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頼むからもう少し早く教えてほしかった ~婚約破棄がトリガーだと気づいた瞬間の令嬢の喜びと不安を綴ってみました~

作者: 井伊佳奈

絶妙なタイミングでやってくる幸せと苦悩……

 それはパーティーの夜のことでした。


「公爵令嬢クレア! お前との婚約を破棄させてもらう!!」


 リゴ王国の第四王子である彼が満面のドヤ顔で発した一言のせいで、私の頭の中に閃光が駆け抜けた。


「あ、ああぁぁ、アプル様、それは駄目……っ!」


 立ち眩みを覚えながら私が発した言葉に周囲がざわめきます。

 何時いかなる時も感情を表に出さないのは貴族令嬢の嗜み。

 来賓の皆様の前で頭を抱えこむなんて淑女としてふさわしくない行為ですが、今は自分を抑えきれません。


「ふん、そんなにショックか! だが自業自得だぞ。だいたいお前は――」


 アプル様は得意げに私が犯したという架空の罪状を、左側にこれまたドヤ顔のピンク髪男爵令嬢を従えながら語り始めます。


 どれもこれも身に覚えのないことばかりですが、こうしてみるとなかなかお似合いの二人ですね……なんて呑気に眺めてる場合ではありません。頭の中を整理しなければ。


(嘘でしょう? 何、これ、貴女は一体誰なの……?)


 アプル様の「婚約破棄」を耳にした瞬間、前世の記憶が鮮明に蘇ったのです。

 同時に頭の中にいるもう一人の自分が興奮気味に叫びだします。率直に申し上げてうるさい。


『ここはゲームの世界で今は断罪シーン。大丈夫、クレアは死なないからね!』

『やっと隠しルートが解放されたぁ~! 逆ハー天国突入よ!』

『アプルはボンクラでポンコツ、逝ってよし! ピンクは道連れ。かわいそう』


 私の婚約者が有能でないことは共感できますけどそれ以外の単語がよくわからないのです。

 ピン……いいえ、男爵令嬢もどうでもいいですが隠しルートって何です?

 自問自答を繰り返すうちにこの世界はおとぎ話のようなものだと解釈できました。


(でも待って、逆ハーって何……イケメン全員集合って、駄目よそんなの!)


 濁流のように流れ込む情報に私は困惑し続けながら頭の中を少しずつ最適化してゆきます。

 前世の私が楽しそうに疑問に答えてくれるのですが、期待よりも不安が爆発的に増加していくのです。

 私が理解したのは、前世の彼女が状況を全くわかっていないということ。

 「逆ハー」とやらがもたらす、この先私を待ち受けるであろう混沌の日々を。


「あぁ……なんということでしょう……」


 いよいよ耐えきれなくなった私が膝から崩れ落ちようとした瞬間、力強い腕が私の背中を支えてくれました。


「大丈夫だ。心配いらないよ。僕がキミを守るから」


 そう言って穏やかに微笑みかけてきたのは私の幼馴染のトレット。

 サラサラの金髪に碧眼という王立学院でも女性人気一番の公爵令息です。


(そう言えば何度か遠回しに好意を寄せられましたけど、あれは本気だったのですね……)


 さっそく第一波が来てしまいました。

 前世の記憶が彼も攻略対象だと告げています。

 ですが……そもそも「攻略」とは敵に使う言葉では?


 とにかく彼が支えてくれたお陰で私が床に頭をぶつける事は避けられたので感謝の言葉を述べておきます。彼は相変わらずの素敵な笑顔ですが今の私には恐怖。


 そして気持ちを落ち着ける間もなく次の波が押し寄せてきました。


「くははははははは! 待っていたぞ、この時を!!」


 私とトレットの側方で高らかに笑う人物に全員が注目します。

 それは近衛兵を従えて大きな歩幅で歩いてくる褐色肌の美丈夫。

 赤く燃える宝石のような瞳に見つめられ、私は息を呑みます。


(あ、来ちゃいました……)


 私の視線の先に見えるのは、リゴ王国第二王子・サバラ様。

 最近では病気がちな陛下に代わって軍を一つにまとめ、賢王として名を馳せるこの国で実質最強の男性です。


 彼の登場に私の婚約者、いいえ元婚約者のアプル様が顔面蒼白になります。


「あ、兄上……なぜこちらに……」

「黙れ。質問は俺が先だ。我が弟よ、本当に良いのだな? クレアを手放しても」


 すでに婚約破棄を口にしてしまったアプル様が前言撤回できないことをわかっているはずなのにサバラ様が念押しします。


 そして「クレア」と呼び捨て。

 普通なら心がときめく場面でしょうけれど、このあと始まる逆断罪シーンを教えられている今の私には無理。間違いなく私の笑顔は引き攣っているので、貴族令嬢としてはこれが正解のですけど。


「あ、兄上、私が手放したのではなくクレアが学院内でいじめを――」

「フン、ありもしない罪をクレアに被せ、一時の己の欲望を満たそうとする哀れな愚弟よ。貴様にはそちら女がふさわしい。そして俺にふさわしいのは――」


 トレットの存在を無視して私に手を伸ばすサバラ様。


「俺のものになれ。あるべきものはあるべき場所に」

「クレアはものじゃない!」

「ぬっ、頭が高いぞトレット」


 トレットとサバラ様という美形二人に挟まれた私は息が詰まりそうです。

 興奮とか感動とか、ときめきとは別の意味で。


「ここは譲れない! ここは素敵な女性を賭けた男同士の戦場だ。サバラ、君だって身分にすがる必要なんてないだろう?」

「貴様……くくくく、そのとおりだ。言うではないか。好敵手よ!!」


 私をそっちのけで火花を散らす二人の間に銀色の影がそっと忍び込んできました。


「血気盛んなのはけっこうだが、私の弟子を巻き込まないで頂きたい」


 年上の貫禄で静かに彼らを引き離したのは、リゴ王国宮廷錬金術師のピール様、魔術や薬学を教えてくれる私の師匠です。


「せ、先生……」

「クレア、遅れてすまなかった。心細かっただろう? 不安の種を取り除いてやる」


 穏やかに微笑むピール様のお顔を見ながら私は涙をにじませます。


(不安の種を取り除くとおっしゃいますが、先生も不安の種……ですが)


 心当たりがあることを思い出しました。「クレアは筋が良い。良い錬金術師になりそうだ」「結婚してからも学びは一生必要だよ」「これから先もずっと僕が教えてあげよう」あれらは先生なりのアプローチだったのですね。

 第三波の襲来でますます不安になって参りました。


「サバラ殿下、それにトレット殿に進言する。今はクレアの名誉を守ってやることが最優先では?」

「たしかにそうですね」

「むぅ……」


 もはや三人のイケメンに囲まれながら私は成り行きを見守るしかできません。

 ドキドキしながら黙り込んでいると、左足のあたりがギュッと圧迫されました。


 驚いた私が振り返ると、腰に抱きついて見上げる辺の美少年が――、


「クレアおねえちゃん、悲しそうな顔をしないで」


 王立学院魔法科に飛び級入学してきたマロンくんでした。

 私より年齢が7つも低いのですがとびきり優秀な男の子です。


(そう言えば彼は学院内で私に懐いてくれてましたね……)


 幼いながら私に想いを寄せてくれていたのでしょう。第四波が襲来。

 単純にかわいらしい存在だと思って可愛がってましたけど迂闊でした。


 前世の記憶が告げるのは、マロンくんは「一部の趣味を持つ」女性たちの間では大人気だそうです……それってどんな趣味なのです?


「おねえちゃんには笑って欲しい!」


(ああ、そんなキラキラした目で見ないで……クレアおねえちゃん、今はダメダメのボロボロなの)


 できれば貴方だけは大人しくし……いいえ、純粋で居てほしかったです。

 年上の私に懸想してしまうなんて。

 この美少年は王国の魔法師団筆頭として未来では英雄となる存在なのです。前世の私が「しょたるーと」なんていう珍妙な言葉と一緒に教えてくれました


 マロンくんから視線を離すと、真っ青な顔で震えているアプル様に向かってサバラ様たち三人がじりじりと詰め寄っているところでした。


「我が弟アプルよ! 今一度、クレアの罪とやらを申すがいい。ただしそこに嘘があればどうなるか……わかるな?」

「「ヒイイィィィィッ!」」

「殿下、ここはひとつ私にお任せあれ」


 ピール先生が懐から何かを取り出します。ドロリとした液体の入った小瓶ですね。


「ほぅ、どうするのだ?」

「最近開発に成功した秘薬を用いてアプル殿下に真実を語っていただきましょう」

「なるほど、秘薬ときたか。やるではないかピール。そこの男爵令嬢ともどもアプルに真実を語らせてみせよ」


 サバラ様が目で合図すると、近衛兵たちがアプル様を取り囲みます。

 彼らは完全に逃げ場を失ってしまいましたね……。


「殿下のお心のままに」


 ピール先生が小瓶の蓋を緩めただけで甘い香りが周囲に漂い始めました。

 前世の記憶を得た私にはそれがなんのかはっきりと分かります。


(それ、秘薬じゃなくて魔薬です……そして今は飲まされた側にどんな弊害が出るかまでは完全にわかっていない試薬なのでは……)



「やめろっ、僕たちは何も悪くない!!」


 近衛兵に押さえられながらもがくアプル様を見て私の心が痛みます。

 あの薬は効果が強すぎて危険なのです。二度と正気に戻れなくなるくらいに。


「クレア、大丈夫だ。もしアプル殿下が嘘を言ったとしても法定で僕が無実を証明してみせるから」


 最高の笑顔で怯える私に微笑みかけるトレット。

 第一王子とともに政務までこなす彼ならどんな判決でも覆してしまいそうですけど。


 だけど違う、そうじゃないのです。

 私の心配はあの魔……秘薬で頭の中が弾けたアプル様が突然暴れ出さないかということなのです。

 彼を押さえている近衛兵の人たち大丈夫かしら……。


「将来の法務卿と呼ばれている貴様にしては生ぬるいなトレット。俺の女を陥れようとした罪人などこの場で斬首でよかろう」


 口元に冷笑を浮かべながら腰の剣を抜くサバラ殿下。

 その姿を見て「きゃあああ!」とか「かっこいい!」などと言い出すもう一人の私。


 殿下も前世もお願いだから物騒なことを言い出さないで……!


「おにいちゃんたち、クレアおねえちゃんがこわがってるよ! けんかしちゃダメ! めっ!」


 マロンくん、剣を抜いてる人にそういうこと言ってもダメだから! それに相手をよく見て、その人は宝剣よりも危ない人なの!!

 クレアおねえちゃんからのお願い……これ以上話をややこしくしないで。


 すると私の祈りが通じたのか、サバラ様が剣を鞘に収める。


「ふっ、一理ある。小僧、貴様の勇気に免じて不問とする。そして貴様もクレアを想う一人の男のようだ」

「うんっ! ボク、おねえちゃん大好きだよっ! サバラ殿下も好きっ」

「くくく……俺の前に立ちふさがるとは見上げたものよなぁ!」


 マロンくんを見下ろしながら豪胆に笑うサバラ様の先で不意にうめき声がした。


「あがががが……」


 近衛兵に押さえられたアプル様が薬をしっかりと飲まされていた。

 正確には煙を嗅がされていた。


「アプル殿、すぐに気持ちが楽になりますからね~」


 穏やかな口調で諭すピール先生の笑顔が怖すぎる!

 あの秘薬は粉末を炎で炙ることによって芳香が漂いはじめ、それを吸引した相手の理性を狂わせ取り払う仕組みになっている。

 よく見ると近衛兵たちは口元を袖で隠して息を止めていた。


 そのうちアプル様の目がトロンと緩み、何かブツブツとつぶやきはじめた。


「口うるさいクレアと別れてお馬鹿なカロンと幸せになるんだぁ~」

「アプル様、しっかりして! それにあたしお馬鹿じゃないですぅ」


 彼の後ろで男爵令嬢が悲鳴を上げた。


「そこにいるのはカロンじゃないか、いつもみたいにチューしよう?」

「ダメー! それをここで言っちゃダメですぅ~~~~!!」


 その様子を見ているピール先生とトレットがうんうん頷いている。


「……トレット殿、しっかり聞こえたよね」

「はい。有罪ですね。それにしてもすごい薬だなぁ」


 どう考えてもやりすぎでしょう。

 もうダメだわ……壊れちゃった。私の元婚約者。


 隣で泣きわめいてるカロン男爵令嬢が可哀想。この先の長い人生を彼の介護に捧げることになるなんて。


 先生はあの秘薬に「精霊のささやき」という素敵な名前をつけていたけど、どちらかと言うと「悪魔の誘惑」のほうが適切だと思う。


 前世の私は大はしゃぎしてるけど私はうんざりした顔でその様子を眺めている。


(貴女、代わってくれないかしら? 私は全然楽しくないの……)


 心の中で訴えてみたけど、どうやらそれは無理らしい。もう本当に嫌。


 アプル様は激しく暴れることもなく笑い続けていた。


 断罪が終わった今、サバラ殿下がこちらを見て豪胆に笑う。


「くははっ! これで邪魔者は居なくなった。安心して俺のものになるがいい」


 彼が私の手を取ろうとすると、トレットが慌ててその間に入ってくる。


「サバラ、何度言ったらわかるんだ! クレアはものじゃない! ねぇ、そうだよね?」

 私は胸が苦しくなる。

 トレットの爽やかな笑みが眩しすぎるからではなく。


「おのれ……潔く身を引くがいい!」

「言ったはずだ。クレアのことは譲れない」


 睨み合う二人の脇でため息を吐きながらピール先生は苦笑いしている。


「やれやれ。彼女にはまだ私のそばで覚えてほしいことがあるのだよ」

「その中に貴様への愛情も含んでいるのであろう? 錬金術師」

「なっ! それはずるいぞピール殿!」


 三つ巴となった戦いをハラハラしながら見つめる私の後ろから、ぎゅっと抱きついてくる美少年・マロンくん。


「ねえねえ、あの人たちは放っといてボクと遊ぼう、おねえちゃん! そろそろ海へ行きたいなぁ~」


 四人の男性から求愛されてる現状、これが本当に天国なのです?


 逆ハーってこれ、私が死ぬまで続くのですか?


(とりあえず今はそっとしておいてほしいです…)


 そんな事を考えながら、私は近衛兵に引きずられてゆく元婚約者の背中を見送るのだった。




(了)

モテすぎるヒロインは苦難を多く抱え込む。

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