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虚空の鑑  作者: 直江和葉
20/73

【成命】


       ※


 この地を統べる正王は純白のウバラより生まる。ウバラより生まれし御子はしばしの安寧をもたらすであろう。

王国の最奥、なんぴとたりとも侵すことあたわぬ聖域より千年にいちど花開くをローブインバラという。

黒き汚泥の底より、一片の穢れも纏わず清浄の蒼きローブインバラより生まれし御子はこれ、はじめの竜王いずれかの小王の降臨なり。

                             ――――古文書 巻の五より


       ※




 「え?」

誰かに呼ばれたような気がして、ハナは振り返った。

一晩中降り積もった雪はいつもの風景を一変させていた。

家の屋根も、木もブロックも一面が真っ白で、空はいくぶん白っぽく曇っている。このぶんだと昼から晴れるだろう。

あたりは静かだった。

日曜日とあってか、まだ誰にも踏まれていない真っ白い雪は、柔らかな真綿の絨毯にもにて美しい。

しばらく見惚れるように突っ立っているハナに尭の低い声が掛かる。

「どうした、ハナ?」

「ううん。別に……」

兄に向き直ると、行こう、と手が差し伸べられていた。

あいかわらず上から下まで黒一色の尭は、この雪景色と対照的だった。くっきりと切り取ったような姿の兄を見上げ、ハナは笑った。

「……私が黒ばっか着るのは兄さんの影響かもね」

「ん? そうか?」

「……あのね、こないだまでいた世界でね、黒ばっかりじゃつまらないって言われた」

尭は喉の奥で笑う。

「すっごい紅い色の着物も、青いのも、似合うって言ってくれたよ……」

呟いたハナに、尭は笑いながらこう言った。

「たぶん……白いのも似合うんじゃないかな」






 謁見の間での騒動のあと、女王は私室に戻り、宰相も退出した。

王城の近衛兵の宿舎が設けられている一角、衛兵の食堂の片隅で里応と斎兼が茶を呑んでいた。

「やれやれ……肝を抜かれたわ……」

「俺もだ。只のお人ではないと思っていたが、よりにもよってローブミンドラの皇子殿下とは……」

里応は呆れ半分驚き半分で首を振る。

 この国の人間でローブミンドラ王国の名を知らぬものはない。なぜなら、かの国こそが竜王が舞い降りた地だといわれているからだ。ローブミンドラとは、すなわち竜王一族の国なのである。

だが、水華蓮の建国神話とともに語られる竜王の国は、地図にないこともあり、実在を信じている者は皆無であった。

斎兼は声を低め、ずい、と身を乗り出した。

「それよ! 言われてみれば『宰相』の任命式は不可解な事が多い」


 水華蓮国の宰相は代々、家柄も血筋もわからない。前宰相が何らかの理由で(死去とは限らず、理由が不明の場合も多々ある)引退すると、次代の宰相が連れてこられるのだ。

神祇官長に伴われて。

王族、貴族たち、また近衛兵らは大々的に開かれる宰相任命式の式場においてはじめて新宰相にまみえ、その交代を見届ける。

賑々しい宴会は夜通し行われ、夜明け前に新旧の宰相は神殿に戻り、夜明けとともに新宰相だけが王城に戻ってくる。

不思議なことに神殿に寝起きする神官の一人、警護の兵一人たりとも立ち去る前宰相の姿を見る者はいないのだ。

 ウワサでは、神殿には神祇官長しか入れぬ部屋が一室あるという。

ここにはたとえ女王たりとも足を踏み入れることは適わない。幾代か前の王が禁を犯し、この扉を開いた。その王は数百年たった今でも行方不明のままなのであった。


 「……今日の青慧様のお言葉で、やっとわかったような気がする」

「うむ……。まあ、神殿の奥のことまではわからんがな」

里応は茶をすすり、ふと首を傾げた。

「まあ、それはわが国の代々行われてきた儀式のうちなんだろうが……どうも解せん」

「ん?」

「青慧様は、何ゆえ今ごろこのことを明かされたのか……」

斎兼は同僚の言に訝しげな顔をしつつ、茶請けの干し果物を口にほうりこんだ。

「そりゃ、守人の一族が来たからだろ……?」

「それはそうだが、どうもな……我々にまで聞かせるためのような気がしてな……」

あの場には近衛の下っ端はもとより、口さがない女官らも大勢いたのだ。今ごろはこの王城中、もしかしたら市中にまで広まっているかもしれない。

大体、神祇長官がいくら宰相はローブミンドラの皇子殿下だと言ったところで、はたして幾人の王族や貴族が信じるだろうか? 下手をすれば、出自の解らない『宰相』の立場を正当化するための方便と受け取られかねないのである。だが、そうでない人々にとっては……?

「ふむ……」

考え込むように黙り込んだ近衛の二人は、手元の湯飲みに目を落とした。

二人の脳裏には一人の異邦人の姿が浮かんでいた。

ある日突然現れ、白銀の竜を呼び出し、帰っていった女――その直後に宰相を竜王と呼んで登城した守人の一族の長たち。明かされた宰相の出自。

「―――いかんいかん。我らは近衛だ。余計なことに気をまわしておっても仕事はできぬぞ」

「…………確かに」

斎兼の言葉に、里応は苦笑を返し、同僚を追うように立ち上がった。



 すれ違う官吏や女官には目もくれず、幾つかの角を曲がったとき、青い法衣をなびかせて歩いていく背を見つけた。

「青慧殿!」

呼ばれて、神祇官長は振り向いた。足早に近づいてくる人物をみとめ、微笑む。

「いかがなさいましたか、宰相?」

いつもどおりの柔らかな物腰に、勢い込んでいた宰相は出鼻をくじかれたように一瞬、言葉に詰まった。

「……何故、あの場で私のことを……いや、それよりも……」

「何故、ハナ様が今日お帰りになったことを知っていたのかと?」

ちょっと悪戯っぽく笑った神祇官長は若い宰相を見つめる。

秀麗な鉄面皮が幾分、朱を増した。それを好ましく思いながら青慧は朗らかに笑った。

「宰相。私は神祇官ですよ?」

「……それは、そうだが……」

「この王城の――ひいては、王国の気が乱れれば感じることができます。ですから、今日の昼、あの方がこの界から居なくなったことはわかりましたよ」

「………だが、ハナが現れたことは、ご存知なかったはずだ」

「左様。私としたことがよりにもよって、この王城の気を乱すものを感知できなかった。これは由々しきことです」

しかつめらしく頷く青慧を眺め、宰相は眉根を寄せた。

「……本当に、そうお思いか……?」

「勿論ですよ! おや、馬車が到着しましたね。……どうです、神殿においでになりませんか? ゆっくりお話できると思いますよ」

ほんの少し躊躇した宰相だったが、今日のところは辞退した。青慧はにこやかに笑いながら 「いつでもいらして下さい」 と言って帰っていった。

軽い溜息を吐き出した宰相の後ろから声が掛かる。

「文官長……」

立っていたのはひょろりとした初老の官吏だった。穏やかそうな相貌のこの男は文官を束ねる長であり、ウワサでは豪傑でならす武官長さえ黙らせるほどの気迫も持ち合わせているとか。

この王城にあって宰相の数少ない信のおける人物であった。

「……何だか、あの方の前にいると恐ろしく自分が幼いような気がしてきます……」

珍しく気弱なことを言った宰相に、文官長は楽しげに笑い声をたてた。

「あの方はひとを煙に巻くのがお上手ですからな……うっかりしてると話の要点さえ、すり替えてしまわれるんですよ。お気に召さるな、宰相。この私とて、たまにやり込められますからな」

屈託のない言葉に宰相は苦笑する。

「ま、神祇官長攻略の作戦の前に、一服お茶でもどうですかな」

「……喜んで」

初老の文官長と若い宰相は連れ立って歩き始めた。




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