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虚空の鑑  作者: 直江和葉
26/73

【朧】


 一の門を出た三人は大通りをまっすぐ港に向かった。

首都・華蓮は王城を中心に海へ向かって扇状に広がる都市である。豪商や中流貴族などの屋敷が並ぶ区域を過ぎると、商館や宿場が集まる区域に入る。静かな町並みは一気に反転し、お祭り騒ぎのような賑わいになった。

水華蓮特産の真珠を加工した装飾品をはじめ、魚や貝の加工食品、美しい織物や着物、また、茶や菓子などの輸入品を扱う店などが所せましと軒を並べて客を呼び寄せる。

水華蓮の人々はもちろんのこと、サイカやギルバドから訪れた人々も多く、国際色豊かな都市だった。


 贔屓にしている店で茶を買うと、オリオン親子は小さな船に乗り込んだ。

早良(さわら)港には守人の一族の警備が交替で入っている。頻繁に行き来するため常に五艘の船が待機していた。

「よう、オリオン。親父さんはどうした?」

船頭が声をかけると、長の息子は肩をすくめた。

「俺の馬ぶんどって城に戻って行っちまった」

「そいつぁご苦労なこった」

船頭は豪快に笑って船を出した。

海門と港は目と鼻の先にある。ほどなく、船は出島の船着場に停まった。

「おかえり」

低い声がした。見上げると、船着場の階段の上から大柄な女が笑っていた。

「母様!」

レイティアは歓声をあげて真っ先に階段を駆け上ると女に飛びついた。

「城は面白かったかい?」

「うん!」

女の腹までしかない少女を覗き込むようにして抱きしめる。

「デルフィニア」

「おかえり、オリオン。義理父上(ちちうえ)は一緒じゃないのかい」

「ああ、また戻った」

デルフィニアと呼ばれた女は 「そうか」 と頷きオリオンと並んで歩き出す。――オリオンの妻であり、リュオンとレイティアの母である彼女は、長身の夫と並んでも見劣りしないほどの体躯の持ち主だった。青みを帯びた豊かな銀髪を一つに束ね、夫と同じ白い長袍を纏っている。完全な男装だが見事なプロポーションが返って彼女を妖艶にみせていた。そして、夫と同様にその腰には長剣がさがっていた。


 巨大な要塞は門であるとともに、数百世帯を抱える一族の住居だった。集合住宅といえばわかりやすいかもしれない。

オリオン一家もそのうちの一つを割り当てられていた。

「母様、ローブミンドラ王国ってどこにあるの?」

夕食を食卓に並べながら、レイティアは唐突にきいた。デルフィニアは瞠目して娘を見つめ、ちょっと首を傾げる。

「レイティア、どうしてその名前を知ってるんだい?」

「宰相様のお国なの。宰相様はローブミンドラ王国の皇子様なんですって。神祇官長様もそう言ってたよ」

どういうことかと目で訊ねてくる妻に、オリオンは息子から聞いた話をしてやった。

「まあ、詳しいことは親父に聞かないとわからないんだが、とにかくな、例の白竜はハナとかいう異邦の女が呼び出したものなんだそうだ」

あまりものに動じることのない妻の、珍しくも仰天した顔を眺めながら彼は続けた。

「なので、我等一族の長たちは勘違いもはなはだしいと宰相閣下に追い出されたわけなんだな」

「宰相様は優しかったよ。最初はちょっと怖かったけど……でもとっても綺麗な人だったもん!」

レイティアは父親の物言いにちょっとムッとしたらしく、すかさず反論に出た。

「……綺麗? 宰相は女か!?」

「男の人だよ!」

「なんだ」

オリオンが呟いたとたん、妻の手が彼の頭をはたいていった。

その様子をやれやれといったふうに眺めていたリュオンが口を挟む。

「神祇官長様が言ったんだ。宰相様はローブミンドラ王国の皇子だけど、その国はこの世界にないんだって。仙人様の国が地図にないのと同じコトだって」

大型夫婦はそろって腕を組むと考え込んでしまった。




 宰相ターガナーダは執務室でアイオリア・ガナから渡された書簡を広げたまま、深く考え込んでいた。

昼間、帰っていったアイオリア・ガナが再び駆け戻ってきて彼に書簡を手渡した。城門が閉まる刻限も近かったため、彼の部屋を用意させて執務室へ戻り、気付けば真夜中だった。

筆頭補佐官の姿もないところをみると、あきらめて帰ったらしい。苦笑を洩らして、再び書簡に目を落とした。

 白竜の存在が想像以上に人々に影響を与えている。また、この書簡には謎めいた一文が添えられていた。それは近いうちに縁ある者がホウライヌの結界守を訊ねてくるであろうというものだった。じつのところ、彼がとらわれていたのはこの部分だった。

(縁ある者とは何だ……?)

暗黒世界に捕らわれているらしい者も、それを助けるために呼び出されたものも、すべてあの異邦の女に帰結する。もしも、結界守が示す ”縁あるもの” がハナのことであるのなら、彼女が再びこの世界へ来るということだ。

(ハナが……いや、まさか……)

彼女は青慧の力で次元の向こうに帰ったのだ。神殿とローブミンドラを繋ぐ道とは違い、彼女が来た道は奇蹟のような偶然が生み出したものだ。そんな偶然が再び起こるとは考えにくい

――ありえないと言ってもいい。

だが――。


ああ。でも、もしかしたら……


いつしか、すがるような思いでそれを望む自分がいた。

胸の奥深くに抑えこんでいた思いがもがきはじめる。

「………っ!」

ターガナーダはわけのわからない衝動を堪えるために手を握りしめ、激情を振り払うように思考を回転させた。そしてひとつの答えと新たな疑問を導き出す。

すなわち、白竜だけでは捕らわれた者を救うことはできないということではないのか。また、この世界を……仙界までをも脅かす瘴気を如何様にして(とど)めればいいのかということを。

何となく、竜がハナの従弟を救えば事が解決するものだと思っていたふしがある。それこそ考え違いも甚だしいものだった。たとえハナの従弟が救出されたとしても、元凶を抑えねば瘴気はそのまま流れつづけ、博士のように()る力のない者は知らぬまに侵されることになる。

瞬間、彼の脳裏に変わり果てた祖国の姿が浮かび上がった。

(まさか………)

宰相の背を冷たい汗が流れ落ち……彼は、はじかれたように立ち上がると執務室を飛び出した。


 私室の扉が控えめに叩かれ、青慧は読んでいた本から顔をあげると立ち上がった。

「夜分申し訳ございません。あ、まだ起きてらっしゃったのですね。あの……実は……」

補佐官は扉から出てきた青慧がまだ寝間着に着替えていないことに驚きつつ、宰相が訪ねてきたことを告げた。

「……お一人で?」

「あ、はい。お一人でした……」

問われるがまま応えた補佐官だったが次の瞬間、愕然となった。いくら王城の一部とはいえ、城と神殿は歩くにはかなりの距離がある。馬車が通るために整備されてはいるが、高貴な身分の者が一人で歩く道のりではない。

「夜分申し訳ない、青慧殿。お休みではなかっただろうか」

副官に導かれて入ってきた宰相は疲れた様子もなく、恐縮したように一礼した。

「いいえ、本を読んでましたから。どうぞ、お座りください。お茶をお淹れしましょう」

青慧は笑いながら蒼い法衣を翻し、隣室へと入って行った。

 差し出されたお茶を飲んで一息つくと、宰相はアイオリア・ガナが持ってきた書簡を青慧に渡した。

神祇長官の糸目が、ある部分でぴたりと止まる。

「…………なるほど。それで、宰相は何をお聞きになりたいのですか?」

宰相がローブミンドラの様子と危惧を語ると、青慧は何度か頷いた。そして書簡をたたむと彼に戻しながら、

「ローブミンドラ王国の現国王も権力欲の強い方とお見受けしておりましたが、失礼ながら、思い切ったことはできぬ方だろうと思ってもいました。現在、かの国が瘴気の影響下にあると判断してもよいとは思いますが、つけいる隙を与えたのは他でもない、かの国の人々自身によるもの。私としては勝手にしくさらせとでも言ってやりたいところですがねえ。まあ、前宰相にはお世話になりましたし、彼だけでも何とかこちらへ呼び寄せられればいいのですが」

言いたいことをぽんぽん口にすると、泰然と茶器を口に運んだ。

半ば呆気にとられたように神祇長官を見ていた宰相は、何度か口を開こうとしてやめた。自国の歴史を知るにつけ、青慧の言がいかに的を得ているかよくわかる。

始原の竜王が舞い降りた地であるということだけで、己どもを神格化し、特別な種族と思い込んでいる。国が存続して長い分だけ、人々が生み出した憎悪や嫉妬の念は降り積もり、懲り固まってゆくのだ。

深い溜息を吐き出した宰相の耳に、いくぶん気遣わしげな声が届いた。

「ホウライヌの予言者のことは聞いたことがありますが……これがハナ様のことを示すなら恐ろしいことですよ。まるで、あの方を暗黒世界に放り込むような言ではありませんか。……ねえ……?」

それは、青年宰相の全身の血を凍らせるに充分な言葉だった。







執筆作業をしているソフトの不具合で右往左往してしまいました。

メッセージを下さった方、どうもありがとうございます。

これからもどうぞ気長に待っててくださると嬉しいです。うふふ(涙)

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