私、貴方の婚約者じゃありません!~幼馴染の伯爵令息はドッペルゲンガーに惑わされない~
テンプレ外し野郎がテンプレを書くとこうなるという見本作。
「ハリ・ヴェトラータ侯爵令嬢!私は今、この場を持って貴女との婚約破棄を宣言しよう!!」
ホール中央にある階段の踊り場。堂々とそこに立つ高位貴族と思しき令息は高らかにそう告げると私に向かって指を突きつけた。
――――ああ、またか、これでもう何度目だろう?
指を突きつけられた私、グラシエラ・クリスタロス伯爵令嬢はこの光景に既に飽きている。
「どちら様でしょうか?私、誰とも婚約など致しておりませんの」
「いいえ、初対面ですとも。私、貴方のお名前も存じ上げませんの。お名乗り頂けるかしら?」
「ええ、では私も名乗りましょう。クリスタロス伯爵家のグラシエラと申します。ご存知ありませんでしたよね?」
「顔は兎も角、名も知らぬ令嬢と婚約など出来ようはずもありませんよね?」
ここまでが令息に対するテンプレ。
――――思い出した。12回目だ。
そりゃ流石に慣れるというものだ。で、だ。
「私に苛められたとおっしゃっていましたがそれもありえませんよね?」
「だって、私、貴女とも初対面ですもの。お名前伺って良いかしら?」
「そう、では改めて。はじめまして。グラシエラ・クリスタロスと申します」
「お顔もお名前も解らないんじゃ虐めようなどありませんよね?」
ここまでが令嬢に対するテンプレだ。
――――よし、これで完了!
すっかり事務的に対応する癖がついてしまった。
ヴェトラータ侯爵家の名は私でも知っている程の有名家門だが、そこの令嬢である彼女との面識は全くない。
――――そんなに似ているのだろうか。
少なくとも私は知り合いの範囲でヴェトラータ侯爵令嬢に似ているなどと言われたことは一度だって無い。
彼女と私のコミュニティが絶望的なまでに隔絶しているとかじゃなければそんな事、普通はありえない筈なのだ。
確かに辺境にほど近い地方の最貧領をなんとかやりくりして持たせている貧乏伯爵家の娘である私に積極的に社交活動している余裕はあまりない。
いや、ホントはこれでもかと精力的に活動して少しでも高く買って貰わなければならないのだけれど。
私が売りに出されるくらいで自領の皆の安寧が守られるというのなら安いものだ――――実際は簡単に売られる訳にも行かないのが逆に悩みどころだ。
――――だって一応、嫡女だから。
私がこうして婚約破棄を突きつけられた分だけ彼女は婚約を繰り返している筈で。
こんなにも婚約と婚約破棄を積み重ねていたら、市場価値は大暴落で買い手なんか絶対につかないだろう。
――――その状態に現在進行系で追いやられているのが私だ。
だと言うのにどうやって繰り返しているんだろう?
「ああ、そっか。令嬢も嫡女なのか」
確かにヴェトラータ侯爵家家門は歴史があるし、裕福だし、王家との仲も親密だ。
結婚するだけでその全てが転がり込むとなったら目の色変える人が多くても致し方ないのかも知れない。
――――それはそれで可哀想な気がする。
誰だって、自分自身を想ってくれる人と結婚したいだろう。いや、そこまで行かなくても、少しでも自分自身を見てくれる人と出なければきっとやっていけない。自分の後ろにお金や家門しか見ていない人との結婚なんて普通に考えて願い下げである。実際はそんな事巨万とあるんだろうが。
そんな事考えてる余裕がないほど追い詰められているのが此処にいるがそれはこの際見て見ぬ振りをしよう。
それがこの繰り返される婚約破棄劇につながっていると思うと納得出来る。納得は出来るが――――巻き込まれているこっちの身としては正直、溜まったもんじゃない。
「それって、君に婚約者が居れば万事解決じゃないの?」
「それを探してるけど、価値暴落中で見つかんないって言ってるんですけど!話聞いてないでしょ!!」
私の目の前で明け透けな軽口を叩いてるのがカイシニアン・アーホルツ伯爵令息。私の幼馴染だ。
同じ沒落寸前崖っぷち貴族の次男坊だって言ってる割にこうして頻繁に私を連れ出して、お高めのカフェとかに入って限定メニューのパフェだったり、ケーキだったりを奢ってくる。
何だか餌付けられている気分だ。美味しいものに罪はないから残さず頂くけど何だか判然としない。
「抑々さ、無理に旦那捕まえて伯爵家継いで貰わなくても、君が女伯爵になればいい話じゃないのか?」
「この国で女が爵位持つ為には結婚してなきゃいけないんですぅ!そんな事も知らないの!?」
伯爵家を放り捨てる選択肢のない私にはどちらにしろ、婚約者という相手が欠かせないのだ。
「じゃあ、今流行りの契約婚約?この場合は契約結婚のほうが良いのか?ああいうのでさぁ、誤魔化してみるとか良いんじゃないかなって――――それで、えっと、それの相手役にさ……立候補させて貰えたら嬉しいかなって……」
契約婚約ぅ?また唐突に妙なことを。
このカフェの新作である『期間限定!季節のいちごパフェ~大振りのいちごを特別大放出~』を頬張りながらカイシニアンの提案を反芻する。
カイシニアンの声は語尾になるにつれてどんどん小さく口の中で呟くようなくぐもったものになり、言っては悪いが後半に至っては何も聞き取れなかった。プレゼンする気ならもっとはっきり喋りなさいよ。
「大体、婚約自体、契約でしょ?家同士の契約」
勿論、結婚だって契約だ。契約結婚も契約婚約も契約契約って言ってるみたいで何だか座りが悪い。契約って単語がゲシュタルト崩壊起こしそうだ。
強いて言うなら特殊条件付加婚約とか、臨時条件付与結婚とか?うん、長くて語呂が悪いし、覚えにくい!却下だわ、これ。
「第一、今のタイミングで婚約者が出来たところで何も変わらないわよ。そっくりさん令嬢が猛威を奮ってる限り、私に安寧はないわ」
変わるとしたら、愛用している『対婚約破棄狙いのお間抜け令息用テンプレ』と『対虚偽申告ヒロイン気取りお馬鹿令嬢用テンプレ』の内容が一部書き換わるだけだ。
――――ん?思ったより深刻じゃない?それ。
もうカンペもなしに立て板に水のように繰り出せる私の必殺技が辿々しい物に逆戻るのは何だか頂けない気がする。
それに、私自ら痂皮の要因作るのも何か違う気がする。
とりとめなく考えを巡らせていた私はふと、頬周辺の空気が動いたような感覚を覚えて顔を上げる。
目の前には、席を立ち、私の頬に向かって手を伸ばすカイシニアンの姿があった。
唐突なその状況に思わず文字通り腰を引いてしまったが、カイシニアンはそれを気にすることなく、テーブルに手をついて更に身を乗り出してくる。
そのまま私の頬に親指で擦るように強めに触れると満足したように椅子に座り直す。
「ついてた」
そう言ってクリームのついた右手を私に見せ、親指を自身の口元に運ぶ。クリームを舐め取って親指をナプキンで拭き取り、その手で頬杖をついて微笑う。
「盗らないからゆっくり食べなよ」
「今、盗ったじゃない」
私の頬についていたクリームを。
恨みがましい私の視線に軽く肩をすくめると、メニューを開いて何かを物色し始める。おかわりを注文して誤魔化す心算だと気づいた私はそれを片手で制して言い返す。
「カイシニアンの方こそ沒落寸前の伯爵令息って設定いつまで引っ張るつもり?」
「設定も何もありのままの事実だよ?人んちの家門疑うの良くないよ」
間髪入れず返答が返ってくる。
私がかねてより温めざるを得なかった虎の子の疑問を事も無げに返されたことに若干腹が立つ。
疑問符を頭上に浮かべたような顔で小首をかしげるカイシニアンに疑った訳を説明させられた。
私は貴族名鑑を読み漁って伯爵家以上の家門は総て頭に叩き込んである。
売り込み先なんだから買い手の名前くらいは覚えておかなくてはならないだろう。
ちなみに子爵家以下を無視したのはぽこじゃか湧いては消えを繰り返すのでぶっちゃけ労力の無駄だからだ。
その私がカイシニアンが名乗る家門を知らないのだ。疑うには充分だろう。
「ああ、うん、アーホルツはこの国の家名じゃないから」
カイシニアンは私の言い分を聞いて軽くため息を付いて苦笑を浮かべ頭を振りながらそういった。
成程、私が読み漁ったのはこの国の貴族名鑑のみだから隣国の伯爵家を知らないのも当然か。
そう納得しておくことにした。我ながら単純である。
――――仕舞った、油断した。
また同じく巻き込まれた。これで通算13回目の婚約破棄である。
突きつけられる指先にうんざりする。こんなとこまでパターン化されても嬉しくない。
――――だから、ホントに婚約したこと無いんだってば!!!
何もしてないのに一方的に下がっていく私の市場価値に目も当てられない。
当人はどれだけ下がろうとも無問題なのだろうが地方貴族の最貧伯爵家の嫡女である私には致命的だ。
本当にもういい加減にして欲しい。
お父様には普通に養子を取って貰おう。
その子が後を継ぐなら問題はないだろう。
私は修道院にでも入って余生を穏やかに神に仕えて暮らせばいい。
一生懸命祈っていれば神様だって少しは振り向いてくれるかも知れない。
貧乏に喘いでいる領民たちに慈悲を手向けてくれるかも知れない。
そうすることしか出来ない。
選択肢ですら無かった選択を力の限り握りつぶされたような心持ちだった。
伯爵家のタウンハウスの裏手にある森には湖がある。
タウンハウスといえば聞こえは良いが此処は数代前に首都の外れにある森に隣接していた古い療養所跡を買い取って整備したものだ。首都に用事がある度に片道1週間以上掛けて領地から出てくる訳はいかないから曰く有り気な屋敷を有り難く使っている。私はぶっちゃけ小さくて目立たないこの家をかなり気に入って、子供の頃は此処で過ごすことも多かった。そう言えばカイシニアンとであったのもここだ。
嫌なことや、ままならない事があるといつも森の湖の畔で、独り言を繰りながら水切りをするというのが小さな頃からの私のストレス解消法で。
今回もまたそれに倣う。
独り言というには若干……いや、相当大きい声で不満を口にして無心で石を投げる。石が水の上を跳ねること、20回という大台に乗ったことでほんの少しだけ溜飲の下がった私は疲れに任せてその場に腰を下ろした。
――――もう良いかな。
自分でも何が良いのか、よく解らないがふとそんなことを思う。自分でも自棄になっていることだけは何となく解る。
空に浮かぶ月と湖面に浮かぶ月を見比べながらぼんやり考えた。
「私と令嬢ってあんな感じなのかな」
私とハリ令嬢。
ハリ令嬢と私。
ドッペルゲンガーはどちらだろう。
きっと自由がない私がドッペルゲンガーなのだろう。
「偽物は神に召されるのが似合いってことかな」
そう呟いた私は迫る気配に全く気がついていなかった。
「ああもう!ずっといってるだろ!!」
背後からガバリと抱き寄せられる。でも、危険も恐怖も感じない。
私にこんなことをするのはカイシニアン以外にいないから。――――私以外に此処を知るのもカイシニアンだけだけど。
「ねぇ、グラシエラ。僕は次男坊で継ぐ家がない。君にとって最も近くて便利な選択肢だと思わない?」
耳元で囁かれる声にゾクリとする。
解っててやっているのだろうか。選択肢がなくて自棄になっている私に選択肢を提示するのはこの上なく甘い罠で。誘惑するつもりならこれ以上ない誘い文句だ。思わずゴクリと喉がなる。
何だか、私がカイシニアンを襲いたがってるみたいじゃないか。
「君が僕のことなんとも想ってないのなんか知ってるよ」
自分で言っておきながら、認めたくないって全力で拒否しようとしているのが伝わる。
私の肩に回っているカイシニアンの腕に力が籠もる。正直、痛みを感じるほどだ。
感じた痛みに私の筋肉が強張ったのを察したのだろう、肩に食い込んでいた指が不自然な動きをする。
その隙をついて拘束から逃れようと藻掻くと同時に振り向く。カイシニアンを押し倒すような姿勢にこそなったが彼の腕から抜け出すという目的は達成できた。至近距離に彼の泣き笑いの顔を捉えるという予想外のおまけもついてきたが。
「だって幼馴染だろ?ずっと見てたんだ、知ってるよ!」
泣き笑いの顔のまま、知っていると連呼するカイシニアンが一体私の何を知っているというのだろうか。
彼の言うように只の幼馴染でしか無かったのに。
カイシニアンの言い分に呆れ、姿勢を正して立ち上がり、そのまま踵を返そうとする私に彼は慌てて跪き、私の両手を掴んで引き止める。
「でも、それでも君が、君だけが好きで諦められないんだからしょうがないじゃないか」
小さなカイシニアンは私の傍を片時も離れようとしなかった。まるで、彼の世界には私しか居ないかように錯覚することすらあった。大きくなって一時期、顔を合わせることすら無くなって漸く幼馴染離れ出来たかと胸を撫で下ろしていたというのに、こんなことを言うのは反則だと思う。
「好きな男になれないなら便利な男になるしか無いじゃないか」
悲壮な覚悟を叫んだ声に混じる諦観は一体何に対してのものなんだろう。
「お願いだよ……僕を選んで」
選択肢を与えておいてそれを奪うようなことを言う彼の身勝手さに腹を立てることも出来なかった。
跪いて私の手を取り、両の目から涙を零すその声が赦しを乞うかのように震えていたから。
「君を見もしない神のものになんかならないで――――」
あんな熱烈な告白(?)をされた翌日だと言うのに、私はどうしてこうタイミングというものに尽く見放されているのだろうか
「どうしてですか!!」
思わず柱の陰に隠れたけれど私の耳は勝手に会話を拾う。
いや、あんなに大きな声じゃこっちに聞かせたいのかと勘ぐってしまう。
「私はグラシエラ様とは違います。私はずっと好きなのに。好きだったのに」
カイシニアンに掴みかかる勢いで迫っているのはゲルニティア・ストラウス男爵令嬢。いや、アレは実際胸座掴んでるな。
ストラウスはクリスタロス伯爵領に出入りしていた商人一族で、この度、陞爵して男爵位を撓まったらしい。彼女はそこの一人娘だ。小さい頃、荷馬車に乗ってよく伯爵領にもタウンハウスにも顔を出していた。顔馴染みと言うか、幼馴染といえば幼馴染かも知れない。
だけど、彼女は主に私の後ろを歩くカイシニアンに付き纏っていたから私自身はあまり彼女との交流がない。だから彼女の人となりを知らないし、彼女がどうしてカイシニアンに拘るのかも知らない。
「無理だ」
胸座を掴む手を外しながら感情の乗らない声で一言だけ返答するカイシニアンは表情筋を動かさないだけでこんなにも冷酷に見えるんだと私は思わず感心する。
私の知るカイシニアンは隙の多いお調子者で他人に甘い人間だ。ゲルニティアの前に立つ彼とはと全然違う。
「身分が低いからですか?ストラウス家が商人からの成り上がりだからですか?男爵だから駄目なんですか?お金だってグラシエラ様のとこより多いです。私のとこに来てくれたら苦労なんてさせません」
スカートを握りしめ、俯き震えながら訴えるゲルニティア。
彼女の告白を我が事のようにハラハラしながら見守ってしまう。
告白されている相手に告白された私としては矛盾どころの話ではないのだけれどどうしても目が離せない。
「身分も家門も財産も何もかも関係ない」
少なくとも相手は金持ちで次男坊であるカイシニアンを婿に迎えたがっている。
貧乏伯爵令息には願ってもない相手だと思うのだけどそんな相手を邪険に扱う理由がわからない。
彼女の言うように私なんかよりずっと好条件の筈だ。
「私だってカイシニアン様の幼馴染なのに!!何が違うっていうんですか!!」
「君はゲルニティアであってグラシエラじゃない。ただそれだけのことだ」
だと言うのに、彼は淡々と事実だけを告げる。それがこんなに酷薄に聞こえることがあるのか。
「ただそれだけのことってそんな!!」
「僕がグラシエラじゃなきゃ駄目なんだ。君だって言っただろう?グラシエラとは違うって」
「あの悪女も年貢の納め時か」
「あれだけ婚約破棄繰り返しといて結局王弟殿下の妻に収まるとか」
巷に広がる不思議な噂の出処はここか。周辺を確認しながら私はそう結論づけた。
曰く、令嬢は悪名を轟かせることによって王弟殿下の興味を引いたのだ、と。
そんなイチかバチかの大博打、私なら絶対打たないと断言出来るが令嬢は違ったのだろう。令嬢は博打に勝って王弟に見初められ、私は関係なく巻き込まれて大負けしているという訳か。理不尽過ぎる。
そう思いながら縺れる足をなんとか動かし、歩調を上げて進むカイシニアンに引き摺られていく。
「ちょ、ちょっと、カイシニアン!話を聞いてっていうか、話して!」
私の腕を抜けそうな勢いで引っ張りながら王宮を早足で駆ける理由くらい教えてくれても罰は当たらないと思う。
「悪いけど、離せない」
そう言って私の腕を掴む力が強くなる。ん?なんか誤解させた?語感がキツイ気がする。
「何で私なんかを王城に引っ張ってきてるの!?ここ、王族しか入れないんじゃないの?」
「王族が伴うなら問題ないから。気にしなくていいよ」
何の説明にもなっていないと抗議の声をあげようしたその時、唐突にカイシニアンの足が止まる。
本当に突然だったので、止まりきれなかった私はカイシニアンの背中に強かに鼻をぶつける羽目になった。
カイシニアンが止まったのは大きな扉の前。彼は一つ深呼吸をすると、ノックもせずにその扉を力強く押した。
バンッと扉が悲鳴を上げて大きく開く。物取りでもないのにそんな乱暴に押し入って良いものなのだろうか。
ドアの影から恐る恐る中を覗き込む。
綺麗な銀髪、色味の薄い青灰色の目。何処かで見たような特徴の令嬢がカイシニアンを一回り細くしたような男性と話している。
「失礼します、陛下。お言葉ですが、ヴェトラータ令嬢が王弟殿下の妻になることなんて在り得ません」
カイシニアンの口に登った言葉に腰を抜かしそうになる。
あのカイシニアンに似た人が国王陛下でその正面に座ってる銀髪の女性が件の令嬢ってことじゃないか。
そりゃあ、何処かで見たこともあるだろう。銀髪も青灰色の目も私自身の特徴だ。でも、言うほど彼女と私は似ては居なかった。
ふわふわと柔らかな印象のあるウェーブヘアに甘い印象が強いタレ目。これだけで私とは別人だと解る。コテで巻いても直ぐに元に戻る強いストレートに性格に合わないとよく言われるツリ目の私とは似ても似つかない。綿雪と雹の礫位印象に差がある。
「なぜなら、今ここで王弟殿下自身が断るからです!!」
ハリ令嬢の容姿に注視していた私にもう一つ爆弾が投下された。
カイシニアンの言葉を反芻してみるが脳がその言葉を受け入れない。
王弟殿下?カイシニアンが?王弟殿下って貧乏伯爵家のタウンハウスにほぼ毎日出没するものなの?
混乱する私を余所に、カイシニアンは国王陛下に向かって言い放つ。
「義兄上、お戯れもそこまでです。いい加減にしてください」
「好みの女性の特徴を言えと言われましたから、恥を忍んでお伝えしました」
「が、私は別に銀髪で青灰色の瞳が好みなんじゃない」
「愛しい人が銀髪で青灰色の瞳をしてるから好ましく思うだけです!彼女がその色を持っているから何より愛しく見えるんです!」
王弟殿下が流れるように言い募る。
そこまで言われる愛しい人とやらは幸せものだと何処か他人行儀に思いながら何故か頬が赤くなるのを止められない。
「ヴェトラータ令嬢がどれだけグラシエラに似ていようが意味がない!!グラシエラじゃなきゃ意味がないんです!!」
私が欲しかった言葉を当たり前のように宣言するカイシニアン。
ゲルニティアが提示したような好条件は要らない。
ハリ令嬢のように好みに合致すれば良いわけじゃない。
私が私でありさえすればいい。
あまりに堂々と宣言するものだから居た堪れなくなった私は彼の背中に隠れることしか出来ない。
「ヴェトラータ令嬢も悪ふざけは大概にしてくださいね。私は私の大切なものを傷つける方に容赦するつもりは一切ありませんので」
そう言ってカイシニアンは私の腕を掴んだまま、踵を返して部屋を後にする。来たときと同じようになすすべなく引き摺られる私を伴ったまま。
「だから言っただろ?」
王宮の庭の片隅で、いい歳した男女が膝を抱えて並んで蹲る。誰かに見られたら死ねる程度には恥ずかしい。
「次男坊で立派な後継者が既に家を守っているから継ぐものなんかないし、居場所もない」
小さな私の世界に突如飛び込んできた小さな彼。独りにしないでと私のスカートの裾を離さなかった彼。
脳裏に蘇る思い出とともに彼の告白を静かに聞く。
「ないないづくしの根無し草も同然だから何処に行っても何処で生きても構わないって」
言外に生きる事すら諦めたと告白する彼が痛々しくて悲しくて寂しかった。
小さなときから一緒に居たのにそんな事おくびにも出さなかった癖に。
「ねぇ、お願いだよ、グラシエラ。僕を貰ってください。君のお婿さんにしてください」
哀願にも聞こえるものすごく情けないプロポーズ。でも、何より切実で誠実で。心の底から私を望んでいるのが伝わる言葉だった。
「市場価値もないこんな女のところに婿に来てどうするのよ」
意地っ張りの私が素直に返答することなんてないのはカイシニアンがきっと一番良く知っている。
「普通なら『市場価値がないのはお互い様』って返すんだろうけど、それは厭だ。そんなの死んだって言いたくないし、認めない」
価値の有無に囚われた私を彼は否定する。本当に一番良く解っている。
「だって僕にとっては何よりも価値の在るものだ。誰にだって譲れない僕だけの宝物だ」
独りぼっちだった君が何より欲しいと言ってくれる。君が私の価値を認めてくれる理由は私が一番良く解ってる。
――――私と生きたいって言ってくれるんだね。カイシニアン。
「アーホルツはこの国の家名じゃないって言った癖に」
それはそれとして付かれた嘘に断固抗議するのは私の権利だ。
「ああ、アーホルツはこの公国の王族が公爵になる前、伯爵家の頃に名乗ってた家門だからね」
彼は事も無げにそう言い放つ。
「伯爵から公爵に陞爵して、そこが独立して建国されたのがこの公国だからね。だから、アーホルツは公国の家門じゃない」
彼が浮かべるのはいたずらに成功したと言わんばかりの子供のような笑顔だ。
「ね、嘘ついてないだろ?」
「無理です」
取り付く島もなく一刀両断された。
「伯爵家の婿養子に大公なんて爵位与えようとしないでください。義兄上」
まだ婚約(仮)を取り付けたばかりだと言うのにこの義弟は既に婿入りした気で居るらしい。
気が早いにも程がある。
「無爵の根無し草を引き取ってくださった伯爵様に大変感謝してるんです。頼りないって追い出されても仕方なかったのに」
だから大公の地位をやるというに!
そう言いたいのをぐっと呑み込んで義弟の話の先を促す。
「小さな頃から行き場のなかった俺に良くしてくれた方です。だから、義兄上であっても侮辱することは許しません」
義弟は手の早い先王が王太后の侍女の一人に気紛れに産ませた私生児だった。故に、須く存在そのものを否定されて育つに至った。
その義弟をなんとか逃した先が、清廉潔白で良くも悪くも生粋のお人好しだったクリスタロス伯爵のところだ。考えなしが作った王室の火種を二つ返事で引き受けてくれたのだ。正直、義弟自身じゃなくても頭が上がらないほどに感謝している。
「抑々、アレの討伐とあの国を5年の遠征で制圧した時点でもう良いって言ってくれたじゃないですか」
あの『もう良い』はそういう意味ではない。もう死地に赴く必要など無いとそう言いたかっただけだ。
義弟が言うアレとは死龍の谷に住まうドラゴンゾンビのことで存在するだけで瘴気を放ち、辺り一帯を蝕むという厄介極まりないやつだったのだが、弟が知り合いから譲り受けたという鎧を纏い、単身討伐に成功なんてしてしまったものだから話がややこしくなったのだ。成功したことを喜んでいない訳ではなく、失敗して欲しかった訳でもないのはここで断言しておく。
義弟は義弟で得るものがあったと喜んではいるので討伐を命じた事自体はなんとも思っていないようだった。
俺の執務机の上に転がっている国宝級どころか伝説級の戦利品を投げ寄越してきたのは義弟だ。アレのレアなんてどれほどの値打ち物が転がっていたのか、想像したくはない。
「いや、確かに凱旋は断りましたけど。名前を売ることに興味はありません」
ああ、お陰で義弟ではなく義弟の鎧が有名になった。是が否にも博物館に寄付しろとせっつかれて大変鬱陶しい。
「俺はグラシエラにさえ認めて貰えればそれで良いんです」
うっそりとした顔でそう言う弟はまた脳内の8割以上を婚約者で埋めているのだろう。いや9割以上かも知れない。
伯爵と彼の愛娘に義弟を押し付けた身としては大変心苦しい。こんな厄介なストーカーに育つとは思っていなかったなどと言っても言い訳にもならないだろう。
「グラシエラに婿に貰ってもらうってのは子供の頃から決めてたことです」
そんなストーカーの覚醒秘話聞かされても困ることしか出来ない。というか、そんなことから標的を定めていたのか。空恐ろしいにも程がある。
「寧ろ、初志貫徹したことを褒めてください」
――――何故俺が、ストーカーの誕生と達成を言祝がなければならないのだ?寧ろ、するべきは懺悔なのでは?
そう思ったことを見咎められたらしい。ニヤリと笑った義弟の顔が恐ろしく見える。
「兄上が教えてくれたことでしょう?何があっても自分を曲げないって」
ああ、俺は本当に余計なことを義弟に教えてしまったらしい。
読んで頂きありがとうございました。
沒落寸前といった理由の国難は王弟自身が解決しましたし、妾腹生まれで貧乏だったのはドラゴンズレアを得たことで裕福どころか、国一番の資産家になりました。だから王弟は嘘はついていません。細かく説明しなかっただけで。
実際の所、ドッペルゲンガーは3人どころじゃないそうですね。
鯖女子と飴男子結構好きです。甘露煮美味しいしね。