【短編版】あら、知らなかったんですか?貴方には始めから王位継承権はありませんよ?
ここは広大な大陸の左端にある国、イングラード王国。
国王陛下には正妃様との間に王子殿下がお二人。側妃様はおらず、愛妾との間に男児と女児が一人ずついる。
そんなイングラード王国の首都ロードには古くから続く王立学園があり、通うのは貴族の令嬢や令息達が基本だが、たまに成績優秀な平民もいる。
そんな学園の創立記念パーティーの会場に響く無粋な声の主は……
「セシリア!セシリアはいるか!?セシリア・エルグラン公爵令嬢!ただいまをもってお前との婚約を破棄する!そして新たな婚約者はマリン・アルファー男爵令嬢だ!」
婚約者がいるにもかかわらず、他の令嬢をエスコートして会場入りし、はしたなくもその腰を引き寄せ左半身にべったり貼り付かせるのはフィリップ王子。腹違いの兄君達とは違い、愛妾の産んだ王子だ。
「フィリップ王子、私はここに。セシリア・エルグランがご挨拶申し上げます」
そう言いながらセシリアはカーテシーを披露した。見事なそれに周囲の人々はほう、と息を吐く。残念ながらフィリップ王子には響かなかったが。
「セシリアさま、遅いですわよ~?そんなだからフィリップさまに愛想を尽かされるのですわ~ふふっ」
勝ち誇るマリンには目もくれず、セシリアは淡々と続けた。
「フィリップ王子、婚約破棄とはどういう事でしょうか?私にどんな落ち度があったとおっしゃるのです?」
「ちょっと!なに無視してくれてんのよ!」
「大丈夫だマリン、俺に任せてくれ。どんなだって?白々しい!お前は俺にもマリンにも会う度に嫌味を言うし、マリンを茶会に呼ばずに仲間外れにしたそうだな。何より!王子であるこの俺より学園の成績が良いじゃないか!気にいらん!!」
ビシッ!と音がしそうなほどの勢いでセシリアに向かって指をさすフィリップ王子は、自分がどれだけ情けない姿をさらしているのか気づいていない。
最後の言葉にマリンの顔もちょっとひきつっているのだが……
「フィリップ王子、嫌味ではありません。私という婚約者がいながら他の令嬢にうつつを抜かして夜会でのエスコートもしない、人目もはばからずに手を繋ぐ、肩を抱くなど言語道断です。当たり前の忠告をしたまでですわ。
浮気相手のアルファー男爵令嬢をお茶会に呼ばないのは、私のせめてもの気遣いですわ。針のむしろでしょうし、高位貴族のお茶会のマナーが分からず恥をかくのはアルファー男爵令嬢ですのよ?」
「ひどいわセシリアさま!フィリップさまぁ~セシリアさまがいじめますぅ~!」
「ああ可哀想に俺のマリン。大丈夫だ。お前は俺が守ってやる!」
いやいや、浮気相手より婚約者を守れよ、と周囲はドン引きだ。
創立記念パーティーには北のウェイノル公国、東のディーツ王国、南のフラズン王国からも使者が招待されているのに。それほどこの王立学園には歴史と権威があるのだ。とんだ赤っ恥である。
「ちょっと~!セシリアさま?フィリップさまと婚約破棄、してくれるんでしょうね!?わたしがお妃さまになるのよ~?」
「そうだぞ!俺の妻となる女はマリン以外考えられない!」
「きゃあ!フィリップさまステキ~~!」
「アルファー男爵令嬢を愛妾に、という手段もございますが、後悔なさいませんか?後からやっぱりナシだ、は通じませんわよ?この場の皆様が証人です」
「マリンを愛妾に、だと!?ふん!往生際の悪いヤツだな。仏頂面で可愛げの無いお前なんかいらん!本当なら国外追放だが、せめてもの慈悲だ。さっさと荷物をまとめて学園から出ていけ!!」
「……婚約破棄、確かに了解しました。ですが……」
「なんだ?やっぱり俺に未練でもあるのか?なんならお前を愛妾にしてやろうか。ハ~ッハッハッハ~ッ!」
──その瞬間、セシリアは笑った。その笑顔に思わずフィリップも見とれるほど鮮やかに──
「出ていくのは貴方あなた達ではなくて?フィリップ様にマリンさん?」
セシリアの言葉遣いが突然変わった。だが、驚いているのは頭の中がお花畑なフィリップとマリン、二人だけである。
何も知らない様子の二人に周囲の人々はあきれ顔だ。
「なっ、何だとセシリア!お前、いったい誰に向かってそんな口をきいているんだ、無礼だぞ!おい、衛兵ども。さっさとコイツを捕らえて地下牢にぶち込め!不敬罪だッ!」
「そうよそうよ!フィリップさまに失礼でしょ~!」
しかし衛兵達は誰も動かなかった。それもそのはず、だって……
「あら、何を言うの?不敬罪はそちらだわ。フィリップ様、私達がいとこである事をご存知かしら?」
「バカにするな!それぐらい知っている!」
「私の父、エルグラン公爵は王弟であり、王位継承権第三位。そして、正妻の子である私にも継承権があるわ。現在、イングラード王国王位継承権第四位のエルグラン公爵家の令嬢である私にその態度、許されないわよ?」
「はあ??何を言ってるんだ、お前女だろうが!バカなのか?女が王になれる訳ないだろ。俺は国王の子供だぞ!?兄上達さえいなければ俺が次の王だ!」
「バカなのはそちらよ。そもそもフィリップ様は愛妾の産んだ子供。継承権がありません」
「…は?な…なん…どういう事だ?」
さすが、学園の成績が下から数えたほうが早いだけはある。まさかここまでひどいとは…ため息しか出ない。
「イングラード王国では継承争いを避けるために愛妾の産んだ子供に王位継承権は無いのよ。側妃だって、結婚してから三年の間に正妃様にお子ができない、と確認されるまでは迎えられないの。当代の国王陛下はさらに気を遣われて側妃は迎えない、と公言なさっておいでよ?」
「そっ、そんな……認めない!俺は認めないぞ!セシリア貴様、妃の座を奪われるのがそんなに嫌なのか!?適当な事言いやがって!」
「……ふ~…お話にならないわね。この国の王族、貴族なら知っていて当たり前よ。むしろ何故知らないのか疑問だわ。それと…」
「なんだと貴様!!……ぐぁっ!痛い!クソォ!コラ離せ、離せよ無礼者どもが!痛いぞっ!」
セシリアの言葉を遮り掴みかかろうとしたフィリップはあっさり護衛の騎士達に取り押さえられた。
「それと…今この会場の警備にあたっているのは"衛兵"ではなく"騎士"よ?"衛兵"は優秀なら平民でもなれるし管轄は王城外、"騎士"は貴族じゃなければなれないし管轄は王城内。他国からの来訪者や貴族達が大勢いるような会場なら当然よね。まさかその区別もつかないなんて…」
平民でもなれる"衛兵"に比べて"騎士"は貴族しかいないからか、プライドが高い者が多い。継承権が無いばかりか学園での勉強より女遊びに夢中の王子より、王弟の息女であり継承権第四位の公爵令嬢に従うのは明らかだ。
「ねえちょっと!どういうこと?フィリップさまは王子さまじゃないの!?」
「"王子"と呼ばれてはいるけれど正確には王族ではなく"準王族"よ。何事もなければどこかの貴族に婿入りしたり、二十歳の成人と同時に爵位を賜り臣籍降下するはずだったのよ」
「ふーん、それで~?」
「フィリップ様も私と結婚してエルグラン公爵家の婿になるはずだったの。王家から是非にと頼まれてね。でも、こんな問題を起こしたらもう無理ね。お父様が…エルグラン公爵が許さないわ。私も許す気はないけれど」
「ふん!バカめ。誰がお高くとまったお前の婿になんかなってやるか!俺はマリンと結婚するんだ!なあマリン!」
「国王陛下はフィリップ様の事を考えて我が家との縁談をまとめたのに、こんな騒ぎを起こした人を婿に迎える貴族はいないと思うわよ?爵位も貰えるかどうか……成人と同時に平民になるしかないわね。それか、アルファー男爵がマリンさんの婿として迎えて下さるかどうか…」
「パパが?でもそれじゃあ、わたし、お妃さまにはなれないわよね~?」
「なんで俺が婿入りしなきゃいけないんだよっ!王子だぞ!」
「ですから…」
「認めませんぞ!!」
セシリアの言葉を遮り、事の成りゆきを見ていた人垣を押し退けて鼻息が荒いアルファー男爵が登場した。
「このバカ娘が!」
「ひっ!…そんなに怒らなくてもいいでしょ!ヒドイじゃないパパ!」
「ひどいのはお前だ!よりにもよって貴族の頂点、公爵家のご令嬢から婚約者を奪うなんて!…あぁぁぁエルグラン公爵令嬢!誠に申し訳ない!母親を早くに亡くして寂しいだろうからと甘やかした私の責任です!」
床に膝をついてまで深く頭を下げたまま動こうとしないアルファー男爵にアリシアが声をかける。
「まあ、アルファー男爵、お顔を上げてお立ち下さいな。私はフィリップさんとの婚約が破談になっても別に困りませんから。それより、先ほどから気になっていたのですが…」
いったん黙ったセシリアが次の瞬間、爆弾を投下した。
「先ほどから気になっていたのですが…マリンさん、貴女もしかして妊娠しているのではなくて?」
「……ふへっ?」
(((……はい?……)))
変な声を出して目を見開いたアルファー男爵に続き、会場の人々も固まった。妊娠?誰が?…マリン・アルファー男爵令嬢が!?
「なっ、なっ、なんですと!?妊娠!?誰が?マリンが?はぁぁぁ!?」
「えっ、わたしが…妊娠?赤ちゃん?ホントに?やったぁ~お妃さまになれる!」
「喜んでいる場合じゃないぞ!事実なのかマリン!!誰だ!相手は誰なんだ!?」
「えっ、誰ってパパ、そんなのフィリップさまに決まっているじゃな~い!」
「決まって!いる訳!ないだろうが!未婚だぞ!?なんて事をしてくれたんだ!……ああぁぁぁ~アルファー男爵家はおしまいだぁぁぁ~~~………」
無邪気に喜ぶ娘とは裏腹に、アルファー男爵が頭を抱えて床と仲良くなってしまった。
さすがに会場の人々もアルファー男爵に同情の眼差しを向けている。ただでさえ後退を見せる頭髪が完全撤退しそうだ。
驚きつつも嬉しそうにお腹に手をあてるマリン。キモがすわっているのか、それとも単純に鈍いのか。
「もちろんきちんとお医者様に診ていただいたほうがよろしいかと。私の勘違いかもしれませんし。学園退学は確定でしょうけど、出産後は修道院かしらね」
「はぁァァ?修道院?なんで私がそんな所に行かなきゃいけないのよ!?婚約破棄されたアンタが行けば良いでしょ!」
「このバカ娘がっ!!なんて口をきくんだ!男爵令嬢がお妃様になれるか!ましてや他人の婚約者を…」
「だってパパ!フィリップさまの赤ちゃんがいるのよ?王子さまの赤ちゃん産んだら、わたしお妃さまになれるんじゃないの?」
「どんな勘違いだ!誰に吹き込まれたんだそんなデタラメをっ!…お前まさか、お妃様になりたくて他人の婚約者を寝盗ったのか!?」
「だってフィリップさまがそう言ったのよ!?」
「なっ!!……話にならんわ!エルグラン公爵令嬢、重ね重ね申し訳なく。このお詫びは日を改めて必ず!必ずや!…可及的速やかに解決せねばならぬ大問題が新たに発生しましたので御前を失礼します!さあ王子!貴方にも話が色々ありますっ!さっさと歩いて下され!じっくり話し合いましょう!まずは陛下に謁見を申し込みますぞ!」
「こっ、こら待てアルファー男爵!痛い、ひっぱるな!俺を誰だと思っている!」
「マリン!このバカ娘!お前も来るんだっ!」
「ええ~~わたしも~?でもお妃さまになれないんじゃ、フィリップさまと結婚する意味無いし~」
「マリン!?俺を愛してるって言ったじゃないか!嘘だったのか!?」
「嘘じゃないも~ん。王子さまのフィリップさまを愛してましたよ~?でもお妃さまになれないんじゃな~」
わめくフィリップを無視したアルファー男爵は、孫(推定)の父親(推定)であるフィリップを、引きずりながら会場から出て行こうとしている。その人、一応まだ"王子"なんだけどそんな扱い…まぁ、良いか…。
「その必要は無いぞ、アルファー男爵。私はここにいる」
「「「国王陛下!」」」
会場全てが国王陛下に臣下の礼をとる。
「話は聞かせてもらったぞ。セシリア嬢、愚息がすまな…ぐはッ「どいて下さい兄上!セシリア!大丈夫か?」
「あぁわたくしの可愛いセシリア!」
「…うぉっほん!セシリア嬢、愚息がすまない。もちろん慰謝りょ「払って下さるそうだぞ、良かったなセシリア!キッチリ搾り取らねばな!」
「公…お前、まだ私が喋っ「わたくしの愛しいセシリア、ああ顔を良く見せてちょうだい!可哀想に、こんなヤツらにコケにされて。だから反対だったのよこんな婚約は!」
「…こ、こんなって…公爵夫人、気持ちは分かるが…「あら、国王陛下にお父様お母様、ごきげんよう。ご覧になっていらしたの?」
「…私、国王…公爵、そなたの娘は末恐ろし「そうでしょう、そうでしょう!他国の来賓までいる大勢の前であんな騒動を起こされたにもかかわらず、冷静な立ち振舞いで器の違いを見せつける!さすが私達の娘だ!」
「ええ、旦那様。さすがわたくし達の娘ですわ、おーほほほほほ!」
「…もう好きにしてくれ…」
───◇◇◇───
セシリアの言った通り、フィリップとマリンは王立学園を退学処分になり結婚した。この頃にはケンカが絶えない二人であったが、王命には逆らえない。隣国との国境にある辺境伯家に夫婦そろって下働きとして雇われる事になり、マリンは辺境にある修道院に併設されている医療院にて出産する事になった。
アルファー男爵は騒動の責任をとり、まだあと数年あるが、甥っ子が成人すれば家督を譲ると宣言。
セシリアはもともとフィリップとの縁談は貴族の娘としての当たり前の政略結婚と割りきっていたため、他の女性に盗られたところで、痛くもかゆくもないし才色兼備と名高いセシリアには縁談が山とある。
セシリアからすれば双方から慰謝料が貰えて、劣等感からかキャンキャンうるさいフィリップとは彼の有責で別れられて、マリンにはむしろ感謝しているくらいである。
───◇◇◇───
「なんで王子の俺がこんな事しなけりゃいけないんだよっ!?クソッ、あのままセシリアと結婚してりゃ良かった!」
「ちょっとぉ~!?フィリップさまヒドイじゃな~い!?フィリップさまから誘ってきたんじゃない!堅苦しい婚約者にはウンザリだって~!」
王国の東の端にある、とある辺境伯家の厨房である。マリンのお腹の事を考えて最近の二人はずっと野菜の皮むき担当だ。
「もう王子じゃねぇからだよ!下働きのそのまた一番下っ端じゃねぇか。皮むきぐらい黙って出来ねぇのかボンクラどもがっ!」
「そうよそうよ!アンタらなんかを雇って下さった旦那様に感謝なさいよ。あっ、コラまた、そんなに実の部分削っちゃって!」
「これだから元王子さまはねぇ?フィリップさぁん!野菜の皮むき終わったら洗い終わったシーツ干してくれます?濡れてるから重くって!」
「……がぁぁぁ~~クソッ!分かった!行くよ!行けば良いんだろ!!」
「フィリップさまお下品ですぅ~」
「うるせぇッ!」
──イングラード王国の片隅は今日も平和である──