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虚空の鑑  作者: 直江和葉
15/73

【黻】


 その日、田無亮兵は消息をたった友人のアパートに出かけた。

ハナの携帯に繋がらなくなって三日たつ。

あのわけの解らない状況から脱していれば連絡が入るはずだが、それもないとすれば…………。

 階段を上がりきったところで、部屋の前に黒ずくめの男が佇んでいるのが見えた。

この寒空の下だというのに黒いジャケットと薄手の黒いセーター、黒のスラックスと黒の革靴といういでたちで、コートも着ていない。手には持っているが本人はいっこうに寒さを気にした様子はない。

日本人離れした均整のとれた長身の体躯は鍛え上げられて引き締まっており、黒ずくめという服装とあいまって隙のない近寄りがたい雰囲気がある。

亮兵はこの男を知っていた。

「……たかしさん」

凛とした横顔がこちらに向く。たいして驚いた様子もなく、静かな声が返された。

「……亮兵君、だったか……?」

「お久しぶりです」

ハナが誰よりも敬愛する兄・矢島尭は、妹の友人に小さく頷いてみせた。


 亮兵と尭はアパートの近くにある喫茶店へと入った。

月曜の昼過ぎとあってか客はまばらで、込み入った話をするには都合がよかった。

一番奥の窓際の席を陣取り、コーヒーを注文したあと亮兵は向かいに座った男に訊いた。

「部屋に入らなかったんですか。……合鍵、確か持ってらっしゃいましたよね」

「―――。ああ。なんとなく、ドアを開けてはいけないような気がしてね」

尭は少し笑みを浮かべて応える。

彼の不思議な能力についてはハナからよく聞かされた。

尭は霊感というのか直感というのか、とにかく異常に鋭い感覚の持ち主で、よく両親を困惑させていたらしい。

小さい頃、何度も危ないところを助けてもらったのだとハナは笑っていた。

実家の武術道場をハナが継ぐことになったのは、彼のその特殊な能力が原因らしいのだが、詳しくは知らない。

遠い全寮制の高校へ入学が決まったとき、ハナは大泣きして嫌がったという――筋金入りのブラコンぶりを発揮した。

(……あんときゃ俺もお手上げだったけどな……)

亮兵はこっそり苦笑する。

「亮兵君、ハナがいなくなった経緯を教えてくれないか」

尭は前置きもなく青年に訊いた。

亮兵は頷き、あの日の電話のやりとりを話し始めた。




 「ハナ様」

テラスでぼんやりと空を眺めていたハナは、呼びかけに振り向く。

女官の藍華が立っていた。

「ああ、ごめん。何?」

「お召し替えをお持ちしました」

ハナは頷きかけて、苦笑を浮かべる。

「いや、いいよ。今日は元の世界へ帰るつもりだから、このまま着てる」

そう言うと、藍華は少し困ったような顔をした。

「はい、ですが……あの、神祇官長様たってのお申しでございまして……」

「神祇官長……? というと、確か青慧さん……」

「はい」


 女官達がハナに用意された着物を広げて簪や美しい刺繍帯、光沢のある染めの衣にはしゃいでいるのを眺めながら、当の本人は首を傾げるばかりだった。

蒼い法衣の糸目の男――青慧。いつも笑ったように見える顔とほのぼのした雰囲気のせいか、初めて会った気がしない。ちらと訊いたところでは、宰相に次ぐ重鎮の一人で城に勤める女官達でさえ、そうそう会える人物ではないのだそうだ。

――どんな用があるにせよ、高貴なひとに呼ばれて昨日の汗臭い洋服のままでは失礼だろうと思い、しぶしぶ袖を通すことにしたのだが……。

(……しかし、まあ、この国の女性ってのはよくもこんなに着込めるもんだな)

女官達が着飾ったハナの姿に惚れ惚れしている一方で、ハナはやれやれと溜息をつく。


 一番下の肌着はごく薄い水色で、さらりと柔らかな素材だった。その上にもう少し濃い青の襦(短い衣)を重ね、まず一枚目のスカートは純白。その上に絹のような光沢のある豪奢な有文の、藍色の胴衣。そして胴衣と同じ藍色の有文の羅を何枚も重ね、裾を少しずつずらして花弁のように見える裳を銀の帯で締め、最後に裾の長い純白の羅の上衣を羽織った。上衣の裾には控えめではあるが、よく見るとひじょうに手の込んだ刺繍が施されている。

ざっくりと編んでいた三つあみは解かれて、水華蓮風に結い上げられ、着物と一緒に届けられた銀色の簪が挿された。


 既にこの時点でげっそりとした感じのハナの顔を見て、藍華は笑った。

「嫌ですわ、ハナ様。とてもよくお似合いですのにそんな顔をなさってはいけません。こちらの着物もお召しになっているうちに慣れますわ」

結構ですわ――と言いたいところだったが、神殿から使者が来訪したと告げられ、再び溜息をついたハナだった。



 使者とハナは城を出て馬車に乗り込んだ。

青慧は王城には住まわず、城の東にある神殿に住んでいると聞いて驚いた。使者は笑って一応ここも【王城】の中だと言ったが、いやはやとんでもない広さである。

 王城の神殿は正確には神祇庁というのだが、城では『神殿』で通用しているらしい。

何を祀っているのかと問うと、特定のものはないという。それはつまり、あらゆるものの生命いのちを育むすべてが本尊だということのようだった。それを端的にあらわしているのが神殿の紋章で、二重の真円に竜が絡みついている。

使者が言うには内側の円は命の源、外側の円はそこから派生した命であり、絡みつく竜はこの国の守護神獣――これは創世神話に基づくらしい――であるそうだ。

「ハナ様はこの守護神獣を呼び出されたとか。私も見てみたかった……」

残念そうに言った彼は、あのとき図書館にこもっていてまったく気付かなかったのだそうで、外にいた者や、たまたま廊下を歩いていた者は、北の空へ飛んでいく白銀の竜を見ることができらしい。

「いや、その……」

あれは単に自分の描いた絵が、この地の何かに力を借りて実体化しただけであるとは、さすがに口にできず……何だか申し訳なく思って竜の鱗を見せてやると、使者は感激して涙ぐんでしまった。

 馬車に揺られてしばし、城の東にあたる森の奥に城門並みの巨大な門が見えてきた。それをくぐり、森を抜けると巨大な石柱に支えられた白い神殿があらわれた。

「こちらです」

使者は、あっけにとられて石柱を見上げているハナを促して中へと入っていく。

神殿は磨きあげられた白い石でできていた。

入口から真っ直ぐ進むと広間に入る。正面には祭壇がしつらえられ、何人かの神祇官が祈りを捧げていた。

右手は多くの神祇官が行き来しており、さまざまな業務がなされているらしい。

ハナが向かったのは反対方向、左手の通路で明かりもなく薄暗いトンネルのような廊下だった。

空気がひんやりと冷たい。だが、その冷たさは真冬の清澄な朝を思わせ心地よかった。

トンネルの向こうはいきなり開けて、陽光が降り注ぐテラスとなっていた。

「こちらでお待ちください。今日は、素晴らしいものを見せていただきありがとうございました」

テーブルに案内した使者は深く一礼し、にっこりと笑うと立ち去って行った。

視界から彼の背中が消えたあとも、しばらくその方向を見つめていたハナは、気を取り直すように一息ついて振り返る。

「わあ……」

広がる風景に思わず呟き、手摺に寄りかかった。

神殿のテラスから見えたのは海。首を捻ると遠く霞むように山脈が連なっていた。

「気持ちいいね、シュリー」

吹き抜けていく風に深呼吸して、肩のドラゴンに囁く。

シュリーマデビイは少し首を伸ばすようにして、珍しげに金の目をぱちくりさせた。


 神殿の奥、青慧の執務室は神祇官たちの住居や執務室とは別の区画にある。

この区画への出入りは官長とその補佐官、女王と宰相、他ごく限られたものが許されていた。

一つには、この区画に国宝が安置・保管されているためであるが、いま一つには、城に事あったときにはここが女王の砦となるのである。神殿が王城と同じ規模を持っている理由は他でもない。いざというとき城の者を収容するためであった。

接見の間および女王と宰相の間は常に清められており、一級の調度が整えられていた。だが、隣接している官長の私室や執務室は呆れるほどに質素であった。

青慧が神祇官官長に任命されたとき、この部屋はまばゆいばかりに光輝き、乱反射して書類など見れたものではなかった。翌日、彼は神殿内一斉清掃を断行し、七日かけて不要なものを排除し尽くしたのである。

神殿から出た呆れるくらいの贅沢品は女王・宰相との話し合いにより民に還元されることになった。

結果、官長室には今も必要最小限の調度しかない。


 その質素な室内に似合わない豪華な扉がノックされ、補佐官が入ってきた。

「青慧様、早良さわら神殿より書状が届きました」

執務机に広げた書状を見ていた彼は、わずかに眉をあげた。

「早良神殿……港からか」

「さようです」

補佐官より受け取り、広げる。

「―――。海門、アイオリア・ガナ……」

青慧の呟きに、補佐官は目を丸くした。

「海門……て、守人の一族ですか」

「ん……」

青慧は机の上に広げていた二通の書状と並べ、頬杖をついた。

(これですべての国境からの書状が揃ったことになる。――竜王の眷属、か……)

と――。

「失礼いたします。ハナ様をテラスへお連れしました」

「――!」

はっと顔を上げた青慧は、気難しげな表情を解き、ニッコリと笑った。

「すぐ行くよ。……そう……あの方には早々に帰っていただかなくてはね……」

青慧は呟き、椅子から立ち上がった。




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