第46話 アパアポinプトルカン①
~ 王都ファクトリオス 定食屋プトルカン ~
その日、王都の下町にある定食屋「プトルカン」は、かつてない熱気に包まれようとしていた。
普段の昼時であれば、看板娘2人が忙しなくフロアを駆け回り、空腹を抱えた職人たちから威勢よく注文を取る声が響いている時間だ。しかし、今日のプトルカンは違う。
使い込まれた木製のテーブルや椅子はすべて倉庫へと片付けられ、そこには広々とした立ち見席が出現していた 。
店の奥、厨房とは反対側の一角には、頑丈な酒樽と板を組み合わせて作った特設ステージが組まれている。一段高くなったその場所には、金属光沢を放つドラムセットが鎮座し、スポットライト代わりの魔導照明が、主の登場を静かに待っていた 。
店の入り口には、女将であるパインの友人が受付係として立ち、入場客からわずかな木戸銭を受け取っている 。
そして、「楽屋」という名の厨房では、アルミル、パイン、アスナの3人が、今日のために新調した煌びやかなステージ衣装に身を包み、それぞれの思いを胸にその時を待っていた 。
◇
【開演1時間前】
ついに、開場の時刻となった。
重い扉が開かれ、最初のお客さんが足を踏み入れる。
楽屋(厨房)にいたアルミルは、高鳴る鼓動を抑えながら、舞台袖のカーテンの隙間からこっそりと会場を覗き込んだ。
異世界に転生してから初めてのライブ。元アイドルとしての経験はあるものの、この世界で自分の歌が、エンターテインメントが受け入れられるのか、不安がなかったわけではない。
しかし、覗いた先には、すでにフロアの3分の1ほどが埋まっている光景があった 。
「よかった……。誰も来なかったらどうしようかと思った」
まずまずの出だしに、アルミルはふぅっと息を吐いて胸を撫で下ろした 。
だが、安堵と共に、今度は別の緊張が押し寄せてくる。喉が渇き、指先が微かに震える。
彼女は足元に控えていた聖獣コナッツオに手を伸ばした。
もふもふとした銀色の毛並みに指を埋める。その温かく柔らかい手触りが、張り詰めた神経を優しく解きほぐしてくれた 。
「ありがとう、コナッツオ君。勇気、出たよ」
「ワンッ!(お任せあれ、我が主!)」
◇
【開演30分前】
一方、ドラム担当のパインは、極度の緊張状態にあった。
彼女は両手にドラムスティックを握りしめ、虚空に向かって何度もリズムを刻んでいた 。
定食屋の女将としてはベテランだが、ドラマーとしては今日がデビュー戦だ。失敗したらどうしよう、リズムが走ったらどうしよう。そんな不安をかき消すように、ひたすらエアー練習を繰り返す。
その時だった。
受付をしていた友人が、慌てた様子で楽屋へ飛び込んできた。
「パイン! ちょっと、いい?」
友人は満面の笑みを浮かべると、後ろに控えていた人物を招き入れた 。
そこに立っていたのは、くたびれた旅装に身を包んだ、髭面の男だった。
パインの目が点になる。スティックが手から滑り落ち、カランと乾いた音を立てた。
「……あんた?」
入ってきたのは、半年もの間、北の国シルバとの戦争へ出兵していた夫、ケヤキトだった 。
「ただいま。やっと、戻ったよ」
ケヤキトが照れくさそうに笑う。
その瞬間、パインの中で何かが弾けた。
「あんたぁぁぁ!!」
彼女は飛び跳ねるように夫の胸に飛び込み、その太い首に力いっぱいしがみついた 。
「よくぞ! よくぞ無事に戻って来たねぇ! おかえり! おかえりぃ!」
目から涙が溢れ出し、化粧が崩れるのも構わずに夫の胸板を濡らす 。
楽屋にはアルミルやアスナもいる。衆人環視の中での熱烈な抱擁に、ケヤキトは顔を真っ赤にしておろおろとした。
「お、おいパイン。苦しい、苦しいって。みんな見てるから」
ようやく落ち着きを取り戻し、パインから体を離したケヤキトは、キョロキョロと周囲を見渡して素朴な疑問を口にした。
「……ところでさ。うちの店って、定食屋だったよね? なんか様子がおかしいんだけど」
パインは涙を乱暴にぬぐうと、ニカっと笑って答えた。
「そうよ。でもね、色々あって、今日は特別なの。詳しい説明はあとでするからさ、あんたは会場でアタイらの演奏を見てておくれよ!」
「演奏? 君が? ……ああ、わかったよ。楽しみにしてるよ」
状況は飲み込めないものの、妻の晴れ舞台らしいと悟ったケヤキトは、軽く会釈をして楽屋を出ようとした。
その時、彼の視線が端に座っていたアルミルにとまった。
「あっ!」
ケヤキトの目が驚愕に見開かれる。
「き、君は! あの戦場にいた子だよね!?」
アルミルが小首をかしげる。
「えっと……?」
「間違いない! あの時、魔人を撃退した大魔法使い様と一緒にいた天響詠喚師様だよね!? 雨を降らせてた……! なんてことだ、こんなところで会えるなんて! 君はこの国の英雄、いや、俺たち兵士にとっては命の恩人、勇者様だよ!!」
ケヤキトが興奮してまくし立てる。
アルミルは「えへへ」と照れ笑いを浮かべた。
すると、その横で顔を仮面で隠していた小柄な人物――アスナが、腕を組んでふんぞり返り、話に割って入った。
「ふんっ! 当然じゃ。アルミルと、その大魔法使い(ワラワ)が手を組めば、どんな魔人も敵ではないわ!」
アスナは仮面の下で得意げな笑みを浮かべている。
「今日はさらに強力な友も加わり、4人でさらに凄いことを見せてやるぞよ! 腰を抜かさぬよう、心して楽しみにしておれ!」
◇
【開演10分前】
「魔人を倒した英雄が、プトルカンで催し物を開くらしい」
そんな噂は、ケヤキトの口から漏れたのか、あるいは風の便りか、瞬く間に下町中へ知れ渡った 。
会場の食堂フロアは、噂を聞きつけた町人たちで膨れ上がり、もはや立錐の余地もないほどの大盛況となっていた 。
熱気が最高潮に達しようとしていた、その時である。
バンッ!
入り口の扉が乱暴に開け放たれた。
「おい! ここの店主はいるか~?」
土足でズカズカと入り込んできたのは、柄の悪そうな男2人組だった。受付で入場料を払う素振りすらない 。
ちょうど近くにいたケヤキトが、慌てて対応に出た。
「あっ、一応僕がここの店主(の夫)ですが、どうかしましたか?」
2人組のうち、小柄で小太りの男が、ねっとりとした嫌らしい笑みを浮かべて言った。
「俺様はこの地区の商店組合長の息子、ペイパ様だ! 知っての通り、組合の決まりでは『届け出に無い形態の営業』を禁止している。定食屋が勝手に音楽興行なんざ認められねぇな。
今すぐこの催し物を中止しろ! そして、違約金として集めた銭は全額没収させてもらうぞ!」
言いがかりだ。だが、相手は商店組合長の息子。逆らえばこの街で商売ができなくなるかもしれない。
ケヤキトは困り果て、頭を下げた。
「あーの、すみません。どうか何とか、今日だけは許してくれませんか? 妻が一生懸命準備してきたんです」
「ダーメだね! もし約束を破るようなら、組合からの追放と営業停止処分だ!」
ペイパは聞く耳を持たない。会場の客たちからは「なんだあいつ」「水差すなよ」と軽蔑の視線が送られるが、ペイパはそれすらも自分の権威への畏怖だと勘違いしているようだった 。
その時。
人混みの後ろで様子を見ていた、帽子を目深にかぶった一人の青年が、スッと前に出てきた。
彼は困り果てたケヤキトの肩をポンと叩き、涼やかな声で言った。
「それじゃあ。こういうのはどうだろう?
僕がここのお店を、今日一日『貸し切る』よ。僕の個人的なパーティーということにすれば、組合の営業規約には反しないんじゃないかな?」
正論だが、ペイパたちにとっては邪魔者以外の何物でもない。
ペイパの横にいた巨漢の付き人、ワラバンが凄んだ。
「あぁん? 誰だテメー? ペイパお坊ちゃんの言うことは絶対なんだよ! そんな屁理屈、通用すると思ってんのか!」
青年はふっと笑うと、被っていた帽子に手をかけた。
横にいた護衛らしき男たちが「殿下、それは!」と慌てて止めようとするが、青年はそれを振り切り、バサリと帽子を取り払った 。
さらり。
魔導照明の光を浴びて、極上の絹糸のような金髪が輝いた。
整った顔立ち、品のある微笑み。それは、この国の誰もが肖像画や式典で見たことのある顔だった。
どよめきが走る。
そして、すぐ横にいたケヤキトが、腰を抜かさんばかりに叫んだ。
「ク、ク、クスノ王子様!!! せ、戦場ではお世話になりました!!」
現れたのは、ゴルドー国第三王子、クスノその人であった 。
彼は戦争終結後に帰還し、恩人であるアスナへ礼を言うために彼女の屋敷を訪ねたが、執事から「プトルカンにいる」と聞き、無理を言ってお忍びでやってきたのだ 。
庶民の食堂に、国民的人気を誇る王子様が降臨したのだ。会場は一瞬にしてパニック寸前の歓喜の悲鳴に包まれた 。
「みんな落ち着いて! 僕は今、お忍びだからね。内緒でよろしく頼むよ!」
クスノ王子はウィンクをして人差し指を口元に当てた。
そして、石のように固まっているペイパに向き直る。
「それから、ペイパさん。……ここを今日一日、『王宮の貸し切り』ということで、許してはくれないだろうか?」
ペイパの顔色が、赤から青、そして白へと変わる。
彼は以前からクスノ王子の大ファンであり、崇拝していたのだ。その憧れの君が目の前に、しかも自分を諭している。
ペイパはガクガクと震えながら、直角に頭を下げた。
「て、て、撤回いたしますぅぅ!! 催し物OK! 貸し切りOK! オールオッケーです!! 大変失礼いたしましたぁぁぁ!!」
脱兎のごとく逃げ出そうとするペイパとワラバン。
しかし、クスノ王子は笑顔で彼らを呼び止めた。
「待ちなよ。せっかくだから、君たちも一緒に見ていこうよ。なんだか凄いことをするらしいからさ」
なんて心が広いんだ。
その神対応に、観客の好感度はストップ高。会場中から拍手が巻き起こった 。
こうして、トラブルメーカーの二人も会場の後ろで小さくなって観覧することになり、ケヤキトは九死に一生を得た思いで胸を撫で下ろした 。




