。

「と、とにかく、来てくだせえ!」

地団駄踏むような様子の水夫に呆れながら、長がついていく。顔を見合わせていたハナたちも、彼らを追って駆け出した。

城塞から飛び出した彼らを、波止場の黒だかりにいた一人が目ざとく見つけ、

「親っさん! あれを……!」

大声で叫び、沖を指し示した。

帆船の影で見えなかったそれが、突如として目に飛び込んできた。

「えっ……」

「なんだ、あれは……?」

「海竜……?!」

昇り始めた朝日に照らされ、煌めきながら、それはほんの数百間の沖に巨大な首をもたげてそそり立っていた。細部までは見えないが、口元には髭がゆらめき、頭部には角らしきものと、ぎざぎざの鰭が波打っている。ハナが呼び出した白竜には及ぶべくもないが、それでも、日の光を浴びている姿はとても美しいものだった。

神懸かったような存在を、陶然と見つめて突っ立っている水夫たちをすり抜け、ハナは波止場の際まで駆けた。慌てて藍華、光麟が続く。

「でかいな! この世界は不思議なものがたくさんいるね!」

楽しげに言った異邦人に、藍華はくすくす笑う。光麟は呆れたように肩をすくめた。

「冗談ではない。俺はあんなものを見たのは初めてだ」

「へえ?」

呟いて改めて沖を眺めやる。

海竜はこちらをじっと見つめているように思えた。ハナは挨拶代わりに衡漢王の剣を抜くと、大きく振ってみせた。日が剣に反射して眩しい光を放つ。

それを返事と受け取ったか――

海竜は鰭を大きくなびかせ、巨頭をひとつ振ると静々と海の中に消えていった。




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