第30話 並木道の奥
~軍司令本部 尋問室~
(くそっ……! 万事休すか……!)
俺が天を仰ぎ、絶望に打ちひしがれそうになった、その時だった。
ふと、尋問室のドアの小窓越しに、廊下を歩く人影が見えた。
凛とした歩き方。豪奢な、しかし冒険者風にアレンジされた独特な衣装。
あそこを歩いているのは……。
目が合った!
間違いない。
アスナさんだ!
向こうもこちらに気づき、驚いたように足を止めた。そして、何かを決意したような顔で方向転換すると、迷わずこちらのドアへ向かってきた。
バンッ!!
ノックもなしに、勢いよく扉が開かれた。
「シュラ殿! それにアルミルと……ポームではないか。どうしてここに?」
突然の乱入者に、俺たちは目を丸くした。だが、それ以上に驚愕したのは、俺たちを取り囲んでいた5人の軍人たちだった。
「き、貴様、何者……あっ!?」
尋問官が怒鳴ろうとして、アスナさんの顔を見た瞬間、その表情が凍り付いた。
ガタガタッ!
5人の軍人が、弾かれたように椅子から立ち上がり、直立不動の姿勢をとる。そして、一斉に敬礼をしたのだ。
「はっ! お疲れ様です! 現在、先日の魔人出現はこの者どもの手引きではないかという確度の高い情報を元に、尋問実施中であります!」
軍人が敬礼?!
ただの冒険者相手に? しかも、こんな尋問の最中に報告までするなんて。
俺の脳内で「?」マークが乱舞する中、アスナさんは部屋の中央までツカツカと歩み寄り、軍人たちを一喝した。
「魔人の手引きだと? ……馬鹿者めが!」
扇子でビシりと机を叩く。
「こちらのお方たちは、ワラワの命の恩人であり、大切な友人であるぞ! 魔族と繋がりが有るなど、たわけたことを申すな! 無礼にもほどがある。今すぐ開放して丁重に扱いなさい!」
凛とした声が響き渡る。
だが、尋問官も冷や汗を流しながら食い下がった。敬礼の手は下ろしていない。
「い、いやしかし! この件は『将軍殿』からの直々の命令でして……いくらあなた様のご命令といえども、独断で容疑者を解放するわけには……」
「将軍の命令? ……フン、あの堅物が」
アスナさんは鼻を鳴らすと、くるりと踵を返した。
「少し待っておれ」
そう言い残すと、彼女は風のように部屋を出て行った。
残された俺たちと軍人の間に、気まずい沈黙が流れる。
なんだ? どうなるんだ?
数分もしないうちに、廊下からカツカツと早足の音が聞こえ、再びアスナさんが戻って来た。手には、一枚の羊皮紙が握られている。
「ほれ! これでどうだ!」
アスナさんはその紙きれを、尋問官の胸に押し付けた。
「話はつけてきた。このバカげた指示を即時撤回し、彼らを釈放せよとの命令文書だ! ったく! これだから軍人は嫌いなのだ。頭が固く、融通がきかぬのう」
尋問官が震える手で文書を開く。
そこに記された署名か、あるいは印章を見た瞬間、彼の顔色が青を通り越して白くなった。
「こ、これは……! は、はっ! 直ちに!」
尋問官はアスナさんに深々と最敬礼をし、部下たちに目配せをした。
彼らは蜘蛛の子を散らすように、逃げるように退室していった。
……助かった。
嵐が去ったような静寂の中、俺は呆然とアスナさんを見上げた。
華奢な体格の女性が、大の男5人を一言で黙らせ、軍の命令系統すらねじ曲げる。その姿は圧巻の一言だ。
いや、その前に。
この人、一体何者なんだ?
それまで怯えて言葉も発せなかったアルミルが、ようやく正気に戻り、涙目でアスナさんに飛びついた。
「アスナ師匠ー! 助けてくれてありがとうございますー! ううっ、本当に怖かったんですよぉ、あの人たち!」
アルミルがアスナさんの腕にしがみつく。
コナッツオも、「キャン!」と尻尾を振ってアスナさんの足元に擦り寄った。
「よしよし、怖かったのう。もう大丈夫じゃ」
アスナさんは慈愛に満ちた目でアルミルの頭を撫でた。
「それにしてもアスナ師匠、すごいですね! 冒険者さんっていうのは、あんな偉そうな軍人さんにも命令できるような、大きな権力があるお仕事なんですね?」
アルミルがキラキラした目で問いかける。
無邪気ゆえの核心を突く質問だ。
アスナさんは、撫でていた手を止め、バツが悪そうに視線を泳がせた。
「あ、あのー、その……冒険者と言うのはあれじゃ、作り事じゃ。すまぬ、騙すつもりはなかったのだが……申し訳ない」
「えっ? 作り事?」
「うむ。本当は……んー……」
アスナさんは言い淀み、チラリと俺やポームを見た。
そして、ため息交じりに扇子を開いた。
「それは後じゃ。ここは耳目が多い。ひとまずここを出ようぞ。時間はあるか? 我が屋敷へ来い。招待するぞ」
屋敷、か。
やはりそうか。
俺は心の中で確信した。アスナさんはただの人間ではない。将軍の命令を紙一枚で覆せる権力。王族か、それに準ずる超重要人物に違いない。
やれやれ、とんでもない人と知り合ってしまったものだ。
俺たちはアスナさんに促され、軍司令本部を後にした。
建物の外に出た。
よかった。拘束されたまま日が暮れていたら、俺はここで大魔王に変身し、尋問室どころか軍本部ごと吹き飛ばす大惨事になっていたところだ。
セーフだ。
アスナさんの後をついて石畳の道を歩く。
しばらく無言で歩いていたが、司令本部の敷地を出たところで、それまでずっと黙っていたポームが足を止めた。
「……私は、ここで、失礼するわ」
ポームが背を向けて言った。
その声は固く、拒絶の響きを含んでいる。
「えっ? ポームちゃん?」
アルミルが驚いて振り返る。
理由も言わずに帰る? いつも「兄上の護衛だ」と言って、俺の側を片時も離れようとしないあのポームが?
俺はピンときた。
そういえばこの前、定食屋でポームとアスナさんは言い争いをしたのだ。
「魔族と人間の共存」について。アスナさんが魔族を全否定し、それにポームが反発した一件だ。
ポームはまだ、それを引きずっている。気まずいのだ。
ポームがそのまま立ち去ろうとした、その背中に声がかかった。
「待たれよ」
アスナさんだった。
彼女は振り返り、真剣な眼差しでポームを見つめた。
「そなたにも来てほしいのだ。この前に受けた質問……『なぜそこまで魔族を憎むのか』という問いの、回答もしたいのだ」
ポームの足が止まる。
あの日、アスナさんはその問いに答えられず、逃げるように店を出て行った。
だが今は違う。逃げずに、向き合おうとしている。
「……回答、ですか」
「うむ。ワラワの過去、そして正体。すべてを話そうと思う」
アスナさんの誠実な態度に、ポームの頑なな背中が少しだけ緩んだように見えた。
仲直りできそうな雰囲気だ。ここで行かせたら、溝は深まるばかりだ。
俺はポームの肩に手を置き、優しく、しかし力強く言った。
「ポーム、行くよ」
ポームは俺を見上げ、そして小さくため息をつくと、観念したように頷いた。
「……わかりました、兄上」
~ アスナの屋敷 ~
俺たちはアスナさんの後をついて、王都の中でも一際高級な区画へと入っていった。
整備された街路樹、ゴミ一つない石畳。行き交う人々も身なりが良い。
しばらく歩いていくと、俺たちの目の前に、見上げるような巨大な門が現れた。
「うわぁ……大きい……」
アルミルが口をあんぐりと開けている。
門の左右には、完全武装した警備兵が二人、槍を持って直立していた。
彼らは俺たちを見て誰何しようとしたが、先頭を歩くアスナさんの顔を見た瞬間、無言のままバッと踵を揃えて敬礼をし、道を空けた。
顔パスだ。それも最上級の。
大門をくぐり、手入れの行き届いた並木道を奥へと進む。
やがて見えてきたのは、白亜の豪邸だった。
屋敷、というよりは小規模な城と言った方がいいかもしれない。美しい庭園に囲まれ、夕日に照らされたその建物は威厳と気品に満ちている。
アスナさんが中央の重厚な両開き扉へ手をかけ、躊躇なく開けた。
「おかえりなさいませ、アスナお嬢様」
扉が開くのと同時に、中で控えていた燕尾服の老紳士が恭しく頭を下げた。
白髪を綺麗になでつけ、背筋の伸びた、いかにも「熟練の執事」といった風貌の男性だ。
彼はアスナさんの後ろにいる俺たちに気づくと、少しだけ眉を上げた。
「おや、そちらの方々は?」
「ワラワの友人じゃ。少し込み入った話があるゆえ、客間を使うぞ。丁重におもてなしを頼む」
「承知いたしました」
執事は深々と頭を下げ、無駄のない所作で俺たちを招き入れた。
「皆様、どうぞこちらへ」
白い手袋をしたその執事は、流れるような身のこなしで長い廊下を進み、俺たちを豪華な客間へと案内した。
ふかふかの絨毯、天井にはシャンデリア、壁には高そうな絵画。
俺たちが普段生活している魔王城(暗くてカビ臭い)とは大違いだ。これが人種族のトップ層の暮らしぶりか。
執事は俺たちに、座り心地のよさそうな猫足の椅子へ座るよう促した。
座った瞬間、お尻が沈み込む。定食屋の木の椅子とはレベルが違う。
俺は内心、冷や汗をかいていた。
ますます訳が分からなくなってきた。
冒険者のふりをしたお嬢様? それも国王軍の将軍にモノ言える立場で、こんな大豪邸に住んでいる?
こんなにも若い女性が?
一体どうなっているんだ。ただの貴族令嬢というレベルを超えている気がする。
一旦退室した執事が、銀色のワゴンを押して戻って来た。
ワゴンには、湯気を立てるティーポットと、見たこともないような高級そうなお茶菓子が載っている。
執事は手際よく、俺、アルミル、ポーム、そして最後にアスナさんへと、花の絵柄が描かれた――これまた国宝級に高価であろう――カップに紅茶を注いで配った。
芳醇な香りが部屋に広がる。
そして、執事は最後に、床に座っているコナッツオの前へ、何かで満たされた深めのお皿をそっと置いた。
「こちら様には、温かいミルクでよろしいですかな?」
コナッツオは「お、気が利くでござるな」という顔をして、すぐさま皿に顔を突っ込んだ。
「クゥ~ン、ピチャピチャピチャ」
聖獣であり、侍言葉を話す誇り高き狼だが、ミルクの前ではただの子犬だ。
一心不乱にミルクを舐めるその姿。
その場にいた全員――緊張していた俺たちも、少し硬い表情だったアスナさんも、思わず頬を緩めて微笑み合った。
コナッツオ、グッジョブだ。お前のおかげで場の空気が和んだ。
その後、俺たちも紅茶を一口飲んだ。
美味い。渋みがなく、透き通るような味わい。
カチャリ、とカップをソーサーへ置く音が響く。
一息ついたその時、アスナさんが居住まいを正し、改めて俺たちを見回した。
その瞳には、もう迷いはなかった。
「さて……約束通り、話そうかの」
アスナさんは扇子を閉じ、静かに切り出した。
「ワラワの事じゃが、この屋敷を見て察した通り、ただの平民ではない」




