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祖父の三郎の場合

 年金生活をして十年ほど経った頃、常夏(とこなつ()三郎(さぶろう()氏は異世界転移に見舞われた。


 それは召喚でも転生でもない。


 ただ何の予告も予兆もなくいきなり見知らぬ草原に飛ばされたのだ。


 そこから歩いてたどり着いたのは防壁に囲まれた城塞都市メワリアシティだった。


 三郎は何の変哲もない平凡な老人だ。


 お約束で冒険者ギルドに登録したが、市内の雑役クエストで誰も引き受けない仕事が掃除夫だった。


 背中にゴミを入れる竹籠を背負い、木製の柄付き塵取りと竹のこまざらいを持って市のメインストリートに落ちているゴミを日に三回拾い集めるのだ。


 市の正門から領主の子爵邸までに続く幅5メートル長さ約1キロの道を綺麗にしなければならない。


 その仕事をすれば銀貨三枚になり、安い宿に泊まって三食食べればほんの僅か残る程度の収入だ。




 落ちてるゴミの代表は馬糞だ。ひっきりなしに馬車が往来するので道は放っておくと馬糞だらけになる。


 領主の子爵としては表玄関にあたるメインストリートが汚いのは甚だ体裁が悪いという訳である。


 そしてメインストリートには市内の代表的な商店や施設が建ち並んでいる。


 それゆえ道路の汚れが目立つと商店や各施設に交代で人員を出させ一斉清掃をさせるのだが、それぞれ忙しい身なので、そう頻繁にはできない。どうしても月一回くらいの割合になってしまう。


 そこでそれとは別に冒険者ギルドに雑役クエストとして要望を出していたのだが、誰も引き受ける者がいなくて長い間塩漬けクエストになっていたのだ。


 そこへ出身地も分からない記憶喪失の老人がこの街にふらっとやって来て、ギルドに登録するとこの仕事を受けたのだ。


 何故この仕事を受けたというと、一日三回といえばほぼ丸一日働いてはいるものの銀貨3枚という報酬は、初心冒険者のクエストとしては結構良い話であるということがまず挙げられる。


 第二にその他の市内の雑役といえば力仕事が多く、非力な老人には無理だったということがある。


 この老人はクエストを見事こなしてA判定を貰った。


 その為、領主は冒険者ギルドから商業ギルドにこの案件を移して長期採用の掃除夫として雇うことになったのだ。


 三郎老人は手慣れた様子でこまざらいでゴミを柄付き塵取りに入れ、そこが一杯になると、ひょいと柄付き塵取りを持ち上げて背中の籠に中身を入れるのだ。


 それを歩きながらするのだが、その動きは滑らかで少しの無駄もない。


 集めたゴミが籠一杯になると、所定のゴミ溜め場に持って行き、そこから肥料としての利用に使われる。


 この世界ではゴミはすべて有機質であり、腐って発酵すれば畑の肥料になるという訳である。


 三郎老人は最初のうちは通りを歩く人々の視線が気になった。


 いわゆる汚れ仕事をしている彼のことを侮蔑的な目で見下して行く視線の数々に耐えて行かなければならなかった。


 そして自然と彼の視線は人々のそれと交わることなく、足元のゴミに集中するようになった。


 そのうち、ゴミに混じって落とし物を見つけることがある。


 その場合は腰の袋に別口で保管して、商業ギルドに持って行くのだ。


 中には高価な装飾品とかもあったが、彼はすべて正直にそれを届け出た。


 但しギルドに届け出る前に落とし主が見つかる場合もあった。


 それは……








 木の葉っぱをこまざらいで掻き寄せるとその中にキラリと光るものがあった。


 女性の髪飾りのようだが高価な石や貴金属を使っているようだった。




***




 それを手に取ってじっと見ていた儂は、はっとして今来た道を引き返して行き、ある女性の後ろ姿に声をかけた。


「あのう、お嬢さん。もしかして落とし物をしていませんか?」


 そうなのだ。儂が声をかけたのは若く美しい女性で良い身なりをしていた。


「えっ、落とし物?」


 女性はすぐに自分の体を探るようにしてみたが、やがて髪に手をやると、あっと声を漏らした。


「髪飾りがないわ? お爺さん、もしかして」


 儂は袋から拾った髪飾りを出すと女性に手渡した。


「どうしてこれが私のだと?」


「さきほど見かけたときにしていたのに気づきましたので」


 これは儂の嘘である。儂が見たのはその女性の足元だけだ。


 薄い色の靄のような光に包まれていた足元をちらりと見ただけだ。


 そしてその髪飾りも同じようにその女性を包んでいた色と同じ靄に包まれていたから、持ち主だと思っただけなのだ。


 


「お爺さん、ありがとう。留め具のところが甘くなっていたので、気にしていたのだけど、これはお祖母様から頂いた大事なものなので身に着けていたのです。


 ありがとう、本当にありがとう。いつも道路を掃除をしている方ね。 お名前を伺っても良いかしら」


「気にしないで下さい。持ち主に戻ってよかったです」


「いえ……あのう」


 儂はそこから足早に立ち去ると掃除の続きをしに戻った。




 日本にいた頃はそんなことはなかったが、儂はこの掃除夫の仕事を続けて行くうちに、ゴミに絡まる様々な色の靄が見えるようになった。


 いつも人の視線を避けてゴミばかり凝視するようになってから、暫くして見えるようになったのだ。


 初めは光る綿埃わたぼこりだと思ったが、掴もうとすると弾けて消える、気体のような掴みどころのないものだった。


 けれど指先で追うようにすると一か所に集めることができたりするので、袋に入れようとするがいつの間にか消えてしまうのだ。


 そして、そういう様々な色の靄が道行く人々の体を包むように見えることにも気が付いた。


 以前には見えなかった、そういう靄のようなものが、人によって違う風に見えるのも不思議な現象だった。


 儂はまだあの女性の靄が手についていたので、それを胸の辺りで拭った。


 するとその靄が胸の中に入っていったのだろうか? 胸の奥が温かくなって嬉しさがこみ上げるような感じになった。


 な……なんだこれは? 体の中に入って来て、心が反応したみたいだ。


 儂はゴミに混じって落ちている色々な色の靄を上手に掬すくっては胸に擦り付けてみた。


 すると中にはピリッと痛みがあって、弾けて飛んで行くものもあった。


 まるで儂の体を拒否するようにだ。その後なにか嫌悪のような感情が伝わった。


 儂はそういう種類の靄は近づけないようにした。


 特に色の汚い靄は、胸に擦り付けると吐き気がしてくるので、毒性のものだと思い、警戒するようにした。


 儂はそれらが人々の心の切れ端のようなものだと考えるようになった。


 善良な人や儂のことを好意的に見てくれる人の靄は胸の中にすぐに溶け込んで来て、儂自身が温かい良い気持ちになるのだ。


 けれども悪意のある人の靄は儂の胸の中に入って来る時、毒をまき散らすのだ。吐き気がしてなにか恐ろしい憎悪のようなものに汚染される。


 そして儂を見下したり侮蔑的に見る人の靄はピリピリして痛くて儂の心を傷つけて弾かれてしまう。


 儂はそうやって快い靄だけを自分の胸に擦り付けて行くことにした。


 昔若いころタバコを吸ったことがあったが、それよりももっと気持ちが楽になって癒されるのだ。


 しかも仕事をしながら無料ただで一服できる感じだ。


 おまけにタバコの何倍も良いのに、税金も取られないときてる。


 


 ***




 通りすがりの人が彼のことを見て思った。


『あの掃除夫の爺さん、ゴミを集めながら実に楽しそうにしているじゃないか。仕事を嫌がらずに愛着を持って働いてるなんて結構かっこいいな』


 多くの者が同じような感想を持って彼のことを見つめていたということを本人は知らない。




***




 儂はゴミ拾いを通して、人の体から零れている靄を見分けて行く力が身に着いたように思える。


 宿屋に戻っても、宿の人や客などの靄を見るとだいたいおいしい靄かそうでない靄か見ただけで分かるようになった。


 宿の食堂では泊り客以外の者も食べに来る。


 ある日の夕食のときに、外からの客が入って来た。


「いらっしゃいませ」


 宿の看板娘のリーサちゃんが笑顔で迎えるが、その笑顔がすぐに凍り付いたようになる。


 だれにでも人懐っこい人気者のリーサちゃんだが、相手が悪かった。


 貴族だ。こんな安宿の食堂に来る客ではない。


「ここに泊ってると聞いた。トコナツという者を呼べ」


 30代のその男は糸目で分厚い唇をしていた。そして上から目線で喋ることに慣れた風だった。


 金髪の肩迄伸ばした髪に、なにやら高級そうな服で身を固めている。左右には逞しい従者が二人控えている。


「と……トコナツさん」


 涙目になってリーサちゃんが儂の方にやって来た。


「儂がトコナツですが、何か御用でしょうか?」


 儂は食事中だったが、中断してその場に立ち上がってから尋ねた。


「そうか、お前か。ついて来い。ここは狭くて汚い。場所を変える」


 儂は申し訳なくなってリーサちゃんに目顔で謝った。いや、儂が悪い訳じゃないが、この貴族、思ったことをすぐ口にするんだな。それに食事中の儂を用も告げずに連れ出すとはどんな積りだ。


 儂は馬車に乗せられ連れて来られた所は領主館だった。


 えっ、まさかこの人が領主の子爵様? 見たことがないけど、まさかこの人が?


 ところがそれは違った。


 子爵様はその貴族を困った顔で迎え入れた。


「ドンパス子爵殿、どういうことですかな? その者はたしか」


「ああ、お前さんのところの掃除夫のトコナツという爺いだ。


 この爺いを吾輩が貰って行く」


「はあ? それは何のために?」


「代わりに下働きの掃除婦を二人くれてやるから、文句はないだろう。では連れて行くぞ」


「待て待て、ドンパス子爵殿、本人の了解を得たのか?」


「そんなもの必要ない。吾輩はお前さんの倍の日当を払うから文句なしだろう」


 なんだかよく分からないが、儂という掃除夫を引き抜きたいようだ。だがこのドンパス子爵の体には薄汚れた色の靄がかかっていて、それが腐った魚のような匂いがするので倍の給金を貰っても付いて行きたくない。


 だから儂は領主様の顔を見ながら、ドンパス子爵には分からないように首を振って見せた。


 つまり、行きたくないと。




「ドンパス殿、本人はここに留まりたがっている。私としても大事な領民を連れ出されては困るのだが」


「狡いぞ。お前さんの表通りが最近とても綺麗になったと評判なんで来てみたら、なんとこの爺さんがたった一人で掃除しているというじゃないか。十人くらいでやらせてると思ったらこんな年寄りをたった一人でこき使ってけしからん。だから吾輩の領内で保護することに決めたんだ」


 どうも、私を引き抜いて自分の所でこき使う積りだ。私は首を高速度に振って領主様にアピールした。


 領主様が目で合図すると兵士が5・6人広間に入って来て、あっという間に儂を担いで廊下に運び出した。


「ご老人はこの部屋でじっとしていてくれ」


 儂は小さな別室に案内され、一人取り残された。これできっとあのドンパス子爵に拉致されずに済みそうだ。


 儂は考えた。ドンパス子爵は儂が掃除夫十人並みの働きをすると信じているようだが、それは違う。


 長さ約1キロの表通りがいつも綺麗な状態なら、そこを使う人々が気持ちが良いだろうと儂は考えているから、そんな気持ちで掃除している。いくら十人の人を雇ってもそういう気持ちがなければ表通りは綺麗にならないと思う。時間で働き、お金を貰うためだけの気持ちなら、道路はなかなか綺麗にはならないのだ。




「ご老人、領主様がお呼びだ」


 やがて兵士が迎えに来て、儂は最初の広間に戻される。


「ドンパス子爵にはお帰り頂いた。もう連れていかれることはないから安心するが良い」


「はい、あの貴族様が儂を連れて行くと言ったときは生きた心地がしませんでした。ありがとうございます、ご領主様」


「それはそうと、ドンパス子爵にも言われたが、やはり銀貨3枚では少ないのではないか? なんなら倍額にしても「結構でございます。今の額で十分満足していますので」何故だ?確かにドンパス子爵の言う通り、十人分の働きをしているかもしれんぞ」


 儂は心が正しそうな領主の目を真っ直ぐ見て言った。


「掃除夫の仕事が必要以上に実入りが良いと、その仕事を狙う者が出たり、妬んで害を為そうとする者が出て来るかもしれません。


 この仕事は人気がない方が私にとって都合が良いのです。少し侮蔑されたり、同情されるくらいがちょうど良いと思っています」


 すると領主の体から明るい靄がぱっと広がった。


「はっはっはっは、誠に欲のない者よ。商業ギルドの者も言っていた。道路に落ちていた貴重品もすべて猫糞することなく届けているそうだな。先日はドナルド商会の令嬢が落とした髪飾りを拾ってもらったと感謝しておった。なるほど妬まれると困るので、その方を特別扱いするのはやめよう。これからも気持ちよく働いてくれ。領主としてその誠意ある働きぶりに感謝するぞ」


 儂はそう言われて戻された。宿に戻るとリーサちゃんが料理を温め直してくれたものを出してくれた。


「貴族様って本当になんでもありなんですね。トコナツさんがどこかに連れていかれたと思うと心配で何も手につかなかったんですよ。でも無事に戻れて本当に良かったです」


「ありがとう、リーサちゃん。心配かけてごめんね」


「トコナツさんが謝らなくても良いんですよ。さあ、今日は部屋に戻ってゆっくり休んでください」


 彼女の言葉と共に靄が出てそれが儂の胸に入って来ると、儂は温かい幸せな気分になった。


「そうするよ、おやすみなさい」




 部屋に戻ってから儂は靄のことを考えていた。靄の正体はなんだろうと。


 この世界のことをギルドの資料室で調べているが、この世界の名前はデジャー・ソリスというそうだ。


 だが人々の体を覆う謎の靄のことはどこにも書いていない。




「何を調べているんですか? 難しい顔をして」


 話しかけて来たのは商業ギルドの職員のナターシャさんだ。


 いつも花の香をした靄に包まれている女性だ。


「はあ、この世界の人の体を覆う靄のようなものについて知りたいと思っているのですが」


「靄? 人の体を覆う靄ですか?」


「はい、人々の体の表面を覆っていて、それは人によって違うんですが、どうも普通の人の目には見えないみたいなんです」


「じゃあ、誰に見えるというの? トコナツさんは見えるんですか?」


「いえ、私は普通の人間ですからもちろん見えないんですけれど」


「うふふ、誰かに揶揄われて謎かけでもされたのかしら。私は答えを知っていますよ」


「えっ、ナターシャさんが知っている……んですか? それはいったい」


「魔力ですよ。どんな人間にも体の表面を魔力の層が覆っているんです。もちろん体内に循環しているんですけれど、それが表面から零れてはみ出ているらしいですよ。魔法基礎の本を読めば出ています」


「魔力…・・・なるほど。それって、人によってさまざまな色とかしているんですか?」


「色は分からないけれど、人によって性質が違うらしいですよ。魔力はその人の個性を現しているらしいから、人さまざまで魔力もさまざまということらしいです」


「なるほど、ナターシャさん、教えてくれてありがとうございました」


「いえいえとんでもない。この程度のことならいつでも聞いてください」


 儂はナターシャさんの魔力がちょっと明るく輝いて胸の中に吸い込まれて来るのを感じた。


 例の如く温かくって嬉しさがこみ上げるような感触に爽やかさがプラスされたような……そんな感じだった。


 その余韻を味わいながら癒される感覚で商業ギルドの建物を出ると、ある人物とすれ違った。


 その魔力?のような靄がほんの少しだけ儂の袖に付いたが、それを胸に擦ってもなんの反応も感じなかった。


 それは今まで儂が見て来た靄のような魔力とは別のものだった。


 むしろ全く色のない無色透明のもので普段よほど注意しないと見えないものだ。空中を漂う透明なゼリーのような……不思議なものだった。


「あのう……」


 儂はちょうど行き会ったギルドの職員に聞いた。


「あの人はどこのどなたですか?不思議な雰囲気の人だったので」


「ああ」


 その男性職員は例の人物を見てから言った。


「あの人は有名な冒険者ですよ。


地獄の火炎師と言われている魔術師ドルトンさんです。怖い人ですから近づかない方が良いですよ」


 魔術師ということは魔法の専門家か。魔力を常に使っていると、魔力は透明になって魔力の感情が抜けてしまうのか?




 それ以来儂は色のついた魔力の他に透明な魔力を捜すようになった。


 気を付けていると確かに沸騰した薬缶の口の近くに出る湯気になる前の水蒸気のようなものも見えるようになった。


 色はないけれど微かに空気が歪んで屈折するようなそういう存在があった。今まで気づかなかっただけでそれはあったのだ。


 だがいくらそれを上手に導いて胸に擦りつけても、確かに吸い込まれてはいるが素通りして消える感じなのだ。


 儂は頭を抱えてしまった。魔法使いの魔力は儂にはなにも感じ取ることができないのか?


『……が……ました』


 えっ? 今かすかに小さな声が聞こえたような。


 気が付くと儂は両掌を自分の頭に密着させていた。そしてその掌にはさきほど集めた透明な魔力の残りが付いていた筈だ。


 儂はそれから何度も透明な魔力を集めては頭に擦り付けるようにした。


 けれども何度試みても声らしいものは微かに聞こえるのだが雑音が多くてはっきり聞き取れないのだ。




 儂には掃除以外の仕事はない。いつもゴミとか魔力を見る以外にすることはないのだ。


 そうでなければ、儂はこんな透明な魔力のことをとっくに諦めていたろう。


 色付きの魔力で良質のものは胸から吸い込んで一服した気持ちになる。


 だが透明な魔力は頭から吸収すると、なにやら声のようなものが微かに聞こえるだけではっきり聞き取れない。


 だがほかにすることがないので、儂は何度も何度も試みた。




 そしてあるとき気づいた。


 何かが儂のそばを通り過ぎた。人のようで人のようではなくはっきり見えない。


 だがそのとき帯のように長い透明な魔力を見たのだ。


 儂は壊れないようにそっとそれを手繰り寄せて観察した。


 その時はっきりわかった。


 透明な魔力はすべて同じものではないのだということ。


 それはちょうど透明な雪の結晶のように繰り返して織り込まれた地模様のようなものがあるのだ。透明だけれど模様がある。そこにその魔力の個性や特徴があるのだ。


 儂はできるだけたくさんの魔力の結晶を搔き集めて頭に擦りつけた。


『認識阻害のスキルをレベル5分の1を習得しました』


 はぁっ??


 認識阻害のスキル?


 レベル5分の1?


 それってレベル1にもならないんじゃないか?


 けれどもそれ以来他人が私を見る目が少なくなってきたような気がした。もしかして私を認識することが阻害されているのではないか? だがそれは気のせいかなというくらいの変化だった。


 それ以来儂は例の結晶のよな地模様の透明な魔力を捜すようにした。


 帯のようではなく細やかに砕けた破片のようなものはよく見つかった。儂は見つけるたびに頭に擦りつけた。でも何か言ってるようなのだが頭の中に響く声ははっきり聞き取れないでいた。


それでも雑音が混ざるといけないので、透明な魔力のなかでも認識阻害とは無関係なものは触らないようにした。


 全く儂のしつこさというか根気強さには儂自身呆れるのだが、儂はこれを何か月も続けた。


 そしてある日またいつか感じた不思議な気配を感じ取った。


 儂はゴミ拾いを中断して、帯のように空中を漂うその透明な認識阻害の魔力を追いながら頭の中に吸い込んで行った。


 その頃になると手を使わなくても頭だけで魔力をすいとることができるようになっていた。


 そしてある瞬間、はっきりと声が聞こえた。


『ただいま認識阻害のスキル・レベル1を獲得しました』


 そう言われてなるほどと思った。何故ならもうその頃は殆どの人が儂の存在に無関心になっていたように思えたからだ。


「ったく! おい爺さん、俺様の後をつけるのはやめてくれ」


 急に儂の目の前に現れたのは中年の痩せた男だった。


「俺様のスキルは認識阻害だ。このスキルを利用して特別な任務を遂行してるのに、爺さんに付きまとわれたら仕事にならねえよ」


「す……すみません。なにか気配みたいなものを感じたので、なんだろうって……つい」


「言っとくが俺様だから良かったようなものだが、このスキルを持っている奴は暗殺とかそういうやばい稼業の者もいるから、やたらと好奇心を持って嗅ぎまわると命の保証はないぜ。分かったな」


「は……はい、わかりました。今度から気を付けます」


「ふー、分かったなら良いけどよ。ったく、トウシロウに見破られたなんて俺様も焼きがまわってきたよ、こんちくしょうめ」


 そういうと、ふっと姿を消してしまった。


 儂は結局『認識阻害』というスキルをレベル1習得したことになる。






 だがそれからが悪夢の連続だった。






 ドーーン!


「きゃぁぁぁ」


「あっ、すみません」


 朝の忙しい時間帯にリーサちゃんと儂は正面衝突して、配膳用のお盆と朝食数人分を床にひっくり返した。


 リーサちゃんが儂の方に向かって来るのは知っていた。


 だから当然儂を避けて行くだろうと思っていたんだ。


 だが彼女の目は何故か儂を見ないように視線を逸らしながらやって来る。


 認識阻害というのは儂からなんらかの働きかけがあって、相手リーサが儂を見ないようにしてしまうスキルなのだ。


 だから周囲を見回しながらやって来たリーサちゃんが、何故か儂だけから目を逸らしているのだ。


 リーサちゃんは自分のせいだと言ってくれたが、これはあくまでも儂のスキルのせいだ。


 商業ギルドでもナターシャさんと衝突してしまったし、儂は全身冷や汗をかきながら仕事についた。




 リーサちゃんやナターシャさんは知り合いだから謝れば済む。


 けれど往来で一般の通行人とぶつかればただでは済まない。


 どんな厄介ごとになるのか想像にかたくない。


 儂は掃除をしながら、自分に気づかずに向かって来る通行人を避け続けた。ゴミに混じった魔力の色や模様がどうのこうのの話ではない。


 掃除を続けながら通行人とぶつからないようにする、そのことだけに全神経を使い続けて、休憩時には全身の力がどっと抜け落ちてしまった。


 今日は後二回これをしなければならないのか……儂は寝ころびながらぼんやりと考えた。


 そしてその日は、なんとか無事に乗り切った。




 だがその後、 毎日が地獄のようだった。通行人とのニアミスが続出。 そしてなぜか通行人も儂が避けたのと同じ方向に避けることが多く、二重に冷や汗をかくのだ。


 だから儂は歩幅を大きくするかステップの数を素早くして、大きく避けるようにした。


 さらに厄介なのは馬車だった。馬車は必ず儂のいる方向に吸い寄せられるように向かって来る。


 そのときはさらに素早くそして大きく避けなければいけない。






 そんなある日懐かしい声が聞こえた。


「おい、爺さん。何をやってるんだ?」


「あっ、あなたは認識阻害のスキルの……」


「しーーーっ、こらっ。って何を声に出して言うんだ。スキルは秘密だろっ。それより爺さん、なんであんたは認識阻害のスキルを垂れ流しにしてるんだ? このスキルはパッシブスキルじゃないんだから、普段はオフにしておけよ。オンにしっぱなしだから、どんどんレベルが上がって、ますます認識阻害が進んでしまうじゃねえか。もうあんたは透明人間に近いぞ。レベルもカンストしてんじゃねえか?」


「あのう……オフの仕方がわかんなくって」


「はあ? 信じられねえ! 自分の存在を意識しろよ。足音を立てて、呼吸をしっかりして、顔にも表情をつけやがれ。それでオフになるよ。


 爺さんの場合はことさら意識してやんねえと、認識阻害がオンになってしまうぞ。じゃあな、気をつけろよ」


「あのう、闇の組織の方なのにご親切に」


「おいっ!違うって言ったろ。俺様は『黄昏たそがれの風』という組織の者だ。闇になる一歩手前だから『黄昏』なんだ。主に情報屋に情報を提供している上部組織さ。


 このスキルを持っている者としてはまともな部類なんだ。


 このスキルを持てば悪の道に入りやすくなる。空き巣、掏り、万引き、置き引き、痴漢、暗殺など碌なことにはならねえ。爺さんも気を付けることだ。じゃあな」


「はあ、ありがとうございます」


「良いってことよ。余生を穏やかに過ごしな。あばよ」




 ほっとして相手の去る方向を見送っていると、突然通行人とぶつかりそうになり、とっさに大きく避けた。


 すると例の脳内アナウンスが流れたんだ。


『回避スキルレベル1を習得しました』


 えええっ?回避スキル?


 


 それからというもの、認識阻害スキルをオンにした状態でも僅かな注意だけでニアミスを避けられるようになった。




 儂はこれまでの自分のスキルを振り返った。


 最初のころは下を向いてゴミばかり見つめていたから、きっと『魔力視』を得たのだろう。けれどこれはスキル認定されていなくてスキル獲得の脳内放送もなかったし、その後透明魔力が見えるようになった時もレベルアップのお知らせがなかった。つまりこれは鍛錬によって自然に身に付いたスキルではないスキル?なのだ。


 次に得たのは『認識阻害』のスキルだ。これは透明で地模様の結晶がついた魔力を頭に吸収したことによって得られた。


 だが今回の『回避』レベル1は、魔力の吸収ではなく、繰り返しの鍛錬によって得られたみたいだ。


 『回避』スキルの便利なところはそれほど意識しなくてもニアミスにならないように自動的に足が動くこと。さらにまるでスケートの滑走のようにスイッと動くのだ。そこにはなんの努力感もなく神経は疲れない。


 かくして儂のニアミスを避けるための地獄の毎日に終止符が打たれたのである。




***


 


 そして街の人々は口伝えに呟いた。


「この街の表通りは、いつ見ても綺麗だけれど、いったいいつ誰が掃除をしているんだろう?」と。


 いつも掃除しているんだけれど、誰もそれを認識していないだけの話なのだ。




***




 一日の仕事が終わって宿に戻ったときに、来客があった。


 それはかなり以前に落とし物の髪飾りを手渡した女性だった。


「私はドナルド商会の娘のキャサリンと言います。いつぞやのお礼をしようとお姿を捜していたのですが、どういう訳かお会いできず、定宿にしているここを訪ねて来たのです」


「それはわざわざ、して今日はどんな用向きで?」


「父が食事に招待したいとのことです。家庭料理で申し訳ないのですが、いつぞやのお礼代わりに用意していますので、是非これから私と一緒においでくださいませんか?」


「わざわざ儂などの為に申し訳ないが、折角用意してくださったのだから辞退すれば失礼になりましょう。ぜひ伺わせて下さい」


「はい、どうぞ。表に馬車を用意してますので」




 このとき儂は単純に髪飾りを拾った礼を受ける積りで招待に応じたのだが、予想もできないご褒美をうけることになったのだ。




 ドナルド商会は表通りの一番目立つところにある大きな商会だった。


 街には日用雑貨を扱う店もあるが、その店ではそれよりも数ランク上の高級品を扱っていた。


 


 キャサリンさんの後についてその店の中を通ると、洒落たバッグが並んでいた。


 儂もちょっとした小物を入れるのに手ごろだなって思って見ていると、キャサリンさんがそのうちの一つを手に取って、儂に手渡した。


「良かったら肩にかけてみては?どうぞ」


 いやいやいや、それはとんでもない。店の大事な商品をただで貰う訳にはいかない。


 幸い少し高いバッグなら貯めていたお金があるからと腰に手をやった。


「じゃあ、買います。お幾らですか?」


「えっ、600万リールですけど」


ええっ? 家一軒買える値段じゃ……。


「あっ、ごめんなさい。やっぱりいりません。これは普通のバッグじゃなかったんですね」


「はい、マジックバッグですよ。馬車一台分の物が入ります」


 儂はびっくりして慌ててキャサリンさんにバッグを返そうとしたら、逆に彼女はその辺に陳列していたもっと高そうなバッグを三つくらい掴んで儂に押し付けた。


「どうせならお帰りになるまで身に着けて下さい。ここにいる間はトコナツさんの物だと思えば少しはリッチな気持ちになるでしょう?」


 ようするにキャサリンさんは始めから儂にプレゼントする気はなかったのだ。欲しそうに見ていたので、少しの間でも持たせてみようと悪戯心からそうしたんだと思う。儂はキャサリンさんにされるがまま首に四つの高級マジックバッグを下げた変な格好で応接室に連れていかれた。


 そこに待っていたのはさもさもお金持ちの旦那様と言った男だった。


「やあ、ようこそトコナツさん、私はこのドナルド商会の会長のマッコリー・ドナルドです。


 あなたのことは娘のキャサリンから聞いている。ギルド情報でも落とし物をいつも届けてくれるそうで、感謝しております。


 それよりもなによりもこの表通りは我々商人にとっても大事な顔ですが、いつも綺麗にしてくださっているので感心していました。それだけでこの街を訪れる人が最近多くなったと言われてます。それもこれもみなトコナツさん、あなたのお陰ですよ。


 それなのにあなたは領主様から銀貨3枚以上の日当は受け取らないというから頭が下がります。


 どんな方かと一度お会いしたいと思っていました。今日は会えて本当に嬉しいです」


 彼は淀みなく喋って来るので、儂は一言も口を挟めなかった。


 一息ついたところで綺麗な女性の職員の方がお茶を入れてくれた。


 話上手なマッコリーさんは、その後も淀みなく話してくるので、儂は相槌をたまに入れたり頷いたりするだけだった。


 キャサリンさんはただニコニコして父親の話を聞き入っている。


 話題はこの国の経済のことから歴史的なこと国外でのできごとと移って行き、彼の見識の広さに驚くばかりだった。


 だが儂はその話を聞きながら、最初から別のことを気にしていた。


 それは首から下げている四つのマジックバッグのことだ。


 それぞれが帯のような地模様のついた魔力を流しているのだ。


 儂はそれを頭の中に吸い寄せて行くが、脳内放送はなかなか流れない。


「……という訳で長話をしてしまったが、そろそろ食事の用意ができたようだから、ダイニングに移動しましょう」


 マッコリーさんが立ち上がると、キャサリンさんがすぐそばに来て儂を笑顔で誘導する。


 キャサリンさんの明るい魔力が儂の胸の中に入り心臓が温まり胸全体が笑うような快感が溢れた。


 儂は幸せな気分を分けてもらったような気持ちになり、顔がほころんでいたと思う。


 幸せな人のそばにいれば幸せになる。善良な人のそばにいれば心が温まる。そんな感じを儂はいつも他人様の魔力を通して味わっている。


 そしてダイニングルームの前で3人が立ち止まった時に儂の頭の中で例の脳内アナウンスが流れた。


『四つの魔法陣の術式を統合して一つのスキルを作成しました。


 『巨大倉庫インベントリー』のスキルを習得しました』


 巨大倉庫インベントリーだって?


『なお、その容量は四つのマジックバッグの合計と同じで、一番高価なマジックバッグの持つ『時間停止』機能を全体で共有しています』




「あのう、キャサリンさん。このバッグ外して戻して貰っても良いですか? 食事をするときに売り物を汚してはいけませんので」


 儂は四つのバッグを体から外すとキャサリンさんに手渡した。


 キャサリンさんは女性職員に耳打ちしてそのバッグを持たせた。


 多分売り場に戻させたのだろう。


 儂は食事のことも、そこで話された話題も上の空だった。


 何故かというと、手も触れずに超高額なマジックバッグ四つ分の巨大倉庫インベントリーを手に入れたのだから。


 まして『時間停止』機能を持つマジックバッグは王族しか持てないと言われる超貴重なものだ。


 それが儂の体にスキルとして刻み込まれたというのだから、天にも昇る思いなのだ。


 どうやって食事会が終わったかよく覚えていない。なにやら挨拶も終えて馬車で送られて、宿に戻ったら部屋に入った。


 そしてインベントリーから、熱々の鶏のから揚げを取り出すと大きく頷いてそれをまた収納した。


 鶏のから揚げは向こうで食べても良かったが、食べた振りをして二三個だけ分からないように収納したのだ。


 実際に収納できるかどうか試したかったからだ。




 次の日から儂は背中の籠は処分した。柄付き塵取りだけを持ってゴミに当てると、こまざらいがなくても、ゴミが勝手に入って行くのだ。


 儂はいつもの倍以上の速さで表通りの一回目の清掃を終えた。


 そして暇になった分様々な人の様々な魔力をコレクションした。


 儂の清掃の速度は日に日にスピードアップして行った。


 その分一日の余暇時間がたっぷりになり、心の平和が訪れたという訳だ。


 ゴミは全て塵取りの口に設定した巨大倉庫インベントリーの収納口から吸い込み、後でまとめてゴミ置き場に捨てるのだ。


 余った時間は認識阻害を解除して街中をゆっくり散歩したり、ギルドのクエストをして薬草を集めたりして過ごした。


 つまり商業ギルドを通してしている表通り清掃の仕事とは別に冒険者ギルドの採取クエストの副業もできるようになったのである。


 その際門から出て森に着くまでの間の往来のゴミ……特に馬糞は全て綺麗に取って行くようにしているので、街の門の外の街道も綺麗になったのだ。


 薬草を集めるときは薬草の形よりも、薬草から出る魔力の色などで見つけるので、採取は効率的で速くなる。


 動植物に限らず、この世界の生き物は全て魔力を持っているから分かるのである。


 名前を知らなくても、とても良い感じの魔力を持っている草を採取して冒険者ギルドに持って行くと、それが貴重な薬草だったりすることが結構あって、薬草採取も結構楽しい仕事になっている。




***




 そして、いよいよ厳しい冬がやって来た。


 冬季はこの地方は雪に覆われるため、馬車の往来ができなくなる。


 その為近場の都市との交通が途絶え、冬籠りの体制になるのだ。


 主だった商会もいったん店を閉めて、他都市へ引き上げる。


 春の雪解けになるまでは、再びの賑わいは復活しないのだ。


 そしてトコナツ・サブロー老人も冬期間はゴミ掃除は休んでいた。その間、領主様より失業手当のような形で心づけを支給されていたのだ。


 けれど、巨大倉庫インベントリーを獲得してからは違った。


 そもそも雪国に住む者にとって除雪は何故大変な労働なのか。それは削った雪を捨てる場所に苦労するからだ。






***






 だから儂は鍛冶屋に頼んで大型のスノーダンプを作ってもらった。


 そしてそのスノーダンプの奥に巨大倉庫インベントリーの入り口を作って、削った雪を片っ端から収納するようにしたのだ。


 儂はただスノウダンプを押しながら歩くだけで良いのだ。


 儂の通った跡はすっかり削られた路面が出て来る仕組みだ。


 その頃には儂は剛力のスキルと耐久力のスキル、さらに俊敏のスキルを身に着けていたので、ほぼ走る速さで雪かきができていた。


 そうすると一キロの長さの表通りも一往復くらいで完全に除雪できるのだ。


 えっ、道幅が5mあれば一往復だけでは済まないだろうって?


 いやいや横幅60cmそこらのスノウダンプでも強力に吸い込めば2・3m幅くらいの雪は吸い込めるのだ。


 さらに近くの都市までの道のりが100キロあっても、雪の吸い込みを強くして移動速度を速めれば、一日あれば閉ざされた道が開通するのだ。


 1時間10キロの速度はマラソン選手なら容易に走れる速度だ。


 この頃の儂はどんどん体力がついて来たので、休まずに走れるようになったのだ。


 結果雪に閉ざされた道が開通したので、商人も出入りでき物流が復活した。


 雪が降って積雪ができるたびに除雪するのは大変だが、それを自分で決めた仕事として行った。




***




 もっとも人々は、確かに雪が降ったはずだがいつの間にか雪がなくなっているとしか思っていない。裏通りには相変わらず雪が積もっていても、気づかないのである。




***




 儂はこうして一年中働き続けた。その結果メワリアシティは儂が来た当時に比べて一段と発展したのだ。防壁も拡張し面積は2倍近くに広がったのだ。






***




 ところが平穏な日は長く続かないようで、国王が新しい代に代わると貴族間の力関係が変化した。


 結果この街の領主様は違う領地に配属され、代わりにちょっと評判の悪い貴族が新しい領主になったのだ。




***




「お前か、トコナツとかいう怠け者の掃除人は?」


 でっぷり太った新領主は口の周りを油でベトベトさせて右手に骨付き肉を持ってそれを齧りながら儂に言った。


「聞けばお前が表通りを掃除しているところを見た者は誰もいないというではないか。


 それどころか、冒険者ギルドでクエストをしたり、街中をぶらぶら散歩してさぼってばかりいるという。それなのに一日銀貨3枚も貰っているとはとんでもないことだ」


「でもご領主様、確かに掃除は行き届いている筈です」


「ふん、この街の者は清潔好きだから率先してゴミを拾っているから綺麗なんだ。それを良いことにお前は自分の手柄のようにして金だけ取っているのが気に食わない。


 この街は門の外の往来だって綺麗だ。もともと綺麗なこの街にはお前みたいなごくつぶしの無能な者はいらんのだ。とっととこの街から出て行け」




 儂はその日に貰う予定だったひと月分の報酬も出してもらえず、兵士に抱えられて門の外に放り出された。






***




 その後、この国で一番、いやこの世界で一番綺麗だと吟遊詩人の歌にまで歌われたメワリアシティは僅か半日でゴミだらけになった。


 そして数日後には往来も馬糞まみれになりゴミの匂いで口や鼻を


 塞がなければ歩けないほどになった。


 新領主は何故なにもしない清掃人をやめさせたくらいで、街が汚れてしまうのか分からずに茫然としていたという。


 その後『世界一綺麗な街』メワリアシティをあっという間に汚くしたという話が広まり、新領主は左遷されて元の領主に戻したが、天才掃除夫のトコナツ・サブロー老人はどこに行ったか消息不明だった。




 その後トコナツ老人は国のあちこちの街に現れ町全体を綺麗にして立ち去るということを続けたらしい。


 けれども掃除夫として雇われたことはなく、冒険者として珍しい薬草中心に採取して日銭を稼いでいたらしい。


 街に立ち寄ったついでに町全体をわずかな時間で掃除して廻るのだが、誰もその姿を見た者はいない。


 突然街が綺麗になった。ということが起きた時は必ず冒険者としては年を取りすぎた不思議な老人が冒険者ギルドに薬草を納めに立ち寄ったときだという。




 だがそういう話も聞かなくなった頃、多分そのトコナツ老人は旅の途中で倒れたか、国外に出たのではと思われたが、意外なところで見つかった。




 それは辺境のはずれ未開の土地だった所で広大な農園を経営している百姓の老人だった。


 何故かその畑は馬糞を主原料にしたたい肥を豊富に使っており、農作物も常に豊作だという。


 そして作られた作物は、色々な国の都に出荷されていて、その流通経路も謎のままだという。


 特に冬になって売り出される野菜は通常よりも甘く柔らかくおいしい。なによりも冬に生野菜を食べられるのは、時間凍結の魔法バッグを持つ王族や貴族や富豪などしかありえないが、それと比べてもおいしい生野菜が大量に売り出されるのだ。


 そこで、トコナツ老人は種明かしをするように呟くのだ。




***




 なあに、種を明かせばあちこちで除雪した雪で雪室ゆきむろを作って余分な野菜を保存したのさ。雪の温度は氷点には達しないがかなりの低温になる。


 その為野菜は凍ってしまわないように自分で糖分を作って自衛措置をとるんだ。


 だから通常の野菜よりも越冬野菜は甘いのさ。


 


***




 しかしこういうトコナツ老人の安らかな余生も近隣の国から妨害が入ったのだ。




 トコナツ老人の開墾した土地はどこの国にも属していない場所だったが、その豊かな農地に目をつけて、そこは自分たちの直轄地にすると言って来たのである。


 やって来たのは兵士と貴族だったが、トコナツ老人はそこが他の国にも目をつけられていることを知っていた為、こう言った。


「儂はここを引き上げる。だがその後この土地の権利がどこのものになるかは知らない。


 おとなしく引き上げるから明日まで待ってくれないか」


「ふん、ちゃんと大人しく出ていくかどうか見張って居よう」


 だがトコナツ老人は認識阻害カンストのスキルを使い、畑の農作物をすべて収穫し、おまけに長年かけて作った良質の畑の耕作土もすべて掘り起こして土ごと収納して夜明け前に出て行った。


 立派な雪室の中には膨大な数の作物が保存されていた筈だが、それも雪もろともなくなっていた。


 またトコナツ老人の邸宅や倉庫には、様々な物品があったはずだが、それもすべてもぬけのからだった。


 これはどうしたことだと隣国の貴族が声張り上げて叫んだが、そこへ別の隣国の貴族が兵を連れて押し寄せ、互いにその権利を主張して争った。そしてその場所を巡って戦争が起きたのだ。死者も多く出て、互いの国の得た物は何もなく、むしろ欲を出した分失うものがあまりにも多かった。豊かだった農園の土地は今や戦禍で荒れ果てて、誰も寄り付かない地となった。そして時と共に以前と同じく森に飲み込まれてしまった。




***




 ふん、土づくりにどれだけの愛情と手間をかけているか、自分で苦労していない連中に分かるものか。


 儂はせっかく自分で築き上げたものを他人に奪われたくないのさ。


 今度はどこか人の良い王様のいる国を探して、その国に税金を納めながら守ってもらうことにするか。だとしたら帝国が良いかな?


 




***




 トコナツ老人はその命が尽きるまで、異世界デジャー・ソリスで逞しく生きることにしたから、決して撤退はしない。これは撤退ではなく、前進的撤退なのだと訳の分からないことを言いながら自分の土地を後にした。




 実は老人はこの頃すでに瞬間移動のスキルを身に着けていたので、各国を出入りするのが自由だったのだ。


 だから拠点は各国にあるので、必要なのは誰からも邪魔されない自分の農地なのだ。


 




***




 儂はそこで誰も近づけないという人跡未踏の『魔の樹海』の奥の断崖絶壁を背にした平地を見つけたのだ。


 儂はここで誰にも邪魔されずに色々なところから馬糞を集めて土改良をし、巨大農園を創ろうと思う。前回よりも大きな農園と雪室をな。


 幸い良質の耕作土は巨大倉庫インベントリーに大量に収納してある。


 


 作物もすべて収穫してあるし、大丈夫一からやり直す必要はない。すぐにでも今までと同じように……いやそれ以上にやれるさ。




***




 トコナツ老人はにっこり笑った。


「最近はエルフの魔力から長寿のスキルを習得したから、あと数百年はがんばれるぞ」


 そして実際彼はその後も長く生き続けたとか。




    




 


  


追記




 本来なら常夏とこなつ三郎さぶろうは老年になって異世界転移したのだから、二・三十年のうちに寿命が尽きてしまう筈だった。


 けれど農業に従事して体を動かしていたことと、栄養のある作物を食していたこともさることながら、あることをきっかけにして人間の数十倍の長寿になることになったのだ。


 カモミール茶を飲みながら、そのときのことを常夏三郎とこなつさぶろうは振り返った。


 


 あれは儂が王都に新鮮野菜などを売りに行ったときのことだ。


 市場通りというのがあって、そこは間口が両手を広げたほどの場所で、好きなものを売ることができたのだ。


 いわゆる蚤の市、フリーマーケットという訳だ。


 儂の野菜や果物は評判が良く、値段も手ごろなのですぐに完売した。


 儂は余った時間王都内を散歩するのだが、認識阻害のスキルの為に裏通りを歩いても誰にも気づかれない。


 儂がその袋小路に来た時に、行き止まりの壁の前にふいに人が現れた。


 実は儂はこの場所に来るといつも特殊な魔法の残骸が残っているのに気づいていたが、それが何なのか分からなかったのだ。


 分からなかったなりにその透明な魔力を頭に擦りつけていたが、儂はその時に初めてそれが何の魔法かを知ったのだった。


 つまり使われた魔法は空間魔法の瞬間移動だったという訳だ。


 現れた者はエルフの男だった。


 彼は裏通りの怪しげな店に入って、そこで殺虫剤のようなものを大量に買っていた。


 そうなのだ、儂はなんとなく後をつけてしまったのだ。


 そしてその男は出現したのと同じ場所で姿を消したのだ。


 儂はその場所に行くと、そこには魔法の痕跡の透明なベルトのようなものが漂っていたのだ。


 儂はそれを残らず頭に擦りつけたら、脳内放送が流れたのだ。


『瞬間移動のスキルを獲得しました』


 そしてこの瞬間儂はこのスキルに関するすべてを理解した。


 たった今使った転移先もどこにあるか見えていたし、そこに見ている人間や障害物がないことも確認できた。


 儂は転移してとうとうエルフの隠れ里に入ることができたのだ。


 そしてエルフたちがここで大きな問題を抱えていることを知ったのだ。


 里の中心には世界樹という巨大な樹木が聳え立っていた。


 世界樹とエルフの関係は共生関係にあって、エルフは世界樹を守る代わりに世界樹から螺旋状の聖なる魔力を受け取るのだ。


 それがエルフの生存に深く関係しているらしい。


 だが世界樹の幹の中に聖なる魔力を食う害虫が発生したのだ。


 その為エルフの生命力は衰え、病弱な体になっている。


 大量の殺虫剤を買って行ったのは、その害虫を殺す為だったという訳だ。


 だが殺虫剤は完全に樹木の幹の奥深くに潜む虫迄は殺せないし、世界樹そのものの生命力も削ぐことになる。


 儂はエルフからその殺虫剤を奪った。


 そっと近づいてインベントリーの中に収納したのだ。


「あっ、折角買った殺虫剤がっ!?」


 それから儂がやったことはほんの一瞬のことだった。


 インベントリーの中に普通生き物は収納できないが、虫や微生物だと収納できないこともないのだ。


 だが虫の場合収納した時点で仮死状態になる。


 儂は収納するものを選択できるので、聖なる魔力とそれを食べる虫を指定して吸い込んだ。


 それがどんなに幹の奥の奥にあろうと一つも見逃さずに吸い込んだのだ。


 その直後聖なる魔力だけを元に戻した。


 そして儂は瞬間移動で自分の本拠地に戻って来て、殺虫剤と害虫を一緒に混ぜて処分したのだ。


 その時、害虫の体内に残っていた聖なる魔力が漂って出て来たので、勿体ないと思っていつもの癖で全部かき集めて頭の中に吸い込んだのだが、それ以来儂は年をとらなくなったみたいなのだ。


 むしろ頭の働きは若い頃のようによくなり、体力も青年のように疲れ知らずになった。


 聖なる魔力はバネのように螺旋状の透明なもので、それが長寿と関係あるらしいのだ。


 まあ、そういう訳で儂はそれ以来もう数百年生きているがまだまだ死ぬ気はしないから、エルフの基準で行くとまだ成人にもなっていないのかもしれない。


 まあ、外見はおいぼれの爺さんじゃがな。


 はっはっは、少し喉が渇いた。


 もう一杯カモミール茶を飲もうか。




引き続き孫娘の美留玖みるくの物語が始まります。

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