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虚空の鑑  作者: 直江和葉
11/73

【回旋】


 ――目を覚まさなくちゃ……

 ――香りにうろたえてる場合じゃない……


青銀の光が煌めきながら脳裏をよぎる。


 ――この色は…………



 「ちっがーう! だから、ぶっ倒れてる場合じゃないんだってっ…………」

絶叫しつつ、寝台から勢いよく上半身を起こしたハナの頭にぱこんと何かが当った。

「た!」

よろめいた上体を後ろから誰かの手が支えてくれる。

「……何が違うのだ。まったく、寝ていたのかと思えば……寝言にしては盛大だな」

聞き覚えのある低い声にぎょっとして振り返る。

群青の髪と青銀の瞳を持つ美丈夫の顔がすぐそばにあった。

「わっ! びっくりした」

仰け反るハナの頭を大きな手がとらえ、額にあてられる。

「ふむ。熱は下がったな。――事の経緯は覚えているか?」

宰相は呟き、異邦の女に訊ねる。自分の手の中で彼女の頭がこくりと頷いた。

彼は少し溜息をつくと、「あれはどうだ?」と指差した。

「あれ、って……?」

ハナの視線の先にいたもの――先程、頭を掠めていったそれが部屋の中央に立っていた。

「――――。ぁあ―――っ!」



 どうやらあれから数時間、ハナは前後不覚に眠りこけていたらしく、東にあった太陽はすでに西に傾いていた。

ハナは接見の控えの間から、博士がしばらく滞在する客間へ向かった。道案内には宰相が立ち、ハナのすぐ傍らには大きな白い鳥がついて来る。

鶴は、ひよこのインプリンティングよろしくハナに懐いた。

宰相が言うには、彼が部屋に入ったとき鶴も一緒に入り込んできて、寝台の傍らに座る宰相の隣で静々と佇んでいたらしい。そこへいきなり叫んで跳ね起きたハナに驚き、飛び上がった際に彼女の頭に足をぶつけたのだ。

嬉しそうに軽い足取りで近づいてきた鶴は嘴でハナの髪をつついたりして、肩の小さなドラゴンが不機嫌そうに鼻を鳴らしても一向に気にする様子はなかった。

――そのうち、求愛ダンスでもされたらどうしようかと本気で心配した。



 堂室に入ると、玻璃の格子窓のそばに真っ白い老人と、女王が椅子に腰掛けていた。灯火されて室内は暖かな色に包まれている。

異国の女王と不思議な老人――こんな幻想的な光景を見ていると、夢かうつつか定かでなくなるようだ。

「あらためましてじゃな、異界の方」

宰相の後ろにいるハナに気付き、皺深い顔をほころばせて老人はちょいと頭を下げた。

仙人――。

ハナの世界でも仙人と聞けば、たいてい白髪、長い髭と白い着物、そして雲に乗って飛ぶ……というようなイメージが定着しているはずだ。だが、物語に出てくる「仙人」は知っていても、実在の人物として対面したものが他にいるだろうか?

皺深い相貌や着物から出ている手を見ても、いったい何歳なのか推し測ることは難しい。だが若々しい光を放つ目は、いまもって物事への探求心を忘れてはいないように見える。

「初めまして。矢島ハナと申します。先程はとんだところをお見せして申し訳ございませんでした。不躾ながら、こちらに来てまだ日も浅く習慣も存じておりません。博士には不快に思われることも多々ありましょうが、なにとぞご寛恕くださいますよう」

ハナはきりりと姿勢をただし、何百年も生きてきたであろう賢人に深々と頭を下げた。

「ほ。これはまた丁重なご挨拶、痛み入る。習慣の違いはお気に召さるな。わしとて仙界という異界の者ゆえ」

老人はそう言ってさらに皺を深くした。


 博士は女王からこれまでの経緯を聞いていたのだろう、ハナの話に時折うなずきながら先を促した。そして、鶴の置物に話が及んだ時点で口をはさんだ。

「そう、それそれ。お前様の世界ではこのような物を生物に変えるのは普通なのかね?」

「まさか! 自分でも驚いてます。私はこの世界だからこそ、おこったことなのだと思ってましたが……よく言うじゃありませんか。器物百年を経て化して精霊を得て、とかなんとか……名のある彫刻家が作ったものなら、そんなこともあるかなあと……」

「なるほど。確かに、お前様の世界とこちらでは随分と違いがあるようじゃ。しかし、こちらの世界でも動かぬものが生き物に変わるのは、非常に珍しい現象じゃよ。わしは、自分の庵からあれが飛んでおるのを見た時、我が目を疑うたよ」

楽しげに笑う老人に、なんと返事をしたものか悩んだハナだったが、はた、と奇妙なことに気がついた。

いま、博士は自分の庵から、と言った。先には自分も異界の者であるということも。

「ちょ……ちょっと待ってください。じゃあ、あの置物…いや、鶴は、博士の…仙界に飛んでったってことですか?」

「そうじゃよ」

「普通の鳥でもありうることですか?」

「いいや。ありえぬよ」

ハナは、傍らの宰相が嘆息したくらい、ものすごい形相で考え込んだ。

木彫りからナマモノに変わってしまった鶴は、元に戻る気配もなくのっしのっしと部屋を歩き回っていた。

「ほほほ。まあ、それは後にしようかの。それよりも、お前様が第一に考えねばならぬのは、そのタツキとかいう従弟殿のことじゃろう?」

やんわりとした声にハッとして顔をあげる。

そうだった。

今は変身した鳥にこだわっている場合ではない。

「そうです。博士、今この世界で異変が起きているとか、こう、禍々しいものが集まっているとか、そういう場所をご存知ありませんか」

「禍々しい……?」

ハナの言葉に反応したのは仙人ではなく、宰相だった。

「――そうです。そうとしか言いようがない。何度も同じ夢を見る……黒い雲が垂れ込めて、黒い影がそこらじゅうに蠢いて、それに掴まるとき彼の悲鳴が聞こえる……私が、ここへ落ちてきたのは幸運でしかありえない。もしも、いきなりあんなところへ落ちていたら、今ごろどうなっていたかわからない……。だから、女王様や参謀長官殿には本当に感謝してます」

淡々と話し、にこりと笑ったハナを見やり、女王と宰相は眉をひそめた。

彼女がこの国を出て、タツキを探しに行くということは彼らもわかってはいた。だが、何度も見るという不吉な夢の話は初めて聞いたのだ。

不吉な予感。

たかが夢などと一蹴することは、どうしてもできなかった。

そんな夢を見ても、この女は一人で行こうというのか。

「何かご存知であれば、どんなことでもいい。教えて下さい。噂でも事実でも、今は情報が欲しいんです」

宰相の胸中に去来する不安など知らぬげに、ハナは真剣な面持ちで博士に訴えた。

しばし、仙人は髭をしごきながら軽く目をつぶり考え込む。

水華蓮をはじめ、隣国サイカや海を挟んだギルバドやホウライヌ、更に遠いローシカやマダスラーナなど、それなりに繁栄している国々に不穏な動きや、きな臭い噂などは今のところ耳にしてはいない。どの国も、自国内でのさまざまな問題は抱えているにせよ、他国を脅かすまでには到ってない。

――そう。表向きは、そう言えるだろう。

博士はひとつ息を落すと、厳かに告げる。

「この国と海を挟んで北に、ホウライヌという国がある。その国のどこかに、暗黒世界に通じておるという洞穴、ないしは入口があるという……」

「えっ?」

「博士、それは……」

ハナと女王は同時に声をあげ、宰相は大きく目を開いた。

仙人は人々を制するように、ちょいと片手をあげ、続ける。

「さよう。これは古い古い言い伝えじゃよ。女王も宰相もこの国の伝説はご存知じゃろう」

「伝説?」

首を傾げたハナに、仙人は頷いた。

「――世界を食い荒らす魔物を、水華蓮の最初の王が竜王と契約し、その力を借りて封じ込めたという伝説なのじゃが、その封印の地とはホウライヌにほかならぬ。かの地には封印のり人のほかは、なんぴとたりとも住むことあたわず――そう言い伝えられておったが、いつ頃からか人が住み着くようになっていったのじゃな」

「しかし、博士。人に聞いたところでは、今のところホウライヌとの交易も問題もなく行われていると……」

「うむ。そうじゃろうのう。……女王にお伝えするも少々迷うておったことじゃが、おそらく無関係とは思われぬゆえ申し上げるが……実は、仙界では気の流れに不安する者が増えはじめておる」


 博士曰く、仙界でほんの少し前、こちらでは数年前に大きな気の乱れがあったのだという。

しかしそれは一瞬の出来事であったため、仙界の者も最初のうちは大騒ぎをしたものの、取り立てて変わったことも起こらなかったために平静を取り戻した。だが、手放しで安心していたものは少なく、独自に界を流れる気に注意を払っていたものたちは、黒い瘴気を伴った一筋に気がついた。それは、細心の注意でもって見なければ気付かぬほどに、少しずつ、少しずつ濃くなっているという。

今のところこちらの世界には何の変化も現れてはいないが、気付いた時には遅すぎる。仙人の中には、早々と注意を促すために縁ある国へ行ったものもあったそうだ。

 その、瘴気が流れてくる方向が、まさしくホウライヌなのだった。


 女王と宰相は愕然として黙り込み、ハナに至っては発狂寸前である。

――なにしろ、個人的問題だと思っていたものが、とんでもない方へ流れてしまったからだ。

「じゃからの、ハナ――そう呼ばせていただくが――、これはお前様ひとりでどうにかできる問題ではないのじゃよ。そう言うのは、そのタツキがお前様の世界から消えた時期じゃよ」

「……十年前……ですか? 私の世界でも大きな嵐の夜でしたよ……」

おそるおそる言ったハナに、仙人は深く頷く。

「他に嵐にさらわれた者がおったかもしれぬが、どちらにせよ、それはこの世界と仙界を揺るがした事に間違いあるまい。ハナ。あえて言葉を選ばずに言うが、かの闇に取り込まれてしまっていたなら、彼の本性は既に喰われておるかもしれぬ、ということも忘れてはならぬ」

「――――!」

ハナのおもてからすっと血の気が引いた。眩暈に揺らいだ肩を、女王の手が支える。

「ハナ、大丈夫ですか?」

「……すみません……だいじょうぶです……」

気付かされた恐ろしい可能性に、身体が小さく震えてくる。

女王は立ち上がると、博士に一言二言つげてハナの腕をとった。戸口で控えていた女官がすかさず駆けより、反対側を支えてくれる。

「……すみません、博士、少し整理させてください……」

息も絶え絶えの風情で言った異邦人に、仙人はゆっくりと頷き返した。


 扉が静かに閉められ、堂室には博士と、宰相が残された。

重みを伴った静寂を破ったのは、年経た声だった。

「宰相閣下、お国へは?」

「――まったく」

「そうですか……。宰相閣下は、あの伝説をどうお思いか」

その問いに、宰相は青銀の瞳を仙人に向け、問い返す。

「どう、とは?」

幾分、鋭さを増したその視線をやんわりと受け止めながら、博士は温かな微笑を浮かべた。

「かの国の方々も、知っているものは少ないと聞くが……あの伝説には続きがあることをご存知であろう?」

驚きに瞠目する宰相から視線を外し、夜の帳が下りた玻璃の向こうを眺めながら、歌うように呟いた。

「――再び暗黒神が目覚めるとき、光の名を持つものは赤き風によって契約より解き放たれるであろう――」





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