第24話 モフモフ
村の中央に設置されたオブジェの上で、四つん這いの格好のまま『遠々々吠々々|裏ver.』をアカペラで歌い上げた、いや、吠えあげたアルミル。
それは、魂の底から絞り出される、獣の咆哮そのものだった。
(マジかよ……! 異世界へ来て早々に、この神曲を生で聴けるなんて……!)
広場を支配する圧倒的な声音圧。
歌、いや、咆哮が終わった直後だった。
聖獣のお子が、弾かれたように石像へと駆けだした。
「あっ! 危ない!」
村人の誰かが叫んだ。
親であるオリブすら置き去りにするほどの神速。あっという間に石像を駆け上がり、アルミルめがけて飛び掛かる。
あんなスピードで体当たりされたら、華奢なアルミルなどひとたまりもない!
俺が助けに入ろうと魔力を練った、その時。
ふわり。
空中で勢いを殺したお子が、アルミルの胸の中へと飛び込んだ。
牙を剥くことも、爪を立てることもない。
まるで甘えるように、「クゥ~ン」と喉を鳴らして頬を擦り付けているではないか。
「よしよしよし~! いい子ね~! わしゃわしゃわしゃ~!」
アルミルは驚く様子もなく、満面の笑みでお子を抱き留め、その銀色の毛並みを激しく撫で回し始めた。
産まれた直後は羊水で濡れていた体も、風のように走り回ったおかげですっかり乾ききり、極上のモフモフ具合に仕上がっているようだ。
(す、すげぇ……!)
俺は息を呑んだ。
あのフェスで、数千人の観客を一瞬にして虜にしたように、異世界の聖獣の心までをも掴み取ったというのか?
いや、ありえる。アルミルならありえる。
彼女の魂の叫びが、言葉の通じない獣の本能にダイレクトに響いたのだ。
先ほどまで破壊の限りを尽くしていた「災害」が、ただの愛らしい子犬(サイズは大型犬並みだが)になった光景を目の当たりにし、張り詰めていた村人たちの緊張が一気に解けた。
「おぉ……! 静まったぞ!」
「あのお嬢ちゃん、何者だ?!」
どっと湧き上がる安堵の声。そして、惜しみない拍手がアルミルへと注がれる。
ポームも「ほう……」と感心したように息を漏らした。
だが、一番驚いているのは母親である聖獣オリブだった。
彼女は痛む体を引きずりながら石像の元へ歩み寄ると、信じられないものを見る目でアルミルを見上げた。
「……そなたは、一体何者なのだ? 我が子の暴走を、力ではなく『声』だけで鎮めるとは」
オリブの問いかけに、アルミルはお子を抱きかかえたまま、石像の上ですっくと立ち上がった。
逆光を浴びて輝くその姿。
スイッチが入った。
「はい!」
アルミルが右手を高々と掲げる。
「元気が(モットー!) 愛を(モットー!) どんなに苦境でもサビたりしない。歌と踊りで(サービスたっぷり!)」
ビシッ!
ポーズが決まる。
「異世界アイドル・アルミルーーーですっ!」
パチパチパチパチ!
俺は完璧なタイミングで合いの手を入れ、渾身の拍手を送った。
これぞ様式美。
あっけにとられる村人たちだったが、俺につられるように一人、また一人と拍手をし始め、やがて広場は大歓声に包まれた。
はいっ、ここの村人全員と聖獣2匹、アルミルのファン追加っと。
俺は心の中でガッツポーズをした。
その後、アルミルは大人しくなったお子を石像から降ろし、聖獣オリブへと引き渡した。
村の修繕などはヒノキンさんを中心とした職人たちが「お手の物だ」と請け負ってくれ、とりあえずの一件落着となった。
ーーー
昼食を食べた後の頃。
俺たちは帰り支度を整え、村の出入り口にあるアーチの下にいた。
村人たちが総出で見送りに来てくれている。
「ありがとうよ! お嬢ちゃんのおかげで助かったわ!」
「また来てくれよな! 今度はゆっくりもてなすからよ!」
口々に感謝を述べる村人たち。
アルミルは一人一人に笑顔で手を振り返している。
そこへ、巨大な影が近づいてきた。
聖獣オリブだ。
その背中には、すやすやと眠るお子が乗っている。
親子の睦まじい姿に、俺たちが目を細めたその時だった。
「使いの者たちよ。この度は我らの村を救っていただき、誠に感謝する。……しかし」
オリブの声音が、重く沈んだ。
深くうつむき、苦渋に満ちた表情で、背中の我が子を振り返った。
そして、意を決したように俺たちに向き直った。
「しかし……この子は、この後すぐ……殺めることとする」
「……えっ?」
時が止まった。
アルミルが、凍り付いたような顔で立ち尽くす。
俺も耳を疑った。
「あやめるって……殺すってことか? 我が子を?!」
「……左様」
オリブは悲しげに目を伏せた。
「この子の強さは、我輩の想定を遥かに超えたところにある。
産まれた直後にして、あの頑強な『極巨胴旨鮫』の皮を内側から食い破り、村を半壊させるほどの力……。
この先成長し、自我が芽生えた時、もし再び暴走でもしたら……もはや我輩でも、誰にも手が付けられなくなってしまうだろう」
オリブの声が微かに震えている。
「情が移らぬ、今なら……まだ、止めることができる。
それも、母親である我輩にしかできぬこと……。村を、ひいてはこの世界を守るための、苦渋の決断なのだ。
世話になったお主らには、礼と共に伝えておきたかった。せっかく鎮めてくれたのに、すまぬ」
なんてことだ。
こちらの世界の狼、ましてや聖獣は、親子関係が淡泊なのかと思っていたが……真逆だった。
親子愛が、そして村の守り神としての責任感が強すぎるあまりの、悲壮な選択。
断腸の思いとはまさにこのことだろう。
村人たちも静まり返り、誰も口を開こうとしない。
彼らもまた、オリブの苦しみを理解し、その重い決断を尊重しようとしているのだ。
何の責任もない、ただの通りすがりである俺たちが、口を挟める問題ではない。
俺は拳を握りしめ、やりきれない思いを飲み込もうとした。
だが――。
「それはいけません!!」
静寂を切り裂く、凛とした声。
アルミルだった。
彼女はオリブの前に進み出ると、両手を広げて立ちはだかった。
「産まれたばかりの、未来ある子を……そんな、そんな悲しいこと言わないでください!」
「……っ」
否定されたオリブの顔が歪む。
「小娘に何がわかる! 我輩とて、殺したくて殺すわけではない! だが、このまま生かしておけば、いつか取り返しのつかない災厄となるのだぞ!」
「だったら、こうしましょう!」
アルミルは一歩も引かなかった。
「この子は、私が預かります! 私が責任を持って育て上げます!」
「なっ……!?」
「もし暴れても、さっきみたいにお歌でおとなしくさせますから! ご飯だって私が稼いで食べさせます! だから……どうか、考え直してください! お願いします!」
アルミルが深々と頭を下げる。
その必死な姿に、オリブの瞳が揺れた。
だが、すぐに険しい表情へと戻る。
「……ならぬ。そなたの歌でこの子が鎮まったのは認めるが、それがそう何度も続く保証はない。
それに……この世界はいま、不安定なのだ」
オリブが低く唸る。
「我輩は昨日、この村で復活した『大魔王』と対峙した」
ビクッ。
俺の心臓が大きく跳ねた。
「我輩などとても太刀打ちできぬほど、あの者の強さは本物だった。底知れぬ闇、圧倒的な絶望……。
あの大魔王が動き出した今、世界は破滅の危機に瀕している。そんな時に、制御不能な怪物をもう一匹野に放つなど、自殺行為だ!」
オリブが吼える。
「あの大魔王に世界が飲み込まれるより先に、この子に滅亡させられる可能性があるのだぞ! そなたは何も分かっておらん!」
頑として引かないオリブ。
その言葉の一つ一つが、俺の胸に突き刺さる。
大魔王(俺)への恐怖が、オリブをここまで追い詰め、我が子を殺すという選択にまで駆り立ててしまったのか。
俺が昨晩、いい加減な態度で脅かしてしまったせいで。
……責任を取らねばなるまい。
もしこのままオリブの考えを通させれば、無垢な命が失われるだけでなく、それを止められなかったアルミルの心にも一生消えない傷が残る。
推しの笑顔を守るためなら…
俺はアルミルの隣に並び立った。
「俺からもお願いします」
真っ直ぐにオリブを見つめる。
「アルミルさんの歌は本当に凄くて、この世界のあり方そのものを変えてしまうほどの力があるんです! 彼女なら、きっとあのお子さんを立派に育てられます」
「商人の分際で……無責任なことを!」
「無責任じゃありません! もし何かあっても……この俺が、全力で食い止めることを《《約束》》します! だからどうか、お子をアルミルに引き取らせてください! お願いします!」
俺の言葉に、オリブの堪忍袋の緒が切れた。
「……貴様ぁッ!!」
オリブが牙を剥き、殺気混じりの咆哮を上げた。
凄まじいプレッシャーに、村人たちが悲鳴を上げて後ずさる。
「いっかいの商人に何ができる! 口先だけで守れるほど、世界は甘くはないわ! できもしない《《約束》》を軽々と言うな! 関係のない者は黙っておれ!!」
ごもっともだ。
聖獣から見れば、俺はただの貧弱な人間にしか見えないだろう。
「できます」と言ったところで、何の説得力もない。
ですよねー。
おっしゃる通りですよねー。
ですが……。
俺は、心の奥底にある「鍵」を外した。
アルミルや村人には気づかれないよう、指向性を持たせて。
聖獣オリブ「だけ」に届くように。
俺は闇の魔力を開放した。
ブファァァーーー……。
空気の密度が変わる。
重く、粘り気のある、純粋な闇。
「っ?!」
俺の背後にいたポームが、息を呑んだ気配がした。
彼女は魔族だ。俺の魔力開放に敏感に気づき、「兄上、ここで正体を晒すおつもりですか?!」と目で訴えてきている。
だが、俺はそれを無視して、さらに出力を上げた。
ブブブルルルボボボファァァァァーーー……。
アルミルや周りの村人たちは、「あれ? 急に寒くなったな?」「なんだか空が暗くなった?」程度の違和感しか感じていない。
しかし、対象とされた聖獣オリブは違う。
全身の毛が、一斉に逆立った。
喉の奥で威嚇の声を上げようとしたが、声にならない。
俺の体から無限に放出される強大な覇気と威圧が、彼女の生存本能を直接殴りつけているのだ。
オリブの金色の瞳が、極限まで見開かれ、俺を凝視する。
その目に、理解の色が浮かんだ。
昨晩対峙した、あの絶望的な闇。
目の前にいる「商人」から、それと同じ、いや、それ以上の力が溢れ出していることに。
(ば、馬鹿な……。まさか、貴様は……!)
後ずさり、腰を抜かしそうになるオリブ。
俺はすかさず、彼女の脳内へ直接、念話で語り掛けた。
あくまで、大魔王デールン・リ・ジュラゴンガとしての声色で。
(誇り高く聡明な銀繊懐狼の聖獣オリブよ)
俺はニヤリと笑った。
(その《《約束》》をした相手が……余、だとしてもか?)




