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虚空の鑑  作者: 直江和葉
17/73

【凪】

ひそやかに新章スタートです。


 冷たい闇の中で彼は目を開いた。

もとより、闇しか見えない。もうずいぶん長い間ここに閉じ込められているせいか、実際、目を開いているのか閉じているのかわからなくなる。

彼が目を開けたのは、圧し包むような闇が温度を下げたからだ。

 ―――寒い……

そう呟きはしたものの、すでに冷え切ってしまった体にまだ 「寒い」 と感じる感覚が残っていることに苦笑した。

 ―――僕は、案外しぶといのかもしれないな……

そしてふと、いつも縋る思いで見つめている光へと目を向けた。

だが。

 ―――……光が消えてる……

方向を間違えた?

振りかえってみても、どんなに目を凝らしても、たった一つの希望だった光はどこにも見出すことはできなかった。

 ―――……ああ……あああ……

搾り出すような声をあげ、顔を覆い膝をつく。

見捨てられたような気がした。

あんなに叫んだのに、ハナは気付いてくれなかった……

彼の全身から放たれる哀しみに吸い寄せられるように、冷たい闇は凝っていく。

さらに深く、黒く冷たく。

彼は爆発したように、声を限りに泣き叫んだ。

 ―――どうして気付いてくれないんだ! 長い間、誰も探しに来てくれなかった! 誰も僕の声を聞いてくれなかった! 父さんも母さんも、友だちも誰も探しにきてはくれなかった!

 ―――あんなに助けてって!

 ―――何回も叫んだのに!

 ―――あんなにあんなに叫んだのに!

闇の空間にいんいんと響く声は、はね返り己の耳を打つ。

しばらく肩で息をしていた彼はぽつりと呟いた。

 ―――叫んだのに……

その自分自身の言葉にふと、引っ掛かりをおぼえ、闇で見えないはずの己の掌に目を落とした。

彼を取り囲むように集まっていた闇の動きが止まる。

 ―――叫んだ、だけ……

呟き、彼はあらためて思い至る。

そう……自分は叫んだだけだった。


本当に、自分には叫ぶことしかできなかったのだろうか? 

本当に、あいつに抵抗することは不可能だったのだろうか? こうして、身体は自由に動くのに? 


息を呑む。

あの光に助けてほしかったなら――あれが 「ハナ」 だと確信していたのなら、自分はどうやってでも彼女に向かって進まねばならなかったのではないのか。

小さなあの光が見えていたのは闇の中にいる自分だけなのだ。闇の中だからこそ、それが見えたのだ。

光は、闇の中に埋もれている者が光を発しなければ、当然、気付くはずもない。

そんなことにも気付かず、あんなに遠い光にむかって叫んだとて届くはずがないのだ!

 ―――…………僕は、なんてバカだ……

こんなに長い間、一体、何をしていたのか。

己の愚かさに笑いがこみあげてくる。

 ―――ふっ……あは……、あははは……

乾きをともなった笑い声が闇の中に響く。

とりまく闇は、いぶかしんでいるかのようにひっそりと静まりかえっていた。

しばらく笑いつづけていた彼は、気が抜けたようにその場にどっかりと胡座をかいた。

 ―――そもそも

何故、自分はこんなところに閉じ込められていなくてはならないのだ?

目を閉じると浮かぶのは、あの夜の嵐。

走る稲妻は間髪おかず地上に刃を突き落とし、吹きすさぶ風は雨を叩きつける。

カーテンを開け、それを眺めていた自分の前に突如として現れたあいつは言った。

【 ほう! こんなところで再会するとは、よほど縁が深いとみゆるのう。――おや、我を忘れたのか。ふふん、輪廻とは有難いものじゃの。都合の悪いことは忘れてしまうゆえな。したが、このままおんしを捨て置くわけにはまいらぬ。ここで会ったがなんとやらじゃ。来よ! いずれ使い道を考えてやろうぞ 】

勝手にぺらぺらと喋ったかと思うと、土砂降りの雨の中に引きずり出された。

狂ったようなあいつの笑い声は、雷鳴よりもぞっとした。

 ―――再会……?

あいつにあったことがあるのだろうか? いや、ないはずだ。

リンネがどうとか言っていたが、何のことだか……。

考え込む視線の端で、白く光るものがあった。

反射的に振り返る。

光だ!

まさか、ハナが?

今度はどんどん近づいてくる。

 ―――こっちへ来る!

彼の胸は嬉しさに躍らんばかりだった。

向かってくる光は強烈な輝きを放ち、大きくうねった。

 ―――え……?

みるみるせまった白銀のそれは、凄まじい勢いで彼の頭上を駆け抜けた。

 ―――わあっ!

風圧に耐え切れず尻餅をつく。

 ―――え? ……えええええっ?

彼は自分が目にしたものに度肝を抜かれ、素っ頓狂な声をあげた。

当時十歳だった自分でさえ、それが想像上の生き物であることは知っている。だが、いま己の頭上を駆け抜けたものの姿を、はっきりと確かに捉えた。

それは、白銀に輝く巨大な竜だった。




     ※




 否応なしに流される感覚。

しかしそれは断固たる意志によって導かれているようでもあり、彼女は思い切って目を開いた。

「………っ!」

息を呑む。

光の渦と流星の世界。

凄まじい勢いで流れていく星々は、彼女をすり抜け縦横に煌めきを残して消えていく。

その美しさに瞬きも忘れて見入る。

ふと――。

なんとも言えない感情がわきあがった。

(これは…………)

つかめそうで、つかめない感覚。

ハナは星の世界を見つめながら、必死で記憶を探った。

知っている気がする。

そうだ、これは――――

何か、大事なものを掴めそうになったとき、

「わあっ!」

男の叫び声と同時、ハナは重力が支配する世界に放り出された。

(落ちる!)

頭を抱える間もなく、どすんばたんと派手な音がして落下は止まった。

妙に柔らかい衝撃に驚きながら、ハナはおそるおそる目をあける。

「よう……」

低い美声、端正な顔が覗き込んだ。

よく知っている友人の顔。

ハナは喜色に顔を輝かせて勢いよく起き上がった。

「亮兵っ! 私かえって……」

「ハナ……」

すぐそばから聞こえた声に、ハナは心臓を飛び上がらせた。

懐かしい、空気を震わすような低い声。

だれがこの声を聞き間違えるだろう?

「――兄さん!」

「おかえり」

矢島尭は精悍なおもてに微笑を浮かべ、飛び込んできた妹をしっかりと抱きとめた。


 

 ハナの話を聞き終えた二人の青年は唸ったまま黙り込んだ。普通なら荒唐無稽な作り話として一笑にふされておしまいだっただろう。

だが、こうして不可思議な現象の一端に触れてしまった以上、嘘だとは言い切れないのである。

何しろ、行ったときはハナのアパートだったのに、帰ってきたのは亮兵のマンションの自室だったからだ。

たまたま矢島尭が来ていたのは良かったのか悪かったのか……。

「まあ、別世界に行っていたとして、しかしな、ハナ。竜を呼び出したってなナンダ?」

亮兵が頭をぼりぼり掻きながら訊ねれば、

「なにって……木彫りの鳥が生き物に変わったから、ちょっと応用してみただけなんだけど」

あっけらかんと返されてしまった。

「まあ、そのへんはどうでもいいんだが、竜樹がいるっていうのは本当なのか?」

形の良い顎をつまみながら尭が尋ねる。

亮兵は頭を抱えた。

(この兄妹は…………)

ハナはちょっと困ったような顔をして首を振った。

「会ったわけじゃないんだけど……でも、いると思う。だって、何度も呼ぶから……」

「ふむ……その、ホウライヌという国にか……」

「うん」

「――ホウライヌねえ……まるで日本みたいだな」

ぼそりと呟いた亮兵の言葉にハナは顔をあげる。

「むかし、蓬莱とよばれていたろ? 始皇帝の命を受けた徐福が不老不死の薬を探しに蓬莱に来たって伝説もある。蓬莱ってのは山の名前だともいうな――まあ、ホウライヌってのが日本だとは思わないけどね。どっかでリンクしてるみたいで変な感じだな……」

独り言のように言って、カーテンから外を覗いた青年は 「雨だ」 と呟いた。


 帰り際、尭からハナの会社に連絡するよう進言してくれたのは亮兵だと聞き、彼女は慌てて友人に頭を下げた。

「ま、四日くらいのもんだからな。インフルエンザだったとでも言っとけばいいんじゃないか?」

「ありがとう、亮兵。じゃあ、またね」

マンションのエレベータに乗り込みながら、何気なく告げられた言葉に愕然とした。

四日。

たったの、四日!

「……信じられない……」

「ん?」

「私が水華蓮に行ってからゆうに十日はたってるよ。なのにこっちでは四日なんてありえない」

「――?」

「だってね、兄さん。竜樹が消えたのは十年前だったよね? 水華蓮で嵐……っていうか、異変があったのは数年前だっていうんだよ。どう考えたって、こっちのほうが時間の流れは速いはずなんだけど…………あ、まさか、青慧さんが……」

そうとしか考えられない。

糸目のほんわかした印象の神祇官長を思い浮かべ、底知れない力を持った人物なのだと今更ながら思う。

彼はあれから倒れたりしなかっただろうか?

そして、あの人は―――

考え込むように黙り込んでしまった妹をしばらく眺めていた尭は、やがて、ふっと笑みを洩らした。

「……ハナ、立ち去ってきた所を思い悩むのはよせ。お前がその国で竜を呼び出したとき、「感謝」 を捧げただけだと言ったな? それなら、ここからできることは尽力してくれた人々に対して幸せを祈ることだけだ。――竜樹のことは、置いておくとしてもな」

大きな手が頭に置かれた。

「――――。うん、そうだね……」

ハナはにっこりと笑ってうなずくと、兄の腕を引っ張った。

マンションのロビーを出て駐車場へと向かう。

「すごい雨! ねえねえ、久々なんだし、どこかでゴハンを食べようよ! あ、亮兵も呼ぼうか!」

コートのポケットに手を突っ込んで、携帯電話を取り出そうとした。

「……………あれ?」

手にあたったのはなめらかなプラスチックボディではなく、さらりとした四角いものだった。

ポケットから引っ張り出し、唖然とした。

「何でこれが……」

木箱だった。

朝、目覚めたら何故か傍のテーブルにあって、何気なく開けてみたときのショックといったらなかった。

忘れるはずがない。華麗な装飾の小さな瓶。

これは――

「なんだい?」

固まってしまったハナの手から木箱を取り、尭は蓋をあける。「ほう!」 という感嘆の声がもれた。

「――香水か?」

ちょっと悪戯っぽく笑いながら、尭は小瓶を取り出した。

「えっ、何でわかったの? やっ、待って、兄さん! 開けないで! 開けちゃだめ!」

不思議そうな顔をした兄に、かいつまんで説明する。亮兵の部屋で報告した中には含めていなかったのだ。

その香水にまつわる一連の出来事は、何故かハナの鼓動を早めてしまう。

溢れかえるような花と果実の香り、襲ってきた闇、群青の髪と香木の香り、煌めくような青銀の瞳――

「ハナ……」

心なしか頬を染めている妹をしげしげと眺め、彼は溜息をついた。

「……まったく……いずれはと思っていても、いざそうなると何だか納得がいかないね……」

「ちっ……ちが……! な、何のこと! そ、それ開けると倒れちゃうから! すっごい濃いアルコールみたいでね! でも、女王様とかは平気みたいなんだけどね!」

動揺を隠し切れず意味不明なことを喋るハナの口は、兄の大きな掌でふさがれた。

尭は、たいていの女性がとろけてしまうような微笑を浮かべ、妹の顔をのぞきこんだ。

「……わかったよ。でも、この香水の送り主には少し興味がある。食事しながら聞かせてくれないか、彼のこと」

「――――っっ!」

長年の経験で、こうなったら逃れられないことを熟知している。

別の言葉でこう言うのだ。

蛇に睨まれたカエル。









こんにちは。

いつもありがとうございます。


やっと新章スタートできました。

……の割には何だかまったりな……


あ、矢島兄妹は仲良しなだけですから、どうかご心配なく!

でもやっぱ、兄ちゃん甘々なのかしら……?

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