第33話 スイッチON ♪お屋敷ラップバトル
豪奢なシャンデリアの下、凍りついた空気が流れていた。
アスナさんの屋敷で、俺たちが打ち解け合い、温かい紅茶の香りに包まれていた穏やかな時間は、たった一人の初老の言葉によって粉々に砕かれた。
執事と呼ばれたその男は、無表情のままアルミルを指差し、冷徹に『お前』と言い放ったのだ。
予期せぬ蔑称に、俺たちが言葉を失っているのをよそに、執事は表情一つ変えず、主であるアスナさんへと向き直った。
「上流階級であらせられる結界魔法貴族の伯爵ともあろうお方が、どこの馬の骨ともわからぬ平民を屋敷に上げ、共に茶を啜るなど……貴族失格でございます」
その声は低く、そして鋭利な刃物のようにアスナさんの心を抉る。
「さらにはあろうことか、国家の最重要機密である結界についてもベラベラとお話になられるなど言語道断。ああ、嘆かわしい。ご旅行中の旦那様と奥様がお戻りになられたら、なんと仰るか……」
執事は芝居がかった仕草で天を仰ぎ、深いため息をついた後、氷のような視線を俺たちに向けた。
「ドブネズミ共は直ちに排除いたしますので、お嬢様はご自身のお部屋へお戻りください」
ドブネズミ。
その単語が耳に入った瞬間、俺の中で何かが切れた。大魔王としてのプライドではない。かつて社会の理不尽に揉まれていた一人の大人として、そして何より、純粋な夢を持つアルミルを侮辱されたファンとしての怒りだ。
俺はとっさに口を開いた。
「そこまで言いますか? それも、本人の目の前で」
「ええ。あなた方とは、これっきりですので。最後に遺言代わりとして、身の程というものを教えて差し上げたまでです」
慇懃無礼を絵に描いたような態度。あまりの軽蔑的な発言に、俺たちは怒りを通り越して開いた口が塞がらなくなった。
空気が張り詰める中、アスナさんが静かに、けれど諦めを含んだ声で俺たちに言った。
「……皆の者、すまぬ。この執事はちと口が悪くてのう。先々代からこの屋敷に仕えておる古株ゆえ、プライドが高いのじゃ」
アスナさんは困ったように眉を下げる。
「ワラワの友人を侮辱するなと怒ったところで、『あらそうですか』と柳に風でな。こやつに口喧嘩で勝てた試しがないのだ。時間をかけて、そなたらがワラワの大切な友人であることを説得していくゆえ、気にするでないぞ」
彼女はいつものことだと、大人しく引き下がろうとしている。
長年、この屋敷という鳥籠の中で、執事という看守に管理されてきた彼女の処世術なのかもしれない。
だが。
ここで黙って引き下がるようなタマなら、アイドルなんてやっていない。
隣で、何かが弾ける音がした。
スイッチが入る音だ。
パチ、パチ、パチ、パチ、パチ、パチ……。
静寂な部屋に、乾いた音が響き渡る。
アルミルだ。彼女はスッと立ち上がると、一定のリズムで手拍子を刻み始めた。
その瞳に宿るのは怒りではない。闘志だ。ステージに立つ前の、演者の目だ。
アルミルは俺たちを見据え、顎でリズムを促してくる。
『乗って』という無言の合図。
俺とポーム、そしてアスナさんは訳もわからず、その圧力に押されるようにして、アルミルのテンポに合わせて手拍子を始めた。
パチ、パチ、パチ、パチ。
パチ、パチ、パチ、パチ。
心地よいビートが空間を支配し始める。
アルミルは手拍子を続けながら、流れるようなステップで執事へと近づいていく。そして、執事が腕にかけていた白いトーション(ナプキン)を、素早い手つきで奪い取った。
その瞬間、彼女はトーションをマイクのように握りしめ、口元へ持っていった。
――まさか。
俺の脳裏に、前世の記憶がフラッシュバックする。
これは、メータルンバのマネージャー留波さんがブログ『留波回顧録』で綴っていた伝説の”舞台裏ラップバトル”か!?
間違いない。
かつてメータルンバが『富士山2合目フェス』でコラボした大御所バンド『BSK』。
年上のBSKに対し、委縮して意見を言えないメンバーのために、アルミルが導入したのがこのシステムだ。
年功序列もキャリアも関係ない。ビートの上では平等。その場を沸かせた奴が正義。
言葉の格闘技で、理不尽をねじ伏せる気だ!
アルミルがトーションマイクを突きつける。
はたして、堅物の執事がこの勝負に乗ってくるのか?
そう思った次の瞬間、執事は奪われたトーションを睨みつけ――不敵に笑った。
来るッ!
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~ お屋敷ラップバトル ~
Judge: Asuna & Schura & Konatsuo
【Round 1】
先攻:アルミル
YO-YO-YO-YO-! 執事さん!
私が誰だか知りたいか?
泣く子も笑うよ アイドルよ
よく聞けワレの名 アルミルよ!
ソングとダンスに 磨きをかける
そしたら世界変える 人なれる
有言実行 してみせます
終年一生 やったります!
研いで 超えて 私を開花
萌えて 燃えて 七色ファイヤー!
そしたら今度は あんたの番だ
でしゃばる執事とか聞いたことないぜ?
ドブネズミとか 言っちゃって あんた
飛ぶ薬で 逝っちゃってんじゃないの?
メーメーメーメー 羊さん
聞かせてみろよ あんたの事 あんたの名メー!
(アルミルが挑発的に指を突きつける! 韻を踏んだ自己紹介からの痛烈なディス! さあどうする執事!)
後攻:執事
『メー』と鳴くはヤギで ある
羊の鳴きは『ヴェー』だ カス!
(うまい! 即座に動物学的な訂正を入れつつ韻を踏み返した!)
こんなことも分からぬ 低能さん
主の友など 遠慮さ
私は執事 ただの執事
名乗る名などございません
主の功績こそ至高なる幸福
お家の永続こそ崇高なる使命
忠誠 誓って早 60年
受けて立ちましょう 口述戦!
周りを飛び交う 害虫あれば
排除するため 採集します
しつけを受けたいというのであれば
いいでしょう特別に胸を貸しましょう
聞く耳持たぬドブネズミならば
いますぐここからお立ち去りください!
(圧倒的キャリア! 60年の重みを感じさせるフロウだ!)
【Round 2】
アルミル
私を手なずける 大・計・画?
そんなのお断り 大・迷・惑!
チュー チュー チュー チュー ネズミで結構
帰ったりしません めげずに決闘!
アスナちゃんは友であり
師匠で あ~る
大切な仲間なんだ
希少で あ~る!
仲を 裂こうとするならば
チョップを アッポーと入れてやる!
饒舌執事が 前に出て
超絶きついぜ 存在感
お庭のお手入れ お上手だったり
お料理作るの お上手だったり
お掃除せっせと お上手だったり
しても あんたの口悪さで お嬢様はがっかりだよ!
(アスナへの友情を武器に、執事の完璧超人ぶりを逆手に取ったカウンター! 「がっかり」というワードが執事の眉を動かした!)
執事
がっかり結構 お説教
嫌われるの覚悟で 死守血統
外交 交渉 家事以外もやります
執事の貢献 質実剛健!
伝統と格式
品位と品格
貴族にお仕え 意は固い
この身の犠牲も いとわない!
そもそもアイドルって 何なんナン?
平民がここ来るの 頓珍漢
お前らまとめて アンポンタン
そこの君もだ ワンワンオ!
聖獣などという ギミック使って
取り入ろうたって そうはいかない
拾ってきた野良犬 調教したって
見破られる小細工 妄想いたって!
(聖獣コナッツオまでディスる全方位攻撃! しかしアルミルは怯まない。むしろニヤリと笑った!)
【Round 3 Final】
アルミル
吠えろコナッツオ (ワンッ!)
唸れコナッツオ (ワオォーン!)
怒鳴れコナッツオ (ゴラァー!)
笑えコナッツオ (キャハハハッ!)
(合いの手を入れてくるコナッツオ! まさかの種族を超えたコンビネーションラップ!)
こんなっ強 そうな聖獣他にいるか?
こんなっクソ かっこいいのに野良犬だって?
あんたのその目は フシアナか
眼鏡を変えろ 速やかに!
私は誓った 一生涯
アイドルでいるのさ 意地狂態
賢者も聖女も アイドルにゃかなわん
聖獣も魔族も Iの前じゃ赤ちゃん!
種族・民族・文化を 乗り越え
全ての闇にヒカリを 取り込め
それが私の ミッション なのさ
あなたも私と 一献 いかが?
(決まったあぁぁ! 世界平和というデカい野望を掲げ、最後は敵である執事すらも酒席に誘う懐の深さ! これぞアイドル!)
執事
・・・・
・・・・
(執事が沈黙する。ビートだけが鳴り響く。そして――)
・・・・
・・・・
とっさに出る言葉に邪なものは無かった
認めざるを得ません あなたという人間を
でもこのスタイルはしたぜ 緊張
それで分かった穢れなき 心奥
感情的にさせて 探る本性
心情むき出しで 多数論争!
みくびってた貴女の 戦・闘・力
スロットル開放 全・速・力
理解した友と歌が 原・動・力
楽しませてもらったぜ 変・奏・曲
数々のご無礼で 殺伐と攻撃
言の葉は 終わりを 心から お詫びを……
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ビートが止んだ。
執事は肩で息をすることもなく、しかしその瞳には先ほどまでの氷のような冷たさは消えていた。
「試すような真似をいたしました事、誠に申し訳ございませんでした」
執事が深々と頭を下げる。その所作は美しく、真摯な謝罪の色を帯びていた。
アルミルはトーションをマイクから布に戻すと、笑顔で近づいていく。
無言で右手を差し出す。握手だ。
執事は顔を上げ、一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに柔和な笑みを浮かべてその小さな手を握り返した。
その熱い戦いを目にして感動した俺とポームとアスナさんは、拍手することさえ忘れ、ただただ唖然としてその光景を見守っていた。
握手を終えると、執事は扉の横まで音もなく歩いていき、定位置に戻った。
そして、返してもらったトーションを広げて前腕に掛けると、まるで何事もなかったかのように気配を消し、再び空間へと溶け込んだ。
まさにプロフェッショナル。いや、今のラップスキルを見る限り、彼もまた只者ではない。
嵐のような時間が過ぎ去り、部屋には再び穏やかな時間が戻ってきた。
執事の存在感が希薄になり、俺たちが気兼ねなくお茶を楽しんでいると、部屋の隅にある本棚を見ていたアルミルが声を上げた。
「あ、これ。かわいらしい絵が描いてありますね。見せてもらってもよろしいですか?」
アルミルが手に取ったのは、古びた一冊の冊子だった。
アスナさんがカップを置いて覗き込む。
「ああ、それは……幼いころにワラワが書いていた日記じゃ。少し恥ずかしいが、見てもよいぞ」
許可を得て、アルミルが興味深そうにページをめくり始める。
いつの間にか気配を消していた執事が、絶妙なタイミングで現れ、全員の空いたカップに新しい紅茶を注いでいく。その横顔は、先ほどのラッパーの面影など微塵もない、完璧な従僕のものだ。
アスナさんは、紅茶の湯気越しに遠い目をした。
「その日記はワラワが5才の頃に書いたものじゃ。あの頃は、覚えたての魔法が楽しくて楽しくて……気が済むまで、陽が暮れるまで、魔力が枯れるまで杖を振っておった」
日記の中には、稚拙だが楽しげな絵と文字で、魔法への愛が綴られているのだろう。
アスナさんは自嘲気味に微笑んだ。
「今ではその時の情熱は無くなり、注ぐ先も無くなってしまってのう。なんだか切なく感じるが、こればっかりはどうしようもない」
義務としての魔法。結界維持装置としての人生。
その言葉は、俺の心に深く刺さった。
何だかわかる気がする。
俺も前世で、死んだような目をしていた時期があった。会社と自宅を往復し、ただ生きるために働き、働くために生きる日々。情熱なんて言葉は辞書から消えていた。
だが、メータルンバに出会い、アルミルという推しを見つけてからは世界が変わった。
情熱を注げる対象があるかないか。それは、人生がモノクロかフルカラーかの違いだ。
俺はここ異世界に来て、一度は生きる希望を見失いかけた。
だが、こうしてアルミルに再会し、彼女の夢を「推す」という新たな情熱を手に入れた。俺は今、間違いなく幸せだ。
ありがとう、アルミル。
君はラップで執事の心を動かしたように、俺の止まっていた時間も動かしてくれたんだ。
しんみりとした空気を察したのか、ポームがパンと手を叩いて空気を変えた。
「さあさあ、たくさんお話して笑ったら、お腹が空きませんか? アスナさん、この前食べ損ねたパインさんの定食を食べに行きませんか?」
その提案に、アスナさんの顔がパッと明るくなった。
「おお! それはいい案じゃ。ぜひそうしよう。早速支度をしてくるぞよ」
アスナさんがウキウキと席を立つ。
日記を読み込んでいたアルミルにも、ポームが優しく声をかけた。
「アル、行くよ」
こうして俺たちは、新たな絆と空腹を抱えて、夕暮れの街へと繰り出すことになった。
執事に見送られながら屋敷を出る時、彼が小さく自分の胸をノックしてアルミルを称えた姿を、俺は見逃さなかった。




