【窩】
王城はしんと寝静まり、要所要所で焚かれた松明があかあかと燃えている。歩哨が見回る足音だけが聞こえるのみで、他は何の音もしなかった。
その王城の奥、兵部省長官・鄭海の私室では一派の主だった面々が寄り集まり、不安な面持ちで話し合っていた。
「……あの異邦人がこの国を出ると判ったとたん、物見遊山の段取りをはじめた。まったく、女というのは暢気なものだ」
「いや、それならまだ可愛いものだ。中には死体を確認するまでは納得しない女もいる。……例えば、あの……」
「ああ……」
扉がノックされ、人々はふっと口をつぐんだ。
「入れ」
鄭海が言うと、一人の若い官吏が現れ恭しく一礼した。
「失礼いたします。異邦人の出立が明の芙蓉の刻(正午)と決まったようでございます。神殿裏門から海門に向かうとのことです」
「そうか……。ご苦労だった」
鄭海が頷くと官吏はまた一礼してひっそりと立ち去った。
「いかがいたします?」
「海門に入られたら事は難しゅうなりましょう」
「神殿の裏門とは……神祇長官も慎重なことだ……」
「暢気なことを言っている場合ではありませんぞ!」
「騒ぐな。……手は打ってある」
貴族等の動揺を鄭海の低い声が遮った。一同は口をつぐみ、彼を見遣る。
貴族等にとって異邦人がホウライヌへ行くことは都合がよいはずだった。単に衡漢王の生まれ変わりだというだけなら問題はない。だが、彼らの心胆寒からしめたのはハナが持つ不思議の力……木彫りの鳥を生きものに変え、大地から白竜を呼び出した只人にあるまじき力であった。それは神話、御伽噺、言い伝え……水華蓮に存在する『歴史』が伝える建国王の不思議と符合するのである。
ホウライヌの暗黒世界へ行き、魔物に食われるなり行き倒れるなりすればよし、しかしあの異邦人に限ってはそう言い切れない。暗黒世界から探し人を救い出し、戻って来た暁には……魔物が倒されているにせよ、いないにせよ、人々はあの女を王として迎えるだろう。
ならば。
どのみち暗黒世界の瘴気による危機にさらされているなら、自分たちの前に立ち塞がる、目下の大きな危険を取り除いておくべきなのだ……。
兵部省長官は底光りする鋭い目を貴族等に向け、冷ややかに告げた。
「……あの異邦人がたとえ海門に着いたとしても、ホウライヌより戻ることはない」
ハナは青慧への挨拶をすませたあと、荷物のチェックを行っていた。荷物といってもごくわずかだ。
持ってきた自分のショルダーバック、保存食、水筒、薄手のあたたかな毛布、青慧が持たせてくれた旅銀……そして、衡漢王の剣。
洋服の上に、膝上までの紺色の上着に革帯を締め、臑をすっぽりと包む長靴。その上から膝下までのマントのような大衣を羽織った。
上着のしたの洋服の胸ポケットには、宰相からもらった香水が入ったままだ。返すか迷ってはいたものの結局、昨晩もそれどころではなく今に至る。
苦笑を洩らしたとき、ふいに扉が小さく叩かれた。
開けるとごく若い神官が丁寧に一礼した。
「ハナ様。少しお時間がございますが、お迎えが来ておりますので階下までご案内いたします」
「え……? えと、連れがいるんですが……」
「女官の藍華様でございますね。城のほうでなにやらごたごたとあったようで、後から追ってこられるそうです」
「そうですか……」
ハナは頷き神官について部屋を出た。
奥殿を出る扉の外で一人の神官がハナを待っていた。
「ハナ様、どうぞ道中お気をつけて」
「ありがとうございました。お世話になりました。どうか、青慧さんにもよろしく伝えて下さい」
「はい」
若い神官は恭しく一礼して扉の向こうに消えた。
「……では、こちらへ」
神官はひそやかな声で言うと、暗い廊下を歩きはじめた。
神殿の裏門では近衛の斎兼と里応、同行する藍華がハナを待っていた。
「……はて。どうしたのだろう? 出立は正午となっていたはずだが」
斎兼が言えば、里応も頷く。
日は中天を過ぎ、その時間はとうに過ぎている。事情があって遅れるなら何らかの言伝がありそうなものだが、それもない。
「……おかしいですわ。私、ちょっと奥殿へ問い合わせてまいります」
藍華は神殿へ駆けていった。
そして、ほどなく。
神殿から血相を変えた藍華と、若い神官が飛び出してきた。
「斎兼様、里応様! たいへんです、ハナ様は正午前にお迎えが来て出発されたと……!」
「なに……っ!?」
宰相のもとに青慧からの密使が届いたのは、明の菎の刻(午後二時)を過ぎた頃だった。
青慧の目がハナから離れたほんのわずかな時間をついて、彼女は何者かに連れ去られた。奥殿に勤める若い神官が言うには、迎えに来た男も神官服を纏っていたため、何の疑いも持たなかったということだった。
そもそも秘密裏に進めていた事だけに、大々的な捜索はできず、周辺を見回った際に馬車の跡が見つかった。――ということは、ハナを騙して連れ去った賊は、おそらく港の大通りには向かわず山側の街道を使ったと思われる。また更に。この事実から神殿の、よりにもよって奥殿に勤める神官の中に間者がいたということになる。
青慧はその人物の割り出しと、それに繋がる何者かを突き止めるために調査を開始した。同時に、彼の要請を受けて斎兼と里応、そして藍華が発ったということだった。
どうにも仕事が手につかない上官に、とうとう峰牙は声をかけた。無論、その場にいた官吏たちを部屋から追い出した後で、だ。
「ターガナーダ様。一つお聞きしてもよろしいですか」
「……なんだ」
「何ゆえ、あの異邦人にそれほどまで執着される? 永の年月一緒にいたわけでもなければ、そんな関係になる事があったわけでもなさそうだ。……それでどうしてあの女にそこまで心を乱されるのか、俺にはちっとも理解できないんですがね。まさか一目惚れだなんて言うんじゃないでしょうな?」
執務机のまん前で腕を組み、でんと立ち塞がった巨漢の友を見上げて、宰相はしばしの沈黙のあと苦笑を洩らした。
「峰牙……それは正直、私が教えて欲しいことだ」
「はあ?」
「……なぜハナに関する限り自分がこう乱されるのか、自分でもよくわからぬ。恋だの愛だの言われても知らぬ。ただ……あえて言うなら、『慕わしい』のだ。初めて会った時から、はっきりとそう感じた――それを一目惚れというのであれば、そうなんだろう。……ただ、どうもな。それとは違うような気もする」
峰牙は珍妙な顔をして、えらく心もとないことを言った上官をしげしげと眺めた。秀麗な面がまっすぐ自分を見つめ返してくる。照れ隠しに嘘を言っているふうでもなければ、そもそも照れもしていない。
色男でならす巨漢の補佐官筆頭は何度か口をぱくぱくさせて、頭をがしがし掻き毟ると、
「ターガナーダ様。慕わしいっていうのは、好きってことでしょう」
「そうだな」
「そしたらこう、モノにしたいと……いや、自分の女にしたいとか、思うでしょう」
「自分の……? いや。なぜだ?」
「なぜって……!」
とうとう峰牙は絶句してしまった。
男というものは、気に入るなり愛するなりした女を自分のものにしたいと思うのは当たり前ではないのか。
異邦の女が神祇官長と楽しげに話しているのを不機嫌そうに眺めていたのは、あれは嫉妬以外のなにものでもないだろう。好きな女が別の男と親しくしていれば腹が立つ。これは至極当然だ。そうであるにも関わらず、なぜ自分の女にしたいとは思わないのか。この異国を出自とする青年にとっては、それとこれとは話が別ということなのか。いや、まて。そもそも、それとこれというのは一体なにがそれで何がこれだというのか…………
珍しくも混乱をきたしはじめた副官の様子を面白そうに見上げながら、だが、宰相はきっぱりと言い切った。
「傍を離れがたいとは思う。だが、あのひとを縛ることはできぬ――なんぴとであろうとも。……それを敢えてしようという輩を、どうやら私は許せそうもない……」
ターガナーダの青銀の瞳の奥、峰牙の知らないなにものかの光が覗き見えた。
読んでくださってありがとうございました。
今年中にUPできるかわかりませんので、この場をお借りしてご挨拶させていただきます。
本年中はお世話になり、ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
どうぞ、よいお年をお迎えくださいませm(_ _)m




