第39話 大切なお知らせ
数日後
~定食屋 プトルカン~
王都ファクトリオスの空が茜色から群青色へと変わり、仕事を終えた職人たちが家路を急ぐ頃。
定食屋プトルカンの女将、パインもまた、一日の仕事を終えて「店主」から「ドラマー」へとその顔を変えようとしていた。
カチャン、と音を立てて店の扉の看板を『CLOSE』へとひっくり返す。
普通なら疲労困憊で椅子に座り込みたい時間帯だ。だが、パインはこれからが本番だと言わんばかりに腕まくりをし、爛々とした瞳で厨房の奥へと消えていった。
仕込みという名のウォーミングアップを終え、愛するドラムセットとの対話に向かうその後ろ姿は、以前よりも逞しく、そして若々しく見えた。
フロアでは、給仕係のアルミルとポームが、最後の客席掃除を終えて一息ついていた。
静かになった店内で、ポームはエプロンのポケットの中でずっと握りしめていた「ある物」の感触を確かめ、意を決して口を開いた。
「ねぇ、アル。ちょっといいかな」
ポームはポケットから手を出し、握りしめていた拳をゆっくりと開いてテーブルの上に置いた。
店内の魔導照明の光を受け、そのアイテムは妖しく、そして美しく輝いた。
「これ……?」
アルミルが目を丸くする。
それは、首に巻くチョーカーだった。
生地はただの赤ではない。燃えるような朱色と深紅が混ざり合った不思議な艶を持ち、その両端には金色の独特な意匠が施された留め具が付いている。一目で上等な品だとわかる代物だ。
「この前、あの盗賊団を捕まえただろ? その時に軍が奴らのアジトから押収した品々を、元の持ち主たちへ返却したらしいんだ」
ポームは少し照れくさそうに頬をかいた。
「でも、これだけがどうしても持ち主がわからなくて。私が発見者代表として受け取ることになったんだ。
私、こういう装飾品は趣味じゃないし、着けたところで似合う自信もないからさ。アルにどうかなって思って……」
ポームはテーブルの上で、チョーカーをそっとアルミルの方へ押しやった。
アルミルはそれを手に取ると、嬉しそうに目を輝かせた。
「わぁ、素敵……! 色が深くて、なんだか力強さを感じるね」
彼女は迷わず自分の首に巻き付け、留め具をパチンと鳴らした。白い肌に、鮮やかな赤がよく映える。
「どう? 似合ってる?」
アルミルが小首をかしげて微笑む。
「ああ。すごくいいと思うよ。やっぱりアルのためにあったみたいだ」
ポームが素直に褒めると、アルミルは「えへへ」と照れ笑いをした。
「ありがとうポームちゃん。ありがたく頂戴いたします!」
二人のやり取りを見ていた聖獣コナッツオが、足元で「ワンッ!」と嬉しそうに尾を振った。
カランコロン。
その時、店のドアベルが鳴り、アスナが入ってきた。
「ごきげんよう。アルミルよ、『大切なお知らせ』とは何ぞや?」
「アスナさんいらっしゃい! まぁまぁ、こちらへお掛けください」
アルミルはアスナを席へ案内すると、厨房に向かってパインも呼び寄せた。
ほどなくして、テーブルを囲むように三人が顔を揃えた。
初めて即興セッションを行ったあの日以来、アルミル、パイン、アスナの三人は定期的に集まり、様々な楽曲の練習を重ねてきた。
そして今日、アルミルが招集をかけたのだ。
アルミルは二人の前に立ち、コホンと一つ咳ばらいをして、神妙な面持ちで口を開いた。
「今日は、皆さんへ重大なご報告があります。
この度……私たちのチーム名が、決定いたしました! 拍手っ!」
パチパチパチ。
どんな深刻な話かと身構えていたアスナとパインは、「なんだそんなことか」と顔を見合わせ、半笑いで緩い拍手を送った。
しかしアルミルは大真面目だ。
「私たちの音楽は回を重ねるごとに上達しております。しかし、より強固な一体感と連帯感を生むためには、我々を象徴する名前が必要不可欠!
そこで私は考えました。
アルミル、パイン、アスナ。それぞれの頭文字を取りまして……」
アルミルがビシッと指を立てる。
「チーム『アパア』です! 拍手っ!」
シーン……。
店内を静寂が包んだ。
パインとアスナの手が止まる。先ほどよりもさらに遅く、力の抜けた拍手がパラパラと響いた。
二人の微妙な反応を察知したアルミルが、慌てて付け加える。
「えっ? ダメでしたか? 語呂が悪かったかな? じゃあ『パアア』にする? それとも『アアパ』?」
真剣に悩み始めたアルミルに、アスナが腕を組んで答えた。
「ふむ……頭文字を取るというのは定石だが、いささか安易というか、締まりがないのう。『アパア』では、口を開けて呆けているようではないか」
パインも苦笑交じりに同意する。
「そうだねぇ。悪くはないんだけど、なんかこう……あと一文字? パンチの効いた音が欲しい気がするねぇ」
「うーん……」
三人は腕を組み、唸り声を上げて沈黙した。
打開策が見つからない。重苦しい空気が流れる中、アルミルがふと視線を外し、離れた席で待機していたポームを見た。
「ポームちゃんはどう思う?」
「えっ? 私?」
不意打ちを食らったポームが目を白黒させる。
「いや、私は部外者だし……そんな大切なことに意見なんて言えないよ。それに、そういうセンスないし」
ポームは手を振って辞退しようとしたが、アルミルは食い下がった。
「なんでもいいの! 私たちの演奏をいつも一番近くで客観的に見ているポームちゃんだからこそ、気づくことがあると思うの。チーム名のヒントになるような何か、ない?」
「そう言われてもなぁ……」
ポームは困り果てて天井を仰いだ。
正直、センス云々以前に、ポームには気になっていることがあった。それを口にしていいものか。
いや、求められたのなら正直に言うべきか。
「……アルの歌《《は》》好きだよ。気付いた事も《《そんなに》》無いし」
ピクリ。
アルミルの眉が動いた。
「ちょっと! ポームちゃん! 歌《《は》》ってどういう意味? 歌以外に何か致命的な問題があるの!?」
「しまっ……!」
ポームは口を押さえたが、もう遅い。焦って取り繕おうとするが、言葉が出てこない。
「いやっ! そういうことじゃなくて、あの、その……」
パインとアスナも身を乗り出した。職人と研究者の目は誤魔化せない。
「そうじゃな。『気付いた事も《《そんなに》》無い』の《《そんなに》》が気になるのう」
「ポームちゃん、遠慮はいらないよ。アタイのドラムのリズムが狂ってるのかい? それともパワー不足かい?」
「ち、ちょっと待って! 落ち着いて!」
ポームは冷や汗をかいた。
「今ってチーム名を決める話だったよね!? なんで反省会みたいになってるの!? 元に戻そう、チーム名、チーム名!」
必死に軌道修正を図るポームだったが、三人の表情は硬い。
「自分たちの課題を知りたい」というクリエイターとしての本能に火が点いてしまったようだ。このままではラチが明かない。
ポームは観念して、深くため息をついた。
「……わかった。言うよ」
ポームの言葉に、三人がゴクリと喉を鳴らす。
「三人の楽曲は、本当に凄いと思ってる。お世辞抜きで。
アルの透き通るような歌声、パインさんの力強くも包容力のあるビート、アスナさんの彩り豊かな魔法伴奏。
どれを取っても聴きやすいし、一体感もある。聴いてるこっちはすごく幸せな気分になれるよ。
でも……」
「「「でも?」」」
三人の顔がポームに迫る。
「……でも、アルが歌う時に踊るダンス? なんだかそこだけ、少し物足りないというか……もっとこう、曲の良さを引き出せる動きがあるんじゃないかって思ってさ。
例えば、こんな風に?」
ポームは言うと、スッと椅子から立ち上がった。
テーブルから距離を取り、何もないフロアの中央に立つ。
彼女は目を閉じ、脳内で三人の演奏を再生した。
ビートを感じる。メロディが流れる。
カッ。
ポームが目を見開いた瞬間、空気が変わった。
始まりは、重力を無視したかのような伸びやかなターンだった。
予備動作が一切ない、無反動から繰り出される高速回転。
それを見ただけで、三人は言葉を失い、その世界観に引きずり込まれた。
武道の稽古を毎日欠かさずこなすポームの肉体は、鋼のように引き締まっているが、同時に鞭のようにしなやかだ。
その柔軟な体幹は、どのような不安定な体勢からでも、次のステップへと優雅に移行する。
静と動。
音速で空間を切り裂くようなキレのある動きを見せたかと思えば、次の瞬間には全身が液体になったかのようにうねるウェーブへと変化する。
タンッ、タタンッ!
床を蹴る音が、存在しないはずのドラムのビートと完全にシンクロして聞こえる。
驚異的な身体能力で店内を飛び回り、宙を舞い、重力を支配するポーム。
何よりも凄いのは、今は無音だということだ。歌も伴奏もない。
それなのに、彼女の体から溢れ出るリズム(グルーヴ)が、見る者の脳内に音楽を強制的に再生させているのだ。
最後にポームは、目にも止まらぬ高速ステップからピタリと静止し、元の位置に戻って16小節を踊り切った。
乱れぬ呼吸。滴る汗一つない涼しい顔。
シーン……。
再び訪れた静寂。だが、先ほどの気まずい沈黙とは質が違う。圧倒的なパフォーマンスを目撃した後の、畏敬の念に満ちた静けさだ。
ポームはハッと我に返り、三人の反応がないことに焦り始めた。
「……こんな感じ? でもあれだよね、ダンスってアル達の音楽とは直接関係ないよね。私が勝手に動いただけだし。だからさ、今の忘れて、全部無しで……」
ガタッ!
椅子を蹴倒す勢いで、アルミルが立ち上がった。
その瞳は興奮で燃え上がり、頬は紅潮している。
「おーーーいに!! 関係あります!!!」
アルミルがポームの両肩をガシッと掴む。
「ポームちゃん、すごすぎ……! 私たちがこれからやろうとしているライブっていうのは、耳だけじゃなくて目でも楽しむもの、お客さんとの『一体感』が命なんです!
歌が良くても曲が良くても、お客さんがノリ切れなければ全てがパァなんです!
でも、でも、今のポームちゃんのダンスは……お客さんを、そして演奏している私たちさえも最高潮まで押し上げてくれる、最高の起爆剤です!!」
アルミルの熱量に、ポームがたじろぐ。
「え、あ、うん……?」
「決定です!」
アルミルが高らかに宣言する。
「何、が?」
「私たちのチームメイトです! 『パフォーマー兼ダンサー』として、ポームちゃんの加入が今ここで決定しました!」
「いや、ちょっと待ってアル! 私はいいんだ、そういうの! 裏方でいいの!」
「絶対入ってもらいます! 拒否権はありません! ポームちゃんがなんと言おうと加入決定です!」
アルミルの強引さに、ポームが助けを求めて二人を見る。
しかし、呆然としていたパインとアスナも、ようやく再起動して笑顔を見せた。
「やろうよ! ポームちゃん。あんな凄いもの見せられたら、アタイらだって黙ってられないよ」
「うむ。今の動きを見て、ワラワも新しい魔法演出のアイデアが浮かんだぞ。そなたが必要じゃ」
「えぇ~……」
外堀を埋められたポームが力なく項垂れる。しかし、その顔は決して嫌そうではなかった。
アルミルがパンと手を叩いた。
「これで最後のピースが埋まりました! そして、悩んでいたチーム名も決まりましたね?」
「うんうん。しっくりきた!」
パインが膝を打つ。
アルミル、パイン、アスナ。
そして、ポーム。
三人は顔を見合わせ、新たな仲間を歓迎する声を合わせた。
「「「ようこそ! 『アパアポ』へ!!」」」
少し間の抜けた、けれど温かい響きのその名前は、夜の定食屋に明るくこだました。




