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夫の恋路を応援したい契約妻は騎士団長の溺愛に気づかない  作者: 月雅


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第5話 高熱の夫と看病の代打


私はドレスの裾を鷲掴みにして、長い廊下を全力疾走した。


「失礼します!」


ノックもそこそこに、主寝室の重い扉を押し開ける。

いつもは冷え冷えとしている部屋に、今日は熱気が籠もっていた。


「ああ、奥様。来てくれたんだね」


ベッドの脇から、銀色の髪がサラリと揺れた。

アイザック様だ。

彼は濡らしたタオルを絞りながら、困ったように、けれどどこか妖艶に微笑んだ。


ベッドには、私の夫であるクラウス様が横たわっている。

顔は赤く、呼吸は荒い。

額には脂汗が滲んでいる。


「過労だよ。最近、魔獣の討伐遠征が続いていたからね。魔力切れと疲労が重なったみたいだ」


アイザック様が、絞ったタオルをそっとクラウス様の額に乗せた。

その手つきの優しさたるや。

慈愛に満ちた聖母のようであり、長年連れ添ったパートナーの貫禄すらある。


(尊い……!)


夫が倒れたという緊急事態なのに、私の脳内は不謹慎にも沸き立っていた。

弱った攻めと、それを甲斐甲斐しく世話する受け。

王道にして至高のシチュエーションが、目の前で展開されているのだから。


「クラウス、少し楽になったかい? 水を飲む?」

「……ああ」


クラウス様がうっすらと目を開け、アイザック様の支えで上体を起こす。

グラスに口をつけるその無防備な姿。

私は部屋の隅で、感動のあまり拝みそうになっていた。


「さて、と」


クラウス様を寝かせると、アイザック様が立ち上がり、私の方を向いた。

その表情が、ふっと騎士の顔に戻る。


「僕はこれから団へ戻らなきゃいけない。指揮官が二人とも抜けるわけにはいかないからね」

「もちろんですわ! お仕事、頑張ってください」

「それで、相談なんだけど……」


彼はチラリとベッドを見た。


「彼を一人にするのは心配だ。奥様、お願いできるかな?」


キターッ!

私は心の中で喝采を叫んだ。

これは単なる看病の押し付けではない。

「僕の代わりに、彼を頼むよ」という、正妻(アイザック様)からの信頼の証だ。

私は代打なのだ。

彼が安心して戦場へ赴けるよう、この聖域を守る留守番役。


「お任せください! 旦那様が全快するまで、一睡もせずに見守りますわ!」


私が胸を叩くと、アイザック様は「頼もしいね」とクスクス笑い、部屋を出て行った。

すれ違いざま、「あんまり無理させちゃダメだよ?」と意味深なウインクを残して。


          ◇


部屋には、私と高熱の夫だけが残された。


静かだ。

聞こえるのは、クラウス様の苦しげな寝息だけ。


私は椅子を引き寄せ、ベッドの横に座った。

近くで見ると、彼の顔色は本当に悪い。

いつもなら威圧感のある眉間の皺も、今は苦痛に歪んでいる。


「……無理ばかりなさって」


私は桶の水でタオルを洗い、彼の額に乗せ替えた。

冷たさに少しだけ表情が緩む。


普段は「推し」として崇めているけれど、こうして弱っている姿を見ると、やはり心配になる。

彼はこの国の英雄で、私の借金を肩代わりしてくれた恩人でもあるのだ。


「早く良くなってくださいね。アイザック様も心配されていますよ」


私は彼の手を握った。

熱い。

火傷しそうなほどの体温だ。

この大きな手が、剣を振り、国を守り、そして猫を撫でているのだと思うと、なんだか胸が締め付けられるような気がした。


ふと、クラウス様のまつ毛が震えた。

うわ言のように、唇が動く。


「……行くな」


掠れた声。

弱々しくて、切ない響き。


私はハッとした。

夢を見ているのだろうか。

夢の中で、誰を求めているのだろう。


(決まっていますわ。アイザック様ね)


公務に戻ってしまった彼を、夢の中で引き止めているのだ。

なんて健気で、一途な愛なのだろう。


「大丈夫ですよ。アイザック様は、すぐに戻ってこられます」


私は彼を安心させようと、握った手に力を込めた。

すると。


ガシッ。


逆に、私の手が強く握り返された。

驚くほどの力だ。

そして、ぐいっと腕を引かれる。


「きゃっ!?」


バランスを崩した私は、ベッドの上に倒れ込んだ。

目の前に、クラウス様の顔がある。

熱に潤んだ瞳が、ぼんやりと私を捉えていた。


「……リリアナ」


え?

今、私の名前を呼んだ?


心臓がドクリと跳ねる。

アイザック様ではなく、私?


「……そばに、いてくれ」

「だ、旦那様?」

「一人は……嫌だ」


彼は私の手を離そうとしない。

むしろ、すがりつくように強く、指を絡めてくる。

普段の傲慢な彼からは想像もできない、子供のような弱音。


私の思考回路がショートした。

これはどう解釈すればいいの?

アイザック様と間違えている?

それとも、単なる人肌恋しさ?


でも、その瞳は確かに私を映していた。

熱のせいかもしれない。

幻覚を見ているのかもしれない。

それでも、その必死な眼差しに、私の「腐ったフィルター」が一瞬だけ機能停止した。


「……はい。どこにも行きません」


私は観念して、もう片方の手で彼の頭を撫でた。

汗ばんだ髪の感触。

彼は安心したように目を閉じ、ふぅと息を吐いた。


「……ん」


そのまま、彼は私の手を握りしめたまま、深い眠りに落ちていった。

私は身動きが取れない。

ベッドの端で中腰になりながら、夫の寝顔を見つめ続ける羽目になった。


(これは……看病というより、拘束プレイですわね)


ドキドキと早鐘を打つ心臓を、「これは吊り橋効果だ」と言い聞かせる。

でも、握られた手のひらから伝わってくる熱は、やけに心地よくて、私は朝までその手を離すことができなかった。


          ◇


翌朝。

鳥のさえずりと共に、クラウス様が目を覚ました。


「……ん」


彼は重そうに瞼を持ち上げ、そして自分の右手が何かに絡みついていることに気づいたようだ。

視線をゆっくりと動かし、ベッドの脇で椅子に座ったまま突っ伏して寝ている私を見る。

そして、ガッチリと繋がれた手を見る。


「……っ!?」


ガバッと彼が起き上がる気配で、私も目を覚ました。


「ふぁ……。あ、おはようございます、旦那様」


寝ぼけ眼で顔を上げると、クラウス様はゆでダコのように真っ赤になっていた。

熱がぶり返したのかと思ったが、どうやら違うらしい。

彼は自分の手と私の手を交互に見て、口をパクパクさせている。


「俺は、君に、何を……」

「昨夜は少しうなされていましたので。手を握らせていただきました」


私は「行くな」と引き寄せられた件は伏せておいた。

武人の恥になるかもしれないからだ。

しかし、クラウス様は何かを思い出したのか、さらに赤くなって顔を覆った。


「すまない……! 俺は、無様なところを……」

「いいえ。熱も下がったようで安心しました」


私が微笑むと、彼は指の隙間から私を見た。

その瞳には、昨夜の弱々しさではなく、別の種類の熱が宿っているように見えた。


「リリアナ」

「はい」

「……礼をしたい」


彼は意を決したように、ベッドから降りて私の前に立った。

病み上がりとは思えないほど、その背筋は伸びている。


「今度の休日、空いているか?」

「ええ、暇ですが……」

「なら、街へ出よう。君に……その、買いたいものがある」


それって。

つまり。


「デート、ですか?」


私が首を傾げると、彼は一瞬固まり、それからぎこちなく頷いた。


「……そうとも、言うな」


私の頭の中で、警報が鳴り響く。

推しからのデートの誘い。

これは「ファン感謝イベント」なのか?

それとも「カモフラージュのための同伴」なのか?


どちらにせよ、断る理由はない。

街へ出れば、彼らのデートスポット(騎士団御用達の店など)をリサーチできるかもしれないのだから。


「喜んで! お供させていただきます!」


私の快諾に、クラウス様はホッとしたように、そして嬉しそうに口元を緩めた。


「ああ。……楽しみにしている」


その笑顔の破壊力に、私はまたしても「尊い」以外の語彙を失いそうになった。

昨夜の「行くな」という声が、まだ耳の奥で甘く響いていることに気づかないふりをして。


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