第34話 こころ裏腹
~ 王都ファクトリオス 大通り ~
アスナさんの屋敷を後にした俺たちは、夕暮れに染まる王都のメインストリートを歩いていた。
目指すは定食屋「プトルカン」。さっきまでのラップバトルの興奮が冷めやらぬまま、これから美味しいご飯にありつこうという、まさに大団円のエピローグ的な空気感が漂っている。
そんな和やかな空気の中、少し後ろを歩いていたポームが、俺の袖をクイっと引いた。
「兄上、少しよろしいですか?」
周囲に聞こえないよう、声を潜めている。俺は歩調を緩め、前方を行くアルミルとアスナさんから距離を取った。
ポームは眉を寄せ、言いづらそうに口を開いた。
「あの……先ほど、私がアスナさんに話したことについてですが」
アスナさんへの説得の場面だ。『アルミルの信念は周りを変える』と熱く語っていたアレのことか。
「あれは、その……私の本心ではなく、あの場の空気を丸く収めようと思いまして……その、つい、口が滑ってしまったと言いますか……」
ポームが俯く。
なるほど、そういうことか。
俺こと大魔王デールン・リ・ジュラゴンガの表向きのスタンスは、『アルミルを妻に迎え、結界の謎を解き、この街を蹂躙する』という残虐非道なものだ。
ポームはその忠実な配下として、「人間と魔族の共存」なんて甘っちょろい思想を肯定してしまったことに、罪悪感を感じているのだろう。
だが、その表情を見ればわかる。彼女の本心は、アルミルの純粋さに惹かれ、彼女を肯定したがっている。
本音と建前、忠誠心と友情の間で揺れ動くその姿は、俺が思っていた以上に人間らしく、そして情に厚い。
――可愛い妹分じゃないか。
ここは一つ、俺の「本心(の一部)」を明かして、彼女の荷を下ろしてやるべきだろう。
「ん? ああ、アルミルの提唱する『種族間の和解』を、お前が肯定していた件か?」
俺はわざと鷹揚に頷いてみせた。
「気にするな。実はだなぁ、ポームだけに言うが……アルミルという人間は、俺が想定していた以上に『器』が大きいことに気づいたのだ。単に力でねじ伏せて妻にするという考えが、いささかおこがましかったようだと反省している」
「えっ……」
「だから今後は、アルミルを無理やり妻にするという野望は一旦脇に置き、彼女の夢を『応援する側』へ回るとするよ」
つまり、「推し活に専念する」というオタクとしての純粋な宣言だ。
だが、俺の言葉を聞いたポームの瞳が、パァっと輝いた。
「そ、それでは……兄上も分かっていただけたのですね! そうなんですよ! アルって、なんだか他の人間とは違うというか、彼女が言えば本当に世界が変わってしまうんじゃないかって思わせる力があるんです!」
ポームの声が弾む。
おそらく彼女は、「兄上も魔王としての覇業より、アルミルの可能性にかけるという『深遠な考え』に至った」とでも解釈したのだろう。
まあ、俺としては単にファン1号としてサイリウムを振りたいだけなんだが、結果オーライだ。
「ただし、この件は他の魔族には内密にな。余計な波風を立てたくない。時期を見定めて、いずれは……だ。よいな」
「はいっ! 承知いたしました!」
今まで悩んでいた霧が晴れたのか、ポームの足取りは羽が生えたように軽くなった。
……ふっ、甘いなポームよ。俺の方が先にアルミルの尊さを知っていたし、古参ファンだからな。このマウントだけは心の中で取っておこう。
俺たちが前の二人と合流し、再び4人での雑談に戻った、その時だった。
通りの向こうで、何やら不穏な動きがあった。
人相の悪い男が、キョロキョロと落ち着きなく辺りを見回している。獲物を探すハイエナのような目つきだ。
俺が警戒した瞬間、男が近くを歩いていた女性に飛びかかった。
「キャァッ!」
「ひったくりよー! 誰か捕まえてー!」
女性の悲鳴と共に、男が鞄を奪って脱兎のごとく駆け出した。
反応したのはアスナさんだった。
彼女は反射的に、腰に帯びていた短杖を抜き放つと、流れるような動作で魔力を練り上げた。
「逃がすか! 氷結弾!」
詠唱と共に、杖の先端から青白い冷気が炸裂する。
生成された鋭利な氷の塊が、矢のような速度で男の足元へと飛翔した。
――当たる。
誰もがそう確信したタイミングだった。しかし、男はまるで背中に目がついているかのような挙動で身をよじり、氷の弾丸を紙一重で回避したのだ。
氷塊は虚しく地面に突き刺さり、砕け散った。
「なっ……外した!?」
アスナさんが驚愕の声を上げるのと同時に、今度はアルミルが叫んだ。
「コナッツオ! 逃げた人を追いかけて捕まえて!」
「承知!」
ヒュンッ!
風を切る音と共に、銀色の影が疾走した。
聖獣の身体能力は伊達じゃない。アスナさんの魔法に匹敵する、いやそれ以上の速度でコナッツオが路地裏へと突っ込んでいく。
ひったくり男が角を曲がる。そのコンマ数秒後、コナッツオもまた角を曲がり、俺たちの視界から消えた。
「すごい速さ……あれなら絶対追いつけるよ!」
アルミルが拳を握る。
残された俺たちは、アスナさんの魔法の余波に驚いて転んでしまった被害者の女性の元へ駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
アスナさんが心配そうに手を差し伸べる。
女性は「うぅ……」と痛そうに呻きながら、アスナさんの体にすがりつくようにして立ち上がろうとした。
やけに距離が近い。アスナさんにもたれかかり、体をモゾモゾと不自然に擦り付けている。
しばらくして、女性は何事もなかったかのようにパッと身を離すと、軽く会釈をした。
「えっ? 怪我は大丈夫なのですか? 盗られたバッグは?」
アルミルが声をかけるが、女性は何も答えず、逃げるように群衆の中へと消えてしまった。
なんだ? 今の違和感は。
バッグを盗まれたのに、犯人を追うこともなく、礼も言わずに立ち去るなんて。
俺たちが狐につままれたような顔をしていると、路地の方からコナッツオがトボトボと戻ってきた。
「……面目次第もござらん」
聖獣の耳がぺしゃんこに垂れている。
「逃がしてしまった。奴さんを追って拙者も角を曲がると、急に姿が消えていたのだ。不思議なことに、ニオイも気配も、そこでプッツリと途切れていたでござる」
「ええっ!?」
俺は耳を疑った。
あれだけ素早いコナッツオが、ただの人間を見失う? しかも数秒の差で?
おかしい。何かが噛み合わない。
思考を巡らせようとしたその時、隣でアスナさんが悲鳴のような声を上げた。
「ないっ! ないぞ!?」
アスナさんが自分の右手を見つめ、青ざめている。
震える指先で、薬指のあたりを何度もさすっているが、そこにあるはずのものが無い。
「ワラワの指輪が無くなっておる! さっきまで……そう、あの魔法を撃つ時までは確かに指にあったのに!」
指輪?
俺の脳内で、先ほどの「被害者の女性」の不自然な動きが再生された。
アスナさんにもたれかかり、体を擦り付けていたあの瞬間。
まさか――!
「アルミル! さっきの女性だ! あの女が犯人のグルだ!」
俺の叫びに、アルミルが即座に反応する。
「コナッツオ! さっきの女の人を追いかけて!」
「承知!」
再びコナッツオが弾丸のように飛び出した。
俺たちの髪が突風でなびくほどの初速。今度こそ逃がさないはずだ。
だが、アスナさんは立っていることさえできず、その場に崩れ落ちた。
「あ、あれだけは……あれだけは嫌だ! 返してくれ! 頼むから返してくれー!」
普段の気丈な彼女からは想像もできないほどの取り乱し方だった。
俺とポームは慌てて彼女の両肩を支え、必死になだめる。
しかし、数分後。
戻ってきたコナッツオは、絶望的に首を横に振っていた。
「……またしても、不覚。こちらも又、急に足取りが消えたでござる。まるで煙のように」
最悪の結末だ。
俺は奥歯を噛み締めながら、推論を口にした。
「絶対におかしい。普通の女性が、コナッツオより速く逃げられるはずがない。それに、あの男もそうだ。
これは組織的な犯行だ。男が囮になって注意を引きつけ、その隙に『被害者役』の女が救助に来た人の懐を狙う……。
だとしたら、なんて卑劣な奴らなんだ!」
アスナさんは、地面に手をついたまま、涙を流して震えていた。
「あ、あれは……モークザイン家に代々受け継がれてきた、大切な家宝の指輪であったのじゃ……」
絞り出すような声だった。
「ワラワは……浮かれておったのじゃ。楽しく話ができる友ができて、外の世界に夢を見て。
やはり、ワラワのような者が、心躍る何かを求めてはいけなかったのだ。
おとなしく、あの鳥籠の中で結界だけを守っていればよかったのだ……」
「アスナさん……」
「……もうよい。結界以外の魔法は封印するとしよう。もう二度と屋敷からは出ぬ。家でおとなしくしておくこととする。そうすれば……そうすれば、このような理不尽な出来事にも合わぬからな……うっ、うっ……」
彼女の心が、音を立てて閉じていくのがわかった。
ようやく開いた扉が、この理不尽な悪意によって、以前よりも固く閉ざされようとしている。
それは、彼女の「可能性」の死であり、アルミルの「夢」の否定でもあった。
アルミルが、たまらず声をかけた。
「アスナさん、諦めないで! プトルカンへ行こう? ご飯を食べて、元気を出して……」
アスナさんは一瞬だけ振り返った。
その瞳からは光が消え、深い絶望だけが色濃く残っていた。
彼女は何も言わず、よろめく足取りで俺たちに背を向け、来た道――あの孤独な屋敷へと続く道を戻っていってしまった。
残された俺とアルミルとポーム、そしてコナッツオ。
楽しいはずだった夕暮れは、重苦しい沈黙に包まれた。
「……探そう」
誰からともなく言い出し、俺たちはアスナさんのために消えた男女を探し回った。
路地裏、大通り、酒場、市場。
陽が落ちる直前まで、声を枯らして聞き込みをし、地面を這うようにして手掛かりを探した。
しかし、何の手掛かりも掴めなかった。
コナッツオの鼻さえ欺く「消失トリック」。その種が割れない限り、奴らを見つけることは不可能に近い。
翌日も、俺たちは朝から現場付近を捜索した。
だが、結果は同じだった。
指輪も、犯人たちも、まるで最初から存在しなかったかのように、綺麗さっぱり消え失せていた。
夕方になり、捜索を断念せざるを得なくなった。
肩を落とすアルミルを宿に送り届け、俺は一人、重い足取りで魔王城へと帰還した。
怒りが腹の底で渦巻いていた。
アスナさんの笑顔を奪い、アルミルの心を痛めつけた、姿なき卑劣な泥棒たち。
このまま終わらせてたまるか。
大魔王の名にかけて、必ず尻尾を掴んでやる。




