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虚空の鑑  作者: 直江和葉
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【助け手】


 白銀の竜。

王城の中庭に舞い降りたそれは、人々の想像を絶するほどに巨大であった。

首周りも大の男三人が両手を広げてもまだ足りぬほどだ。そして、長大な体躯を被う鱗の美しさは城中の宝玉を集めてもなお、その輝きには到底いたらぬだろう。

人々はまるで神話の世界に足を踏み入れたような錯覚に陥った。

 ハナは呼び出した自分でさえ初めて見る想像上の生き物の出現に、かつてないほど感動していた。

そして自分の求めに応じてくれた者に心から感謝した。

「来てくれたのか……」

「ハナ!」

いつもの氷の声音に少し心配げな響きを聞き取り、ハナは宰相に頷いてみせると震える身体を何とか起こした。慌てて伸ばされる腕を押し止める。

ここは自分の力で行かねばなるまい。飛びそうになる意識を叱咤して立ち上がった。

凄まじい疲労感は彼女の動きを妨げ、宙にゆったりと浮かぶかれの傍まで行くのにまた大汗をかいた。

やっとの思いで近くまで来たとき、力尽きたように跪く。

「竜神、来てくれて、ありがとう。私の、従弟…竜樹を、護ってやってくれないか…。私の、代わりに」

息を切らしながらやっとそれだけを言ったハナは、超然と自分を見据える存在を真っ直ぐに見つめ返した。

騒いでいた女官や兵たちもその巨大な神々しい姿を目の当たりにして息をひそめ、あたりはしんと静まりかえっている。

銀色の竜はゆっくりと大きな頭をかがめ、そっとハナの額におとがいを触れる。

「……っ」

真珠のように冴え冴えとした輝きを放つ竜は、意に反して滑らかでほんのりと暖かい感触だった。触れられた部分から温かいものが流れ込み、途端、さっきまでの疲労感が一瞬にして払拭された。

びっくりして目をぱちくりさせた彼女を見下ろすかれの目が、いくぶん楽しげに煌めいているように見えたのは気のせいだったのか……。

竜はふわりと舞い上がる。

「竜神! 竜樹は北のホウライヌにいる! どうか、あの子を頼む!」

ハナは思いを託すように手を伸ばした。

白銀の長大な体躯が優雅に翻ったとき、キラリと光って落ちてきたものがあった。

「えっ? あっ! わっ! と!」

ひらり、ひらりと落ちるそれを慌てて追いかけ、両手で掴まえる。

そっと開いて見ると、十センチほどの銀色の鱗がきらきらと輝いていた。

「うわあ…キレイ!」

もう一度空を見上げる。だが、すでに竜の姿は雲間に隠れて見えなくなっていた。

「………。竜神、頼む……」

万感の思いで呟き、掌の銀の鱗にそっと唇を落とした。

どうか、竜神が竜樹を見つけられますように――

どうか、あの暗闇から助けだされますように――

祈りをこめて、一度二度、銀の鱗を撫でた。

キュルル

愛らしい鳴き声が聞こえ、肩に緑のドラゴンが舞い降りた。

「シュリー」

嬉しそうに頬擦りするドラゴンを撫でていると、傍らに気配を感じて顔をあげる。宰相の鉄仮面がなぜか氷の冷たさを伴ってハナを見下ろしていた。

何となく鱗を取り上げられそうな不安を覚え、慌ててポケットにしまいこむ。

男はぷい、と彼女に背を向けた。

「……別に、そなたが拾ったものなど捕りはせぬ…」

すたすたと歩いていく長身の背中を不思議そうに見送り、ポケットから鱗を取り出した。

「見事じゃったのう、ハナ」

後方で見守っていた博士が声をかけたのをきっかけに、それまで度肝を抜かれていた人々は息を吹き返し、感嘆の声が沸きあがった。

「ありがとうございます、博士」

鱗を大事そうに抱きしめ、ハナは莞爾と笑った。

「本当に、貴女には驚かされますね」

楽しげに笑いながら女王が歩いて来る。

ハナは笑いながら 「恐れ入ります」 と一礼してみせた。

「……これで、もう私のできることはなさそうですね……」

ぽつりと洩らされたハナの呟きに、女王と仙人は口をつぐむ。

「……生まれた世界へ、戻られるか」

博士の言葉にハナは頷き、

「早く戻らないと、友人にも叱られてしまいますので。……もっとも、あの入口が開いてくれないことには、どうにもならないんですけどね」

あはは、と笑った。

「ま、とりあえず今日はゆっくり休むことじゃ。だいぶん疲れておろう?」

「はい。ありがとうございます」

女官達に取り巻かれて私室へ戻る女王、博士と共に、兵たちも引き上げていく。

ハナはゆっくりと振り返り、竜神の姿を透かし見るように北の空を眺めた。

日は徐々に西へと傾いて、光は黄金色に変化していく。もとより、竜の姿はすでにない。

まるで夢のあとのようだ。

唯一、それが現実であることを示す美しい鱗に目を落とす。

呼びかけに応えてくれた白銀の竜の鱗。

かけがえのない宝物をもらったような気分だった。

きっと、竜樹は大丈夫――。

「へへ…。帰ったら亮兵にも見せてあげよう」

呟き、くるりと反転したハナはぎょっとして立ち止まった。

数メートル先、真正面に宰相が立ってこちらを睨んでいた。

あまりに険しい視線に、思わず一歩さがってしまう。

「さ、参謀長官殿、何か……?」

恐る恐る声をかけると、彼は鋭い一瞥をくれただけで物も言わず去ってしまった。

「何……?」

なんだか知らないが、鉄仮面の宰相はひどく機嫌が悪いようだった。

 


 竜の出現はまたたく間に人々に伝えられ、城のみならず、城下の町にまでその噂は広がっていった。

水華蓮国と竜は古の時代より深いつながりがある。

創世神話――

建国王と竜王の冒険譚はおとぎ話にもなっており、小さな子供まで知らぬものはない。

永の年月、語り継がれてきたそれは人々にとっては……そう、王家の人間にとっても、もはや「歴史」ではなく「神話」となっていたのだ。

だが、その「神話」の中の竜が出現したとなれば――

ある者は瑞祥だといい、ある者は凶兆だという。

国中のまじない師がこぞって吉凶を占い、神殿にまで注進に来る始末。そうして集まった呪い師の託宣は見事にてんでばらばらで、神殿側の竜出現騒ぎはかえって冷却してしまった。


 ここはホウライヌやギルバドとを行き来する船が発着するこの国きっての要衝である。

その貿易港に一番近いせいか、神殿はいつも大忙しだった。

朝から晩まで、船乗りの小競り合いの仲裁だの、一般市民の苦情陳情の選り分けだの、旅立つ船や入港してきた船への言祝ぎだの、他にもいろいろいろいろ――目が回るほどだ。

それに加えて竜出現の噂が広まり、通常なら絶対に接触することのない職業の者――呪い師までが神殿に訪れるようになったのである。

彼らは別に、祭司長に用があるわけではない。その上におわす王城の神祇官に自分の託宣を届けて欲しいだけなのだ。

それがわかっているから余計に腹立たしい。

「…まったく、余計な仕事を増やしよってからに……」

とっぷりと暮れた港を眺めながら、祭司長は酒を落とした茶をすすり、ぶつりと呟いた。

ちょうどそのとき、折り悪くドアを叩くものがあった。

「祭司長さま、書状が届いております」

祭司長は、思わず逃げ出そうかと思った。

使いの少年に不機嫌そうな顔を向けた彼は、

「――また、竜の話か?」

「はい。ですが、呪い師ではなく、国境警備の方からです」

胡乱そうな顔が少し訝しげなものに変わる。

「国境警備……? そんな連中が竜と何の関係がある」

「……さあ……」

そんなことを少年に聞いたとて、彼が応えられるわけもない。遅まきながらそう気付いた祭司長は、困ったように立ち尽くす少年の手から引ったくるようにして書状を取ると、片手を振って少年を下がらせた。

引きちぎらんばかりに乱暴に広げ、ざっと目を通す。

国境警備の責任者アイオリア・ガナより届いた書状は二通あった。

一通は祭司長宛てで、もう一通は神祇官官長宛である。

ごく短い文面で、竜の出現を確認したことについて、重大な知らせがあるので速やかに神祇官官長に手紙を届けて欲しいとあった。

一介の国境警備風情が何の用で神祇官官長に手紙を送るのか。しかも、それが竜と何の関係があるのか。

当然、祭司長には全くもって理解できなかった。

宛名は雲の上の人物だが、これが悪戯であれば、こんなものを送った自分が咎められる。

――ごく一般的な考えのもとに、祭司長はもう一通も広げてみた。




神祇官官長 青慧殿


  竜出現の由 

  我等一族伝うるところの契約により、かの王に帰属せしめんと欲す。

                              海門 アイオリア・ガナ


  


たった、これだけ。

「…………???」

祭司長はその夜、この書状を神祇官官長に届けるべきか、捨てるべきか悩みに悩んだ。




      ※




 闇の中で声が響いた。

闇――には無数の光が瞬いている。

光の尾をなびかせ駆け抜けていき、寄り集まった光があちらこちらに渦を巻いていた。


 ――起きろ、黒すけ!

 ――……へんな呼び方をするな。起きている。

 ――うそつけ! なにゆえ上様のお傍におらぬ!

 ――仕方なかろう。俺はいま動けんのだ。……動いてもいいが、こんな小さな島じゃ跡形もなく消えるだろうな。なんだ。ひょっとしてまたか?

 ――ひょっとしなくてもまただ! まったく、忌々しい。

 ――あれが呼んだのか。

 ――そうだ。

 ――やれやれ。もうめぐり合わせはないと思っていたがな……おかしなこともあるものだ。

 ――のんびりしている場合か! 

 ――まあ、少し落ち着け。上様が呼ばれたとなれば、ほどなくあれらも動くだろう。どのみち今はおぬしとて動けまい?

 ――ふん、まあな。だが、どうにも手が回らなくなったら呼ぶぞ。

 ――わかっている。その時は行く。


そして。

再び、光の闇に沈黙がおとずれた。






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