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最強魔王の推し活【裏】覇業  作者: 団田図


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第9話 就寝

~定食屋プトルカン・裏庭~


 喧騒に包まれていた王都の夜も更け、静寂が街を支配し始めた頃。

 定食屋プトルカンの裏庭では、月明かりの下、二つの影が動いていた。


「シュッ! ハッ! ……せいぁぁぁっ!!」


 鋭い裂帛れっぱくの気合いと共に、ポームが拳を突き出す。

 踏み込みは深く、拳速は風を切る音を残すほど速い。

 彼女は、内に秘めた得体の知れない「迷い」を振り払おうとしていた。

 大魔王様の復活。その威厳ある姿への畏敬。しかし、そのあるじは人間の娘を妻にしようとし、自分には「妹役」を演じろと言う。

 この任務は正しいのか。自分は役に立っているのか。

 乱れる思考を断ち切るように、ポームはひたすらに正拳突きを繰り返した。


 その数メートル横で、対照的な動きを見せる少女がいた。


「ラララ~♪ ルリラララ~♪ ラララ~♪」


 アルミルだ。

 彼女はステップを踏みながら、夜空に向かって透き通るような声を響かせていた。

 それは練習というよりも、祈りに近かった。

 突如として異世界へ飛ばされ、二度と元の世界の親しい人たちには会えないだろう。そんな押しつぶされそうな不安と寂しさから逃れるために、彼女は歌う。

 歌っている間だけは、彼女は「アイドル・アルミル」でいられるからだ。


 剛と柔。武と歌。

 全く異なる動きをする二人を、二階の窓から眺める人物がいた。


「あらあら。二人とも頑張り屋さんねぇ」


 女将のパインだ。彼女は洗濯物を取り込みながら、慈愛に満ちた目で二人を見下ろした。


「やってることは全然違うのに、なんだかお互いを高め合うライバルみたいに見えるわよ。うふふっ。でも、明日に響くから、もうお風呂に入って寝ましょうね」


 パインの言葉に、集中していた二人はハッと我に返った。

 動きを止め、肩で息をするポームとアルミル。

 二人の視線が交差する。

 ポームは少し気恥ずかしそうに視線を逸らし、アルミルはふわりと花が咲くように微笑んだ。

 言葉はなくとも、「お疲れ様」という空気が二人の間に流れた。


 ーーー


 定食屋の二階にある客室。

 簡素だが清潔なベッドが二つ置かれたその部屋で、湯浴みを終えた二人は就寝の準備をしていた。

 ランプの暖かな光が、部屋を優しく照らしている。


 アルミルは、パインから借りた少しサイズの大きいパジャマに袖を通し、ボタンを留めながらポームに話しかけた。


「ねぇ、ポームちゃん。……今日は、本当にありがとう」


 その声は真剣だった。


「ポームちゃんって、すっごく強いのね。あの大きな男の人を軽々と投げ飛ばしちゃうなんて、魔法みたいだった」


 ポームの手が止まる。

 普段、魔王城という殺伐とした環境で育ち、魔族たちに囲まれて生活してきた彼女にとって、「強さ」は当たり前の義務であり、生存するための手段でしかなかった。

 誰かに守られ感謝されることなどなく、ましてや純粋な称賛の言葉を浴びせられることなど皆無だった。


 胸の奥で、言葉にできない温かいものがじわりと広がる。

 だが、ポームはそれを必死に押し殺し、いつもの無感情な仮面を被った。


「……鍛錬は毎日欠かしておりませんので。あの程度のゴロツキ、相手ではございません。姉さん」


「ふふ、頼もしいわ。それに私ね……この世界へ来てからずっと、怖かったの」


 アルミルがベッドの縁に腰掛け、膝を抱える。


「言葉も通じるかわからない、知り合いもいない。今晩は一人寂しく、寒空の下、路地裏の片隅で震えながら寝るんだろうなって……覚悟してたの。でも、こうしてポームちゃんと一緒の部屋で、温かいベッドで眠れる。本当によかった。ありがとう」


「姉さんは先ほどから、私へ感謝ばかりされておりますが……」


 ポームはタオルで銀髪を拭きながら、あえて冷たく突き放すように言った。


「全ては私の意志で行動しているわけではございません。あくまで兄上のご意志であり、私はその命に従っているだけであることをお忘れなきよう」


「シュラさんの?」


「はい。兄上があなたを守れと仰ったから、私はここにいるのです」


「そっか。シュラさんにも感謝しなきゃね」

「ところで姉さんは前の世界では、一緒に暮らすお方はいたのですか?」


 不意な問いかけに、アルミルは眉を動かした。

 すると、アルミルの表情が急に曇り、その瞳が揺れている。


「私は……パパとママと、弟がいたの。狭い家だったけど、みんなで食卓を囲んで、テレビを見て笑って……仲良く暮らしていたわ」


 アルミルの声が震え始める。


「でも、急にこんなことになっちゃって……。もう二度と、パパの作ったごはんも食べられないし、ママに愚痴を聞いてもらうこともできない。弟とおやつを取り合うこともない。……辛くて、まだ心の整理ができていないのが、正直な気持ちなの」


 ポームは言葉を失った。

 気丈に振る舞い、笑顔を絶やさなかったこの少女が抱える、喪失感の深さ。

 それは、親を知らずに育った自分には想像もできない重みだった。


「そうですか……。悪いことを聞きました。すみません」


「ううん、いいの。聞いてくれてありがとう」


 アルミルは涙をこらえるように上を向き、深呼吸をした。


「私ね、歌を歌い続ける事で、何とか自分を保っていられるの。歌っている時だけは、自分でいられる気がして……。もし歌まで奪われていたら、きっと心が壊れていたわ。……ところで、ポームちゃんの家族の事も教えて?」


 ポームは少し躊躇した後、淡々と語り始めた。


「私の両親は……私が生まれてすぐに他界しました。物心ついた時には、祖父に育てられていました。だから、両親の顔も、温もりも、何も覚えていないんです」


「そう……。ポームちゃんも、大変だったのね」


「いえ、祖父は厳格でしたが、私に生きるすべを叩き込んでくれました。一族の使命を果たすこと、強くなること。それだけが私の世界の全てでした」


 ポームは自分の手を見つめた。戦うために鍛え上げられた、硬い掌。


「それからは、家の事……いえ、一族の使命だけをずっと背負って生きてきました。だから、あなたのように夢を持って、自由な生き方を選ぼうとしている姿が、なんだか……もどかしいのです」


「もどかしい?」


 アルミルが首を傾げる。

 ポームはハッとして口をつぐんだ。

 「眩しい」でも「羨ましい」でもなく、「もどかしい」。

 それは、自分には決して選べない道を選ぼうとする、このひ弱な人間への嫉妬と、危なっかしさへの苛立ちが混ざった感情だった。


「……あっ、いえ。忘れてください、姉さん。戯言たわごとです」


「むー。ポームちゃんはさっきから距離を感じるわね~」


 アルミルが頬を膨らませて立ち上がり、ポームの目の前に立った。


「特にその『姉さん』って呼び方! なんか怖いし、慣れないからやめて。私の事は『アル』って呼んで」


「あ、ある?」


「そう、アル。それに、敬語も禁止! 私たち、歳も近そうだし……友達になりましょ?」


 アルミルが右手を差し出す。


「トモ、ダチ……? 私が、人種ぞ……あなたと?」


 ポームは戸惑った。

 魔族と人間。本来なら相容れない存在。しかも自分は、大魔王の側近であり、彼女は(おそらく)その伴侶となるお方。

 だが、真っ直ぐに向けられたその瞳には、一点の曇りもなかった。


「あ、は、ええ……」


 気圧されるように、ポームはおずおずとその手を握り返した。


「決まり! ねっ、ポーム!」


「……ああ、アル」


 ポームがぎこちなく名前を呼ぶと、アルミルは満面の笑みを浮かべた。


「ねぇポーム。このベッド、そっちにくっつけていい?」


「は?」


 アルミルは返事も待たずに、ズズズと自分のベッドを引きずり始めた。


「よいしょ、よいしょ……こうやって、ピッタリくっつけるの!」


 二つのシングルベッドが並び、一つの大きなベッドのようになった。


「ち、近いな……。暑くないか?」


「いいじゃない。夜は冷えるし」


 アルミルはさっさと布団に潜り込むと、隣のベッドに入ったポームの方へ体を向けた。


「それから……手を繋いで寝よ? ねっ! お願い、今夜だけ」


 布団から出されたアルミルの手が、小刻みに震えているのが見えた。

 昼間は気丈に振る舞っていても、やはり夜の静寂は孤独を連れてくるのだろう。

 ポームは小さくため息をつき、その震える手を、自分の手で包み込んだ。


「……ああ、今夜だけな」


 ポームの手は少しゴツゴツしていたが、体温が高く、温かかった。

 その熱が伝わったのか、アルミルの震えが止まる。


「あったかい……。ありがとう、ポーム……」


 安堵したように呟くと、安心感が一気に押し寄せたのか、アルミルはすぐに寝息を立て始めた。

 スースーと規則正しい呼吸が聞こえてくる。


 ポームはしばらく天井を見つめていたが、やがて横を向き、無防備な寝顔を見つめた。

 長いまつ毛。あどけない唇。

 こんなに弱く、脆い生き物。

 けれど、歌っている時の彼女は、どんな魔族よりも強く、輝いて見えた。


 ポームは繋いだ手に少しだけ力を込め、誰にも聞こえないほどの小声で呟いた。


「アル……。私、あなたの歌は、嫌いじゃないわよ」


 それは、戦闘マシーンとして生きてきた少女が、初めて抱いた「個人の感情」だったのかもしれない。

 月明かりだけが、二人の繋いだ手を優しく照らしていた。

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