第27話 魔族の本能
~ 魔王城 ~
西の空が紫紺に染まり、夜の帳が下りる頃。
俺は滑り込むようにして、魔王城の玉座の間へと帰還した。
ドクンッ。
心臓が早鐘を打ち、全身の細胞が沸騰する。
日中、商人の青年「シュラ」として凝縮していた姿がほどけ、本来の――いや、転生後の器である大魔王デールン・リ・ジュラゴンガの姿へと戻っていく。
骨が軋み、筋肉が膨張し、紫色に変色した皮膚をねじれた角が突き破る。
何度味わっても慣れない、内側から怪物が溢れ出す感覚だ。
「はぁ……はぁ……」
変身を終えた俺は、巨大な玉座に深く沈み込んだ。
疲れた。今日は本当に疲れた。
隣村での聖獣オリブの出産、暴れまわる子狼コナッツオの鎮圧、そしてアルミルの即興ライブ。
精神的な疲労もさることながら、肉体的なダメージも深刻だ。なにせ昨夜は、魔人プロピ(通称プーやん)に捕まり、徹夜で酒を飲まされていたのだから。二日酔いの頭痛が、変身の反動と共にズキズキと脈打っている。
このまま自室の天蓋付きベッドへダイブし、泥のように眠ってしまいたい。
だが……ダメだ。今日中に片付けなければならない仕事が一つ残っている。
昨夜の「襲撃未遂」の件だ。
俺はプロピに対し、「村人を恐怖で熟成させてから狩る」という適当な嘘をついて、聖獣オリブとその村を見逃させた。だが、あれはあくまで一時しのぎ。放っておけば、痺れを切らしたプロピが再びあの村を襲いかねない。
パインさんの知り合いである革職人のヒノキンさんや、せっかく和解した聖獣オリブたちを危険に晒すわけにはいかないのだ。
俺は重い腰を上げ、再び立ち上がった。
「ビニルよ。余は……再び、魔人プロピの元へ行ってくる」
俺が声をかけると、影からぬっと側近のビニルが現れた。彼は俺の顔を見るなり、ニヤリといやらしい笑みを浮かべた。
「おや? 2夜連続でございますか。まさか、あの一晩だけではご満足できなかったご様子で。いやはや、大魔王様もお好きですなぁ~」
ビニルが揉み手をしながら感心している。
完全に誤解している。「色事」で通っているようだ。
訂正するのも面倒だし、1000年前の前任者がそういう関係だった可能性も否定できない。ここはあえて否定せず、大人の余裕(?)を見せておこう。
「……ふん。行ってくる」
「はっ! いってらっしゃいませ! 朝帰り用の着替えも用意しておきますかな? クックック」
上機嫌な側近に見送られ、俺は気だるい足取りで転移魔法を発動させた。
――
~大陸西南西西地区 魔人プロピの洞穴~
視界が歪み、見覚えのあるピンク色の怪しい照明に照らされた洞窟前へと転移する。
ムスクのような甘い香りが鼻をつく。
俺は咳払いを一つして、声をかけた。
「おーい。プーやん、いるかー?」
「ぎゃぁぁぁーーー!!!」
俺の声に呼応するように、鼓膜をつんざくような悲鳴が響き渡った。
「うおぉぉぉーーー!!!」
そのあまりの音量に、俺もつられて絶叫してしまった。
心臓がバクバクする。
見れば、入り口すぐの豪奢なソファーに腰掛けていた魔人プロピが、顔面蒼白で胸を押さえているところだった。
昨日のボンテージ衣装とは打って変わり、今日は深紅のシースルーネグリジェを纏っている。リラックスモード全開だ。
「あー驚いた……! 誰かと思ったら、何だ《《また》》ジュラちゃんかよ! アポを取ってから来てって言ったじゃない! デリカシーないわね、んもう!」
プロピがクッションを投げつけてくる。
「立ち話も何だし、空いてるソファーへ座んなさいよ。いつもの『紅魔果酒』ロックダブルフィンガーでよかったわよね?」
当然のように酒を勧められた。
というか「また」ってなんだ。俺、大魔王なんですけど。もう少し威厳を持って接してほしいものだが、このマダムにそれを求めても無駄か。
「あ、いや……今日は酒を飲みに来たわけではないのだ。ちょっと、伝えたいことがあってな」
「何よ! どうせ昼間はずっと寝てたんでしょうよ。元気有り余ってんじゃないの? 昨日の続きしましょうよ。……いや、今朝か? うふっ。で? 話って何よ?」
プロピが妖艶に脚を組み替え、上目遣いで俺を見る。
ペースに巻き込まれそうだ。俺は深呼吸をして、本題を切り出した。
「あの、まあ、その、改まって言うことでもないんだが。……昨日、一緒に行った村があるだろう? テリシン村だ」
「ああ、あの田舎臭い職人の村と、生意気なワンちゃんがいた所?」
「そうそう、そこ。あそこのさ……襲撃を、止めてほしいなと思って」
「は?」
プロピの手が止まる。
「今日はその命令と言いますか、お願いと言いますか。……はい」
俺はできるだけ下手に出ながら切り出した。
プロピの目がスッと細められる。
「何よそれ? どういうこと? どうしてそんな『魔族らしからぬ』こと言うのよ、ジュラちゃん」
空気が冷える。
やはり、怪しまれるか。
「恐怖で熟成させる」と言った手前、すぐに撤回するのは不自然すぎる。
「あ、いや、そうだよね。らしからんよね。わかりますわかります。重々承知の上でのお願いなんですよね」
俺は冷や汗を拭いながら、必死に取り繕った。
「あっ、ただ、完全に襲撃を辞めるってわけじゃなくてですね! 村の? はずれの? 誰もいない畑や倉庫を? 少し荒らすくらい? そのくらいにしておいてもらおうと思いまして! 人的被害はゼロで!」
苦しい。我ながら苦しすぎる妥協案だ。
プロピの表情が、疑いから明確な「怒り」へと変わっていく。
「だーかーらー! なんでそんな『甘っちょろい』こと言ってんのよって聞いてんの!」
ドスッ!
プロピがサイドテーブルにグラスを叩きつけた。
「恐怖で熟成? 昨日はそう言ったわよね。だったら、手足の一本や二本奪って絶望させた方が早いでしょ? 畑を荒らす? イタズラ小僧じゃあるまいし、大魔王のやることかい! あんた、何かおかしいわよ!」
「困ったなー。なんて説明したらいいのか……。これには海よりも深く、山よりも高い、複雑な事情がございましてですね……」
俺がしどろもどろになっていると、プロピが俺の顔をジッと凝視してきた。
射抜くような視線。
もはやこれまでか。ごまかしきれない。
俺が観念しかけた、その時だった。
「・・・・・・・ぶわっはっはっはっ!」
プロピが急に腹を抱えて大笑いし始めた。
「へっ?」
「あーっはっはっは! お腹痛い! もうダメ、我慢できない!」
ヒィヒィと笑い転げるプロピ。
どういうことだ? 怒っていたんじゃなかったのか?
「あんたさぁ……中身、『ジュラちゃん』じゃないでしょ?」
――ッ!?
時が止まった。
心臓が早鐘を打つ。
「えっ?!」
ば、ばれてる?
「え、じゃないわよ。図星でしょ? どうなのよ。白状しなさいよ!」
プロピがニヤニヤしながら俺の顔を覗き込んでくる。
カマをかけられているのか? いや、この確信に満ちた目は違う。
「あーーーのーーーまぁ、はい、そのーーー。……いつ頃からお気づきで?」
俺は恐る恐る尋ねた。
「いつからもなにも、あんたが復活したその日に、アタイに会いたがらないんだもん。すぐわかったわ!」
プロピは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
「昔のジュラちゃんならね、復活したら一番にアタイの所へ来て、『プーやんの美酒に酔いたい』って泣きついてきたもんさ。それを『忙しい』だの『後回し』だの……昨日の夜だって、アタイの誘い方もぎこちなかったしね」
「で、ではでは……それをわかった上で、昨日今日と私に接していらしたんですか?」
「そうよ」
「わかった上で、私をからかったんですか? ンもう、悪いお方ですね~」
俺は脱力した。完全に掌の上で転がされていたわけだ。
「そりゃそうよ。だってアタイ魔人だもん。性格悪くてなんぼでしょ? あはははは」
ひとしきり笑ったかと思えば、急にプロピの目が座った。
笑い声がピタリと止む。洞窟内の空気が一瞬にして凍りついた。
「で? ……何が目的なの?」
低い声。
そこには、長年魔界を生き抜いてきた古強者の凄みがあった。
「えーーと、目的と言うのはアレですかね、何かを狙っているというような? 魔界転覆を企てているというような? ……そんな大したものではなくてですね、ええ」
俺が後ずさる。
「あんた! これ以上話をはぐらかすと、許さないわよ!
大魔王の皮を被って、アタシら魔族をどうする気!! 壊滅させたいの!!? 事と場合によっちゃあ……この場で刺し違えてでも許さないわよ!!」
プロピの全身から、どす黒い殺気が噴き出した。
本気だ。
彼女は、自分たちの王が偽物であることを見抜き、種族を守るために牙を剥いたのだ。
ふざけているようで、彼女もまた魔族の幹部。仲間を守る気概はある。
……ギブアップだ。
これ以上、嘘はつけない。
俺は両手を上げ、降参のポーズをとった。
「わかった。……全て話す」
俺は観念し、洗いざらい全てを吐き出すことにした。
自分が異世界から転生してきた、ただの人間であること。
気が付いたら大魔王の体に入っていたこと。
聖獣オリブが子を産み落とし、その子をアルミルの元へ預けた経緯。
そして何より――俺と同じく転生者であるアイドル・アルミルの「推し活」をするために、この力を利用していることまでも。
話を終えると、プロピはポカンと口を開けていた。
長い沈黙が流れる。
「…………」
「…………」
やがて、プロピが大きなため息をついた。
「ふ~ん。アイドルが世界を変える、ねぇ~。……よくわかんないけど」
殺気が消えた。
彼女はグラスを手に取り、くるくると回した。
「つまりあんた、昼は人間の商人で、夜は大魔王っていう二重生活してるんだ。……面白そうじゃない」
「お、面白そう?」
予想外の反応に、俺は目を丸くした。
「だってさぁ、アタイみたいに長いこと生きてると、魔族とか人種族とかの争いなんて、正直どうでもいいわけ。飽きちゃってんのよ、マンネリに」
プロピが退屈そうに頬杖をつく。
「なにかこう、生活にハリっていうか? インパクトっていうか? そういう予期せぬ刺激を求めているわけ。
1000年前に封印された本物のジュラちゃんだって、しょっちゅう封印されてっから、まーたそのうちふらっと『やあ』って戻って来るだろうって感じなワケよ」
大魔王、扱い軽っ! 常習犯かよ!
「つまり、何が言いたいかって言うと……アタイも一枚、噛ませてよ」
「え?」
「その、『魔王城でライブ』ってやつ。望み薄いけど、実現させましょうよ」
プロピがニヤリと笑った。
「そのアルミルっていう子、あの気難しい聖獣オリブの子を手なずけたわけでしょ? それって案外凄いことなのよ。もしかすると……もしかするわよ」
まさかの協力者獲得!?
しかし、これはまた複雑なことになったぞ。魔族の幹部が俺の正体を知った上で協力するなんて。
でも……悪い話じゃない。プロピが味方につけば、魔族側のコントロールがしやすくなる。
もういい! どーにでもなーれ!
「は、はぁ……。プロピさんにそう言っていただいて大変心強いです。ありがとうございます」
「ンもう! 他人行儀ねぇ。呼び方は『プーやん』でいいっつうの。アタシもあんたのことは、引き続き『ジュラちゃん』で通すからさ」
「あ、ありがとう……プーやん」
プーやんは満足そうに頷くと、少し真面目な顔つきになった。
「ただね~。ひとつ忠告しておくけど、魔族の本能はそう簡単には変わらないわけよ」
「本能?」
「人間には食欲、睡眠欲、性欲ってのがあるだろ? 魔族も同じようにそれらを持ってんだけど、それプラス、人間をいじめたがる『暴虐欲』ってのがあるんだ」
暴虐欲。
嫌な響きだ。
「アタイみたいに長く生きてる魔人は、そんなもんいくらでも理性でコントロールできるから、欲に駆られるってことは無いんだけど……今の若い連中はそんなの無理なワケ。本能レベルで、人間を見ると『壊したい』『奪いたい』ってスイッチが入っちゃうのよ」
プロピが溜息をつく。
「そこを克服しない限り、魔王城で魔族と人間が仲良くライブ、なんて到底無理ね。血の海になるのがオチよ」
「暴虐欲、ですか……。そんな厄介なものが」
やはり、共存への道は険しい。アルミルの歌だけで、その本能を抑えられるだろうか。
「あっ! でもそういえば、例外もあるわ」
プロピが何かを思い出したように手を打った。
「ジュラちゃんとこに、時代遅れで堅物な側近のビニルってのがいるでしょ?
確か、あいつの息子がこれまた性格が恐ろしく悪かったんだけど、若い頃に頭を強く打ったとかで、その『暴虐欲』が消えたとかなんとか。その後どうなったか詳しくは聞いてないけど」
……そうか!
それがビニルの息子であり、ポームの父親か!
頭を打って暴虐欲が消えたからこそ、人間の女性と恋に落ちることができたんだな。
ということは、ポームにも暴虐欲はあるのか?
いや、あいつはハーフだし、今のところ理性的なようだが……まあ、このことは黙っておこう。
「たまたま頭の打ちどころが悪かったから暴虐欲が消えたんでしょうけど……そんな偶然を求めて、魔族全員の頭をピコピコとハンマーで叩いて回るってのは現実的じゃないわよねぇ」
想像したらシュールすぎる。
「あーあ、頭使ったら疲れてきちゃったわ。難しい話はこれでおしまい! さぁ飲むわよ! ジュラちゃん!」
プロピが新しいボトルを取り出し、ドンとテーブルに置いた。
「あ、あいや、今日はちょっと……明日も早いですし……」
「何言ってんのよ! せっかく正体明かしたんだからさぁ、『前の世界』ってやつの話をもっと聞かせなさいよ! どんな女と付き合ってたの? 夜は長いんだからさぁ!」
「ええぇぇ……」
逃げられない。
こうして俺は、不本意ながらも2夜連続でプーやんと酒を酌み交わすはめとなった。
二日酔いの上塗り確定だ。明日のアルミルの顔が、二重に見えないことを祈るしかない。
――
数日後。
~王都ファクトリオス 軍司令本部~
重厚な石造りの会議室。
張り詰めた空気の中、分厚い報告書を手にした分析官が、軍のトップである将軍の前で報告を行っていた。
諜報部隊と偵察部隊から仕入れた情報を精査した、極めて重要な報告だ。
「何っ!? 大魔王が復活したかもしれないという情報は、間違いなかっただと?!」
将軍の怒声が響く。
「はいっ! 各地での魔物の異常増殖、および強力な魔力反応……状況証拠は揃っております。
それに加え、先日、街の北側にある黒影の森に上級魔人が現れた件につきまして……どうやら、その魔人を手引きしたと思われる『内通者』が、街の中に潜伏している可能性があります」
「なんだと?! 大魔王の手の者が、この結界の中にいるだと?」
将軍がバンと机を叩いた。
「はい。目撃情報によりますと、その人物は……街の定食屋に出入りしている『商人』を名乗る男のようです」
分析官が、一枚の似顔絵を差し出す。
そこには、特徴をよく捉えた『シュラ』の顔が描かれていた。
「……捨て置けん。大魔王の尖兵ならば、結界を内部から破壊する工作員かもしれん」
将軍の目に、鋭い光が宿る。
「直ちに連行して取り調べをしろ!! 抵抗するようなら斬り捨てても構わん!
場合によっては……現在、北の国シルバへ仕掛けている戦争を一時中止し、対魔王戦へ戦力を集中させる必要があるな」
事態は、シュラの知らぬところで急速に悪化しようとしていた。




