第35話 理由を相手に言わせる
~魔王城 玉座の間~
巨大なステンドグラスから差し込む光が、床に長い影を落としていた。
俺は大魔王デールン・リ・ジュラゴンガとして玉座に深く腰掛け、いつものように陽が落ちるのを待っていた。
この世界に来てから、夕暮れ時は一日の終わりと、魔王としての覚醒を意味する特別な時間だ。だが、今日ばかりは、その茜色がどこか切なく、不吉な血の色に見えた。
脳裏に浮かぶのは、アスナさんの涙。
大切な指輪を奪われ、心を閉ざしてしまった彼女の姿が、胸に鉛のように重くのしかかっていた。
「おかえりなさいませ、大魔王様」
静寂を破り、側近のビニルが恭しく声をかけてきた。千年の時を生きた老獪な魔族は、今日も今日とて切れ味の鋭そうな視線を俺に向けてくる。
「そろそろ結界の謎は解けましたでしょうか? 私めは毎日、この愛刀を研ぎ澄まし、いつでも王都を血祭りに上げるべく出撃の時をお待ちしております」
相変わらず物騒な爺さんだ。
結界の謎? ああ、解けたさ。維持しているのがアスナさんだということも、その仕組みもな。
だが、それを教えるわけにはいかない。教えた瞬間、この好戦的な爺さんは軍勢を率いて何かしらの手段で、アスナさんを殺しに行くだろう。
そんなことは絶対にさせない。
「……その、あれだ。前にも同じようなことを言った覚えがあるが」
俺は重々しく口を開き、適当な言い訳を紡ぐ。
「知ろうとすればするほど、遠ざかっていく蜃気楼のようでな。結界とは奥深いものよ。今しばらく待たれよ」
「はて。付き添いのポームが仕事をしていないようですね」
ビニルの目がスッと細められた。温度のない、爬虫類のような目だ。
「孫娘であろうと容赦せず『制裁』いたしますので、いつでも引き上げさせてください。役立たずには死を、それが魔王軍の鉄則」
ヒェッ。
実の孫娘に「制裁」って何? 怖すぎるだろ、この溺愛おじいちゃん。普段はデレデレのくせに、任務となるとスイッチが入るのか。
状況は詰んでいる。
結界の秘密を明かせばアスナさんが死ぬ。
明かさなければポームが危ない。
どちらに転んでも、アルミルが悲しむ結末しかない。
そんなバッドエンドは、ファン1号として全力で回避しなければならない。
「ポームはよくやっておる。奴の働きには満足しているぞ。しかし、結界だけはのう……一筋縄ではいかぬのだ」
俺がやんわりとポームを庇うと、ビニルは「左様でございますか」と一応の納得を見せたが、すぐに別の話題を切り出してきた。
「そういえば。大魔王様が結界の件で悩まれていることを聞きつけた魔人カボネ殿が、ここぞとばかりに張り切っているようですな」
「カボネ?」
「はい。大魔王様からの信用を得る一心で、なりふり構わず王都の結界について独自に調査しているとか」
おい待て。
結界のことで悩んでるって、俺はお前にしか言ってないぞ? 「噂」とか言ってるけど、絶対お前が言いふらしてるだろ!
魔人カボネといえば、以前「黒影の森」で俺が叱りつけて退散させた幹部クラスの魔人だ。あの時、「結界には関わるな」と釘を刺したつもりだったが、どうやら逆効果だったらしい。汚名返上のために暴走しているのか。
余計なことをしてくれたら困る。まずは状況を把握すべきだ。
「今すぐカボネを登城させよ」
「御意」
ビニルが指を鳴らすと、影の中から伝令の使い魔が飛び去って行った。
数分後。
バサァッ! という風切り音と共に、巨大な漆黒の翼を持つ魔人が玉座の間に降り立った。
魔人カボネ。鳥類をベースにしたような鋭い目つきと、鋼鉄のような鉤爪を持つ武闘派だ。
彼はスッと翼を畳むと、片膝をついて頭を垂れた。
「魔人カボネ、ただいま参上いたしました」
ここまでは普通だった。だが、次の言葉が耳を疑うものだった。
「何か御用でしょうか? 今、少々取り込み中ですので、手短にお願いできればと」
は?
大魔王に対して「手短に」だと?
言葉の端々に、隠しきれない焦りと苛立ちが含まれている。これは怪しい。何かしでかしたな。
こういう時は、問い詰めるより自白させるのが上策だ。
俺は玉座の肘掛けに頬杖をつき、試すような視線を投げかけた。
「うむ、ご苦労。お主とは黒影の森で出会って以来よのう。……して、お主を呼び出した理由は、わかるか?」
カボネの肩がビクッと跳ねた。
彼はハッとしたように顔を上げ、俺と目が合うと、数秒間凍りついた。
そして――。
ガバッ!
片膝立ちから、目にも止まらぬ速さでジャンピング土下座に移行した。
「も、も、も、申し訳ございません!!」
額を床に擦り付け、震えている。
ビンゴだ。この慌てっぷり、相当デカい「後ろめたいこと」があるに違いない。
俺は無言で見下ろす。沈黙は最大の尋問だ。
耐えきれなくなったカボネが、堰を切ったように自白を始めた。
「私は先日、大魔王様のためと思い、王都の結界の謎を知るという『ギース盗賊団』なる者どもと接触いたしました!」
ギース盗賊団? 聞き覚えのない名だが、カボネの話は続く。
「結界の秘密を吐けと締め上げてみたものの、一向に口を割らなかったため、取引へと変更いたしました。
その取引とは……街と街を行き交う貴金属商隊を襲うというものでした。商隊には高ランクの冒険者が護衛についており、盗賊団だけでは歯が立たない。そこで、一時的に魔人の私と手を組むという条件で……」
なるほど。魔人の戦力で護衛を排除し、盗賊団が積荷を奪う。ウィンウィンの関係というわけか。
そういえば以前、人間の姿で街にいた時、軍人が「最近、盗賊団が魔族と手を組んで荒稼ぎしている」と話していたのを耳にした。あれはこの件だったのか。
「襲撃当日、私の力で護衛を難なく倒し、商隊の積荷を奪ったはいいものの……盗賊団はそのまま王都ファクトリオスの結界の中へと逃げ入ってしまいました!
奴らから情報を引き出した後は始末する予定でしたが、逆にまんまと利用され、報酬も情報も持ち逃げされてしまいました!
大魔王様は、魔族の威厳を損ねたその失態にご立腹なのでしょう!
大変、大変申し訳ございません!!」
カボネの声が裏返る。
おそらく盗賊団は最初から結界の秘密など知らず、カボネの武力を利用するためだけにハッタリをかましたのだろう。
魔人ともあろう者が、人間の小悪党に騙されるとは。情けない話だが、それ以上にその盗賊団の狡猾さが気になる。
「申し開きは以上か?」
俺が冷ややかに問うと、カボネは「は、はい! あっ、いえ!」とさらに言葉を続けた。
「奴らときたら、私が70年前に魔人へと進化した際の記念すべき戦利品、『幸運のラッキーアイテム』をいつの間にか盗んでいたことが判明いたしまして!
それだけは奪い返そうと、奴らが王都へ逃げ込む直前に手を伸ばし、何かを握ってはみたのですが……残念ながらラッキーアイテムではなく、このような紙切れでございました」
カボネは懐からクシャクシャになった羊皮紙を取り出した。
「おそらく奴らのアジトへの地図かと思うのですが、指し示されているのは結界が張られた王都の中。魔族である私には手が出せず、結局どうしようもありませんが……」
王都の中にアジト?
街中には騎士団や憲兵が目を光らせている。盗賊団が堂々とアジトを構えるなんて、普通なら自殺行為だ。
「その地図を見せてみよ」
俺は魔力で羊皮紙を引き寄せ、手元に広げた。
汚れた紙には、王都の通りや店の名前が記されている。
だが、違和感があった。
実在する地名が書かれているのに、道の位置や繋がり方が、俺の知っている王都の地図と微妙にズレている。この直線の長さ、この不自然なカーブ……これは地上の道ではない。
――ッ!
そうか、地下水路だ!
この地図は、王都の地下に張り巡らされた下水道網を描いたものだ。
だから治安維持部隊に見つかることなく、街中へ逃げ込み、移動し、隠れることができたのか。
地上では袋小路でも、地下なら繋がっている。
……待てよ。
「姿もニオイも消えた」。
コナッツオが言っていた言葉が、脳内でリンクする。
アスナさんの指輪を奪った犯人を追ったコナッツオは、角を曲がった先で完全に見失ったと言っていた。
もし、その角の先に地下水路への入り口があったとしたら? マンホールや排水溝に飛び込めば、一瞬で姿を消せる。ニオイも下水の悪臭で誤魔化せる。
間違いない。
カボネを騙した「ギース盗賊団」と、アスナさんを絶望させた「指輪泥棒」は、同一グループだ!
奴らのアジトは、この地図が示す地下水路の奥にある!
怒りが再燃した。
今すぐこの地図をたどって、奴らを叩き潰してやりたい。奪われた指輪を取り戻し、アスナさんの笑顔を取り戻すために。
だが、窓の外を見れば、太陽はすでに地平線に沈みかけている。
もうすぐ俺は、人間の姿から大魔王の姿へと戻ってしまう。
……いや、待てない。明日までなんて待っていられない。
今日中に決着をつける。
俺はカボネを見下ろした。
こいつのドジのおかげで、決定的な手がかりが手に入った。褒めてやりたいところだが、調子に乗るタイプだから厳しくしておこう。
「カボネよ。確かに魔族の威厳は損なわれた。今回は不問とするが、二度目はないと思え。それから、結界の謎はもう追うな。よいな。下がれ」
「は、は、は、はいっ! ありがたき幸せ!」
カボネは涙目で何度も頭を下げ、逃げるように窓から飛び去って行った。
玉座の間には、再び静寂が戻る。
だが、俺の心は燃えていた。
俺は地図を懐にしまい、立ち上がった。
待っていろ、アスナさん。
そして震えて眠れ、盗賊団。
俺は陽が完全に沈む直前の薄明かりの中、転移魔法を発動させ、王都へと飛んだ。




