第42話 魔人サミット当日
2日後。
~魔王城 玉座の間~
俺、大魔王デールン・リ・ジュラゴンガは今、心地よい疲労感……いや、達成感に包まれていた。
いわゆる「ランナーズハイ」ならぬ、「チラシ配布ァーズハイ」の状態だ。
昨日、俺は推しであるアルミルの頼みを受け、ライブ告知チラシの修正と増刷を行った。
徹夜で書き上げた100枚に加え、俺のポケットマネー(魔王軍の経費とも言う)と魔法による複製技術を駆使して900枚を追加。計1000枚のチラシを、王都はおろか、転移魔法を使って近隣のテリンシ村にまで配り歩いてきたのだ。
大魔王が自らの足で、一軒一軒ポスティングを行う。
これぞ究極の推し活。推しの夢を叶えるための下働きこそ、ファンの至上の喜びである。
その高揚感が残っている今なら、目の前の地獄のような光景も耐えられる……はずだった。
「さてはて。大魔王様が千年の眠りから復活なされて早3週間。未だ人間どもへの襲撃命令の一つも下らぬとは、これ如何に?」
重苦しい空気が支配する円卓会議。
世界各地から招集された、一騎当千の魔人幹部たち8名が、冷ややかな視線を俺に突き刺している。
今日は魔王軍の今後の方針を決定する最高幹部会、「魔人サミット」の当日だ。
口火を切ったのは、西の火山地帯を統べる炎魔人だった。
「まったくでございますな。よもや、長き眠りの影響で大魔王様の『認知』に問題が生じているのでは? もし正常な判断ができぬとあらば、早々にご隠居……いや、ご勇退をおすすめいたしますが」
続くように、北の氷河の魔人が皮肉たっぷりに毒を吐く。
「オイラは強くて、怖くて、残酷な大魔王様が好きだっただよ。……ま~だ寝ぼけてるんだべか?」
南の密林の巨獣魔人が、テーブルを指先でコツコツと叩きながら低い声で唸る。
無理だーーーー!!!
帰りたい! 今すぐ布団に潜り込みたい!
これは会議ではない。ただの吊るし上げだ。逆パワハラだ!
いつも小言を言ってくる側近のビニル爺さんが、可愛く思えるレベルのプレッシャーである。
俺はこの世界最強のスペックを持っている(らしい)が、それはあくまでステータス上の話。中身は平和主義の元サラリーマンだ。ここにいる強面の魔人全員に一斉に襲い掛かられたら、精神的に死ぬ。ちびる自信がある。
俺は腕を組み、深く目を閉じて「深遠な考えを巡らせているフリ」をして沈黙を貫いていた。
嵐が過ぎ去るのを待つ貝のように。
しかし、俺の沈黙は彼らの苛立ちに油を注ぐだけだったようだ。殺気がみるみる膨れ上がっていく。
土下座……いや、今さら土下座の一つで許してもらえるだろうか。いや、大魔王が土下座した瞬間に「威厳なし」とみなされて殺される未来しか見えない。
その時だった。
張り詰めた空気を切り裂くように、甲高い声が響いた。
「あんたら! いい加減にしなよ! 大魔王様への忠誠心はどこへ行ったのさ!」
バンッ! とテーブルを叩いて立ち上がったのは、魔人プロピ――通称「プーやん」だ。
妖艶な美女の姿をした彼女は、腰に手を当てて他の魔人たちを睨みつけた。
「そもそも、その口の利き方がなってないね! あんたらは大魔王様の友達じゃないんだよ! 畏れ多くも復活された主に対して、敬意ってもんがないのかい!」
おお、プーやん……!
お前が一番「ジュラちゃ~ん」とか言って馴れ馴れしかった気もするが、今日はそのKY(空気読めない)っぷりが救いだ! ナイスカバー!
彼女の剣幕に、他の魔人たちが「チッ」と舌打ちをして視線を逸らす。
ふぅ、助かった。寿命が三年延びた気分だ。
その時、円卓の中央に設置された巨大な通信用水晶玉が、ブゥンと低い音を立てて発光し始めた。
『あー、あー。もしもーし。聞こえていますかー? 映像、行ってますかー?』
水晶の中に映し出されたのは、漆黒の翼を持つ魔人カボネだ。
背景には荒涼とした空が広がっている。
「……カボネか。遅刻とはいい度胸だな」
俺は威厳を取り繕って声をかけた。
『ひっひっひ。申し訳ございませーん。本日は現地からの「リモート参加」とさせていただきまーす。
えー、今は移動中でして、もう間もなく「面白いショー」をお見せできる現場に到着いたします。一旦、魔王城へお返ししまーす』
リモート参加だと!?
時代を先取りしすぎだろ、この魔王軍。
しかし、カボネの奴、どこか抜けている上に功名心が強い。「面白いショー」なんてろくな予感がしない。頼むから余計なことだけはしないでくれよ……。
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~ピンカー平野 国境付近~
一方その頃。
シュラが魔王城で冷や汗をかいているとは露知らず、アルミルとアスナは聖獣コナッツオの背にまたがり、荒野を疾走していた。
王都ファクトリオスから北の国シルバへ。
本来なら馬を乗り継いで3日はかかる道のりだが、本来の姿(巨大な銀狼)に戻ったコナッツオの脚力は桁外れだった。
景色が線になって後方へ飛び去っていく。
アルミルとアスナは、振り落とされないようにコナッツオの剛毛にしがみつくのがやっとだった。
「せ、聖獣様! 速すぎますぞ! あばばばば!」
「口を開けると砂が入るよアスナさん! でも、このスピードなら今日中に着いちゃうかも!」
乾燥した大地から巻き上がる砂塵で視界は悪いが、コナッツオは迷うことなく岩場を駆け抜けていく。
しばらくして、コナッツオが速度を緩め、大きな岩の陰に滑り込んだ。
「少し休憩しましょうか。お二人の体力が持ちませぬ」
「ありがとうコナッツオ君。それにしてもほんっとーに早いのね。すごいわ」
「痛み入りまする」
三人が息を整え、水筒の水を回し飲みしていた、その時だった。
ズズズズズ……。
地響きのような重低音が、大地を震わせた。
「……なんだ?」
アスナが鋭い視線を空へ向ける。
遠くの空に、黒い点が浮かんでいる。いや、点ではない。巨大な翼を広げた人影だ。
さらに、その影を追従するように、地上を埋め尽くさんばかりの魔物と魔獣の群れが、土煙を上げて進軍しているのが見えた。
「あれは……黒影の森で遭遇した魔人、カボネか!?」
アスナが戦慄する。
以前、アルミルのレベル上げ中に遭遇し、シュラの威圧によって退散したはずの幹部クラスの魔人だ。それがなぜここに?
アスナは即座に懐から地図を取り出し、魔族の進軍ルートと現在地を照らし合わせた。
彼女の顔色がサァッと青ざめる。
「まずい……! この方角、そしてこの規模。単なる移動ではないぞ。
奴らの進行先には、我がゴルドー国軍とシルバ国軍が対峙している主戦場がある!」
「えっ? それって……」
アルミルが息を呑む。
「うむ。両軍とも長引く戦争で疲弊しきっているはず。そこへ、この数の魔族軍が横合いから奇襲をかければ……。
両軍とも、成す術なく全滅するぞ!」
最悪のシナリオだ。
人間同士が争っている隙を突き、魔族が漁夫の利を得る。戦術としては定石だが、その場にいる兵士たちにとっては悪夢以外の何物でもない。そこにはパインの夫もいるはずだ。
「なんとかできませんか、アスナさん!」
アルミルの悲痛な叫びに、アスナは唇を噛みしめ、数秒の思考の末に顔を上げた。
「……手はある。とにかく今は、魔族の接近を両軍に知らせることが先決じゃ。
聖獣様の足ならば、魔族軍より先に戦場へ到達し、我が軍の指揮官へ警告できるかもしれん」
「でも、それだと私たちが魔族と人間の間に挟まれることになりますよ!?」
「承知の上じゃ! それでも、見殺しにはできん! ……アルミル、覚悟はあるか?」
アスナの問いに、アルミルは力強く頷いた。
「もちろんです! 行きましょう! コナッツオ君、頼める?」
「御意! 我が主の命とあらば、火の中、水の中、魔物の群れの中へでも!」
コナッツオが咆哮し、再び大地を蹴った。
魔族軍の側面をすり抜け、彼らは戦場の最前線へとひた走る。
魔族の軍団が地平線の彼方に迫る中、コナッツオはその圧倒的な速度でゴルドー軍の後方に位置する指揮所へと滑り込んだ。
突然現れた巨大な狼に、警備兵たちが槍を構えて騒ぎ出す。
「魔獣だ! 敵襲か!?」
「ひるむな! 囲め!」
殺気立つ兵士たちを前に、アスナはコナッツオの背から立ち上がり、凛とした声を張り上げた。
「控えよ! 我こそはゴルドー国貴族、アスナ・ロー・モークザイン伯爵である!
緊急の軍事伝令を持って参った! 此度の戦の指揮官はどこじゃー!!」
結界魔法貴族の威厳に満ちたその声は、一瞬で場の混乱を鎮めた。
ざわつく兵士たちが道を開ける。
その奥から、天幕の幕を上げ、煌びやかな白銀の甲冑を身に纏った一人の青年が現れた。
「おや? 騒がしいと思えば……まさか、アスナ先生ではありませんか?」
サラサラの金髪を風になびかせ、白い歯をキラーンと光らせるその青年。
顔はいい。無駄にいい。だが、どこか締まらない空気を纏っている。
アスナは呆れたように笑った。
「誰かと思えば、グズノ王子ではないか。そうか、これが初陣であったか」
「先生、人前でそのあだ名は止めてくださいよ。僕の名前はクスノです。何度言ったらわかるんですか」
青年――ゴルドー国第3王子クスノは、やれやれと肩をすくめた。
アルミルが小声で尋ねる。
「アスナさん、お知り合いですか?」
「うむ。彼が幼い頃、ワラワが魔法の家庭教師をしておってな。
座学や剣術は優秀なのじゃが、魔法の才能だけは絶望的でな。あまりに魔法が使えぬゆえ、『グズノ王子』と呼んで尻を叩いておったのじゃ」
「懐かしいですねぇ。あのおかげで魔法への苦手意識がトラウマレベルになりましたよ」
クスノ王子は苦笑したが、すぐに表情を引き締めた。
「ですが先生がわざわざ戦場まで来られるとは、よほどの事態ですね?」
「うむ。事態は急を要する。……よいか、心して聞け。
大魔王が復活した。そして今、魔族の大軍勢がすぐそこまで迫っておる」
「なっ……!?」
クスノ王子の目が驚愕に見開かれる。周囲の兵士たちにも動揺が走る。
アスナは早口で説明を続けた。
「ワラワは王命を受け、シルバ国との停戦交渉に向かう途中であった。だが、魔族の狙いは両軍の共倒れじゃ。このまま戦を続ければ、我らも、敵国シルバも、背後から魔族に食い殺される!」
クスノ王子は瞬時に状況を理解したようだ。魔法の才はなくとも、指揮官としての資質はあるらしい。
彼は顎に手を当て、即座に思考を巡らせた。
「……なるほど。状況は理解しました。となれば、最優先事項は『即時停戦』と『対魔族への共闘体制』の確立ですね。
自軍への伝達は早馬と角笛でなんとかなります。問題は、対峙しているシルバ国軍にどうやってこの危機を伝えるかだ」
「使者を送る時間はないぞ。魔族はもう目の前じゃ」
「ええ。それに、今の乱戦状態では使者など矢の的にされるだけです。
必要なのは、言葉ではなく、誰もが空を見上げざるを得ないような……そう、強烈な『信号』だ」
クスノ王子が空を指さした。
「アスナ先生。先生の魔法で、花火のように馬鹿デカい閃光を打ち上げることはできますか?
色は白、緑、赤の順で。これは国際共通の『緊急事態・全軍停止』の信号です」
「出来はするが……ここは低地じゃ。戦場の向こう側にいるシルバ軍の本陣まで視認させるには、高さが足りぬ」
打ち上げ花火のように高く上げなければ、丘の向こうの敵には見えない。しかし、地上からでは射角に限界がある。
その時、アルミルがコナッツオの首をポンポンと叩いた。
「ねぇコナッツオ君。この前見せてくれた『アレ』、もっと高くできる?」
「……『アレ』、でございますか?」
コナッツオがニヤリと牙を覗かせる。
「うん! コナッツオ君が全力でジャンプして、一番高いところでアスナさんが魔法をドカン! これならどう?」
「はっ! さすが我が主、天才的発想でございます!
拙者の脚力ならば、雲をも掴む高みへと跳躍してみせましょう!」
アスナが杖を取り出し、不敵に笑った。
「面白い。空飛ぶ砲台というわけか。やってやろうではないか!」
クスノ王子が号令をかける。
「全軍、対魔族防御陣形へ移行せよ! これより我々は、敵軍と共闘する!」
戦場の空気が変わる。
アルミルとアスナを乗せたコナッツオが、深く、深く沈み込んだ。
バネが限界まで圧縮されるように、筋肉が収縮する。
「行きますぞ! しっかりと捕まってくだされ!
ぬんっ!!」
ドォォォォォン!!
爆発的な跳躍。
砂煙を置き去りにして、銀色の巨体は砲弾のように空へと舞い上がった。




