第20話 実力
プロピの期待に満ちた目と、聖獣の殺意に満ちた目。
板挟みになった俺は、とりあえず大魔王らしく、重々しく腕を組んでみせるしかなかった。
「……ふん。威勢だけはいいようだな、犬っころ」
口から出たのは、死亡フラグのような挑発の言葉だった。
もう、どうにでもなれ。
俺は腹を括った。ここまで来たら、少しだけ力を開放して、この場の全員がドン引きするようなパフォーマンスを見せつけ、戦わずして勝つ(あるいは誤魔化す)しかない。
俺は目を閉じ、丹田に意識を集中させた。
体内で渦巻く、ドロドロとした漆黒のエネルギー。普段は人間として振る舞うために、心のダムでせき止めているそれを、ほんの少しだけ放流する。
カッッッ……!
俺の全身から、紫色の魔力が噴き出した。
いや、噴き出すなんて生易しいものではない。爆発だ。
バファーーッ!
「ぬおっ!?」
俺自身が驚くほどの勢いで、重厚な闇の波動が周囲を圧巻していく。
空気が軋み、地面の小石が重力に逆らって浮き上がる。
月明かりさえも遮るような濃密な闇が、俺を中心に渦を巻いた。
「ひゃぁっ! すごいわジュラちゃん! なんて濃い魔力! 肌がピリピリするほどセクシーだわ!」
横でプロピが歓声を上げているが、こちとらそれどころではない。
出力調整が難しいのだ。蛇口をひねったらシャワーヘッドが吹き飛んだような状態だ。
対する聖獣オリブは、先ほどの威勢の良さが嘘のように硬直していた。
重心を低く下げ、喉の奥でグルルルと低い唸り声を上げているが、その尻尾の揺れは完全に止まっている。
野生の勘が告げているのだろう。「これはヤバイ」と。
(よし、ビビってるな。今のうちに一発かまして、実力差を見せつけてやる!)
俺は喧嘩なんてしたことがない。
前世で振るっていた暴力といえば、ライブ会場でサイリウムを振り回すことくらいだ。
だが、その「振り回す」動作に関しては、誰にも負けない自信がある。
毎日何時間も練習した『サンダースネイク』の腕の振り。あの鋭さとキレを、この拳に乗せれば……!
俺はゆっくりと右拳を握りしめ、半歩踏み出した。
「消し飛ぶがよい……えいっ!」
掛け声は可愛くなってしまったが、拳速は音を超えた。
ブフォーーン!!
拳が空を切った瞬間、圧縮された空気が衝撃波となって前方に弾け飛んだ。
狙いはオリブの横にある、無人の巨大倉庫だ。
ズドォォォォォォンッ!!
轟音と共に、石造りの倉庫が飴細工のように砕け散った。
屋根が吹き飛び、壁が粉砕され、瞬く間に瓦礫の山へと変わる。
直撃させたわけではない。ただの「素振り」の風圧でこれだ。
「……まじか」
俺は自分の拳を見つめて呆然とした。
強すぎる。大魔王スペック、想像の遥か上を行っている。
粉塵が舞う中、プロピが手を叩いてはしゃぎ回る。
「きゃーー! 強い! 強すぎるわ大魔王様! あの頑丈な石倉庫を一撃で粉砕?! 素敵! 抱いて! ゴーゴー! ゴーゴー!」
無邪気なプロピとは対照的に、オリブは腰を抜かさんばかりに後退していた。
金色の瞳が見開かれ、全身の毛が逆立っている。
「お、おのれ……。これほどまでとは……。パワー、スピード、フィジカル全て、まるで次元が違う。我輩の400年の経験が通用せぬ怪物か……!」
オリブが脂汗を流し、ジリジリと後ろへ下がる。
完全に戦意喪失だ。よし、これなら「見逃してやる」ムーブで撤収できるぞ。
俺は一歩、オリブに近づいた。
「どうした聖獣。先ほどの勢いは……ん?」
俺は足を止めた。
オリブの様子がおかしい。
ただ怯えているだけではない。後ずさりしながらも、必死に「腹部」を庇うような姿勢をとっているのだ。
地面に伏せるように腹を隠し、俺の視線から守ろうとしている。
そういえば、さっき見たとき、腹回りが少しふっくらしていたような……?
ただのメタボかと思っていたが、この守り方。そして、この命懸けの気迫。
(まさか……?!)
俺の中で何かが繋がった。
「こんな時に限って」というオリブの呟き。
自分の命よりも優先すべきものがあるからこその、あの恐怖。
……戦えない。
妊婦(妊狼?)に手を上げるなんて、大魔王以前に男として、いや、人間としてあり得ない!
俺は握りしめていた拳をスッと解いた。
「……興が削がれた」
俺はわざとらしく大きなため息をつき、纏っていた闇のオーラを霧散させた。
「は?」
プロピが間の抜けた声を出す。
オリブもキョトンとして顔を上げた。
「ど、どうしたのさ大魔王様。押してるじゃないか。もうすぐにでもトドメを刺せるじゃないか。あんな生意気な駄犬、ミンチにしちゃってくださいよ!」
プロピが俺の腕を揺さぶる。
うるさいなプーやん。静かにしてくれ。俺はいま、かっこいい撤退理由を考えているんだ。
「確かにそうだ。トドメを刺すのは造作もない。だが……」
俺はニヤリと、邪悪に見える(であろう)笑みを浮かべた。
「実は今、魔族は深刻な『魔人不足』でのう。
ただ殺すのはもったいない。この村の人間どもや、そこにいる聖獣……これらを恐怖で熟成させ、将来的に我が軍門に下る『魔人』へと超進化させるための糧として、とっておくことにした」
「糧、でございますか?」
「うむ。青い果実を摘んでも美味くないだろう? 恐怖と絶望を十分に吸わせ、熟れきったところで収穫する……それが大魔王の嗜みよ」
我ながら完璧な言い訳だ!
「見逃す」のではなく「キープする」。これなら魔王の威厳も保てるし、村も聖獣も助かる。Win-Winだ!
プロピは少し不満そうに唇を尖らせたが、すぐに納得したように頷いた。
「なーるほどねぇ。さすがジュラちゃん、考えるスパンが長期的だわ。目先の殺戮より、将来の戦力増強。……痺れるぅ~!」
チョロい! プーやんチョロくて助かる!
「なので、今晩は一旦引くとする。それに……」
俺はプロピの肩を抱き寄せ、甘い声で囁いた(演技だ)。
「なあプーやん。殺伐とした殺し合いよりも、もっと大事なことがあるだろう?
我が眠っていた1000年の間に何があったのか……せっかくドレスアップしてメイキャップもしている麗しいプーやんの話を、じっくり聞きたいんだよ」
プロピの顔が、ボンッ! と音を立てて真っ赤になった。
「えっ? そっ、そうかい? ジュラちゃんったら……!
もぉ~、口が上手くなったんだからぁ!
じゃあ仕方ないね。命拾いしたわね、駄犬!」
プロピはオリブに向かってベーッと舌を出すと、俺の腕にねっとりと絡みついた。
「でもさっき、書類仕事があるとかなんとか言ってなかったかい?」
「あー、いいのいいの。そんなのあとあと。ささ、行こ行こ」
俺はプロピを促し、村の出口へと歩き出した。
背中越しに、呆然と立ち尽くすオリブの気配を感じる。
帰り際、ふと後ろを振り返ると、聖獣オリブは、助かったことへの安堵と、俺の真意を測りかねるような懐疑的な目で、じっとこちらを見送っていた。
とりあえず、一件落着……なのか?
まあいい。村は守られた。俺の「推し活」の邪魔になる不安要素は排除した。
あとは……このマダム魔人の長い長い昔話に付き合うという、過酷なミッションを耐え抜くだけだ。
さようなら、俺の睡眠時間。
――
翌朝。魔王城。
「おえっぷ……」
朝日が差し込む回廊を、俺はゾンビのような足取りで歩いていた。
頭が痛い。吐き気がする。視界が回る。
結局、プロピの洞窟に連れ込まれ、彼女の秘蔵の酒『紅魔果酒』を、ロックダブルフィンガーどころかボトルで空けさせられた。
「1000年前のあの夜もさぁ~」という、身に覚えのない思い出話を延々と聞かされ、解放されたのは空が白んでからだった。
「おや、大魔王様。朝帰りですかな」
前方から、能天気な声がかかった。
側近のビニルだ。
彼は俺の顔色(紫色だから分かりにくいが)を見て、ニヤニヤと口角を吊り上げた。
「くっくっく。魔人プロピ様の所へ行かれ、まさか朝までとは。
いやはや、1000年のブランクを感じさせぬ精力的ご活動。まだまだお若いですなぁ~。夜の『出撃』は誰にも止められませぬなぁ~」
ビニルが茶化してくる。
この爺さん、俺が女遊びをしてきたと勘違いしている。
訂正する気力もない。
調子に乗っているので闇の魔法で締め上げようとしたが、魔力を練ろうとした瞬間、頭の中で工事現場のような音が響き渡り、断念した。
「……うるさい。水を持ってこい、水」
「はっはっは! 左様でございますか。精のつく朝食もご用意しておきますぞ!」
ビニルが嬉しそうに去っていく。
俺は壁に手をつき、深いため息をついた。
眠い。今すぐベッドにダイブして、泥のように眠りたい。
だが――。
今日という日は、俺の魔王生において、決して休むことの許されない重要な日なのだ。
そう、アルミルとのおつかいデート(付き添い)である。
推しとの約束を破る? ありえない。
二日酔いだろうが、寝不足だろうが、這ってでも行く。それがファンの流儀だ。
俺は頬をパンパンと叩き、気合を入れた。
「待っててくれ、アルミル……。ファン1号、今行きます!」
俺は地を這うように『変転ゲート』をくぐり、さわやか(ただし顔色は悪い)な商人の姿へ変身すると、転移魔法で王都ファクトリオスへと飛んだ。
――
~王都ファクトリオス 定食屋プトルカン~
朝の光が降り注ぐ定食屋の前には、すでに準備万端のアルミルとポームが待っていた。
アルミルは動きやすそうな旅装に、先日俺が買い与えた短剣を腰に差している。ポームも身軽な格好だが、その目は周囲を油断なく警戒している。
「あ! シュラさん! おはようございます!」
俺の姿を見つけたアルミルが、花が咲くような笑顔で駆け寄ってきた。
うっ……眩しい。
二日酔いの目に、推しの輝きが染みる。
「おはようございます、アルミルさん。お待たせしました」
「シュラさん? 顔色が優れませんけど、大丈夫ですか?」
アルミルが心配そうに覗き込んでくる。
至近距離の美少女。いい匂いがする。吐き気が少し治まった気がする。
「だ、大丈夫です。昨日ちょっと、仕事の付き合いで深酒をしてしまいまして……あはは」
「もう、ダメですよ無理しちゃ。ポームちゃんが言ってた『胸やけ』ですね?」
アルミルがクスクスと笑う。
そこへ、店の中からパインさんが出てきた。
「あら、シュラ君。来てくれたのかい。悪いねぇ、二日酔いなのに」
パインさんは申し訳なさそうにしつつも、手際よく荷物をまとめた風呂敷とメモをアルミルに手渡した。
「それじゃあ、このメモに書いてある調味料を買ってきてちょうだい。それから、こっちの包みは料理で使い終わった珍しい魚の皮なんだけど、皮職人のヒノキンさんの所へ届けてきておくれ。何かを包むのに使うんだってさ」
「はい! 了解しました! パインさんはゆっくり休んで、作詩の挑戦をがんばってくださいね!」
アルミルが元気に敬礼する。
「あいよ。詩なんて柄じゃないけど、やってみるよ。気をつけてね。いってらっしゃい」
「「「行ってきまーす!!」」」
俺たちはパインさんに見送られ、チャーターしておいた馬車に乗り込んだ。
御者が鞭を振るい、馬車がゆっくりと動き出す。
目指すは隣町……ではなく、山奥にある職人の村だそうだ。
馬車に揺られながら、俺は今日のプランを練っていた。
片道一時間ほどの馬車の旅。
密室。推しと向かい合わせ。
これは絶好のトークタイムだ。アルミルのアイドルとしての夢や、好きな食べ物、魔王城ライブの構想など、聞きたいことは山ほどある。
「あのね、シュラさん。私、昨日の夜に新しい曲を思いついたんです!」
アルミルが目を輝かせて話し始めた。
「おっ、それはぜひ聞きたいでふね……」
呂律が回らない。
馬車の心地よい揺れ。規則的な車輪の音。そして窓から差し込む暖かな陽射し。
それらが極上の子守唄となり、徹夜明けの脳を強制シャットダウンさせようとしてくる。
「それでね、歌詞が『魔王様もコタツで丸くなる』っていう……」
「ふむふむ……魔王……コタツ……ムニャ……」
瞼が鉛のように重い。
ダメだ。寝ちゃダメだ。目の前にアルミルがいるのに。
でも、意識が……遠のく……。
カクン。
俺の頭が揺れ、視界が暗転した。
最後に見たのは、優しく微笑むアルミルの顔と、呆れたようなポームの顔だった。
――
~山奥の職人村テリシン~
「……ぇ! ……にうえ! 兄上! 着きましたよ! 起きてください! 馬車を降りますよ!」
耳元で怒鳴り声がした。
ビクッとして目を覚ますと、ポームが俺の肩を揺さぶっていた。
「う、うーん……。もう着いたのか……?」
俺はポームに半ば強引に引きずられるようにして、馬車から降りた。
眩しい。昼下がりの太陽が容赦なく降り注ぐ。
俺は薄目で光を受けながら、大きく伸びをした。
「ふあぁ……よく寝た。……ん?」
視界がクリアになるにつれ、目の前の光景に違和感を覚えた。
のどかな職人の村……のはずだが、何かがおかしい。
倒れた看板。
へし折れた街路樹。
そして極めつけは――広場の横にある、無惨に粉砕された巨大倉庫の残骸。
(……はい?)
俺の思考が停止した。
この光景、デジャヴではない。
昨日の夜、俺が大魔王の姿で訪れ、素振り一発で吹き飛ばした、あの倉庫だ。
(こ、ここは……!! 昨日俺が来た村、テリシンじゃないか!!)
血の気が引いた。
隣町に行くって聞いてたのに! 職人の村ってここかよ!
パインさんが言っていた「皮職人のヒノキンさん」って、この村の人だったのか!
まずい。非常にまずい。
この村には、昨晩俺と対峙した聖獣オリブがいる。
それに、村人たちは俺(大魔王)の姿を見てパニックになっていた。
そんなホットな事件現場に、のこのこと戻ってくるなんて!
「うわぁ……。ひどい有様ですね」
アルミルが瓦礫の山を見て、悲痛な声を上げた。
「昨日の夜、何かあったんでしょうか? まるで台風が通った後みたい……」
台風じゃないです。俺です。
俺の右ストレートの余波です。
罪悪感で胃が痛い。二日酔いとは別の種類の吐き気が込み上げてくる。
通りを行き交う村人たちは、皆一様に暗い顔をし、ヒソヒソと噂話をしている。
「聞いたか? 昨日の夜のあれ……」
「ああ。伝説の大魔王が出たって話だろ? 恐ろしい……」
「オリブ様が追い払ってくれたらしいが、倉庫が一瞬で消し飛んだってよ」
聞こえてくる会話が、俺の心臓を締め付ける。
すみません。本当にすみません。
「兄上。顔色が悪いですよ?」
ポームが小声で囁いてくる。
彼女は鋭い視線を瓦礫に向け、そして俺を見た。
『これ、本当に兄上の仕業…?』という呆れを含んだ目が痛い。
「あ、あー……。なんでもない。ちょっと空腹でな」
俺は必死に取り繕った。
落ち着け、俺。
昨日の夜に来たのは、三メートルの巨体を持つ「大魔王デールン・リ・ジュラゴンガ」だ。
今ここにいるのは、ただのさえない商人「シュラ」だ。
姿形も違うし、オーラも消している。
バレるわけがない。
そうだ。何を焦る必要がある。
パインさんのおつかいをササっと終わらせて、何事もなく立ち去ればいいことだ。簡単なミッションじゃないか。
「さ、さあ! 行きましょうか! まずは調味料のお店ですね!」
俺は努めて明るく振る舞い、二人を先導し、調味料屋で目的の品を購入した。
「次は……皮職人のヒノキンさんの工房ですね。あっちみたいです」
アルミルが指さした先には、一際大きな工房があった。




