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虚空の鑑  作者: 直江和葉
19/73

【冬】


 どんよりと曇った空から落ちていた水滴は、午後になって白いものに変わった。

「あら、雪よ!」

「ほんとだー。もう本格的に冬ねえ。今年はホワイトクリスマスになるかしら」

そんな会話を聞きながら、矢島ハナはパソコンのキーボードを叩いていた。

インフルエンザで(ということにしている)休んでいた間の仕事がかなり溜まっていて、ここ三日ほどは残業続きだった。息つくひまもないほどフル回転したおかげで今日は定時で上がれそうだ。

ほんの少し心に余裕が生まれ、数日前まで過ごしていた世界を思う。――奇妙な感覚だった。確かに居たはずなのに、それを確かめる術がない。

(夢でも見てたみたいだ……)

だが。

竜樹に纏わりつくあの闇は、夢であって夢ではない。

あの凍りつくような闇をていなければ、めまぐるしいこの日常に水華蓮の記憶は埋没していただろう。

(竜神……)

ハナは胸元を押さえ、雪の舞い散る窓の外に目を向けた。


 会社を出ると、雪はあがっていたが冷たい風が頬を打った。ふと前を見ると、車にもたれかかるようにして黒ずくめの男が立っていた。

「あ!」

「お疲れ」

その人がにこりと笑ったとたん、後ろにいた同僚がハナの腕を掴んで再びドアの中に引きずりこんだ。

「いたたた。ちょっと……」

「だれっ!? 素適な人!」

「まさか彼氏?!」

ハナは、目を爛爛と輝かせる同僚たちを不思議そうな顔で見やっていたが、ニヤリと笑って言った。

「そうだよ。――なーんつって。うちの兄上デス」

「兄っ!?」

「うそっ! 紹介して!」

「やーだよう」

ずるい、ひどいと騒ぐ彼女達を置き去りにして、ハナは笑いながら尭に駆け寄った。

その一連のやり取りを眺めていた彼は苦笑して、

「……いいのか?」

「いいんデス。いつものことですから。――兄さん、いつから待っててくれたの?」

兄の腕に触れたハナはその冷たさに心配げな顔を向け、大きな手を握った。その冷たさにますます眉をしかめる。

「そんな長い間じゃない。……そんな顔をするな」

「だって……」

その二人の間に、ぬっと顔が現れた。

「ちょっとちょっと、お二人さん。仲良しなのは結構だけど、とりあえず車に乗れば?」

「わっ! 亮兵、いたのっ!?」

飛び退いたハナに、亮兵はしかつめらしく頷き、

「残念ながらいたの。どーでもいんだけどね、君ら兄妹は目立つんですよ。これ以上ギャラリー増やしたくなければ退散しませんか、尭さん」

そう言って尭のほうにぐりんと振り向いた。

亮兵の言うとおり、ビルの入口から覗いているハナの同僚は二人が複数に増え、通行人までもが興味深げに様子を見守っている始末。

黒服の青年は笑いながら「それもそうだ」と言ってハナを助手席に乗せると、さっさと運転席に座り速やかに車を発進させた。


 車に乗るや手渡された古い新聞のコピーの束には、当時の被害状況が記されていた。

十年前の甚大な被害を出した暴風雨。――なぜかそれは台風とは書かれていない。

 台風の定義とは、熱帯・亜熱帯の海上で発生した熱帯低気圧のうち、中心付近の最大風速が毎秒一七・二メートル以上になったものをいう。毎秒一五メートルから二〇メートルの風速とは、人が風に向かって歩けない強さだといわれる。

あの日の嵐は風速毎秒三〇メートル、雨量は七五ミリ……マンホールから水があふれ出るほどの水量である。

「……その暴風雨が台風と呼ばれなかったのはな、台風の定義に当てはまらなかったからさ。俺も、調べてみて初めて知ったんだけど、あの嵐は突如として日本上空に現れたんだ」

「……え?」

「これ、見てみな。あの日の天気図だ」

亮兵が一枚のコピーを渡す。そこには台風を思わせる大きな雲もなければ、日本列島は雲ひとつ無い上天気だったのだ。

「……ねえ、突如としてって……そんなことありうるの? 雲もないのに……これ見る限り、風もなさそうだよね?」

「ありえないね。細かい数字は端折るが、あの日の日本には嵐なんか発生する条件が一つもそろってなかった」

では、一体なぜ――?

突如として現れた嵐、消えた従弟、そして彼らしき人に呼ばれ、異世界へと飛ばされたハナ。


 ハナ、これはお前様ひとりでどうにかできる問題ではないのじゃよ。


 仙人・博士の声がよみがえる。


 これは水華蓮という国が持つ宿業なのです。――遠い、過去からの、ね――。


 そして、糸目の神祇官長・青慧の言葉。


 ――助けて、ハナ!


 竜樹の声。

 そして、呼び出した白い竜。


 どくん! と心臓が鳴った。

自分は本当に帰ってきても良かったのだろうか……?

あの竜を呼び出したことによって、国が騒がしくなると青慧は言った。具体的に何がどうとは聞いていないが、早々にハナをこの世界に、青慧が無理してでも、戻してしまわなくてはならないほどの事があったのだろうか?

青銀のの彼は……緑の小さなドラゴンはどうしているだろう……? 私が起こしてしまった事件が彼らに災いしていなければいいけれど……。

そこまで考えて、彼女は唇を引き結んだ。

(……居て、何ができるだろう……)

「…………ハナ?」

黙り込んでしまった友人を覗き込むように、亮兵が声をかけた。彼女はハッとして顔をあげ、気を取り直すように亮兵とディスカッションを始める。

その様子を視界の端に認めながら、尭は黙ったまま車を走らせていた。

止んでいた雪が再びちらつき始めた。



     ※



 あの竜はどこに行ったのだろう?

一瞬にして通り過ぎた白銀の巨大な竜を、彼は闇の中に立ち上がり探りはじめた。

  ――あいつに見つかるとたいへんだ……

  ――それまでに何とか会えるといいけれど

竜が放つ光が消えた方向へ、両手を突き出し一歩一歩進んでいく。

纏わりつく闇に足を捕られそうになりながら、それでも彼は前へ進んだ。

初めて心に灯った小さな火。

ともすれば、そよ風にさえ消されそうなほど小さなものであったにせよ、それは彼がこの闇の中に閉じ込められて以来はじめて感じた熱であった。

  ――ハナ。僕、できるだけやってみるよ

  ――絶対に会わなくちゃ……会って、言わなくちゃ……

一歩、また一歩、慎重に足を運んでいく。

纏わりついていた闇が、薄れていくのに気がついた。

彼は、目を見開き、疲れきった足を叱咤して大きく足を踏み出した。

瞬間、一変して白い闇が襲い掛かってきた。

  ――ううっ!

あまりの眩しさに眼を閉じていたが、恐る恐る目を開く。

「あ……っ!」

思わず声が洩れた。

高い岩の壁に四方を囲まれ、天井は刃のように尖った岩がいくつも突き出し、じめじめとした岩肌には得体の知れぬものが蠢いている。

彼はおぞましさに一歩退き、背中が岩壁にあたって飛び上がった。

そして、瞬きして目の前に横たわるそれに目を向ける。

白い闇の正体――それは、目の前にとぐろを巻いている巨大な竜の鱗だったのだ。

「ああ……っ!」

彼は感動と共に、絶望を味わう。

白銀の竜の美しい体躯に黒く禍々しい鎖が巻きつき、その目は固く閉ざされていた。

「どうして……!」

そして彼は、悔し涙を滲ませながら、白い鱗の上を生き物のようにおぞましく蠢く黒い鎖に掴みかかった。




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