その1 病弱少年の語り
一度も入院したことが無い人間が書いてますので、なんちゃって医療系注意報です。
語り部の病弱くんですが、ひねくれております。
前半に、ざっくりとしたキャラ設定や、このシーンに辿り着くまでのストーリーが書いてあります。気が向いたら読んでくださると、より理解が深まって楽しめると思います。
病弱で一見淡白な少年との対話
(本当にこれが最期だったり、地味に対話相手が強情で「また来たの?」ってなったり。相手の素性とかこの会話の続きとか、いくらでもご自由にどうぞ)
少年の性格など
→生まれつき体が弱く、やや裕福なだけの一般家庭でちゃんと愛情を注がれて育った。
物心着いた頃に急速に容態が悪化して、20歳までが限界でしょう、と医者に言われた。
たまに医者から、20歳もムズいかも、とか、この調子なら20歳余裕で越えられそう、とか言われて自分以上に一喜一憂する両親を1番近くで見て、何故かちょっとスれた。
やや自己中心的な性格で、同情を厭うプライドがある。「自分は不幸じゃないんだ」ってひたすらに自分に言い聞かせている。
イメージは、「私サバサバ系だからぁ」とか言っちゃうネッチョリ系。
ツンデレというか、ダルデレというか。
仲良かった友達がお見舞いに来てくれなくなったら、日中は「やっぱりね」とか言って嗤いつつ、深夜に「……うそつき」って声出さずに泣いちゃう。というか、そうやって泣いた事がある。
仲良くなった妊婦さんの赤ちゃんに会わせてもらった時、指握ってニカッと笑う赤ちゃんに「……僕みたいになっておかーさん泣かせちゃダメだぞー」とか、誰にも聞こえない位ちっちゃな声で言ってたりする。妊婦さんには、「うーん、多分僕が赤ちゃんだった頃の方が可愛かったな」とか冗談で憎まれ口叩いて軽く怒られる。
似た境遇の子にはお兄さん振る事が多い。相手が年上だとあんまり近寄りたがらない。
仲良かった子が亡くなったり治ったりして病院からいなくなったら、その子の好きだったお菓子を買ってもらって消費期限ギリギリまで飾っておく。(当時は連れていかれる希望を持ってやってた)
めちゃ揶揄ってきた年上のお兄さんの時は、2ヶ月くらいベッド周りに折り鶴を飾った。(来世での長寿を祈ってやりたかったらしい。一緒に逝くのは嫌だったとか)
ほとんどが保健室登校だったが、1ヶ月間高校に通うことが出来た。
本編
余命以上に生きる事を諦めたのかって?
それはちょっと違うかな。僕だって、いざその時が来たら惨めったらしく、
「いやだ、いやだ!死にたくない…!なんで僕なんだよ…他にも似たような奴はいっぱいいるのに、なんで僕が今日死ななきゃ行けないんだ!?」
ってな具合に泣き喚くだろうさ。心のどこかに諦念が隠れていようと、そんな事が出来るくらい身体がフリーで、体力があったなら。
まあ、多分無理だよね。喉に穴開けられて強制的に呼吸させられて、掠れた音の1つも立てられずに涙だけ流して、慌ただしい医者と看護師の声をBGMに意識を暗転させるのが精々じゃない?ドラマとかでありそうな感じでさ。
ん?なら、どうして今はそんなに飄々としてられるのかって?
何言ってんの。僕は今だって怖くて仕方ないよ?自分の容態が芳しくない事くらい、ずーっと分かってるんだから。定期的にタイムリミットもセットで解説されるわけだし。
あれ、ホントやめて欲しいよ。僕自身ならともかく、家族がすっごい死にそうな顔するんだもん。シリアスって、対応が地雷処理以上に大変だから大っ嫌いなんだよね。地雷処理が必要な場所に行く事すら出来ないから、地雷処理の正確な難しさなんて分かんないけど。
ああ、ごめんごめん。僕が飄々としてるように見えるのは何故か、って話だったっけ。
一応だけど、「毎日毎日、『今日死ぬかも』ってビビってるだけなんて、それこそ時間の無駄だろ?」とか言うつもりは無いよ?タイムロス無くエンジョイするのが1番、って意見になら賛成だけどさ。残せもしないモノを残そうと苦しい思いしてまで足掻くのも、中々に無駄だろって思ってる派だから。
正解音すら流れない空気読みを毎日やらされてるんだから、それ以外の所では自分の為だけに時間と精神力使いたいよね。
自論なんだけどさ。
ある一点において、僕たち余命宣告されてる患者っていうのは、世間一般の市民よりよっぽど幸せなんだよね。突然の脳内出血だとかでぶっ倒れても、倒れる場所は病院だから、搬送中に手遅れとか発見すらされないとかになりにくいし、突然の事故とはほとんど無縁だし。
ここにずっと居るとさ、たま〜に緊急搬送された人のご家族とかに会う事もあるんだよね。搬送直後じゃないよ?勿論。
で、その人たちは、搬送された人の安否だとかを気にするのは当然として、
「最近も、ご近所さんとお茶できるくらい元気だったんです。今朝だって……」
とか、
「あの人も歳ですから、そう遠くなくこうなるんじゃないかって、頭のどこかではずっと思ってました。最近は病院から貰う薬の種類だって増えましたし。……でも、今日じゃないだろうって、根拠もなく毎日思ってしまっていたんです」
だとか、まあ、「急すぎる」みたいな事を言ってる率が高いんだよね。後悔を滲ませながら。
僕みたいな余命宣告された入院患者の親族とかでも「急すぎる」系を聞かない訳じゃないけど、僕の主観では搬送された人程じゃない。余命宣告で心の準備をさせてもらってるからね。治療だとかをされている人が死んでしまった時に医者へ呪詛を吐く人も、余命宣告されてる人の方が少ない。発覚から宣告、そしてその期間の終了まで一緒にいる医者たちと、多少なりとも絆じみたものが出来てるからだろうけど。ああ、絆みたいなものができたからこそ、助からなかった時に感情が爆発してる人も居るけどさ。
前提に余命宣告があるとどうしても会話が湿っぽくなりがちな事以外、医者側も患者側も割と良い事づくめだと思わない?入院費系はともかく、残された側の立ち直りまでの期間とかは人それぞれだから、そこらの比較は難しいんだけどさ。
僕たち患者側って、余命が分かっているのといないのとじゃ、人生設計に生じるイレギュラーとか、死までの悲惨な感じや無念さだとかがが大きく違うんだよ?
僕を例にすると、「20歳くらいで限界かなぁ」とかを幼少期から言われてたから、まず結婚と子供は諦められるじゃん?頑張ればちょっとした学校行事とかエンジョイできるかなー、くらいの希望を抱いて、ダメだったら娯楽に生きよっかな、くらいに妥協案を出して、億が一の奇跡に人生をベットして日々を過ごす。そして、宝くじなんてそうそう当たらないしな、で死んでいく。
次は、若いのに事故にあって亡くなってしまう……僕が想像しやすいから、男性で例えてみようか。
まずは健康に生まれて、将来スポーツで活躍したいと思って、高校生ぐらいで程々に諦めて趣味程度に嗜むようになる。大学受験に燃えて、人によってはそこで燃え尽きつつ、その辺りから彼女とか結婚とかを意識し始める。30代までに結婚したいなって思って、その前に就活を頑張らないとだなって日々を過ごす。そして就活帰りとかに、信号無視だとか居眠り運転だとかの車に撥ねられてご臨終。
走馬灯を見ながら、「まだ彼女すらできなかったのに」「親孝行してあげたかったな」みたいな事を考えて、後悔の中、意識が暗転する。
……どう?僕の方が後者よりちょっと不自由なだけで、悲壮感は大分マシだと思わない?
あれ、そうでも無かった?
…………。
……………………へぇ。それが君の自論?
そういう事なら、僕と君は上手く分かり合えそうにないね。どうせすぐお別れなのに、それ程意見の合わない相手に付き合う必要なんて無いと僕は思うな。
あっ、ほら窓の外見て。そろそろ秋だし、結構陽が短くなってる。今はまだ明るいけど、家に着く頃には暗くなっちゃうよ。早く帰りな。
そろそろテスト期間ってヤツなんだろ?君の将来の為にも、コツコツ頑張った方が良いよ。
「僕の分も」、頑張ってよね。
じゃ、さよなら。
ありがとうございました。