第31話 結界魔法貴族
~アスナの屋敷・客間~
軍の尋問室という殺伐とした空間から一転、俺たちはふかふかの絨毯が敷き詰められた豪奢な客間にいた。
漂うのは高級茶葉の芳醇な香り。目の前には、一口で庶民の月収が飛びそうな繊細な焼き菓子。
執事が丁寧に淹れてくれた紅茶を一口啜り、俺はようやく生きた心地がした。
向かいの席には、この屋敷の主であるアスナさんが優雅に座っている。
彼女はソーサーにカップを置くと、スッと背筋を伸ばして俺たちを見渡した。
「さて、ワラワの事じゃが……この屋敷の暮らしぶりを見て察した通り、ただの平民ではない」
アスナさんの声音が、少しだけ低くなる。
「かといって、あまり公にしておらぬから、名乗ったところでピンと来ないかもしれぬが……そなたらは命の恩人であり、友人であるから言わせてくれ」
彼女は扇子を閉じ、居住まいを正した。
「ワラワは、結界魔法貴族の伯爵。
アスナ・ロー・モークザインである」
……うん。
正直に言おう。ピンと来ない。
無理もない。こちとら異世界転生してきた元・現代日本人のオタクと、同じく転生してきた元・地下アイドル。それに加えて、隣にいるのは正体を隠した魔族の側近と、床でミルクをピチャピチャ舐めている産まれたての聖獣だ。
この国の貴族名鑑など知る由もない。
だが、俺たちのキョトンとした反応も織り込み済みだったのか、アスナさんは苦笑しつつ、言葉を継いだ。
「やはり知らぬか。まあよい。順を追って説明しよう。
まず、『結界魔法貴族』という立場についてじゃ」
アスナさんの説明によると、この国の権力構造は少し特殊らしい。
頂点に君臨する国王、その下に武力を統括する軍部。それとは独立した組織として教会が存在するのだが、彼女たち『結界魔法貴族』は、その教会に近い、特殊な立ち位置にいるという。
「ここ王都ファクトリオスは、1600年前に『古代賢者様』の強力な魔法と、『聖女オイリー様』の御加護が合わさって、対魔族用の強力な結界が張られたのは知っておろう?」
「はい。闇の魔力を持つ者が入ると焼かれる、あの結界ですよね」
俺は自分の腕のヤケド跡を無意識にさすりながら頷いた。身をもって知っている。
「うむ。その『古代賢者様』の正当なる血筋を受け継ぎ、代々結界の守護を任されているのが、我がモークザイン家なのだ」
古代賢者の末裔。
なるほど、通りで魔法が強力なわけだ。ただのお嬢様ではなく、血統書付きのエリート魔導師というわけか。
「これ以上は一族のみに伝わる秘術ゆえ詳しくは申せぬが……結界というものは、一度張れば終わりではない。綻びを繕い、魔力を充填し、常に最適な状態に保たねばならぬ。その定期的なメンテナンスこそが、ワラワの――結界魔法貴族の使命なのだ」
アスナさんは遠い目をした。
「ゆえに、国からは『結界の鍵』として要人扱いされてのう。幼き頃より屋敷から出ることもままならず、窮屈な暮らしをしてきた。
年に一度の建国記念パレードに儀礼的に参加させられるゆえ、ワラワの顔を知った者も街にはおるが、具体的に何をやっているかまでは分かってはおらんだろう」
「へぇー……。大変なお仕事なんですね」
アルミルが感心したように声を上げた。
だが、アスナさんは自嘲気味に笑った。
「仕事、か。……本来ならば、先代である両親が担うべき責務なのじゃがな。突然『世界を見て回る』などと言い残して、早々にこの役目をワラワへ押し付けて旅へ出てしもうた」
「えっ? ご両親が?」
「うむ。おかげでワラワは、若くして当主となり、この屋敷と結界に縛り付けられることとなったわけじゃ。……どうじゃ? 以上がワラワの正体じゃ」
さらりと言ったが、結構重い話だ。
育児放棄と職務放棄を同時にされたようなものじゃないか。
この広すぎる屋敷に一人、国の安全という重圧を背負って生きてきたのか。
アルミルが、悲しそうな顔をする代わりに、パッと明るい笑顔を向けた。
「そうだったんですね! 私たちが安心して街で暮らせるのも、アスナ師匠が毎日お手入れしていてくれたおかげなんですね。ありがとうございます、ご苦労様です!」
「あ、ありがとう……?」
真っ直ぐな感謝に、アスナさんが面食らっている。
「それに、森で戦闘を教えてくれた時、だからあんなに魔法が強かったんですね! だって、アスナさんが魔法を打つと、杖からバババー! って炎が出て、ドカーン! ってなって、ホントに凄かったんですよ!」
アルミルが身振り手振りで、黒影の森での戦闘を再現する。
確かにあの時の魔法は凄まじかった。一撃で魔物を消し炭にする火力とコントロール。
だが、アスナさんは首を横に振った。
「買いかぶりじゃ、アルミル。ワラワが古代賢者様の末裔だからといって、生まれつき強力な魔力を受け継いでいるわけではない。1600年も経っておるのだぞ? 血など薄まりに薄まっておるわ」
アスナさんは自分の掌を見つめた。
「ワラワの魔法は、才能ではない。……執念じゃ」
「執念?」
「うむ。幼いころから、次期当主として魔法のエリート教育を叩き込まれてきた。
最初は楽しかったのう。指先一つで火を灯し、風を起こす。魔法は奇跡そのものじゃった。手に豆ができるほど杖を振り、新しい術を覚えるたびに両親に見せたものじゃ」
アスナさんの表情が曇る。
「しかし……モークザイン家の後継者として生まれ、自分が背負っている使命の重みを知った時から、魔法はただの楽しい遊びではなくなった。
魔法学校では、歴史・理論・実技いずれも首席でなければ許されず、常にプレッシャーがあった。『賢者の末裔なのだから出来て当たり前』という周囲の目。
それに、12年間の学生時代を費やして魔法を極めたとて、それを冒険者のように世界のために使うことは許されぬ」
彼女はギュッと扇子を握りしめた。
「ただひたすら、王都の結界維持をして一生を終えるだけの、地味で退屈なルーチンワーク。
それでいて、結界は聖女オイリーなき今、一度崩れたら再構築は不可能と言われておる。失敗は許されぬ。
誰からも感謝されず、あって当たり前の『空気』のような結界を守るためだけに、ワラワの人生はあるのだ」
重い。
想像以上に重い話だった。
現代日本で言えば、絶対に止めてはいけない基幹システムの保守運用を、たった一人で任されているようなものか。しかも辞める権利なしで。
先ほど軍司令本部へ行っていたのも、結界に異常が無い事を伝える定期報告だったらしい。将軍にあれだけ強気に出られたのも、彼女が国の防衛システムの管理者だからこそなのだ。
「そんな毎日が、息が詰まるようでな……。あの時、道具屋でシュラ殿とアルミルに出会った時は、家を抜け出しての『お忍び』であったのだ」
アスナさんがふっと笑った。
「久々の自由、久々の外の世界じゃった」
それを聞いたアルミルが、ポンと手を打った。
「じゃあ、あの後私たちが森へ行って魔人と出会ったのは、結果的に大きな息抜きになりましたね! あははっ」
「ぶふっ! ……アルミルよ、お主というやつは」
アスナさんが吹き出した。
「息抜きなんてものではないわ! そのまま息を吸えずに死んでしまうところであったぞ! あはははっ!」
屋敷に響く、二人の笑い声。
孤独だったアスナさんの心に、アルミルの底抜けの明るさが染み渡っていくようだ。
「……だが、あそこで死にかけたおかげで、こうして友人を得ることができた。
それに、シュラ殿という、魔人を前にしても一歩も引かぬ、とても勇敢な殿方とも出会えたしな……」
アスナさんが熱っぽい視線を俺に向けてくる。
頬がほんのり赤い。
「あっ……いや、これは何でもない。忘れてくれ」
慌てて紅茶をあおるアスナさん。
俺の胃が痛む。
あの時、俺は大魔王として部下(魔人カボネ)を追い払っただけなのに。「勇敢」どころか、俺が元凶なのだが。
こんな高潔な方に、勘違いとはいえ好意を寄せられるのは心苦しい。いつかバレた時、軽蔑されるのが目に見えている。
和やかな空気が流れる中、俺はふと、隣に座るポームの様子を伺った。
彼女はミルクを飲むコナッツオの背中を見つめたまま、ずっと黙り込んでいる。
ここへ来る前、彼女は帰ろうとしていた。アスナさんと顔を合わせるのが気まずいからだ。
ここまでアスナさんの身の上話を聞いてきたが、ポームにとって一番重要な核心部分には、まだ触れられていない。
俺が切り出すべきだろう。
「そういえばさっき、アスナさんは軍司令本部の前で、『この前受けた質問の回答をしたい』と言っていましたね」
俺の言葉に、ポームがピクリと肩を震わせた。
アスナさんがカップを置き、真剣な表情に戻る。
「それって、定食屋でポームが質問した……『なぜそこまで魔族を憎むのですか?』に対する回答、ということで間違いないですか?」
場の空気が張り詰める。
アスナさんはチラッとポームの方を見た。ポームもまた、覚悟を決めたようにアスナさんを見つめ返す。
魔族と人間。
相容れない種族の間に横たわる、深い溝。
その源流にあるものが、今語られようとしている。
アスナさんは俺に向けて、そしてポームに向けて、ゆっくりと頷いた。
「うむ。……嘘偽りなく、話そうと思う」
彼女は膝の上で手を組み、静かに語り始めた。




