第7話 策士の尋問と崩れた妄想
目の前の男は、天使の顔をした悪魔かもしれない。
屋敷のサンルーム。
午後の柔らかな日差しの中で、アイザック様は優雅に紅茶を飲んでいた。
対面に座らされた私は、借りてきた猫のように小さくなっている。
「さて、奥様。単刀直入に聞くけれど」
彼がカップを置き、紫水晶の瞳を細めた。
その美しい唇が、とんでもない言葉を紡ぐ。
「君、僕とクラウスが『デキている』と思っているね?」
ブフォッ!
私は盛大に紅茶を吹き出しそうになり、ハンカチで口を押さえた。
咳き込む私を、アイザック様はニヤニヤと楽しそうに見下ろしている。
「図星かな?」
「な、ななな、何を仰いますの!?」
「隠さなくていいよ。君の視線、いつも熱烈だからね。特に二人が近づいた時の、あのキラキラした目は誤魔化せない」
彼はクスクスと笑い、テーブルに肘をついた。
「『尊い』とか『公式が最大手』とか、ブツブツ言っているのも聞こえているよ」
終わった。
私の秘密の趣味も、不敬な妄想も、すべて筒抜けだったのだ。
顔から火が出るどころか、全身が発火しそうだ。
私は椅子から崩れ落ちるように立ち上がり、そして深く頭を下げた。
いや、ここはもう土下座しかない。
「も、申し訳ございませんっ!」
床に膝をつき、平伏する。
伯爵令嬢(元)にあるまじき姿だが、これほどの失態を晒したのだ、プライドなど犬に食わせろだ。
「お二人の崇高な絆を、そのような下世話な視点で汚してしまい……! 処罰は甘んじて受けます! どうか、旦那様にはご内密に……!」
私の悲痛な叫びに、頭上から爆笑が降ってきた。
「あはは! 最高だね、君は!」
顔を上げると、アイザック様が腹を抱えて笑っていた。
涙まで拭っている。
「いや、怒っていないよ。むしろ感謝しているくらいさ。君のおかげで、あの堅物のクラウスが人間らしい顔をするようになったからね」
彼は手を差し伸べ、私を立たせてくれた。
その笑顔には、悪意の一欠片もない。
「安心して。僕とクラウスは、ただの幼馴染であり戦友だ。君が期待するような『愛』は、そこにはないよ」
きっぱりと否定された。
私の脳内聖典が、音を立てて崩れ去る。
ショックがないと言えば嘘になる。
けれど、それ以上に胸の奥で、何かがホッとしている自分もいた。
「では……旦那様が夜会で仰った『誇り』というのは?」
「言葉通りの意味さ。それと、バルコニーでの一件もね」
アイザック様は真面目な顔になり、私を真っ直ぐに見つめた。
「彼は本気だよ。君に惚れている」
ドクン。
心臓が大きく跳ねた。
「そんな、まさか。この結婚は借金のための契約で……」
「始まりはそうだったかもしれない。でも、君が作った料理を食べて、君が整えた屋敷で過ごして、彼は救われたんだ」
アイザック様は窓の外、訓練場の方へ視線を向けた。
「彼は不器用だから、言葉にするのが下手だけどね。君が逃げ出した後、ひどく落ち込んでいたよ。『俺は嫌われたのか』って」
あの夜の光景が蘇る。
月明かりの下、私に触れようとしたクラウス様の手。
揺れる瞳。
あれは、演技でも義務でもなく、私に向けられた想いだったのか。
「……リリアナ。君はどうなんだい?」
アイザック様の問いかけが、胸に突き刺さる。
「推しとしてではなく、一人の男として、クラウスをどう思っている?」
私は言葉に詰まった。
認めてしまえば、もう戻れない気がした。
「安全な壁」としての立場を捨て、傷つくかもしれない「恋」の戦場に立つことになる。
でも。
熱に浮かされた夜、繋いだ手の温かさを。
私を庇って怒ってくれた、あの必死な横顔を。
忘れることなんてできない。
「私は……」
口を開きかけた、その時だった。
バンッ!
サンルームの扉が乱暴に開かれた。
血相を変えたメイドが飛び込んでくる。
「奥様! 大変です!」
「どうしたの? 騒々しい」
「お、お客様が……! リリアナ様のご実家の、お父様とお兄様がいらっしゃいました!」
実家。
その単語を聞いた瞬間、私の背筋が凍りついた。
「旦那様を出せと、玄関で暴れておいでです!」
私の心臓が、甘いときめきから一転、冷たい恐怖に鷲掴みにされた。
借金の形として私を売った父と兄。
彼らが今さら、何の用だというの。
「……行ってきます」
私は震える足を叱咤し、ドレスの裾を握りしめた。
これは私の問題だ。
クラウス様や、この幸せな屋敷に迷惑をかけるわけにはいかない。
「リリアナ」
アイザック様が声をかけてきたが、私は振り返らずに走り出した。
せっかく気づきかけた恋心を、冷たい現実が押しつぶそうとしていた。




