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虚空の鑑  作者: 直江和葉
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【白虹】

今回、残酷なシーンがあります。苦手な方はご注意ください。


 時おり眼下に見えるのは、市街の明かり。もっと開けた場所から見下ろせば、それは宵闇に美しく開いた扇のように映っただろう。

馬車から降りたハナたちがとった道は、鬱蒼とした森の中の道である。でこぼこの石畳は使われなくなって久しいのか、舗装されることもなく草が伸び放題となり、どこへともしれず先へと続いていた。

案内の神官が手にしたランプがかろうじて足元を照らすだけ。と、森が切れ、石畳の上の青い月が脇に広がる草地を照らしていた。

それまで、黙々と歩いていた神官が立ち止まり振り向く。

「ハナ様。我らの道案内はここまででございます。あとは、あの者たちが、ご案内いたします」

一礼した神官の向こうに、十数人の人影。それらは闇にまぎれるように並び立ち、こちらの様子を覗っている。しかも、全員が得物を手にしているらしい。

(おいおいおい。ちょっとまってよ! 合気道の初段だって三人掛けだっつーの! 兄さ――――んっ!!)

心の中で絶叫したハナを誰が笑えただろう。絶対絶命とはこのことだ。これで生き残ったら、マンガである。

ただ、なぜか不思議と恐怖を感じない。

(私はとうとうアタマがおかしくなっちゃったんだ……ああ、何だか大笑いしたくなってきた……)

正直言えば、何時間も馬車にゆられている間に、それはもうありとあらゆるシミュレーションを思い描いてみた。だが、この現状は彼女の想像をはるかに超えている。だいたい、女一人に十数人の殺し屋というものがあるものか。

こっそり溜息を洩らしたハナの襟元で、ごくごく小さく、碧のドラゴンが鳴いた。

「………」

そう。

感じているのは肩の小さなぬくもりと、左手に握る剣の熱さだった……



 死んだように暗闇に沈む森は、ある生きものにとっては眠りのゆりかごであり、別の生きものには活動の場となる。耳をすませば、静かな生きもの達の息吹が聞こえてくるものだ。

だが、今夜は―――。

眠っていたものたちは荒々しい狂気に叩き起こされ、捕食のために動き回っていたものも危険を察知して大慌てで移動を開始する。

闇の中、慌しく逃げていくものたちとは逆の方向に、鬱蒼とした木々の間を飛ぶように移動する影があった。こぼれ落ちてくる月光に照らされる一瞬、かれが地を走っているのではなく、文字通り飛んでいるのだとわかる。だが、その姿はあっという間に視界から消え、あとは闇夜の森が広がるだけ。

かれは、この闇の中で確実に足場を捉えつつ、刺すような殺気を肌で感じ取っていた。



 最初のきっかけがなんだったのか、よく覚えていない。

ただ、まぶたの裏に焼きついたのは、映画のスローモーションのような一コマ――神官の背から吹き出るどす黒い水――それが血だとわかるまでに数秒を要した。

背後で奇声を発して逃げ出した神官は、ほどなく絶叫を放ってどさりと落ちた。

ハナたちを待っていたのは、十数人ばかりではなかったのである。しかも、最初から皆殺しを命じられていたのだ。

だが、殺す相手がたった一人残った女だと知れたとき、彼らは訝しげに首を傾げ、囁きあった後、一斉に得物を納めた。

「……これって、友好の証ってことには……」

ほとんど願い事のように呟いたハナだったが、襟元からドラゴンの抗議と、左手の剣の熱さがぴしゃりと遮った。

「……だよね」

刺客の一人が闇から出て、ゆっくりと近づいてくる。

彼女は熱い剣を握りしめ、その場を動かずにいた。月光でも相手の顔がわかるくらいに距離が縮まったとき、その覆面の下の表情までわかるような気がした。

「えんがちょー」

思わず古くさい怪しいマジナイを呟いたとき――無論、これはシュリーマデビイに通訳できるはずもない――、男の手が無遠慮にハナに伸び、彼女は本能的な嫌悪感から剣を持った左手でそれを遮った。

途端。

「ぎゃあっ!」

ハナはきょとんとして足元に転がった刺客を見つめた。

何がおこったのか、まったくわからなかった。

わかったのは自分の周囲で一斉に殺気が立ち上ったことだ。

彼女は左手で男の手を払いのけただけなのである。しかし。

絶叫し、苦痛に転げまわって苦悶する男の右手――。

「―――っ!」

ハナは思わず息をのみ、後退さった。

その右手は、まるで高温の油の中にでも突っ込んだように焼け爛れ、すでに原型をとどめぬほどに崩れている。素人目にさえ、もうこれでは一生、右手を使うことはできないだろうことが解った。

「これが、衡漢王の剣……?」

手にする剣は熱く白銀の閃光を発して、襲いかかろうとしていた刺客を薙ぎ払った。

ハナはその目に恐怖さえ浮かべて剣を見つめる。

青慧はなんと言った?


「その剣は、ハナ様の心を受けて相応しい姿になるでしょう」


私の心を受けて……?


「お忘れなさいますな。剣は人をして、()かすものなのです」


活かすとは、どういうことなのだ?


「殺しを生業とする者も存在する。己の手を血で汚さねばならぬ状況もあることを、肝に銘じておけ」


 ハナは、こんな時ではあったが、今さらに激しい羞恥に襲われた。

甘えがあった。罠とわかっても、どこかで 「何とかなる」 というツメの甘さがあったのだ。

右手を焼かれた男は、あまりの激痛に気を失った。ハナは男に小さく詫びると、剣を抜きざまいきなり駆け出す。爆発のような凄まじい閃光が闇を切り裂き、刺客の何人かが目をやられた。だが、残った刺客たちは逃げ出したハナを一斉に追う。

ハナは前方を睨み据え、怒声を発した。

「死にたくなければ、そこをどけ!」

目前に迫った刺客に向かって輝く刀身を一閃する。光で闇を払うかのごとく、輝きは見事な半円を描いて刺客に到達した。

「がっ!」

「うっ!」

うめき声が耳に届くと同時に手に衝撃を感じ、蹈鞴を踏むような格好で足を止めた。

「えっ……?」

「な……なんだ、あれはっ……!?」

それまで無言で襲撃していた刺客たちも、さすがに度肝を抜かれたらしい。

今まで、女が手にしていた剣はたかが一尺ほどの短剣だったはずだ。だが、今その手にあるのは……

「へええ。変身するってこんなのにも変身するんだ」

暢気な感想を洩らしたハナの手にあったのは、彼女には馴染みの深い得物――薙刀であった。しかし、なじみがあるとはいえ、こんな長物をもって山の中を全力疾走するのは無理だ。

「……どうでもここで決着つけろってことか」

そう思ったとたん、心がすとんと落ち着いた。

銀色の光を発する得物を警戒してか、数十人の刺客たちは掛かってこようとはしない。だが、じわじわと覆い被さってくるような殺気は高まるばかり。

脳裏には、すらりと立つ兄の姿――あの人の足元にはとうてい及ばないまでも、恥じるような振る舞いはするまいと決める。

ハナはゆっくりと呼吸を整え、薙刀を構えた。


「ぎゃっ!」


息詰まるような沈黙を破り、黒い影が悲鳴をあげてくずれ落ちた。

「なに……っ!?」

張り詰めていた緊張がぷつりと切れ、声のあがったほうへ注意が向く。数人がハナを目掛けて襲いかかる。考えるより早く、白銀の光が一閃。弧を描いて一閃。二人の刺客がハナの刃に倒れ、次いで、彼女の傍らで空を切る鋭い音がし、背後に迫っていた刺客二人がもんどりうって倒れた。

「何やつ……っ!」

突如、森の中から飛び出してきた黒い影が、刺客目がけて稲妻のように走る。

「ぎゃっ!」

「がっ!」

一瞬のうちに、ハナの目の前で三人が斃れていった。

一体、何が起こっているのか……。目で追おうにも、こんな月明かりのみの下で確かめることもできない。自分に向かってこようとした刺客は、彼女が得物を振るう前に飛んできた何かに斃されているのだ。

突然森の中から飛び出してきた影が、ものすごいスピードで刺客たちの間を駆け抜けると、黒いしぶきがあがり、覆面の死体が倍数で増えていくのだ。ハナは惨状に目を覆う前に、あまりにも鮮やかな手並みに呆然としていた。

「ひ、引け!」

くぐもった声がし、生き残った数人の刺客たちは身を翻して森の中に消えて行った。

あとには累々たる屍の山――。

月明かりの下、短剣の血糊を拭い、すらりとした黒い影がゆっくりと振り向く。先ほどの刺客と同じく、黒い覆面で顔を隠していた。背丈はハナよりも少し高いくらいだが、鋼のように引き締まった体つきからして、女ではありえない。

そして、考えたくはないが、新手の刺客でないとも限らない。

「……誰だ……?」

ハナは警戒を解かず低く訊ねる。影は流れるような足取りでハナの方に近づき、覆面から覗く切れ長の目で鋭く彼女を射た。

「矢島ハナという異邦人はあんたか」

発せられた声は思ったよりも若い男のものだった。あれほど動き回っていたのに息一つ乱れていない。先ほどの戦いぶりからして、ハナの手に負えるような相手ではないことは判りきっている。この男なら、自分を殺すのも一瞬ですませてしまうだろう。そんな相手にジタバタしても始まらない。

「――そうだ。君は?」

男は覆面に手を掛け、月光のもとにあっさりと相貌をあらわにした。

彼女は……美形には見慣れているはずの彼女でさえ、現れた美貌に息を飲んだ。信じられないほどの造形美であった。

ただ部屋の中にいるだけであったなら、たとえ動いていても人形と間違えてしまったかもしれない。だが、完璧な美の中で異質なまでの光を放つその目が、かえって、彼が人間であることを示しているように思えた。

「俺は光麟(こうりん)。あんたに同行するよう依頼を受けたものだ」






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