【輪】
謁見の間には文武の束の要職につく者は勿論、普段なら部屋から出てこない王侯貴族の婦人達までもが居並び、それはきらびやかな眺めではあった。
さざめくような密やかな声は一様の話題である――すなわち。青慧によって衡漢王の再誕とされた異邦人が、昨夜惨殺されたというのだ。
「あの方はホウライヌへ行くのではなかったのでしたの?」
「その途中で賊に襲われたようですわ」
「まあ、恐ろしい!」
綜婦人の取り巻きたちは、さもありなんと頷きあう。
「やはり天罰が下ったのですわ」
「国をゆるがそうとする者は、こうして罰せられるのですわね……」
また、こちらでは、
「恐ろしいことですわ。衡漢王の再誕たる方を襲うなどと」
「それが、どうやら賊は雇われものらしいですわ」
「なんですって? では、誰かがあの方を……?」
「ほら、先日……」
「あっ……そうですわ! 早朝から陛下の御前を騒がせたという……」
「確たる証拠が出てはおりませんけれど、そうに違いないともっぱらの噂ですわ……」
等々――女達の口だけは、どうにも止めることはできないようだった。
やがて、異邦人の遺体を発見したという近衛の二人が広間に現れた。
ざわざわと囁き声が交わされる中、女王、宰相ほか居並ぶ官吏たちの前に進み出た斎兼と里応は、口を引き結んだまま支え持っていた盆を足元に置いた。
「ひっ!」
「きゃああっ」
面白半分に見物に来ていた貴族の女や女官たちは、それを目にした途端、悲鳴をあげて後退さった。
盆に敷かれた白布がいやでもそれを際立たせる。艶やかな長い黒髪。ざっくりと切り取られた根元から、三つ編みが解けかかっている。
男たちでさえ、その生々しい髪を見て顔を青ざめさせた。
里応が片手をあげて制し、遠雷のごとき重低音の声を発した。
「どうぞ、お静かに。先だって神祇庁長官より水華蓮国建国王の再誕と認められ、かつ陛下の賓客であられ、青慧様の賓客でもあられる矢島ハナ様がホウライヌへ出立されることは、皆々様先刻ご承知のことと存ずる。我ら近衛は陛下の命により矢島ハナ様の護衛を仰せつかったにも関わらず、出立間際で賊に拐され、昨夜、山手でご遺体を発見いたしました。」
「ばかな……!」
小さな呟きが聞こえた。
斎兼はぎょろりとそちらに目を向け、里応はことさらゆっくりと向き直ると、
「何か?」
「い……いや……」
貴族は慌てたように首を振り、なにやら口の中でごにょごにょと呟いた。里応と斎兼はその貴族らの不可解な表情に目を走らせると、女王へ向き直り深々と頭を下げた。
「ハナ様のご遺体は、本来ならば神殿へお運びするのが筋ではございますが……あまりにも惨たらしい姿でございましゆえ、僭越ではございましたが、山中の見晴らしのよい場所にお納めいたしました。代わりに、ご遺髪をお持ちした次第。――陛下。我が水華蓮にとってかの方は尊きお方。その方をむざむざ国賊の手に掛けてしまったその咎は、いかようにもお受けいたします。ですが、その前に。我らは近衛の威信にかけても、依頼主と金で買われた賊一党、これら国賊を何としても陛下の御前へ引っ立てて参る所存。それまで、いましばしの命のご猶予を賜りたく存じまする!」
「……よくわかりました。里応。斎兼。そなたたちに任せます。その討伐を完遂させたならば、今回のことは不問に処すことにいたしましょう。……それで、ハナも許してくださるでしょう……」
「はっ!」
女王の沈んだ声音に、二人の声が重なった。
静々と女王が退出していくなか、鄭海一派の貴族等が顔面蒼白となって立ち竦んでいる。己の地位を保守したい一心で、荷担してしまった事の重大さに今更ながら気がついたのだ。挙句、事が露見すれば、地位どころか 『国賊』 との汚名を着せられるのである。それだけは、それだけは何としても防がなくてはならない。
それらを尻目に、里応と斎兼は盆を捧げ持ち、踵を返した。その盆の中に流れる黒髪を覗き込んだ貴族が暢気な声をあげた。
「しかし、これは見事な髢になりましょうな」
「世の中には、死人の髪であろうと欲しがる者がおりますしな……これほどの黒髪ならよい物ができましょう」
「市中に腕のいい職人がおりますが、それに頼めば……」
鄭海らの企みを知らぬ人々は衝撃から早々に立ち直り、世間話でもするような軽い口調で話しはじめる。鄭海らはぎょっとしたように目を剥き、斎兼が彼らをじろりと睨み、なにか言い返そうとしたとき。
それまで眉一つ動かさなかった宰相が笑い含みに言った。
「さて、そう大人しく髢になるかな……」
口調だけは柔らかに、珍しくも 「笑み」 が含まれているとあって、人々は一斉に宰相に目を向け、次いでそのことを激しく後悔した。
ターガナーダの秀麗な面は、ぞっとするような冷たい微笑が唇をいろどり、その青銀の瞳は鋭い刃のような輝きを放って貴族らを射抜いていた。同時に襲い掛かってきた凄まじい重圧に、幾人かを除いては立っていることもできなかった。脂汗を吹きだし、動くこともできない人々の耳に、宰相の氷のような声は情け容赦なく突き立った。
「その髪の持ち主は、絵に描いた竜を白竜として現し、博士の献上した木彫りに命を吹き込んだ者――貴公らの大半があの巨大な竜を見損ねたにしても、王城の上を飛ぶ鶴はご覧になったことがおありだろう? それほどの力を持った者が、別世界で命を断たれて、おとなしく黙って消えゆくかな? ――斎兼、里応。それは神殿へもて。……各々がたには、夜は万全にしてお休みになられることをお勧めする」
巨大な見えない手で人々の頭を押さえつけておきながら、宰相は珍しく冗談を言ったのだが、それに気付く余裕は人々にはなかった。失言を悟り、赤くなったり青くなったりする貴族らを一瞥すると、彼もまた謁見の間を退出していった。
――今度ばかりは、青慧もターガナーダを戒めることはしないだろう。
※
竜樹はふと目をあけ、体を起こした。
凄まじい倦怠感が襲ってくる。
それも、そのはず――。昨夜、彼は悪夢のごとき惨状を目の当たりにしたのだ。
ひどい夜だった。
黒い鱗に覆われた鎧を着込んだあの男は、無理矢理、竜樹を連れて『狩り』に出かけた。
不気味な怪物が牽く台車に乗せられて、狂ったようなスピードであの裂け目の闇に飛び込んだのだ。
男は狂笑しながら台車を走らせ、怪物の群れが付き従うように馬車を取り囲む。
裂け目の中は不思議な空間だった。同じような裂け目がいたるところにあいていて、走り去る瞬間に向こう側の世界を覗き見ることができた。一瞬で通りすぎる隙間の世界……。
ある場所は真っ暗闇、ある場所は花畑、ある場所は馬の足と車輪が通りすぎ、そして、
―――あ……
曇天の重苦しい灰色の空と、ひっきりなしに降る雪。ビルの林立するその街は銀世界だった。
―――あそこは……
なぜ気になったのか――。確かめることもできず、その裂け目はすでに視界から消えてしまった。
そのあと……。
男はある裂け目から飛び出すと、一直線に空を駆け下りた。
前方に小さな集落が見えてくる。
竜樹は蒼白になり、男に詰め寄った。
「何をする気なんだ! やめろ!」
「じっとしておれ! これから楽しい狩りの始まりだ!」
男は竜樹を巨大な力で押さえ込み、村に襲い掛かった。
「やめろ! やめてくれ!」
竜樹はその力から逃れようともがき、叫んだ。
だが――。
繰り広げられたのは阿鼻叫喚の地獄絵そのもの――
怯え、泣き叫んで逃げ惑う人々に怪物たちは襲い掛かる。そこかしこであがる絶叫と血しぶきに、男は狂ったように笑い転げた。
まるで、悪夢のような出来事……
竜樹は深い溜息を吐き出すと、そろそろと起き上がった。
ふと、右手の強ばりに眉をしかめ、目を遣る。
「―――っ?」
掌にべったりとこびりついた赤茶けたもの――それが乾いてひび割れているのだ。
裏返した手の甲には黒い鱗の手甲が、やはり赤茶色に汚れている。
竜樹は己の胸元に目を落とし、悲鳴をあげそうになった。
黒い鱗の、鎧。
あの男が着ていたものと、まったく同じ鎧を着ている――
「……なぜ……どういうこと……?」
寝ている間にあの男が着せたのか……?
だが、この手のこれは……
竜樹は蒼白になりながら、よろよろと姿見のほうへ向き直り、映った姿に声を失った。
そこに立っていたのは――頭から爪先まで赤茶色の汚れにまみれ、蒼白な顔にもべったりとついたそれが、乾いて剥げかけている。
「これは……」
掠れた声を洩らし、竜樹はよろよろと後退さる。
これは……まぎれもなく
あの夜、どこかの世界のどこかの村の人々の、返り血にほかならなかった――。




