第2話 最強のオタク、大魔王として覚醒す
ここは、どこだ?
上も下も、右も左もない。無限に続くような、ただただ白い空間。
意識だけがプカプカと羊水の中に浮かんでいるような、奇妙な感覚だ。俺は夢でも見ているのだろうか。
記憶の糸を手繰り寄せる。
俺の名前は、富良津築男。二十五歳。
冴えないサラリーマン生活を送る俺にとって、唯一の生きる糧はアイドルグループ『メータルンバ』だった。
そうだ、俺は今日、彼女たちの運命を分けるフェスに参戦していたんだ。
そして、ウイニングソングが終盤に差し掛かり、俺のボルテージが最高潮に達したその時――。
天井の鉄骨が、照明ごと落ちてきた。
スローモーションの景色。逃げ遅れた子供。
俺は、最前列でオタ芸を打っていた遠心力を利用して、その子供を突き飛ばし……。
ドォォォォォォォンッ!!
あの鈍く重い衝撃音と、全身を駆け巡った激痛。
間違いない。直撃したんだ。
つまり、俺は死んだのか。
(マジかよ……。メータルンバの伝説は、これからだってのによぉ……!)
悔しさがこみ上げてくる。全国ツアーも、武道館ライブも、まだ何も見届けていない。新曲のコールだって完成していないのに。
だが、不思議と心は穏やかだった。
俺は全力で生きてきた。仕事はいまいちだったが、推しに出会い、推しに愛を注ぎ、最後はその推しの晴れ舞台で、誰かの命を救って散った。
オタクの最期としては、これ以上ない「推しへの捧げ物」になったんじゃないか?
「うん、悪くない。受け入れようじゃないか、この死を」
俺が独りごちて覚悟を決めた、その時だった。
脳内に直接響くような、荘厳かつ無機質な声が空間全体に木霊した。
『私は神。そなたは自らの命を顧みず、幼き命を救った』
えっ、神様? テンプレ展開きたこれ?
『その善行への報いとして、来世での生を与えよう。何か望みがあれば申してみよ。さあ、転生の時だ』
思考が追いつかない。転生? 異世界? ラノベでよく見るあれか?
だが、今の俺に迷いはなかった。
また一から人生をやり直すとして、何が一番重要か。それは「平穏」だ。
もう若くして死ぬのは御免だ。それに、メータルンバのいない世界で生きていくには、心の傷を癒やすためのスローライフが必要不可欠だ。
誰にも脅かされず、悠々自適に、飽きたらハーレムでも作って暮らしたい。
そのためには、誰にも負けない力が要る。理不尽な暴力に屈しない、圧倒的な力が。
俺は腹の底から声を張り上げた。
「その世界で、最強の存在にお願いします!!」
『よかろう。その願い、聞き届けた』
神の言葉と共に、視界が強烈な光に塗りつぶされる。
意識が急速に遠のいていく中で、俺は確信していた。
最強の冒険者か、あるいは賢者か。
どんな姿であれ、「俺TUEEE」して、勝ち組ライフを送ってやるぜ――!
――
どのくらいの時間が経ったのだろうか。
重い瞼をゆっくりと押し上げる。
ひやりとした空気が肌を撫でた。
先ほどの白い空間とは打って変わって、そこは漆黒の闇に包まれていた。
目が慣れるにつれ、徐々に周囲の輪郭が浮かび上がってくる。
高い天井。そこから垂れ下がるボロボロのタペストリー。床にはひび割れた石畳が広がり、黒い靄のようなものが足元を這っている。
カビと埃、そして何やら鉄錆のような臭いが鼻をつく。
「ここは……?」
声を出して、俺は自分の喉の震えに違和感を覚えた。
低い。あまりにも低く、重低音の効いたバリトンボイスだ。まるで高品質なスピーカーを通したような威圧感がある。
それに、体が重い。いや、重いというより「力が満ちすぎて溢れ出している」感覚だ。指先一本動かすだけで、空気中の魔素がビリビリと反応するのが分かる。
俺が鎮座していたのは、巨大な石造りの玉座だった。
その目前、石段の下に、何かが平伏している。
「おおっ……! おおおおっ! よくぞ、よくぞお目覚めでございますっ!」
平伏していた影が、バッと顔を上げた。
俺は思わず「ヒッ」と声を上げそうになるのを、鋼の精神力(というより固まった表情筋)で堪えた。
怖い。顔が怖い。
紫色に光る肌、額から生えたねじれた二本の角、口元からはみ出した鋭い牙。
どう見ても人間ではない。ファンタジー映画に出てくる上級悪魔そのものだ。
その悪魔が、涙ながらに俺を見上げ、歓喜に打ち震えている。
「我らが偉大なる王! 大魔王デールン・リ・ジュラゴンガ様!!」
……はい?
今、なんと?
大魔王? デールンなんとか?
俺は状況を整理しようと脳内会議を緊急招集した。
1.最強をお願いした。
2.目が覚めたら禍々しい城にいた。
3.目の前の怪物が俺を「大魔王」と呼んだ。
結論:俺、ラスボスに転生しちゃってるぅぅぅぅ!?
確かに「最強」とは言った! 言ったけどさぁ! 普通、勇者とか剣聖とかじゃないの!?
まさか人類の敵対存在、悪の親玉に転生するとは完全に想定外だ。
いや、待て。まだ慌てるような時間じゃない。
大魔王といっても、最近のラノベでは「実はいい人」だったり「人間と共存派」だったりするケースもある。
目の前の側近らしき男(?)も、見た目は怖いが根はいい奴かもしれない。決めつけは良くない。多様性の時代だ。
俺は努めて冷静を装い、重々しく頷いてみせた。
「……うむ」
俺の反応に、側近の男は感極まったように声を張り上げる。
「千年の封印から解き放たれし大魔王様! 実におめでたき日! さっそく、大魔王様復活の祝賀といたしまして、手近な人間の町を一つ消滅させ、その絶大なるお力を人種族どもに知らしめましょうぞ!!」
あちゃー! やっぱり悪い奴だったー!!
初手で「町を消滅」とか言っちゃうタイプだったー!
わずかに期待していた俺が馬鹿だった。ですよねー。大魔王の側近といえば、好戦的で残虐非道がデフォルトですよねー。
俺の背中を冷や汗が伝う。
もしここで、「いや、俺スローライフしたいんで」とか、「平和主義なんで」とか言い出してみろ。
こいつら魔族のことだ。「貴様、大魔王様の偽物だな!?」とか「腑抜けた王になど仕えられん!」とか言って、全員で袋叩きにしてくるに決まっている。
最強の肉体を持っていても、精神はただのアイドルオタク・富良津築男なのだ。メンタルが持たない。
ここはひとまず、王としての威厳を保ちつつ、虐殺を回避せねば。
俺は腕を組み、深く玉座に背を預けた。
「まぁ待て。そう焦るでない」
「は?」
「いきなり消滅させては、面白味がないではないか。……じわじわ行こう。じわじわと、な」
我ながら苦しい言い訳だ。
俺としては「急激な変化は良くないから、とりあえず現状維持で様子を見よう」という意味で「じわじわ」と言ったのだが。
側近の目が、カッと見開かれた。
そして、恍惚とした表情でひれ伏した。
「さ、さすがは大魔王様……! 一瞬で塵にするなど生温い、と! 真綿で首を絞めるように、人間どもが希望を失い、恐怖と絶望に染まっていく様を楽しみながら、ゆっくりと嬲り殺していくのですね! 御意!!」
(ちがーう! そういう意味じゃなーい!)
心の中で全力のツッコミを入れたが、口に出せるはずもない。
こいつ、完全に俺を「残虐なサディスト」だと誤解しやがった。
だが、否定すれば「じゃあどうするんですか?」と問い詰められ、代替案を出せなければ怪しまれる。
……詰んだ。
魔王となってしまった以上、その役割を演じきらなければ、この世界での生存権がない。
「……そ、そうだ。まずは状況を把握せねばならん。我が封印されていた間の世界情勢を説明せよ。えぇと、お主の名は確か……」
「ビニルにございます、我が君」
ビニルは恭しく頭を下げ、語り始めた。
「千年前のあの日。憎き勇者パーティーが、自らの命と引き換えに放った極大聖魔法『エターナル・プリズン』により、大魔王様は封印なされました」
「ふむ……」
「それから世界は、魔王という共通の敵を失い、一旦は平和となりました。しかし、我ら魔族が減り、脅威が去ったことにより、人間どもは醜い本性を露わにしたのです」
ビニルの声に、軽蔑の色が混じる。
「次は、食料や土地、資源をめぐり、人種族同士で血で血を洗う争いが始まりました。昨日までの盟友を裏切り、殺し合う。実に愚かな種族だと、つくづく実感いたしました」
なるほど、皮肉な話だ。
魔王がいなくなったことで、人間同士の争いが激化したわけか。
「僅かに生き残った我々魔族――魔物、魔獣、魔人は、人間同士の争いの余波を受けぬよう、辺境の地や地下深くに潜み、各地で細々と暮らしてまいりました。それもこれも、大魔王様が封印されてもなお、この玉座に安置された『封印玉』から流れ出る強大な闇の魔力の加護があってこそ。我々は、王の復活を千年間、一日千秋の思いでお待ち申し上げていたのです」
ビニルが涙ぐんでいる。どうやら忠誠心は本物のようだ。
しかし、次の瞬間、彼の表情が苦々しいものに変わった。
「ただ……嘆かわしいことに、魔族の中にも不埒な者が現れ始めました。長い潜伏期間の間に、人種族にほだされ、友好的に交流するような軟弱な輩が」
「交流? 人間とか?」
「はい。あろうことか、私の息子までもが……人間たちが住む村の娘と懇意になり、物資の交換などを行っている始末。魔族の誇りを捨てた愚行、大魔王様にお詫びのしようもございません」
ビニルは床に額を擦り付けんばかりに謝罪した。
いやいや、ちょっと待て。
それ、俺にとっては朗報じゃないか?
人間と仲良くしている魔族がいるなら、そっちの派閥を支援して「共存路線」に持っていける可能性がある。
ビニルの息子、グッジョブだ。
「だがしかし!」
ビニルが勢いよく顔を上げ、俺の希望的観測を断ち切るように叫んだ。
「大魔王様が復活なされた今、そのような軟弱な時代は終わりを告げます! 裏切り者や人間に味方する魔族を粛清し、再びこの世界を恐怖と闇で支配しましょうぞぉー!」
「……ま、待て待て」
思わず素の声が出そうになった。
ドン引きだよ!
「そ、そう焦るなと言っているだろう。……人材は貴重だ。使い道はある」
「ははっ! さすが大魔王様。裏切り者ですら捨て駒として使い潰す、というお考えですね。慈悲なき采配、感服いたしました!」
「…………そだねー」
俺は死んだ魚のような目で、軽く相づちを打つしかなかった。
何を行ってもプラス(邪悪な方向)に解釈される。これがカリスマというやつか? 違う、ただの誤解だ。
この城の広間に集まりつつある魔物たちの視線を感じる。
どいつもこいつも、血に飢えた狂犬のような目をしている。
最強の肉体を手に入れたはずなのに、胃がキリキリと痛むのはなぜだろう。
はたして、俺の豆腐メンタルで、この「大魔王」という激務をこなし切れるのだろうか。
俺が求めていたスローライフは、はるか遠くの銀河系まで吹き飛んでしまったようだ。
(助けてくれ、メータルンバ……!)
心の中で推しの名前を叫びながら、俺は大魔王として最初の一歩――玉座からの立ち上がり――を、震える足で踏み出したのだった。




